Ep.3-1 The Blue Phantom
事の次第は、この瞬間から始まった。
夜の安息時間――二十時に鳴った呼び鈴。
人によってどうかは知らないが、自分にとっては、仕事から帰りご飯を食べて一息つく一番無防備になる時間帯だ。
部屋着に身を包んで、玄関の前で返事をすると「宅急便です」の言葉。ドアの覗き窓を見る手間を省いてサッとドアを少し開けると、差し出されたのは大きな花束。
「リディア・ハーネストさんですね。こちらに印鑑をお願いします」
紫とブルーを基調にし、ピンクがかったかすみ草で周囲を飾る少し大人っぽいアレンジだ。レース柄のセロファンがまたセンスがよい。印をおして、入っていたカードを見る。
「美しい人へ」とだけ。名乗らない。押し付けがましくもない、中々、好印象だ。
宅配業者の人が教えてくれたのは、差出元は魔法師団だということ。リディアは花の香りを胸に吸い込む、生花の瑞々しさが鼻腔に流れて息をつく。
花瓶を探して飾った花にリディアは微笑む。
籠や箱にオアシスに刺されたアレンジメントよりも、花束のほうが好きだ。茎を切って水に挿すと水を吸い上げて花が喜んでいる気がする。
差出人が誰かはわからないけれど、リディアは、いい気分で夜を過ごした。
***
授業が終わり職場のデスクに着いたら、籠に入ったアレンジメントが置いてあった。今度はオレンジと赤を貴重にした元気が出る色。
カードは「美しい人へ」
「宅配の人が置いていったわよ。先生、今日誕生日?」
「いいえ」
リディアは考えてカードを改めてまじまじと見返す。花を贈ってくるような知人はいない。
「いいなー。いいなー」
リディアは羨ましがる同僚のサイーダに苦笑で返して、花をパソコンの脇に置く。
花があると気分はいい。送り主は謎だが、花に罪はない。
とはいえ、少し怖い気もする。これが続いたらどうしよう。
でもお花は綺麗。
「――あなたに罪はないからね。綺麗に咲いてくれて、ありがとうね」
リディアは花弁を撫でて、花に微笑みかけてからまた授業へと戻った。
***
職場の研究室の電話が鳴ったのは、お昼休みだった。リディアはサンドイッチを飲み込んで、口の中のもぐもぐが出ないように返事を最小限にして電話に出る。
「はい(もごもご)」
「ハーネスト先生、外線です」
交換手から告げられて応じると、開口一番『――リディ!? リディアか!?』と。
「うん?」
魔法師団の元同僚、そしてリディアのなんというか過保護な兄代わりのディックが叫んだ。
『お前。この馬鹿!!』
ひどい。
『お前、
「えー」
リディアは鞄をあさって、あ、と声を上げた。電池が切れている。
「ごめん、電池切れ。……えーと充電器どこかな」
『うちのボスがめっちゃかけたらしいぞ。激オコ』
「まじでー?」
今日は朝から授業で、前日は授業の準備で死にかけてた。充電なんてすっかり忘れていた。
「ディアン先輩、いつも怒ってんじゃん」
知らないよー、もう、とリディアは呟く。
鞄をごそごそすると、ディックがだからさ、とあせった様子。
『それはどうでもいい。お前、シリルに何であんなの撮らせた?』
「何の話?」
充電器を探すのを諦めて、リディアは電話に専念する。これ大学の内線。私用電話はまずいよね。でも他の先生はいないからいいか。
『だから写真だよ、写真!! ボディスーツの!!』
「ボディスーツ!?」
魔法師団専用の身体にフィットするスーツだ。魔獣の牙や皮膚を溶かす酸や毒も防ぐ。
『ポーズとってんだろ』
リディアは「あ」と言ったまま絶句した。
魔法師団の実習の後、リディアは元同僚の女性団員シリル・カーに相談をしていた。女性だが、並の男性より筋肉が発達していて、容姿はほぼ男性に見える。仕草も話し方も男性。リディアに向ける言動も同姓としては怪しいが、リディアは友情と信じている。好意というよりもたまに性欲を向けられている気がするけど。
リディアは二人きりの更衣室で昔のボディスーツを着用し、彼女に見せていた。ボディスーツは、肌の上に直接つけるもので、密着性があり身体のサイズに合わせていないといけない。体温を最適に保ち、かつ魔獣の牙も通さない師団の任務に必須アイテムだが、リディアは二年前に退団してしまい、現在はその頃のものしかない。
しかし、今回実習で装着してみたら、やはり微妙にきつい。
「ねえ。きつくないかな?」
胸元のファスナーを上げてきっちり首まで上げると、息苦しい。
「見せてみな」
シリルが躊躇なくリディアの両胸を掬い上げて、それから左右から寄せる。
「んー、たしかに、リディア成長したな」
ねえ、揉むのは必要?
