Ep.5-3 金木犀の祝福を

「――リディア!」


 リディアは再度自分にかけられた声が、名前を言い終える前に振り返った。

 強大な魔力が二つ。まるで何かの現象のように、人波が自然に開いた道を歩んでくる。しかも師団の人たちはピシッと敬礼して、一般人は何事かと振り返って、ああ、と頷いて、ヒソヒソと囁く。


 流石に写真を撮ろうとはしない。それほど恐れ多い、というより、彼の放つ威厳が、行動を妨げさせる。


「――ヴァンゲル団長だ」「あれが!」


 一般人でもビシビシ伝わる圧倒する迫力。本人はかなり温厚、なのだけど、まとう存在感、魔力が見えないものでもわかる。

 なんというかオーラが違う、というのだろうか。


「じゃあ隣にいるのは……」 


 彼の横、というより彼の前をランウェイのようにモデル歩きをするのは副団長。

 腰まで届くほどのゆるいブラウンの輝く髪、抜群のくびれを見せる黒レザーのタイトな衣装をまとう女性。


 太ももがほぼ全部見えるほどのスリット入りスカートに、九センチのハイヒール。あれ、ルブタンじゃないだろうか。レッドソールと言われる、靴裏の赤が特徴。安くて十万エンもする。あれを普段使いにしますか……。


 身長百七十九センチで、九センチヒール。モデル顔負けの体型で、グレイスランドで最も美しいヒップの称号を持っている彼女は、誰もが振り返る絶世の美女。

 団長よりもむしろ目を引いてるかもしれない。


 そしてあの格好で、抜群のスピードを武器にした戦闘力を誇るのだから尊敬しかない。悪漢を瞬時に十五人抜きして、ルブタンで大事なところを踏み潰す。一市民が撮った映像が流れた途端に、苦情どころか、更にファンがつくという事態。

