第8話 危機回々Ⅲ
--決戦前。
パタンと扉が開く音がした。
ゆっくりと蒼介の目が開かれる。
「何やってんの?」
涼子は、正座のまま目を閉じていた蒼介を物珍しげに見つめて、そう言った。
「やぁ、準備は終わったのか?」
涼子の質問を無視して、蒼介は訊く。
「当然でしょ」
涼子は、少しムッとしつつも応える。
この家一帯に人避けと魔力感知の結界も仕込んでいる。これで涼子は夜歌の動きを察知出来る。残念ながら、使い魔は手持ちがないため、夜歌のように位置までは分からないが……。
ピリッと魔力の網の反応が涼子に伝わる。
「来たわね」
その言葉に蒼介の顔が強張る。こくりと頷き、蒼介は立ち上がる。
「良い? 私が足止めをするから、蒼介は逃げなさい。合流場所は分かるわね?」
「うん、大丈夫だ」
「それじゃ手筈通りに」
そう言うと、涼子は駆け出し、反応があった場所へ向かった。
蒼介は、周囲を見渡す。
涼子の魔力が青く格子状に空間を囲っている。その外に点在する紫色と黒色の魔力の色。
夜歌の使い魔だ。
ズキっと少し目の奥が痛む。
魔力が飛び交う今の光景は蒼介にとって目に毒だった。
「やっぱり、良い物じゃないな」
蒼介は、独りごちると夜歌の魔力が薄い場所へ走り出した。
※
カチン、カチン、カチン、カチン。
ブリキの足音がアスファルトの地面を鳴らす。
ぞろぞろとブリキの兵隊が規則正しい行進で柳田邸を取り囲む。全部で二十五体の鉛の兵隊。
〈ブリキの兵隊〉--夜歌の魔術の一つである。
錫から生まれた兵隊達は、予め組まれた術式に従って、動いていく。
涼子の結界に接触したのは、一際目立つ大きな鉛の塊。ブリキの兵隊の隊長である。
体長約二メートルのその巨体は、槍を携え、結界の中へと侵入する。この結界では、認識をズラす程度で侵入を防ぐ事など出来ない。
「--〈
涼子の
キラリと緑色の宝石が一瞬光った。その直後に宝石から魔力による電撃が放出され、ブリキの兵隊を数体吹き飛ばし、ブリキの隊長にヒットする。
ブリキの仮面から覗く赤い目が敵性魔力を感知。
全隊が涼子へ注意を向けた。
カチカチ、カチカチと兵隊達は隊列を立て直し、手に持つマスケット銃を構える。
ギイィィィィィ、と音を立て隊長が手を下ろすと一斉に発射した。
「うっそ、本物?」
続けて、涼子は黄色の宝石を握り、短く詠唱する。
「〈
涼子の魔術回路が青く光り、浮かび上がる。魔術による身体強化。
涼子の魔力が全身の回路を駆け巡り、膂力、硬度が飛躍的に上がる。
兵隊から放たれた銃弾を涼子は避けるが、数発身体に当たる。魔術のおかげで傷をつけるまで至らない。
「残念ね、夜歌。昨日の私とは違うわよ」
涼子の魔術回路が回転し、魔力を全身に纏わせる。
手脚に電流が循環する。
装填と回転の回路の質の応用。
魔術師は生まれ持って、ある程度の回路の質が決まっている。魔力運用に直結し、それが魔術師としての才能の一つでもある。
「こんな所で時間食ってる訳には行かないわね」
瞬間、青い稲妻の閃光が縦横無尽に飛び交った。
柳田邸を何なく出た蒼介は、誰もいない道を駆け抜ける。
赤川は大丈夫だろうか、蒼介は一人戦っているであろう涼子の事を思う。
はぁはぁ、と浅く呼吸しながら、猛スピードで駆ける。その速度は、常人離れしている。
「----ッ!」
それは、一瞬の違和感。
襲い来る気配の察知。
本能に従って、咄嗟に後ろに飛び退く。
ブォン、と空気を裂く風切音が鳴り、蒼介が居た場所が爆ぜた。
アスファルトの地面は粉々に砕かれ、土煙が舞い、蒼介の視界は一瞬砂塵により奪われるが、その中に確かに強大な魔力を持つ存在は見えていた。
