第6話 危機回々Ⅰ

 蒼介を送り届けた。

 柳田万斎なる人物は酒の匂いをさせ、千鳥足で涼子達を迎えた。

 蒼介は、「あー、またこんな時間から飲んで」と出迎えた酔っ払いを担いで家に入る。

 そして、思い出した様にこう言った。

「赤川。ちょっと確認なんだが……。今日は学校に行かなくて良いのか?」

「ああ、その事? 別に気にしなくて良いわよ」

「おお、意外に不良だな」

「違うわよ……」

 涼子はスマートフォンを取り出し、トップニュースを開いて、蒼介に見せる。

「ほら、見てみなさい」

 蒼介は口を窄めて驚く。

 そんな驚き方初めてみたわ、と涼子は肩をすくめた。

「……便利だ」

 蒼介は心底感心し、食い入るように画面を見る。その様子が今時珍しく、涼子は苦笑した。

 画面には、『支倉高校、大爆発。戦時中の不発弾爆発か』という見出しで大々的に報道されていた。

「さっき学校からも連絡があったわ。それと貴方には私が伝えておくって言ってあるから、安心なさい」

「しばらくは、学校に行けそうにないな」

「一応、代替案は学校側に伝えてあるわ。ま、一週間は休校でしょうけど」

 いつの間に、と蒼介は生徒会長赤川涼子の手腕に感心する。

「なるほど、安心した。学校が休みという事は、赤川もこの後予定がないんだろう」

「まぁ、そうね」

「朝ご飯を食べて行ってくれないか。昨日の御礼がしたい」

 貸し借りはなしと伝えた筈なのだが、と涼子はため息をつく。

「そっちの方が、都合が良いか……」

 涼子が誰にも聞こえない声で小さく呟いた。

「ん、何か言ったか?」

 勿論、蒼介にその言葉は聞こえない。

「いえ、何でもないわ。それじゃ、御相伴に預からせていただきます」

 酔っ払いを抱えて、家に入る蒼介を涼子は、今後待ち受ける過酷な試練に思いを馳せ、複雑な心境で見つめていた。




 ※




 この世界はとても理不尽だ。

 守らなければいけない掟は特にないが、最も許せないのは、不利益。

 魔術を知らない者がその深淵の一端を覗く事は百害あって一利なし。

 月城夜歌は魔術師としての最適解を示すだけだ。

「だから、私は殺して、手に入れる」

 カチリとティーカップを置く音が静かなこの空間には響く。

 気がつくと、傍らには銀色の美しい甲冑の騎士が首を垂れて、控えていた。

「ヨルカ様。今回のゲーム、あの娘は何故承諾を?」

 涼子の事を言っているのだろう。

 ただの使い魔に普通言語を発する機能はない。オウム型の使い魔であるロビンハットの様に魔術による意思疎通は可能だが、この甲冑の騎士--アーサーは、魔術を行使する必要もなく、声帯から言語を発していた。

