第45話

 その日の正午。旬果が昼餉を取っていると後宮より遣いが現れた。

 劉皇太后が会いたい、と言っているというのだ。

 これは予想の範囲内である。

 予め、瑛景より言われていたのだ。きっと劉皇太后が姉上を召すだろう――と。

 すでに朝議の件を群臣の誰かが皇太后に注進しているはず。

 止める際には皇帝に非があるという言い方は避けるはずだから、原因は旬果にあるという旨が皇太后には伝えられたはずだ。

「行くわ」

 旬果は席を立った。


 そして後宮に、旬果は向かった。

 いつか皇太后と、初めて対面した時と同じ場所である。

 だがいつかの時とは違い、皇太后の取り巻きは女官だけではない。

 皇后候補である劉麗と、康慧星の二人も傍にいたのだ。

(全く。三下具合が凄いわね)

 旬果は胸の内でそう思う。

 対する旬果は一人である。だが見くびられまいと、悠然と歩く。

 そして皇太后の前で深々と拝礼する。

「王旬果。お召しにより、ただいま参上つかまつりました」

 その瞬間、

「あなた、一体何様なの!」

 感情的な罵声が響く。

 旬果はそっと面を上げた。今、声を上げたのは劉麗である。

 旬果は凪いだ湖面のような静かな眼差しを向けた。

「劉麗様、慧星様。お加減はいかがでございますか?」

 慧星が吠える。

「お黙りなさい! 姦婦! あなたは一体何の理由あって、陛下とご一緒に朝議に出て、差し出がましい口を叩きましたの!?」

 だが二人の少女の甲高い怒声は、凛とした声に押さえられた。

「二人とも、静かに。呼び出したのは私です」

 後宮の王とも言うべき、皇太后の言葉に二人は恐縮する。

「皇后陛下。ありがとうございます」

 旬果が言えば、皇太后はその切れ長の眼差しに鋭い敵意を見せた。

「お黙りなさい!」

 空気が、ぴりぴりと震えるような一喝。

「旬果。お前は皇后ではないのよ。いえ、たとえ皇后といえども御政道に口を挟むのは、差し出がましいにも程がある!」

「しかし、陛下にお許しを頂いたのでございます。そのお陰で、罪人を処罰するというお許しが――」

 劉皇太后はさすがに、一癖も二癖もある後宮を支配してあるだけある。

 劉麗や慧星のように怒りを表情に露わにはしない。だが、その冷たい眼差しに煮え滾った憤怒があるのは、間違いない。

「陛下を惑わすは罪。女人は後ろに控え、陛下の御身を安んずることだけを考えればよろしい。政に口を出すのは、後宮の者の仕事ではないっ!」

「洪周は私たちを殺さんとしたのです。にもかかわらず、たかが追放だけなんて……私は嫌ですっ!」

「洪家は名門なのよ。お前は村娘ゆえ分からないかもしれないが、貴顕には貴顕に対する処置、というものがあるのよ」

「では陛下が、過ったと?」

「そなたが要らぬ差し出口を叩いたが故に、陛下の明晰な決断に曇りが生じたのです。そんなことも分からないのですかっ」

 旬果はやれやれと言わんばかりに、芝居がかった大きな仕草で肩をすくめる。

「畏れながら皇太后陛下に申し上げます。律(刑法)によりますれば、いかような身分に問わず、陛下に対する逆意は死罪にございます。皇后候補たる私どもを殺さんと計るは、明確な陛下にたいする叛心で……」

「知らいでかっ!」

 旬果の悪びれぬ物言いに、皇太后は扇を閉じ、旬果に突きつけた。

「痴れ者。速やかに都より去りなさい。お前を皇后候補からも外します!」

「畏れながら、後宮の主人は皇帝陛下でございます。たとえ皇太后陛下といえども、皇帝陛下のお許しなく、そのような処分は下せぬはず……」

 劉麗が声を上げる。

「皇太后様になんという口をっ! この無礼者を捕らえなさい!」

 劉麗が女官や宦官をけしかける。

 しかし旬果は女官たちを睨み付ければ、女官たちは「ひっ」と声を上擦らせて、後退った。

「よくよく考えて行動するのね。私に乱暴を働けば、陛下がどのように思われるか……。陛下は私の為に、洪兄妹の死罪を決めて下さったのよ」

 劉麗はますます激昂する。

「何をしているの! 役立たず!」

 劉麗は自ら飛びかかろうとしたが、

「おやめなさい!」

 劉皇太后が制止し、旬果を睨んだ。

「下がりなさい、下郎! 顔も見たくないっ!」

「失礼いたします」

 旬果は頭を下げ、来たときと同じように、悠々とその場を後にした。


 白鹿殿に戻ると、泰風たちが駆けつけてきた。

 旬果は疲れた笑いをこぼす。

「まあ、よくもこれだけ嫌われたと思ったわ。あともう少しで、女官たちに取り押さえられる所だったんだから」

 泰風は言う。

「陛下には……」

「話さない。こうなることは分かっていたし」

 菜鈴が言う。

「誰からも悪女呼ばわりされているんですから、吹っ切れたらよろしいのに」

「私は悪女を装っているのであって、悪女じゃないの。好きでこんなことしてないの」

 泰風が言う。

「旬果様は後宮の女どもとは違うんだ。お心が綺麗で、瑛国の為にお立ちあそばされて……」

 そこまで言われてしまうと、さすがにこそばゆい。

「ちょ、ちょっと。そこまでのものじゃないから!」

 菜鈴は苦笑して、肩をすくめた。

「はいはい。仲のよろしいことで」

「ちょっと菜鈴!」

 旬果は頬を染め、照れ隠しにお茶をすすった。

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