第2話 怪奇邂逅Ⅰ
「おはよう。相変わらず早いな、有馬」
蒼介は気さくに挨拶をするクラスメイトを振り返る。
烏丸蓮二というクラスメイトがニコニコと笑っていた。先程の生徒会長の笑顔とは似ても似つかない安堵を齎す表情である。
くすんだ金髪に耳に穴が開いている。ピアスという飾り物をする為らしい。制服も着崩している。蒼介には分からなかったが、そういうのがカッコいいということの様だ。
蒼介が転入してから、初めての話し相手であった。
「おはよう、烏丸」
「そう言えば、部活の朝練組の奴から聞いたぜ。お前、涼子に絡まれたんだってな」
今朝の一件を思い出して、ああと頷く。
「生徒会長の事か?」
「そ、生徒会長様だよ。鬼の生徒会長。支倉が生んだ鉄血会長こと赤川涼子だ」
その例えは、言い得て的を射ているのかもしれないと思った。
「烏丸は仲が良いのか?」
「うーん、腐れ縁だな。一年の時一緒のクラスだった」
「ふむふむ」
「それで聞いてくれよ。アイツの一年生の時の伝説をよぉ。アレで顔が良いし、乳もデカイからモテるのさ」
「それはそうなんだろう」
確かに、と美醜に疎い蒼介でもあの美貌とスタイルがあれば、異性が声をかけるのも分かる気がする。
「んで、当時の生徒会長が告白。逆上した元生徒会長は肩をガシッと掴んだわけさ」
「成る程」
「そしたら、涼子の鉄拳制裁パンチが炸裂。
通用口の近くは血の水溜りが出来ていたのさ」
「激しい人なんだな」
「いや、ヤツは結構冷静な合理主義者だ。ただヤバイ奴である事は間違いない。独裁者だし」
「まーた、王子は有馬君の純粋な心に付け込んで」
横からクラスメイトの女生徒の声が、烏丸の次の赤川涼子エピソードの話を遮る。
王子というのは烏丸の渾名だ。
瞬間、周囲の女生徒が冗談混じりに「王子〜有馬君虐めちゃだめだよ」と沸く。
烏丸はバツが悪い様子で隣にいつのまにか居た小さな女子を見やる。
「ったく、王子なんて渾名辞めて欲しいんだけどなぁ」
「涼子の武勇伝を広めるの止めたらいいのに。有馬君が涼子にその事純粋に聞いたら、多分本気で怒るわよ、アレ」
件の生徒会長をアレ呼ばわりする女生徒は、佐倉和葉というクラスメイトだ。
実家は佐倉和菓子本舗というお菓子屋らしい。中でもさくら饅頭というのが名物なんだとか。
二人とも赤川涼子とは、一年生の時に同じクラスで仲が良く、一年生にして生徒会長にまで成り上がるまでのサクセスストーリーを間近で見ていたらしい。
「うっ、そうだなぁ。だって有馬ってスッゲェ話しやすいから、つい要らん事まで話してしまうんだ」
「まぁ確かに、有馬君にはそういう所あると思うわ」
蒼介を巻き込んで話は赤川涼子の話で盛り上がっているのだが、ふと以前に聞いた事のある事を思い出した。
「そう言えば、何で烏丸は生徒会の副会長なんだ?」
ピキッとその場が凍った。
烏丸は笑ったまま固まっている。
「あーそれは……」
「言うなー!」
烏丸が見た事もない勢いで佐倉の口を塞ぐ。
ムームー、と佐倉は烏丸と揉みくちゃになった。蒼介が聞き取れたのは、佐倉の「セクハラで訴えてやる」という怒声だけだった。
※
闇に隠れて、古びた校舎を見つめる。
ニヤリと笑う影が一つ。
常人が見れば、その光景はただの普通の校舎であろう。程よく緑に囲まれたその風景は学生という一瞬の青春風景を彷彿させる。
しかし、影の目に映るのは、無数の邪霊。
その侵入を阻み、消滅させているのは、お粗末とも呼べる結界魔術。
第一位階の魔術すらもまともに扱えない素人同然の結界だ。
叩けば壊れる。しかし、それをさせないのは恐らくソレを施した魔術師の魔力の質が高いからだろう。そして、おそらく誰かがバックアップとして術式を追加している。恐らく、修復。
しかし、元は脆い。術式の解除も時間の問題だ。
「あそこにあるのだ」
そう確信した。
影は消え、夜闇に紛れ、空を埋め尽くす程の夥しい黒い羽虫が群れを成す光景が広がっていた。
※
夕暮れ時、学生達は部活動をする者、居残りで勉学に励む者、与えられた仕事を全うする者等それぞれの目的の為に散らばっていく。
涼子も生徒会室で会議の資料の作成をしながら嘆息していた。
副会長の烏丸は、自分の仕事だけ終えると、「じゃ、帰るわ」と一言残し、帰路についた。
書記などの他のメンバーはそもそも今日の活動予定はない。
というわけで、現在生徒会長は一人業務に邁進していた。
「ったく、あのボンクラ金持ちめ。マジで使えない」
文句を垂れつつも、頭では現在目下調査中の霊災対策を思案していた。
結局、一日中気を張っていたが、何も手がかりはなかった。
「一番怪しいのは、やっぱりあの有馬蒼介という男、か」
後で調べた事だが、彼が編入して来たのは、今年の四月。始業式の日が最初だ。出身中学不明、出身地も不明。更に、その数日後からあの霊災の処理に追われ始めている。
時期的には完全に一致。
しかし、確たる証拠はない。
途方に暮れていると、一羽の変わった色をした鳥が部屋に入って来た。
頭からぴょんと伸びた羽毛に頭にお腹に大きな三日月の模様がある鳥。インコとかおうむなどのペット用の鳥の類だ
「夜歌……」
その鳥には見覚えがある。
夜歌の肩によく止まっている鳥だ。
「ヨッ、リョーコ、元気か?」
「うわっ喋った!?」
「シャべるわ、ボケ」
夜歌の使い魔なのでこれくらい不自然ではないが、余りに突飛な事だったので、驚きを隠せない。
「夜歌様から伝言だ。お前、タブンまだ原因分からない」
なんかこの鳥に言われるとムカつく、と涼子は焼き鳥にしてしまおうかという殺意に目覚めそうになる。
「あ、ヤメロ! そんな反抗的なメヲするな!」
バッサバッサと慌てたように鳥は逃げようとするが、ここで遊んでいても仕方ない。
涼子は鳥の言葉に耳を傾ける。
すると、鳥から夜歌の声が聞こえて来た。
『涼子、聞こえるわね』
「ええ、突然何? 私まだ仕事残ってるんですけど」
『そんなモノは後にしなさい。それよりも、少し心配だったけど、ロビンハットはちゃんと言いつけは守ってくれたみたいね』
そんな名前だったのか。
『貴女が施した学校の結界魔術にこっそり組み込んでおいた修復の術式が破られたわ』
「はぁ? 夜歌そんな事してたの?」
『貴女の脆弱な結界なんて最初から頼りにしていないわ。まさか破られるとは思わなかったけれど、貴女気が付かなかったの?』
「何も!? まったく!?」
ロビンハットから小さな溜息が聞こえてきた。夜歌は涼子の反応に面倒な弟子を押し付けられてしまったと呆れ返っていた。
『良い? 今から結界魔術を新しく施すわ』
「どんな魔術?」
『魔力を認識する者は結界から出入りする事を許さないというモノよ。どういう事か分かるわね?』
「原因が分かっていない以上、その外の魔術師と結界の中の原因を両方警戒しないといけない訳ね」
『貴女は結界内を。私は外の魔術師をやるわ』
「了解」
『じゃあ、--〈Glass, Looking-glass, on the wall, Who in this land is the fairest of all?〉』
瞬間、ロビンハットから魔力が迸り、広がっていく。この小さな
私には無理だ、と涼子は思った。
しかし、これで取り敢えず良し。
校内に残る全員をこの結界の外に出す。
涼子は勢い良く走り出した。
有馬蒼介は、比較的早く帰る方であったが、この日は教室に残っていた。
「何故だろう」
その理由は分かっていた。
誰も居ない教室で呆然と空を見上げる。
昔から人の魂とか普通の人には見えないモノが見えていた。周りもそういう人ばかりだったので、特に気にした事はなかったが、どうも世の中では見えない事が普通らしい。ここに来る前に万斎にも注意されたことがある。
あの空を見て、心が億劫になるのを感じる。
生来の気質か、自分はどうやらああいった異形のモノが見える体質らしい。ビー玉の様に蒼く透き通った瞳は鈍く輝き、夥しい数の黒い羽虫を捉えていた。何かの壁にぶつかって殆どは死んでいくが、今日は普段よりも数が多い。
