第7話 危機回々Ⅱ
支倉市にあるキリスト教の教会。
世界最大の宗教と呼ばれるキリスト教は、宗教団体と布教の他にもう一つの顔を持つ。
魔術世界の秘匿と法を司る機関。
その昔、イエス・キリストという人物が興したとされる聖教。
教会に建てられた大きな十字架は、その威光の証である。
西暦として、時をも支配する世界最大の宗教組織である。信派こそ様々に分かたれているが、魔術という世界を秘匿し、発展を望むという使命は神の教えとして共通している。
礼拝堂で一人の男が膝をつき、額を地につけ、聖母像を崇めている。
敬虔な姿は、その男の神への忠誠を計り知れる者などいない。その愚直なまでの信仰心は、この日本という地の住人が見れば、薄寒ささえ覚えるだろう。
「キリエ・イレイソン--キリエ・イレイソン--キリエ・イレイソン--」
まるで呪詛を唱えるように繰り返す。
静かな礼拝堂に低い男の声が響き渡る。
男が立ち上がる。
それを見計らうように礼拝堂の扉が開き、黒い衣服の修道女が入室する。
「どうしたのかね」
男が訊ねる。
地に伏していたので隠れていたが、男の瞼は閉じられていた。
その視界に光はない。
盲目の神父は補助もなく、まるで見えているかのように修道女に歩み寄る。
「霧崎司祭。来客です」
修道女が答える。
霧崎譲司。支倉教会の司祭を務める男である。
「クロムウェルの末女が来ましたか」
「はい。例の聖遺物の件でしょうか」
昨日、呪物として回収されたモノは、その定義は聖遺物と認められた。
呪物とは、含有魔力が高く、魔術の素材やその媒介とした機能するモノ。それが石ころであれ、魔力を帯びていれば、呪物として行使出来る。聖遺物とは、言わば呪物の上位互換。呪物の中でも特に歴史的価値・魔術的価値の高いモノだ。その階級は、等級により定められており、今回の聖遺物は最上位の特級という認定を受けた。
「ふむ、そうでしょうね。彼女としても気になるのでしょう。何せ特級の聖遺物ですからね」
「このまま聖遺物をここで保管していてよろしいのですか?」
「ふふふ、何を言うのですか。この件は私に一任されています。上の許可も得ましたしね」
「……危険では?」
「主の啓示ですよ。危険を賭して、成果を成す。そこに我々神の奴隷としての意思など介在してはなりません」
「分かりました。私も神に仕える身です。貴方に降りた天啓に従いましょう」
「して、シスターカナン・クラーク。クロムウェル嬢はどちらに?」
修道女--カナン・イヴ・クラークと呼ばれた少女は、スッと道を開けるように移動し、答える。
「はい。応接的に通しております」
「アレも存外気が短い。少し急ぎましょうか。そういえば、この前茶菓子を戴きましたね。彼女に出してあげましょう」
「分かりました。後程お持ちしましょうところで司祭」
「何かな?」
「あまり彼女を虐めてはいけませんよ?」
「フフフ、そんなに意地悪くみえるかね?」
「……見えるから言ってるんです」
カナンの言葉に霧崎司祭は、少し困ったような顔をしてから、応接室に向かう事にした。
※
支倉教会の応接室では、月城夜歌が待たされていた。
カナンが茶請けを持って来て、少ししてから霧崎司祭が入室する。
「やぁ、貴女からお越しになるとは、珍しい事もあるものですね。クロムウェル嬢」
クロムウェル、と呼ばれた夜歌は少し顔を強張らせ、ピリッとした刺々しい空気を纏った。
その様子などどこ吹く風と霧崎司祭は、対面の椅子に腰をかけた。
「……その名前で呼ばないで」
明らかに怒気を孕んだ声音。
霧崎司祭はニコニコといつもと同じ調子でその様子を面白がっていた。
「これは、失礼。では、ヨルカ。本日は何の用で?」
「そうね。大変不本意だけど、貴方に頼み事があるわ」
「ほぅ、それはいつもの情報操作ですか?」
基本的に彼女とは、魔術師の隠蔽工作による情報操作の依頼のやり取りしかしない。
教会と魔術師との関係としては、スタンダードなスタンスである。
「いいえ。ちょっと涼子とゲームをする事になってね」
「あの支倉の管理者と?」
魔術師の家には、ロッジより土地が与えられる。当代の家主はそれを管理し、魔術的価値--霊脈を守り、管理するのである。この支倉市という土地は、赤川家が管理し、栄えてきた。
当代である赤川涼子は、霧崎司祭も面識があった。何とも魔術師らしからぬ印象を持っている。
「ゲームには審判が要るわ」
夜歌は、ゲーム内容が書かれた一枚の
霧崎司祭はそれを一読すると、「なるほど」
と相槌を打ち、ニヤリと笑った。
「それを教会に任せたい、という事ですね。良いですよ。但し、条件があります」
「条件?」
「大した事ではありません。例の聖遺物の件で協力していただきたいのです」
「アレが何の聖遺物なのか、によるわね」
「おや? 貴女達魔術師の流儀は、一を支払い一を成す、と認識しているのですが。魔術を成すのに魔力が必要な様に、等価交換というのは貴女方のルールなのでは?」
夜歌は霧崎司祭の言葉に顔を顰める。
霧崎司祭は、無表情に近い彼女の心境の変化を正確に読み取り、内心ほくそ笑む。
「……甚だ不本意だけれど、分かったわ。でも、聖遺物が何だったのかは教えてくれても良いのではなくって?」
「そうですね。アレは〈
「〈聖餐杯〉?」
「ええ。時にヨルカ、人の魂をどう考えますか?」