「助けたいだけよ、あの男を」

 我が弟子ながら、理解に苦しむ。魔眼を持つとは言え、ただの一般人に何故そこまで肩入れするのか。聞けば、有馬蒼介と赤川涼子の縁は昨夜の一度きりという。

「有馬蒼介、と言ったかしら」

 --助けてくれて、ありがとう。

 最後の言葉が夜歌の脳裏にチラつく。

「はい。あの男、

「そうね」

 普通なら気取られる事もない殺気。

 夜歌はあの時、隙さえあれば、呪詛をかけて呪い殺してやろうと考えていた。

 だが、少し悪戯程度に呪詛をかけようとした瞬間に男から隙がなくなった。

 その後は膠着状態。

 結局、その場で殺すには至らず、帰した。

「助けてくれて、ありがとう……ね。フフフ」

 夜歌が小さく笑う。

 夜歌が表情を変えて笑うのは珍しい事だった。

 そんな主人を見て、アーサーは少し遠慮気味に訊ねる。

「本当に魔眼の男を殺すのですか?」

「ええ、殺すわ。それが最適だもの」

 夜歌にも人としての心は存在する。年相応の情緒だって備わっている。

 しかし、その感情も常識も魔術師という傘を着てしまえば、不要となる。魔術師として、生き、魔術師として判断する。ずっとこうしてきた。

「どうして、そんな事を聞くのかしら、アーサー?」

「ヨルカ様が久しぶりにとても楽しそうでしたので、つい」

「そう」

 短く答える。

 確かに心が躍っている。

 最初は単純に魔眼への興味。

 そして、涼子が蒼介を庇ったから、ゲームを持ちかけた。

「上手く行けば、私はここで欲しい物を全て手に入れられる」

 だから、楽しみなのだ。

 涼子とのゲームの勝利の対価は、この支倉の地で涼子が魔術師協会ロッジから与えられている管理者の権限。

「ルールは、【有馬蒼介が三日後に生存しているか否か】」

 夜歌はスッと立ち上がり、アーサーへ告げる。

「さて、アーサー。鬼ごっこの準備を始めましょう--」




 ※




「ナルホドナルホド。それでお嬢ちゃんがウチの馬鹿を送ってくれたわけだな?」

 柳田万斎は、涼子から事情を聞き、うんうんと頷いていた。蒼介はいそいそと朝食の片付けと散らかった部屋の掃除をしている。

 アルコール臭のする狭い部屋に迎えられ、涼子は内心早く帰りたいと思いながら、万斎と話していた。

「赤川涼子ちゃんか、良い娘じゃないか。美人だし。なぁ蒼介もそう思うだろ?」

「ああ、赤川は美人だな」

 蒼介は素っ気なく答える。

「チッ、悪いね、涼子ちゃん。アイツは甲斐性っていうか、その辺の感性が絶望的だ。何せ山暮らしが長過ぎてな」

「あはは、何となく分かります。ところで、その山暮らし、とは?」

「人里からかなり離れた所なんだけどな。ホント原始的生活というか、アマゾンの原住民みたいな生活を未だにしている里だ」

「柳田さんもそこの出身なんですか?」

「違うよ。その里にはたまたま立ち寄っただけ。それが思ったより長居しちゃってさ。そん時に蒼介と仲良くなった」

「へぇ、そんな過去が」

 成る程、それで得心がいく。蒼介の並外れの常識知らずはつい最近までその故郷を出た事がなかったからだった。

 ライフラインもない世間から忘れ去られた隠れ里。世の中の事を知る術もない環境で蒼介は育った。例えるなら蒼介は、過去から突然未来に飛ばされたタイムトラベラーと言ったところだ。

「そんなに面白いか?」

 蒼介は家事を一段落終えて、話に入る。

 涼子と万斎の分の茶を出し、自分の分をずずずと飲む。

「納得したわ。貴方の世間知らずは、天然とかわざとじゃなかったのね」

 涼子が冗談っぽくからかった。

 蒼介が話に入るタイミングを伺っていたかの様に万斎は「おっと」と何かを思い出した素振りをする。

「そろそろ行かないといけないな」

 ぐいっと茶を一息で飲み干し、万斎は立ち上がる。

「仕事ですか?」

 蒼介が訊ねると、「そうそうそんな感じ」とひらひらと手を振ってそそくさと家を出て行った。

 パタンとドアが閉まり、暫く静寂が流れる。慌ただしい万斎が出て行った途端、空気が一気に静かになった。

「柳田さんって、いつもあんな感じなの?」

 涼子が訊ねる。

「いつもあんなだ」

 そうなんだ、不思議な人だ、と涼子は思った。

「仕事は何してる人なのかしら」

「さぁ、分からない」

「一緒に暮らしているのに?」

「ああ。万斎さんは僕をこの街に連れて来てくれた。もっと色んな事を知れ、と言って」

「ふーん」

 涼子から見ても特殊な事情。柳田万斎が何故蒼介を故郷から連れ出したのか、何となく想像出来た。

 何もない場所。

 ただ生きる為に日々を過ごし、老いて、朽ちていく人生。生まれた時から蒼介の人生はそう決まっていたのだろう。

 少し話しただけの涼子でも柳田万斎という人間は自由奔放で縛られる事を好まない人だと理解出来た。

「多分、あの人は許せなかったのよ」

 その言葉の意味を蒼介は理解出来なかった。

 涼子も分かって欲しくて話しているわけではない。

「さてと、柳田さんも居なくなった事だし、私も帰ろうかしら」

 ぐっと伸びて、涼子は立ち上がる。

 蒼介は咄嗟に涼子の腕を掴んだ。予想外の行動に涼子はギョッとした。

 蒼介は、何かを訴える様に涼子をジッと見つめる。

 涼子は、はぁと嘆息し、観念して座り直した。

「なに?」

「僕に手伝える事はあるか?」

 ゾワっと冷や汗が伝う。

 その一言は、涼子の今の心中を刺す言葉だった。そして、その眼は昨夜の様に淡く輝き、涼子の全てを見透かされている感覚を覚える。

 --コレが魔眼……。

 確かに、コレは良いモノではないだろう。特に魔力回路を持つ魔術師にとって、この眼は天敵だ。

「……どこまで分かるの?」

 涼子が訊ねると、蒼介は申し訳なさそうに目を伏せる。

「まぁ、僕達があの屋敷を出てから、ずっと誰かに見られていたくらいは」

 --痺れを切らした、と言ったところかしら。

 屋敷を出てからずっと夜歌の使い魔に監視されていた事は涼子も気が付いている。蒼介が今になって言い出したのは、万斎が居たから言い出せなかったのもあるが、自分から言い出すべきではないと思っていたからだ。