 それはどうかとも思うが、あの足技はリディアも見習いたい。どうやったらあのヒールでディアンがたじろぐほどの三段、いや五段蹴りを繰り出せるのか。 


 前置きが長くなったが、あれこそ第三師団ワレリー・ヴァンゲル団長と、その妻にして副団長のローゼことローザリンデだ。


「アーベル。あんたホント、リディアを見つけるのは得意よね」


 その美女が、息子――アーベルにしみじみ感心と言った口調で声を紡ぎ出す。初対面の男性がその場で即、花を買いに走るという、その声から滲み出る色気も見習いたい。


「僕がリディアを見つけられないわけないじゃないですか。学校にいたってどこにいるかわかります」

「こわっ」


チャスが即座に言うけど、リディアは笑えない。勿論、ストーカーとかそう言う意味じゃなくて。


「アーベルの探索サーチ、はすごいの。魔力波サーチじゃなくて。おそらく首都中の人間の生体反応を把握している」

「それって、いくつかの面で大丈夫ですか?」


キーファの疑問はもっともだ。


「精神面を心配していただいているのなら、問題ありませんし、プライバシーの侵害はしてませんよ。その辺りの制御は身につけていますから」


 淡々とアーベルは答える。そつもないけど、どっか上から目線だな。

 けれど、学内ではうまくやっているのだろう、魔法学校創立以来の逸材にして稀有な存在と称賛されていると聞いている。

 ちなみにディアンも異能だったが、あの俺様性格でリーダーからは程遠くて、教師からも怯えられて無視されていたので、彼の存在は黒歴史として抹消されている。自業自得だ。


「紹介していただかなくてわかりましたが、一応聞いた方がいいのでしょうか?」


 キーファは丁寧にリディアに尋ねる。

 そうだね、紹介しないと障りがあるよね。でも、一番はお偉い人を優先させなきゃ。


「団長、副団長、紹介させていただきます。こちらが、王立大学、魔法学科境界型魔法領域の学生です。本日手伝わせていただきます。キーファ、代表として挨拶を」

「キーファ・コリンズです。学生一同、よろしくおねがいします」

「ワレリー・ヴァンゲルだ」

「ローザリンデ・ヴァンゲルよ」

「知っての通り、第三師団の団長と副団長。そして、こちらがアーベル・ヴァンゲル。いま魔法学校にいるの」

「――リディアとは十一年来の付き合いになります。よろしくお願いします、先輩方」


 その紹介、必要かな。何かひっかかる。


「つまり、十一歳ってこと? センセにオムツかえてもらってました、ていうやつ?」


 チャスのからかいにも彼は動じない。


「――リディアが九歳の頃になりますね、出会いは」

「覚えてねーくせに」


 ウィルがボソッと言うと、アーベルは一層にこやかに笑った。彼は母親似のせいか、とても美形。

 ブラウンの髪は子ども特有の艶やかな天使の輪ができて、顔立ちはまだ柔らかな輪郭がある。けれど、その表情はもう子どもじゃない。


「覚えてますよ。そして、結婚も申し込み済みです」


 ――いやいやいや、それここで言うことじゃないよね。

 でも、彼が幼少期の頃から記憶をもっているのは事実だ。胎児記憶もあるのだから。


「アーベル!?」

「僕が十六になったら結婚してほしい、と申し込んだね。あと五年、待っていてね」

「それをここで言ったのは、思惑があるのかな」


 キーファがいくらか子ども向けに口調を変えて尋ねる。でも顔が固い。


「両親も知ってのことですが、久しぶりなので念を押してしまいました。リディア、ごめんね」


 ああもう。アーベルは、キーファじゃなくてリディアだけを見ている。キーファに答えているのに。

 キーファは年長者として余裕を見せようとしているが、微妙な顔をしている。 

 アーベル、すごく失礼だよ。


「ここで言ったのは必要があったからです。それに、あとで二人の時にも言うね、リディア」


 とびきりの笑顔で言うけど、ここで叱るのは男の子の矜持をくじいてしまうだろうし。あとで失礼な態度を叱らないと。


 ――最初に結婚のことを言われたのは、彼が五歳の時だったと思う。その頃、尖っていたリディアを、団長は何度も家に呼んで夕食に招待してくれた。

 あの時、将来結婚して、と言われて、頷いてしまったかどうかは――覚えていない。でもそのあとも何度も念押しをされて、どうやら彼の中で決定事項になっていったようだ。 


 そのうち彼も他の子を好きになる、と思っていたけど、軽く考えていた自分がバカだ。

 人の思いって軽く見ちゃいけない。


「自分の行動は、自分で責任持ちなさいね」


 ローゼはリディアのわずかに助けを求める目を、突き放す。

 ていうかいいの?

 どこまで本気で、息子の発言を捉えているのか。


「俺は、娘に来ても構わんぞ」


 豪快に笑う団長。娘としてすでに扱われているのはわかっている。すごくありがたい。この人達の家族になれるのは嬉しい。

 でも、アーベルは将来有望な人材で、こんな成り行きのような、冗談なのかよくわからないことを公言することで、彼の未来を閉ざしてしまいそう。


「その五年後。すでにリディアが誰かと結婚しているとは思わないのかな」


 キーファの問いに、アーベルはわずかに目を瞬く。それは、わざとのようだった。その瞬きさえ、演じられたもののよう。

 そして、彼は微苦笑した。


「そんなの。その時、誰がいようが関係ない。――最後に勝ち取ればいいんですよ」

「――なるほど」


 キーファはその挑戦的な態度に、剣呑な光を瞳に宿していた。


「なんか、センセって、いつも面倒なのに好かれてんのな!」


 チャスの呑気で、呆れたような言葉に、緊張が崩れた。

 ウィルが口を開きかけるより早く、アーベルはサッと口を挟んだ。


「――それよりリディア、今日はうちに泊まるんだよね」

「それは……」

「なによ、泊まりなさいよ。久々なんだから」


 ローゼの誘いに、リディアは少し考える。

 久々の団長夫妻の家にご招待。

 手土産は急いで購入するとしても、今日はイベントの後片付けとかあるし。


「僕も、明日は学校に帰らなきゃいけないし。話も聞いてほしいな」


 アーベルの寂しげな声に、リディアの心がぐらつく。確かに、最後に彼に会ったのは、彼の入学前。寮生活がどうなのか、聞いてあげたいし。


「そうだね」

「じゃあ! 久しぶりに、一緒に寝ようね!」

「え!! ――それはもう最後って言ったよね!?」


 思わず返してしまったけれど。周囲の目に焦る。そうじゃない、えーと、なんて言い訳しよう。

 なのに、アーベルはじゃあ後で、と駆け去ってしまう。


「ちょっと待って、アーベル! まだ約束していないっ」

「一緒に寝たって……いつのことだよ」


 ウィルが大きなため息をついて呆れたように、じゃなくて呆れて突っ込んでくる。


「えーと、それは秘密」


 彼のプライベートに関わることだから。


「学校に入る前の最後の夜よね、うちに泊まったの。――四年前?」


 言わないで。

 母親としていいの?


「『どうせ、僕は父上と母上が有名人だからプレッシャーがすごいんです』、とか言われてほだされて、添い寝してやったんだろ!」


 マーレンにそのものずばりを指摘されて、言い返そうとしたけれどぐっと飲み込む。あたってる、かも。


「やっぱりチョロいやつだな、お前は!」


 マーレンはまた怒り出すし、チョロい言うな!


「――なるほど。そんなこと言ったのか」


 ワレリーが顎を撫でながらうむ、と頷いている。


「詰めが甘いわね。もう少しうまく言えないのかしら」


 しみじみしないで、ご両親。


「リディア相手じゃ、それじゃ落とせないわよ」

「それ。――私相手でもいいって思ってます?」

「選ぶのはアンタだし。息子の恋愛に口をだす気はないわ。そもそもアンタ一人落とせないようじゃ、まだまだだしね」

「えーと」


 そもそも根本が間違えていると言うか。

 私でいいのか、というか、アーベルの目を覚まさせないといけないと言うか。


「恋愛は、パッションとミッションよ。それがまだまだ足りないのよ」


 ローゼでもそれをしたのだろうか? この美女が?


「やだ、私がするわけないじゃない。相手にさせるのよ」


 ちょっと恥じらうように頬が赤くなってますけど、そんな可愛らしい性格ではないはず。 


 ヴァンゲル団長に求婚をさせた際『もし神様だろうとどんなヤツだろうと、一瞬でも目移りしたら、団員全員の前で跪いて、足の指を舐めてもらう』と公開約束させたことは、団員の男どもを恐れおののかせた。


 女性団員の間で、それが流行ってしまって、その時期婚約が減った、とも聞いている。

 その話を聞いてちょっとドキドキしていたら、ディアンに聞くなっ! て言われたけど。 

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