「肉体という器に宿った無形の概念。その器の人格を司る器官」
「私も同意見です。では、魔力はその魂と肉体のどちらに依存すると思いますか?」
「魔術としての法則の話ならば、後者ではないかしら」
「そう。形なきモノは形在るモノに惹かれ、依存する」
「それが何か?」
「あの聖遺物は、魂という物質なのです」
「そんなモノは有り得ないわ。矛盾しているもの」
魂が無形の存在ならば、その魂が有形で有るはずがない。それでは、物質界と精神界の法則に当てはまらない。
「そうです。アレは矛盾してしているのです。この世界の法則の埒外にあります」
「……そんなモノが?」
「はい。何せ特級に認定されましたから。それくらいの非常識は許容しないといけません。それで……貴女の報告にある自動人形。誰かがこの聖遺物を狙っていたのは明白です」
「そんな危険な代物を手に入れた所で持て余すのは目に見えている。一体誰が?」
一瞬、夜歌の脳裏にあの時の自動人形の顔が浮かぶ。あれは間違いなく赤川涼子をモデルにしている。
「それはこちらでも調査中です。〈聖餐杯〉は賢者の石生成の為の器と言われております。一つ確かなのは、その誰かは〈聖餐杯〉を完成させようとしている、という可能性があると言う事です。我々としては、その禁忌は阻止したい」
「その禁忌の離れ業を出来る魔術師は、ロッジでも一握りだと思うけれど?」
「だから、調査中という事です。そこで貴女には、我々教会の護衛と支倉の地の守護をお願いしたい」
「その話、普通なら涼子にする話ではなくて?」
「この土地の管理者は、魔術師として未熟すぎます。だから、師である貴女にお願いするのです」
「なるほど、理解したわ」
「では、よろしくお願いします。ゲームの方はお任せを。有事の際には、いつも通り隠蔽工作は行いますから、安心してください」
夜歌は、霧崎司祭の言葉を聞くと満足して、席を立つ。
「ところで」
部屋を出る前に霧崎司祭が夜歌を呼び止める。
少し気になっていた事があったからだ。
「貴女がそんなに楽しそうなのは珍しいですね」
霧崎司祭の微笑は慈愛か慈悲か。
夜歌は、霧崎司祭をチラリと一瞥し、その言葉を無視して部屋を出て行った。
※
「作戦会議を始める!」
ずいっと身を乗り出して、涼子は蒼介に詰め寄った。
柳田邸での手狭な一室に、二人は居た。
「まず、夜歌の使い魔による監視が問題ね」
使い魔が監視している限り、夜歌にはこちらの位置情報は筒抜けだ。流石にこちらも気がついているからか、感知出来ない程遠くに配置を変えてきた。
「なぁ赤川。僕が逃げれば良いんだよな?」
「そうよ。それが何?」
「こっちの居場所は筒抜け、僕は避けるのは得意だが、逃げるのはあんまりだぞ。赤川は僕が三日も逃げられると思うか?」
「難しいでしょうね」
「無理だ」
「残念だけど、私の辞書に無理はないわ。為せばなる」
「無茶苦茶だなぁ」
「無茶苦茶なのは、アンタでしょうが!」
「でも、どうする? あの子が仕掛けてくるのは時間の問題だと思うんだが」
「そんな事は私も分かってるわよ。けど、しばらくは大丈夫なはずよ」
「何故?」
「人目につく住宅街で仕掛けてくるという事は、一般人の目に触れる危険性がある。仮に強行するとしても、夜。それに街中で事を起こすとなれば、教会に許可を取らないといけないでしょう」
「教会?」
「ええ、キリスト教会よ。私達魔術師は、教会に守られている様なモノなの。今日の学校のニュースだって、教会の隠蔽工作によるものよ」
宗教団体である筈の教会の裏の顔。
蒼介は、その実態に少なからず驚きを覚えていた。
「だから仕掛けてくるとしたら最速で今夜。それまで出来る限り準備をする」
「準備?」
涼子は、袋を取り出す。
中には袋いっぱいの石が入っていた。
「それは?」
「私の魔力を込めた宝石よ。今から術式を刻んで、戦闘準備を整える」
「そうか。俺は何をすれば?」
「何もしなくて良いわ。そうね、一人になれる部屋を貸してちょうだい」
そんなに部屋があるわけではないが、貸せる部屋と言ったら、自分の部屋くらいだろう、と蒼介は思案する。
「分かった。俺の部屋を貸そう」
「……ちゃんと片付けてる?」
涼子は、ジトッと半眼で訊ねる。
「良い? くれぐれも部屋には入らないでね」
「分かった」
自分の部屋なのだが、と蒼介は言いかけたが、それを言うと涼子の反撃を食らいそうだったので、言うのを止めた。
蒼介は、涼子を部屋に案内し、再三の注意を受けて、すごすごと居間に戻る。
「ふむ」
いよいよやる事がなくなった。
手持ち無沙汰な蒼介は、ふと戸棚を思い出す。
この家に来る時に、唯一故郷から持ってきた物。
万斎さんにここでは必要ないと言われて、没収された物だった。
「万斎さんには、必要ないと言われたけど」
今は少しでも力になれる事があれば良い。
蒼介は戸棚の引き出しを開き、そこにある物--一本の木柄の小脇差。その柄には[在魔]と文字が刻まれていた。
大切そうに脇差を手に握ると、腰に目立たないように差す。そのまま座し、目を瞑って、瞑想をする。
蒼介は、眠る様にピクリとも動かなくなり、時間だけが過ぎていった。
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