「成る程、本当に便利な眼ね」

「すまない」

「別に良いわ。知らないのが一番幸せと思っていたけど。最初に言っておくけど、別に知ったからって貴方に出来る事はないわよ」

「そうかもしれない。だが、何も知らないより、知っていた方が絶対に良いと僕は思うんだ」

 こりゃテコでも動かない、と涼子は諦める。蒼介は自分がゲームのオモチャになっている事を知らない。

 知っても知らなくても結果は変わらない事を涼子は知っている。

「分かったわ。凄く今更なんだけど、私ね、魔術師なの」

 蒼介は昨夜、最後に見た光の砲撃を思い出す。

 魔術師、魔術、魔力という言葉は昨夜聞いた覚えのある言葉だった。

「それは知っている。魔術というモノがどういうモノかまでは分からないが、僕が見ているモヤモヤユラユラしたモノを操っている人の事だな」

「ま、その認識でいいわ」

「で、この魔術師っていうのが結構厄介でね。一家代々受け継いでいくモノなのよ。要は、我が家の家宝だから秘密にしましょうって感じ」

「なるほど。という事は赤川の家も魔術師の一族で赤川家の魔術を秘密にしているのか?」

「そうね。ウチの場合はちょっと特殊だけど」

「けど、何故秘密にする必要がある。便利なのだから広めれば良いじゃないか」

「秘匿するには理由があるわ。その理由は二つ。一つは、そもそも魔術とは魔術回路という器官を備える人しか使えない。そして、もう一つは、魔術は神秘性が失われていく程、力を失うからよ」

「それでは、もし魔術師同士が知ってしまったらどうなるんだ?」

「魔術師同士が知ってもそこまで意味はないわ。大抵はどっちかが死ぬか、知られても構わない魔術しか使わないもの。教会や魔術師協会っていう組織がその秩序を守っているから」

「じゃあ一般人が知ってしまったらどうなる?」

「--基本的に記憶を操作するか、殺害による口封じね」

 涼子は心を鬼にする。

 遠慮なく、同情もない。そんな態度を取れば、蒼介に失礼だと判断した。

「一般人が魔術師という存在を広めなければいい。魔力のない一般人は魔術への耐性がないから、記憶操作も出来る。稀に魔術回路を持った人がこの世界に足を踏み入れる事だってあるわ」

「そうか。なら結構安心なんだな」

「けど、蒼介。あんたは別」

 涼子は自分の心がサッと冷めていくのが分かった。

「まず魔力量が多いから記憶操作にかかりにくい。自己中心的合理主義者の魔術師が下す選択肢は、後者の殺害による口封じね」

「……そうなるのか」

「その眼の事があるし、レアケースである魔術師の世界に入る事が貴方にとって唯一生き残る道なのだけど……」

「だけど?」

「夜歌が貴方の魔眼を御所望なの。肉体には興味がないから、眼だけ回収する、だってさ。殺されるかもしれないわね、?」

「……やっぱり」

 蒼介は今朝の屋敷での一件を思い出す。

 物静かな少女と思っていたが、腹の中ではそんな事を思っていたのか、と蒼介は困った様に苦笑する。

「夜歌は、見た目通り案外子供っぽい所があるからね」

 無駄に明るい涼子の言葉に、その子供の無邪気さがかなり異常なんですが、と蒼介は思う。

「それで、僕はどうなる?」

「貴方は夜歌の遊びのオモチャにされたわ。こうなったのは、私のせいでもあるのだけれど……。まぁ取り敢えず見てよ」

 涼子は、一枚の紙を取り出す。

 ただの紙ではない。羊皮紙である。筒状に丸められた書面を開くと、それは互いの血が押印された覚え書きだった。

【月城夜歌と赤川涼子の名において、契約を交わす。有馬蒼介を三日以内に殺害出来れば、月城夜歌はその遺体と赤川家の支倉の地の管理権を得る。生存すれば、有馬蒼介は記憶操作が完了するまでその安全を約束し、保護する】

 契約ゲッシュ。魔術師同士が交わす契約書である。これを破る事は出来ない。一種の強力な呪いでもある。その為の媒介は互いの血液。禁を破れば、その血が途絶える事を意味する。

「つまり、貴方が三日間生き残れば、私の勝ちっていうゲームよ。貴方の安全は確保され、私も貴方もいつも通りに戻れる」

「でも、記憶操作は効かないんじゃ?」

「効きにくいだけで効かない訳じゃない。それまで安全確保と保護してもらえるわ」

「……」

「どうしたの? 急に黙って」

「……有り難い話だ。だけど、赤川はこれで良かったのか? 僕を助ける為にこんな事を」

「私は同じ学校の同級生に死なれるのはちょっと寝覚めが悪いだけよ。それに負けたって私は使ってもいない土地を渡すだけだし、大した事じゃないわ」

「そうか」

 赤川がそう言うのならそうなのだろう、と蒼介は無理矢理納得する。

 違和感が残っていたが、これで蒼介の決心が固まった。

「僕は--生き残るよ」

 その眼に意志が強く見える。涼子は、その様子を見て、フッと微笑んだ。

「とーぜん!」

 覚悟は決まった。

「それで、僕は何をすれば?」

「何もしなくても良いわ。襲われたら逃げる。それだけよ」

 涼子は自信満々に言った。

 こうして、魔術師月城夜歌と魔術師赤川涼子、ただの男子学生である有馬蒼介の命懸けの鬼ごっこが始まった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る