第5話 キキ回々
話は蒼介が意識を失い、事が終息したところまで遡る。
校庭に出た涼子は、蒼介に駆け寄る。
「有馬君、大丈夫?」
倒れた蒼介から夥しい量の血が流れ出していた。ひしゃげた右腕が有り得ない方向に曲がっており、制服はボロボロに引き裂かれ、生傷が肌から覗く。しかし、致命傷は避けていたのか、深い傷はなく、浅く呼吸をしている。
涼子はホッと生きている事に安堵し、胸を撫で下ろす。
不意にトンッと背後で足音が聞こえた。夜歌が降り立った音だ。
振り向くと、夜歌は相変わらず無表情にこちらの様子を確認している。
夜に溶ける様に佇む姿は、同性の涼子でも見惚れてしまう。
「外は片付けたわ。首謀者は取り逃したけれど」
静かな声音で夜歌は言う。
「こっちも呪物は確保した。途中で
「そう。で、その人形はどこに?」
「ブッ飛ばしてやったわよ」
「ああ、それで」
夜歌は地面の抉れた校庭を一瞥して、状況を把握する。
「では、人形から情報は得られそうにないわね。全部焼き尽くしてしまったから」
うっと涼子は気不味そうに頬をかいた。
「その男は?」
ロビンハットの通信だけでは涼子の声しか聞こえなかった為、蒼介の存在は夜歌にとって想定外だった。
涼子は、ハッとして、死にかけの男と夜歌を交互に見る。
「あーえっと、学校の生徒よ。どうも取り残されたみたいで」
「そう。それで、彼は見たのね?」
ドキッとする。
夜歌の瞳からスーッと微かに残っていた感情の残滓が消えていく。
「待って、夜歌! 彼は違う。関係ないわ」
「少し黙って、涼子。魔術とは秘匿されるべきもの。その男は魔術師ではない。つまり、知られてしまったからには、殺すのが最善なのよ」
涼子はギリッと歯軋りする。
夜歌の判断は、魔術師として正しいのだろう。魔術とは、秘匿されるべきもの。
魔術師とは元来その存在を知られてはならない。だからこそ、魔術は神秘性を帯びる。その神秘性が魔術の価値を上げるのだ。
魔術の存在を偶然知った一般人には、選択肢が二つある。
一つは殺されて、口封じ。
そして、もう一つは……。
「か、彼には魔術師としての素養があるわ」
咄嗟に声が出た。
しまった、と涼子は後悔する。
巻き込むべきではない。
そう思っていたのに。
しかし、涼子は思い出していた。先程見せた有馬蒼介の働き。
夜歌の結界に阻まれる程の魔力を持ち、魔眼である浄眼の持ち主。
涼子の言葉に夜歌の動きが一瞬止まる。
「その証拠は?」
夜歌が問う。
言うべきか迷う。しかし、その証拠を示さなければ、今殺される。
「しょ、証拠は……」
意を決する。
後で謝ろう、と涼子は決断。どうなろうと死ぬよりマシだろう。
「彼は魔眼を持っている」
緊張が走る。
夜歌は、「へぇ」と感嘆の息を漏らす。表情こそ変わらないが、涼子には笑っている様に見えた。
夜歌はまるで面白そうなオモチャを見つけたみたいに心が踊っていた。
「純正の魔眼は興味があるわ」
よし、上手くいった、と涼子は内心ガッツポーズを決める。
「それじゃ、早く治療してあげてよ。このまま死んでしまうのは惜しいでしょ?」
「ええ、そうね。あ、そうだ。ねぇ涼子、良い事を思いついたわ」
その声はどこか愉しそうに踊っている。
「へ?」と変な声が出た。涼子は嫌な予感がした。
この魔女が思い付いた良い事など、どうせロクでもないだろう。
「遊びをしましょう」
「遊び?」
「簡単よ。勝った方が彼を好きにする、というのはどう? 勿論、
「もし断れば?」
「その男の眼だけ刳り抜いて保存しておくわ。身体は要らないから捨てるけれど」
それは殺すと同義だ。
ああ、と涼子は納得する。一緒に暮らしている手前、忘れていた。
全く魔術師という人種はどうしてこうも非常識なのか。
「分かったわ」
涼子に拒否権はない。承諾するしかない。
「ふふ、良かったわ。それでは、そこを退いてちょうだい。呪物の回収とその男の治療を行うわ。それと学校の件は教会に連絡しておくから。明日は休校ね」
また巻き込んでしまった、と涼子は天を仰ぐ。
この魔術の世界は受け入れている。けれど、納得はしていない。
私もいつかああなるのか? と涼子は思う。
今日、彼を殺そうとした。
そこに躊躇も情けもなかったのは事実だ。自分も魔術師としての考えを享受していた。