「ほう、普通の人間なら今ので仕留められたはずだが」
土煙の中から、若い男の声がする。
ガキン、ガキン、という足音。
姿を現した存在は、全身が黒い鎧に覆われた一体の騎士。その甲冑から覗く赤い眼差しは、確実に蒼介を捉える。その手には、大きな黒い大剣が握られていた。
危なかった、と蒼介は内心ひやりとし、背筋が凍るのを感じた。
「小僧、普通の人間ではないな?」
「……そちらも普通ではないだろう」
「人間ではないからな。気が変わった。名を聞いておこう」
蒼介は凄まじい殺気を振り撒く目の前の黒騎士に対し、名乗るのを躊躇ったが、結局殺されるのならば、従っておこうと結論を下す。
「……有馬蒼介」
「アリマソウスケか……。オレの名前は、アーサー。ヨルカ様の影より生み出され、ヨルカ様を守護するモノ」
「アーサーか、承知した。ところで、一つ確認なんだが」
「何だ、殺す前に聞いてやろう」
「赤川は放っておいても良かったのか?」
「安心しろ。あの小娘の元にはヨルカ様が向かっている。もうじき始末されるだろう」
蒼介は、少し顔を伏せて、「そうか」と短く呟く。
「ならば、僕が死ぬわけにはいかないな」
覚悟は決まった。
身体の熱が上がっていくのを感じ取る。
--ああ、いつもそうだ。
蒼介には、慣れ親しんだ感覚。
眼をいつもより使う時は決まってそうだ。
全身の血液が沸騰しているかのように熱くなり、普段より良く見える。
「--来い」
蒼介の短い決意を込めた声。
それが蒼介と夜歌の騎士・アーサーとの開戦の幕開けの合図だった。
最初にアーサーが動く。瞬間移動にも近い速度で間合いを詰め、剣を振る。
普通なら反応しても回避も不可能。
蒼介も特に魔術や武術を極めているわけではない。
しかし、それは蒼介には見えていた。
アーサーの動力源が夜歌の魔力である以上、魔力の流れさえ見えていれば、どのような動きをしてくるか予測が出来る。
アーサーの剣は空を切り、蒼介は強烈な斬撃を回避する。
一撃でも当たれば命はないだろう。
「オレの斬撃を避けるか……。確かに見えている」
アーサーは続いて、更に間合いを詰め、剣を振り上げる。蒼介の胴から肩口まで切り裂く袈裟斬り。
これも当たらない。既にこれも間合いから外れて、距離を取られていた。
「成る程」
アーサーは、動きを止める。
剣を下げ、ジッと蒼介を見る。
「アリマ……貴様、何者だ?」
「……」
アーサーの問いに蒼介は答えを持っていない。有馬蒼介は、ただの有馬蒼介でしかなく、蒼介の中で何一つ特別な才能などないからだ。
「答えぬ、か。その眼が特別な事は認めよう。だが、見えているだけでオレの攻撃を二回もただの人間が躱すなど、有り得ない」
「何も特別な事はしていない」
蒼介は少し思い詰めるような表情で答える。
ただ、目の前の脅威から逃げる為に。
ただ、迫り来る死から逃げる為に。
「その歩法の技術。洗練された肉体のバランス。武人として、殺すには惜しい才能だ」
歩法の技術--蒼介の神懸かり的な回避の根幹部分。どんな地形にも左右されず、平地と同じ様に動ける絶妙な体重移動と対敵との間合いから一瞬で逃れる一種の技術。
アーサーは、蒼介の回避行動の正体を見破っていた。
「別に名のある武人ではない。ただ、他人より少し逃げるのが上手いだけだ」
蒼介の言葉の通り。
特別な事はしていない。知識と鍛錬さえ有れば、誰にでも出来る程度の技術。
そこに魔眼の先見にも似た視力が重なり、起こった一つの奇跡。
「そうか。ならばオレも手加減は出来んぞ」
「分かっている」
こうなる事は初めから覚悟していた。