「ぴちぴちの方が喜ぶヤローは多いだろうけどな。いいんじゃねーの?」
「私はよくない」
「でもリディの背だとそのサイズになるんだよな。胸だけサイズ変更できるか総務に聞かねーと」
そう言ってシリルは、個人端末を取り出した。
「サイズが合ってねーかもな、聞いてやるよ。そこに立ちな。写真撮ってやる」
うーんと呻いて、リディアはなんとなく気恥ずかしさと共に棒立ちになる。
「そうじゃねーって。こう背を向けて―-それから半身だけ振り返る」
「うん?」
「髪、あげてくんね? そうそう、髪を両手で掻きあげてこちらを見据えてみ?」
「こう?」
「そうそう。んで虫けらを見下すような目で――」
虫?
虫恐怖症のリディアが露骨に嫌そうな顔をすると、シリルは慌てて手を振る。
「あーそうじゃねえ。いいやもう、あどけない顔で。無防備さを前面に出して」
「あどけない顔?」
「それからこう顎あげて、女王様然としてだな」
何の写真だ。
リディアはくすくす笑い出し、次第にシリルにのせられていく。
「んじゃ次、胸元までジッパー下ろしてみるか」
「それ怪しいから」
「サイズ合ってるか、みるためだって」
「本当かな」
胸元の谷間が見えるほどにジッパーを下ろして、ふざけて両腕で胸を寄せて屈みこんでみる。
「お前、成長したな。やべえぞ、それ。野郎どもには見せらんねーな」
「これボディスーツだからね。寄せただけだよ」
「シルビス人が胸でかいって噂、本当だな」
「あれ、コルセットだから」
シルビスでは、女性はコルセットで腰を極限まで絞り、胸を寄せてあげて谷間を強調したドレスを着る。女性の健康に被害を及ぼす前時代的な衣装だと国際社会では非難の的だが、上流階級ではドラゴンの髭を素材にしたコルセットが流行りで、希少なドラゴンを捕獲するその行為も非難されている。
ていうか、色素は薄くて性格も控えめ、背も小さい女性が好まれるのに、胸だけは大きい方がいいって、どれだけ男性の目線を意識した国なの。どういう時代背景でそんな好みが生まれたのか。
「幼いころから矯正されるんだろ?」
「私はコルセットに慣れていないから、シルビスの衣装は絶対無理」
「ま、いいや。次横から写真撮るな。ラインがはっきりわかるように」
(あれだ……)
リディアは頭を抱え込んだ。あれしかない。
「
ディックが何かを話している。リディアは、暗い気持ちでそれを聞く。うん、それで?
「ここ最近、人気投票の上位団員を写真にして載せてたらしい。どうしてか、お前の写真が流失して、そのカレンダーに載って配布されたらしい」
「……」
リディアは目を閉じて空を仰いだ。死にたい。
(……どの写真?)
「広報はうちのボスの管轄外だったしな。気づいたら一般人と関係者に配付された後。うちには全然残ってねーから俺の手元にはねえけど、一部だけ今ボスの部屋にある」
手にした電源の落ちた個人端末を見下ろす。一生充電したくない。怖い、どのくらい着信が残ってるのか。いや、スイッチを入れても履歴はない。いや留守電サービスがある。
「……ディアン先輩は?」
あの方、どうしていますか?
通話に出ないリディアに諦めたとは思えない。怖い。どうしよう、充電やめる?
「
「――まじ、どうしよう!!!!」
リディアは叫んだ。立ち上がった拍子で椅子が倒れるが気にしている場合じゃない。
「今行く、すぐ行く、ごめんなさい!!」
リディアはあたふたと鞄に色々詰め込んだ。慌てて目の前のボックスティシュを鞄に入れて、いやいや、これはいらないからと自分に突っ込む。
(今日の授業はもうないし。明日の演習は明日準備すればいいし!)
「とりあえず、そっち行く。ディアン先輩待つ」
「あー来てもいいけど、その」
「何?」
ディックの歯切れが悪い。何、もう全部言っちゃって。
「あのカレンダーのお前の写真、ボスが見た瞬間だけどな」
「うん」
「うちのボスの執務室、壁が死んだ」
「は」
「放射状に全方面に壁が、べこんとな、凹んだ。だから修理中」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます