Ep2.夏の朝ー中編

 

 伸ばし始めた髪の毛が肩先で揺れる。きっと酷い寝癖だろう。

 

 億劫そうに、リディアは髪を耳にかけた。

 

 子供の頃は、腰まで髪を伸ばしていた。その反動か、最近まではショートにしていた。十六歳になってなんで伸ばそうと思ったのかはわからない。


 女であることを無理に否定するのをやめたからかもしれない。それとも、女であることを主張したくなったからかもしれない。


 玉砕したけど……。


 たどり着いた自販機、非常灯が弱々しく淡い光を放つその空間では、手入れのされていない自販機は、売り切れが目立つ。


(……ない)


 お目当てのスポーツドリンクは、赤いランプで売切れを示している。


(……ネクター、美味しそう)


 冷たい桃ジュースは美味しいだろう。でも今欲しいのはスポーツドリンクだ。それに、ネクターも補充がされていないのか、赤ランプだ。



 リディアは、寮の玄関であるガラス戸の外を見る。


 師団の付属寮は、東に位置する円筒状の師団本部を囲むように逆コの字型に配置されている。南に女性棟、北に男性棟、そこを縦に繋ぐのが西の共有棟で食堂や書庫、休憩所がある。

 

 共有棟は、師団本部への連絡通路もあり、二十四時間利用可能だ。食堂は空いていないが、休憩スペースには機能が充実した自販機も有る。


 リディアは軽く息をついて、やけに重く感じる共有棟への外廊下へのガラス戸を押した。




 ***


 自販機の排出口に大きな音を立てて、ペットボトルが落ちる。リディアは、億劫そうにしゃがんで手を伸ばして――そのまま額を自販機に押し付けた。


(つめたい……)


 機械のモーター音が頭に響く。そのまま目を閉じてしまう。



 しゃがんだら――立てなくなった。




 ***



 

 制圧任務が終わり、解散を命じたのは二十三時。そこから雑務を片付け、無人の共有棟の廊下を歩んでいたディアンは、角の向こうからの漏れ出る魔力にわずかに眉を潜めた。


 わずかに足が急く。大股でありながら足音も気配もさせずに近寄ったディアンは、見知った姿に、軽く息をついた。


 自販機の前に、子供のように丸くなりうずくまる存在。肩先まで跳ねる明るい蜂蜜色の髪が、身長が伸びスラリとした首筋を見え隠れさせている。


 ディアンは伸ばした手を逡巡の後、リディアのむき出しの肩に置く。

 その時に伝わる熱に気づいた。


「――リディア」


 顔が勢いよく上がる。手のひらに伝わる熱は、明らかに自分のものより高い。ディアンは目を眇める。自分を見上げる顔は赤く、目も充血し潤んでいる。


 ――最終の任務を思いだす。

 確か三日前に上がっていたはず、何も報告を受けていないからその時は問題なかったはずだ。


 ――見かけない、と思っていた。


(ずっと、寝込んでいたのか……)


 まだ筋肉がついていない細い肩に片方だけかかる肩紐、大きく開いた胸元。

 しゃがむ姿勢、短いパンツから伸びる太もも。


 ディアンは、声にならないうめきを漏らす。舌打ちを堪える。


 いつもならば、叱りつけている。


 小柄で痩せぎすだったリディアだが、ここ最近伸びた身長のせいで、細めの手足のしなやかさが目立つ。

 色気よりも、少女と女性の中間の危うさだけが目立つ。 


 こんななりで、フラフラするな。ここを何だと思っている。


 ――男を甘く見るな。 


 思いがこみ上げてくる。


 その原因は熱があるせいで正常な判断ができない――というよりも、普段からの本人の危機意識の薄さ。常に、自分をおざなりにする構わなさ。


「リディア……動けるか」

「……せんぱい?――って、団長!」


 リディアはとろんとした眼差しから一転、ハッと目を見開いて、慌てたように叫ぶ。


「――申し訳っ」


 バネのように跳ね上がる身体はディアンから離れるように一歩引いて、自販機に背が当たる。大きな音を立て跳ね返された身体がふらついて、ディアンの方によろける。その肩を支える。


「今は任務中じゃない」


 混乱を覗かせた顔に言い聞かせる。リディアは、自分顔を見て任務中だと間違えのだ。


「……」


 だが、混乱した頭は何をいうべきが忘れたのか、目を瞬いて不安そうに自分を見つめるだけ。ディアンは、その口が何かを言う前に自分の上着を脱いで、その肩をくるむように覆う。


「――重い……熱い」

「脱ぐな」


 嫌だ、と眉を潜めて駄々っ子のように振り落とそうとするから、包んだまま無理やり引き寄せる。

 

 不意に力が抜けたようにパタリと動かず、おとなしくなった身体。それに違和感を覚えて、大丈夫かとリディアの顔を覗き込む。


 リディアの瞳は閉じられていた、そしてディアンの胸に遠慮がちに頭を預けたまま、小さな唇が開いた。


「――先輩。普通に、してくれて……ありがとう」


 微かな声は、はっきりと聞き取れる。


 ディアンが何かを言う前に、リディアの掠れ声は続ける。


「もう絶対に、……勘違いしない……から」

「……リディア」


 自分の声は、どういう感情を含んでいたのか。

 汗で湿った髪に手を差し入れ、頭を抱きしめる。耳元に近づける。


「……いいんだ」


 そして、ディアンは本人だけしか聞こえない声で何かを呟いた。

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