蒼介は、腰に差していた小太刀を抜く。
依然、逃げる事に変わりはない。
まともにやり合えば、敗北のみ。
だから、逃げる為に武器を取る。
有馬蒼介逃亡劇の第二ラウンドが幕を開けた。
ブリキの兵隊は、二十五体全てが原形を留めていない程に叩きのめされていた。
鉄屑が散らばった地面と青い電流がコイルの様に流れている少女と機能が停止し、力なく崩折れるブリキの隊長。
立っているのは、涼子だけであった。
パチパチパチパチと、涼子を称賛する様に手を叩く音がする。
振り向けば、いつの間にかそこには、月城夜歌がブリキの残骸に腰かけていた。
「意外に早かったのね」
涼子が皮肉を込めて、夜歌に言う。
「ええ、教会がすぐに協力に応えてくれたから、楽で良かったわ。それに弟子の成長を見られたのは、師として喜ばしい事よ」
夜歌にも隠していた宝石という呪物による魔術の省略化。
スピードを要する戦闘行為において、詠唱は時間の無駄である。
涼子は、その詠唱時間を省略する為に魔力と術式を施した宝石を使ったのだ。
「でも、残念だったわね。ここに有馬蒼介は居ないわよ」
「ああ、あの魔眼の彼には、アーサーを向かわせたわ」
その言葉に涼子は内心ドキッとする。
アーサーと言えば、夜歌の使い魔の中でも特に対人戦闘に特化した使い魔だ。
涼子はうまく自分が囮になって蒼介を逃がせたと思っていたが、まさか夜歌がここまで本気とは予想外であった。
「ホント、容赦ない……」
「それは、お互い様ではなくて? 〈ブリキの兵隊〉は使い切りの使い魔とは言え、こんな風にしてしまって。後で材料費を請求しないといけないわね」
--早く蒼介の所に行かないと。
蒼介があの鎧の魔人に敵うわけがない。
涼子は、心中の焦りを抑え、この場を切り抜ける為に頭をフルスロットルで回す。
「簡単に通すと思っているのかしら?」
涼子の考えなど読まれている。
夜歌は容赦しない。
「午後六時--」
--時間?
夜歌が時刻を呟いた瞬間、カチッとどこかで時計の針が進む音が聞こえた。途端、彼女の周りにブワッと魔力の波が押し寄せる。
涼子の居る地面には、魔術式の陣が組まれ、夜歌から伸びた影が実体を得て、涼子の両足を縛り付ける。
--しまった。やられた!
思った時には既に時は遅く、涼子の周囲に夜歌の魔術が発動する。
「--〈Twinkle, twinkle, little bat. How I wonder what you're at. Up above the world you fly,Like a tea tray in the sky.Twinkle, twinkle, little bat. How I wonder what you're at〉」
歌にも似た魔術の詠唱を夜歌が唱える。
童謡〈きらきら星〉を連想させるその詠唱に込められた魔力は言葉に乗って、涼子を囲む魔術式へと運ばれていく。
その光景は、まるで御伽噺の一節を再現したかの様。童話不思議の国での帽子屋の一節。
帽子屋はこの歌〈きらきらこうもり〉により、ハートの女王の怒りを買う。
「さぁ--来なさい〈狂ってしまった
勿論、主人であり、女王様である夜歌は裁決を下すのみ。
「--こ、これは……」
「マッドハッター。私のお気に入りなの。貴方の相手は、彼がするわ。折角だもの、永遠の茶会を楽しんでいきなさい」
「マッドハッター!? 一体いくつ使い魔と契約してんのよ、この根暗女!」
「安心なさい。その子は燃費が悪いから、このゲームが終わる頃には魔術は解除されるわ」
「んな!?」
--それじゃ、私マジで役立たずじゃない!