この学校は異常だ。
そう思えてしまったのは、転入してから数日後だった。
けれど、それは自分が異常であって、人里ではこれが普通なのだと思っていた。
「でも、アレは流石におかしいよなぁ」
多分、アレを引き寄せているのは--
蒼介には確信があった。
数日前からどんどん力を増していく存在。
多分、この学校の屋上。当然の事ながら立入禁止なので、どうする事も出来ない。
見たところ、この校舎を守っていた壁は今日は数倍脆い。
どうしようかと立ち尽くしていると、突然校内放送が流れる。
『えー、マイクテスト、マイクテスト、えー皆さんこんばんは。生徒会長の赤川涼子です。部活動中の生徒、業務中の先生や用務員の皆さんに告げる。直ちにそのまま〈--帰りなさい〉!』
それはただの帰宅を促す校内放送。
蒼介には、これがある種の特殊なモノである事は分かった。
魔術の知識も何もない蒼介だが、見る事と野性じみた動物的感性で、普通の状況ではない事に気がついた。堰を切ったように校内の人間は、校門へ向かい、帰っていく。
部活動中の者は荷物も持たずにそのままの状態で、誰も彼もがゾロゾロと何かに操られている様に帰宅する。
蒼介は知るよしもないが、アレは赤川涼子が支倉高校で限定的に使える暗示だった。生徒会長の中でも独裁者として君臨し、またその追随も反抗も許さない鉄血政治。
赤川涼子の暗示はこと支倉高校全校生徒と教諭に対しては絶大な効果を発揮していた。
ただ一人、今朝出会ったばかりの有馬蒼介を除いては。
「は、はは……」
蒼介でも分かる。
あの生徒会長は無茶苦茶だ、と。
そして、同時に安堵する。
「そうか、生徒会長はちゃんと分かってるんだな」
多分、自分の出る幕はないのだろう。
蒼介は荷物をまとめて、この蟻の行列の様な帰宅の列に参加する事にした。
※
夕暮れ時。校舎には誰も居ない。
不思議な光景だ、と蒼介は思った。
先程の校内放送は大成功だった。
ただ一人、外に出られなかった有馬蒼介を除けば。
教室でボーッとしていた。
帰りたいのだが、どうにも学校から出る事が出来なかったのだ。
校門を通過したかと思えば、この教室に戻って来てしまう。
何度か試したのだが、どうにも不思議な体験だ。
それが夜歌が施した第二位階結界魔術【The envy wall】だった。
まるで魔力持つ者にだけ作用する結界。
それは有馬蒼介が無自覚に魔力を有している事を告げていた。
「万斎さん、ご飯食べてるかなぁ」
あのズボラな女が自炊するなど毛頭考えていないが、多分何とかしているだろう。後でしこたま怒られるだろうが、この状況では仕方がない。
ガラッと教室のドアが開く。
そこには、一人の女子生徒。
夕闇に染まった彼女は元々赤みがかった黒髪は真紅に近い艶があり、とても映える。
「そ、君だったのね」
静かに、彼女は少し残念そうに言った。
「生徒会長?」
ぞくりと本能が騒つく。
この感覚を蒼介は知っている。
山奥で暮らしていた時に常に感じていたモノ。
祖父から何度も叩きつけられた見えざる暴力。
--殺気?
ガタッと立ち上がり、脚に力を入れる。
「答えなさい。貴方、何者?」
つぅーっと冷や汗が首を伝う。背筋が強ばり、喉はカラカラに干上がっていく。
とても同年代とは思えない冷たい目つき。
皆の語る鬼の生徒会長ではない。
魔術師赤川涼子としての視線。
知っている。アレは本気で殺す目だ。
しかし、説明しなければならない。飛び上がりそうな心臓を鎮め、蒼介は口を開く。
「生徒会長、おかしいんだ。何故か、僕だけ外に出られない」
その言葉を聞いた瞬間、涼子の顔に微かに残っていた感情の欠片がスーッと消えた。
何かが顔を掠めていく。
パリィンと背後で窓が割れる。跡形もなく粉々に。
何か空気の様なモノが弾かれたのだ。涼子の指から。
涼子は右手で銃の形を模して、その
「今のは威嚇よ。正体を現すなら今の内だけど」
--来るっ!
蒼介の感が告げた途端、机と椅子を巻き込んで横に飛び退く。
背中で何かが弾ける。
--殺されるっ!