頭を振る。考えるのをやめよう。
今は夜歌を何とかしなければならない。
ふわりと初夏の風が頬を撫でる。
春は終わり、夏が始まる季節。
「有馬蒼介、か」
初めて会った筈なのにどこか親近感を覚えている。殺そうとして、その後何故か共に戦った。普通の人間の筈なのに、普通とは程遠い魔術師でもない男の子。
だからだろうか、涼子は純粋に彼を助けたいと思った。
※
涼子と蒼介は、閑散とした町を歩く。
涼子はチラリと蒼介の様子を確認する。
蒼介の怪我は驚く程回復していた。
傷は治癒魔術で塞がり、潰れていた腕は見た目の上では元通り。本人はまだ少し痛むと言っていたが、日常生活には問題ないだろう。
「蒼介、どうして夜歌に御礼を?」
ずっと気になっていた。確かに夜歌の魔術で彼を治療したし、一晩でほぼ回復したが、
何故御礼を言ったのか。魔術を施したのが夜歌である事を涼子は伝えていない。
夜歌が敵である以上、余計な温情はなるべく排除した方が良い、というのが涼子の判断だった。
「だって、月城さんは僕を殺そうとしていたから」
涼子の背筋が凍る。
確かに彼女は殺すつもりだろう。だが、その事を蒼介は知る由もない。
「何故?」
分かるのか、と涼子は言外に告げる。
「殺気をずっと抑えてた。不思議な子だ。気配と表情からは読み取れなかったけど、ちょっと見えたから」
蒼介はその眼で夜歌の魔力の動きが見えていた。魔力の動きはその感情に左右される。つまり、蒼介は魔力の動きから夜歌の感情を読み取ったのだ。
だから蒼介は感謝した。
--見逃してくれて、ありがとう、と。
「そういう事。便利ね、その眼」
蒼介は困ったように苦笑する。
「そんな良いモノでもないぞ」
そうだろう、と涼子は思った。
見え過ぎる眼は脳に負担を掛ける。
「別に私は欲しくないわよ」
だが、魔術師は違う。
このまま夜歌の様な魔術師に捕らえられれば、彼は一生ホルマリン漬けの人生となるだろう。
「うん、赤川が良い人で良かった」
ああ、コイツは良い奴なんだ、と涼子は思った。
あ、と涼子は何かに気づく。
「そう言えば、あんた家はどこ? 連絡しないと」
最初に気がつくべき事なのに、そこまで至らなかった。
色んな事が立て続けに起こり過ぎて、さしもの涼子も今の今まで考えが及ばなかった。
「連絡か。どうしよう」
「どうしようって……。携帯は?」
「けーたい?」
蒼介が携帯電話やスマートフォンなど知っている筈がなく、ただ首を傾げる。頭の中は初めて聞いた言葉で埋め尽くされる。
学校のクラスメイトが何人か連絡先を聞かれた事があったのだが、世相に疎い蒼介は何を聞かれているかすら理解していなかった。
「マジか」と涼子は肩を落とす。
予想以上のアナクロっぷりに流石の涼子も頭が痛い。
「分かった。私が代わりに……ってその様子だと電話番号という常識も知ってそうにないわね」
「失礼な。それくらい知ってる」
「そう、意外ね。で、家の連絡先は?」
「それは分からん」
「それじゃ意味ねーよ!」
思わず突っ込んでしまった。
どうも蒼介は知識とその経験が伴っていない。
良くこれで今まで生きてこれたな、と呆れていた。
「場所は分かる?」
「それは分かる」
「じゃあ一緒に行ってあげるわ。親にも説明が必要でしょう。ってか親いるの?」
「親というか、お世話になってる人なら。柳田万斎さんというんだが」
万斎ってソレ絶対偽名だろ、と涼子は思った。多分、蒼介はそれが本名かどうかなんて関係ないのだろう。
深く詮索するつもりもない。
「じゃあ、その万斎って人にテキトーに説明するから付いて行くわ。良いわね。拒否は認めないわ」
「分かった……」
涼子は夜歌との事を思い出す。
--遊びをしましょう。
夜歌の色めき立つ声が脳裏で再生される。
「蒼介--」
「何だ?」
涼子は何かを言いかけ、思い止まる。
「--いや、何でもないわ。急ぐわよ」
何を言いかけたのかを蒼介は逡巡したが、聞くのはよそう、と思い、何も答えない。
妙な沈黙が流れる。
特に話す事はない。
蒼介は疑問に思ったが、飲み込んだ言葉を反芻する。
--赤川、学校は……良かったのか?
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