涼子は「はなせー!」と大声を出し、ジタバタと暴れるが、夜歌の影が掴んで離さない。
逃げられない、と涼子は判断していた。
キキキキキキキキ、と甲高い声が頭の中に響き渡る。
「--ぃっ!」
声にならない悲鳴を漏らす。
気がつくと、黒いシルクハットと黒い外套に身を包んだ骸骨の亡霊が涼子の肩を掴み、顔を覗きこんでいた。
ポンと、押し倒される。
背後には鏡の扉が出現し、ぬぷりと身体が沈んでいく。
抵抗出来ない。
涼子は、抵抗する術もなく、マッドハッターと共に鏡の扉に沈んでいった。
涼子が居た場所には涼子が暴れた時に散乱した小さな宝石が散らばるのみで、涼子の姿は綺麗さっぱりなくなっている。
黒い影に覆われた玉が夜歌の手に握られていた。一種の封印魔術である。マッドハッターはこの中に赤川涼子を閉じ込めたのだ。
その玉を見て、夜歌は満足そうにニヤリと笑う。
「ようこそ、狂った茶会へ。このゲームが終わる頃まで貴女の心は持つかしら……」
ゲーム最大の敵アタッカーである赤川涼子は排除した。
後は、ただ見るだけの魔眼を持つ普通の人間がただ一人。蒼介には、アーサーという彼女が最も信頼する使い魔の一人を遣わしている。
状況を見れば、完璧に優勢。
逆転される余地はない。
夜歌は勝利を確信する。
「これで支倉の霊脈も純正の魔眼も私のモノ」
夜に溶けるような黒い少女は、一人でこの心地よい達成感に浸っていた。
一人の少年--蒼介が夜道を駆ける。
人影は全くと言っていいほどない。
教会の施した人避けの結界。
それは現在支倉の一部に張り巡らされている。
鎧の騎士が蒼介の背後を追いかける。
この鬼ごっこが始まって早くも数十分が経過していた。
未だにアーサーは、蒼介を仕留められず、蒼介もまたアーサーの攻撃を避けながら、うまく逃げ回っている。
速度・力・戦闘技術の全てをアーサーが遥かに上回っている。
しかし、攻撃が当たらない。
当たったと思えば、まるで手応えがなく、気がつけば間合いの外。だが、それだけではない。
--捉えた!
アーサーはもう何度目かの確信をする。
相手の死角、体勢も不十分、回避は不能と判断する。
「くっ!」
蒼介の小さな呻き声と共にキィィィィ、と金属音が響き、火花が散る。
想像していた肉を斬る感触はない。
--これだ。さっきから何故受けられる?
アーサーの疑問。
蒼介は、小太刀でアーサーの大剣を受け止め、衝撃を全て流し、斬撃の軌道をズラす事で回避する。
そして、狭い通路や塀を飛び越え、なんとか少しでも距離を稼ぎ、逃げおおせている。
しかし、蒼介はただ逃げている訳ではない。
このまま長期戦となれば、いずれにせよアーサーに殺される事は分かっている。
だから涼子の言葉を信じて、ある場所へ向かっていた。
彼女が指定した合流地点。
かつて、赤川涼子と月城夜歌が喧嘩をしたと聞いた場所。
工事の予定さえない、人気も皆無、地元住民からも忘れ去られたバブル黎明期の負の遺産。
スピリチュアルランド--通称幽霊遊園地。
もう何年も動いていない観覧車が目印の合流地点である。土地勘のない蒼介でも大きな目印がある以上、辿り着ける場所。
はぁはぁと息を切らしながら、蒼介はその場所まで攻撃を避け続け、どうにか遊園地へ逃げ込んだのであった。
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