蒼介は机と椅子を涼子へ向かって投げる。
涼子は咄嗟に撃ち落とそうと照準を合わせた。その瞬間を狙い、蒼介は全身で涼子に飛びかかる。
「--な、にぃ!?」
正面から衝突した勢いで、涼子は後ろに倒れ、逃げる隙が出来る。飛び込んだ勢いのまま廊下に出ると、蒼介は上の階を目指して逃げた。
「待ちなさいっ!」
背後で謎の弾丸が弾け、壁や足元の床を削っていく。コンクリートを破砕する力。常人に当たれば、一撃で粉砕骨折。当たり所が悪ければ死だ。それを連射しているのだから、さながら人間ガトリング砲とでも言うべきだろう。
涼子の魔術は兎に角、出力こそ並だが、回転速度と装填速度、そしてその魔力の貯蔵量に関しては並の魔術師では得られない才を持っていた。致命的に魔術的理解と本人の生来の不器用さから魔術師として素人に毛が生えた程度であるが、一般人を殺す事は造作もなかった。
「話を、聞いてくれ、生徒会長!」
蒼介も必死に訴えるが、聞いているかも怪しい。多分聞いた上で無視しているのだろう。
射線を避け、蒼介は階段を駆け上がっていく。速度は蒼介の方が速い。山奥で育った足腰はどんな緩急の衝撃も耐え、寧ろ加速していく。
狩人に追いかけられる兎の様にぴょんぴょんと階段を駆け上がる。
最後の階段を駆け上がったところで案の定、そこは行き止まりだった。
引き離しはしたが、下から階段を駆け上がる音が近づいてくる。
分かっていた。行き止まりという事は。
屋上へ続く扉。
ここで決着をつけなければ死ぬのだろう。
「生徒会長、聞いてくれ!」
聞こえているはずの声。この数十秒にかけるしかない。
「君は勘違いをしている。あの黒いのは僕じゃない。僕はアレが見えるだけだ」
ホントにただ見えるだけ。
「ずっとおかしいと思っていた。こんなに危険な場所なのにどうして皆普通で居られるんだって」
それは、転入してからずっと心の何処かでつっかえていた違和感。
「でも、今日分かった。君が普通を守っていたんだ。だから僕は安心した。君なら出来るんだって。けど、どうしてこんな事になっているのか、僕には分からない」
ピタリと階段を昇る音が止む。
「あんたがここ数日霊災を呼び寄せた魔術師なんでしょ?」
やっと、やっと話が出来た、と蒼介はほっと胸を撫で下ろす。
しかし、彼女の言っている事がよく分からない。
「魔術師? なんだそれは」
蒼介は安堵し、涼子は混乱していた。
烏丸から蒼介の人柄を聞き、今の発言、そして自分の威嚇も怯えた上で逃げていた。反撃する事もなく。ここに来て、涼子の中で蒼介の立ち位置が揺らぐ。
夜歌の結界は校内の犯人を炙り出す為だった。そして、そこには確かに魔力を有した人間がいた。それが仮に、偶然魔力を有していた一般人がいたとしたら、という思考に行き着く。
しかし、まだ涼子の中で断定は出来なかった。
「良いわ、話だけでも聞いてあげる。それで? あなたの要望は? 有馬蒼介君」
「あの黒い虫の大群が群がっているのは多分この学校の屋上に原因がある」
「どうしてそれが分かるの?」
「何故? 生徒会長は見えてないのか?」
「どういう意味よ、それ。虫はちゃんと見えてるわよ」
どうも会話に違和感がある、と涼子は思った。虫は見れている。纏う魔力も感じられる。
「その、あの虫が纏ってる黒と紫の霧の様なモノ。 感じる事は出来ないけど」
まさか--と内心涼子は背筋が凍った。
蒼介の言葉で涼子は違和感に気がついたのだ。さっきから噛み合わないと思っていた蒼介の言葉。その可能性。
「有馬君、魔力が見えるの?」
「魔力?」
聞きなれない言葉に蒼介は首を捻ったが、涼子は何故かうんうんと頷き、一人で納得していた。
「ええい、こうなりゃヤケよ! 有馬君、今からその言葉を証明しなさい。嘘だったらホントに殺すから」
駆け上がってきた涼子は先程の無感情の表情とは打って変わり、少し笑っていた。
蒼介はうんと頷くと、目の前の扉を拳一つで吹っ飛ばした。
その光景に涼子は驚愕しながら、こう言った。
「有馬君、あなた本当に何者?」
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