第44話
皇帝臨席の下、朝議が行われる場所のことを
皇城は翼を広げた鳳凰の姿を模しており、太極殿は皇城の中心部にある。ちなみに役所が配されているのは皇城の右翼と左翼だ。
ここで毎朝、瑛景が群臣からの奏上を聞き、裁許を与える。ただ詳しい報告は予め皇帝の元に届けられており、ここでの裁許は形式の場合がほとんどであった。
一方、予め報告が出されない討議もある。
大きな事件が起きた際の事態の収集についてだ。
そして洪兄妹が起こした、皇后候補拉致事件が朝議の
「皇帝陛下の御成りにございますっ」
先触れの言葉が太極殿に響き渡れば、奥にある後宮と繋がっている通路より、瑛景が姿を見せる。
群臣たちは平伏した。
二十段近い階段の先にある段の上に玉座があり、そこに皇帝が座する。
普通、段の上にいるのは皇帝一人。しかし今日は違った。
皇帝の後からもう一人、小柄な少女がついてきていた。
座した瑛景が「面を上げよ」と呼ばわり、顔を上げた群臣たちは一様に、玉座のすぐそばに立っている見知らぬ少女の姿に戸惑う。
皇太后ではない。では誰だ。
瑛景は白々しく、今気付いたとでも言わんばかりの顔で、少女――旬果を見れば、群臣たちに笑いかけた。
「これは朕の皇后候補の王旬果である。――旬果が、あまりに朝議に来たいと駄々をこねるので、こうして連れてきたのだ」
前代未聞である。皇后であるならばいざ知らず、皇后候補である。
旬果は、瑛景にしなだれかかった。
「だって、私、陛下がお仕事をしていらっしゃる格好いいお姿を、見たかったですもぉん!」
旬果は玉座の左の肘置きに、ちょこんと腰掛けた。
瑛景は、無邪気な旬果の姿に笑う。
「こらこら。そこに座ってはいけないぞ」
「だってー。疲れちゃったんだもぉんっ!」
「仕方のない奴だ。まあ良い。皆、始めようっ」
群臣たちが口々に報告をし、そのいちいちに瑛景が裁許を与える。
しばらくすると。
「つーまんないーっ!」
旬果が、声を上げた。
奏上している担当官が、ぽかんとした顔で玉座を見る。
瑛景は苦笑し、旬果を宥める。
「旬果。邪魔をするでないぞ。今は大切な務めを果たしているのだ」
肘置きに腰掛けたまま、旬果は足をぶらぶらさせ、猫なで声を出す。
「だってー。何言ってるか全然分からないもん。つまんないーっ。ね、ね、陛下ぁ。私たちに酷いことをした奴のことぉ、お話ししてぇっー!」
「旬果よ。朝議には順番というものがあるのだ。そう我が儘を申すな」
「いやいやっ! だって私が危ない目に遭ったんですよぉ。陛下は、旬果が死んでも構わないと仰るのぉっ!」
「そうは申していないだろう。……仕方のない奴だ。皆、まずは罪人についての処分を決めよう。旬果はあの事件以来、なかなか眠れず困っているというのだ」
奏上の途中だった役人が「は、はい」と引き下がった。
瑛景が「では、処分についての意見を」と呼ばわれば、官吏たちが意見を奏上する。
「――洪家は高祖様にお仕えした、殊勲の家柄でございます。このたびは幸運なことに、死者は出ておりません。故に、両者を都から追放するに留めるべきかと……」
それには、「妹君の洪周様は、陛下の皇后候補の一人であらせられるのだぞ」という反発が上がり、それに同意する声もあった。
また別の官吏が述べる。
「このたびの大それた事件は、洪仁傑一人の罪と考えるべきでしょう。従ったのも仁傑配下の兵卒です。本来ならば死罪ですが、高祖以来の名家であることを考慮し、仁傑のみを追放に処し、洪周様には後宮よりお暇を与えるべきと存じます」
後宮よりお暇――つまり皇后候補より外せ、と言うのだ。
どちらも追放処分である。しかし追放処分は単に都から出ていけば終わり、というものではない。
追放に処された貴顕は罪を謝して、領地を全て皇帝に返上するという慣習がある。そして罪を負った人間は顔に入れ墨を施され、どのような罪を着たかが一目瞭然となる。
どこに行こうとも反逆者の汚名からは逃れられず、民から石を投げられ、やがては凶徒に殺される。いや、最悪の場合、皇帝が刺客を放つ場合すらある。
都における流血沙汰は不吉だから(一般の重罪人も都の外で処刑される)、関係のない所で殺す――なんとも陰険なやり口である。
瑛景は意見を聞き終える。
「では、皆。追放ということで良いのだな。朕が思うに、確かにこの一連の事件は将軍だけに罪がある、ということになるであろう。よって処分は将軍のみ。洪周は――」
そこに甘ったるい声が響く。
「陛下ぁ」
旬果だ。
瑛景は心配そうに、顔を覗き込んだ。
「いかがしたのだ? 今、お前の為に処分を下しているのだぞ?」
「追放だなんて甘いですわぁ。だって私は殺されそうになったんですよ? 陛下はそんなひどい連中がのうのうと生きていて、旬果が可愛そうとは思わないのですかぁ!」
「ではどうせよと言うのだ?」
「当然、二人とも死罪にしてくださいませっ!」
群臣たちからは戸惑いの声が漏れた。
一人の臣下が言う。
「陛下に申し上げます。洪家は功臣の家にございます。どうか、お慈悲を――」
それをかき消すように旬果が言う。
「陛下は私が愛おしくありませんの。私が、どれだけ怖い目にあったか……」
声を湿らせた旬果は、袖で目元を覆う。
瑛景は顔を曇らせる。
「旬果。そのような悲しい顔をしないでくれ。お前には真珠の如き笑顔が、似合うのだぞ。さぁ。朕に笑顔を見せておくれ」
「……旬果の真珠のような笑顔は、これっきりでございますぅ。陛下が、私の願いを聞き届けて下さらないなんて……旬果は、悲しゅうございますぅ……」
瑛景は真剣な表情になって頷く。
「すまなかった、旬果。朕を許してくれ。――皆よく聞けっ!」
瑛景は玉座より立ち上がった。
群臣たちは、一斉に平伏する。
「我が愛しき旬果を傷つけようと謀った洪兄妹の罪は、万死に値する。たとえ先祖が高祖の功臣といえども、許す訳にはいかぬ。速やかに死罪に処せ。刑の執行はこの都で、旬果によく見えるように致せ!」
すると、水を打ったような静けさの中に、「きゃあ! 陛下ぁっ!」という場違いすぎるほど朗らかな旬果の声が響く。
旬果が瑛景に抱きついていた。瑛景もにこにこと微笑み、旬果の腰に腕を回した。
「これで良いか? お前の悲しみは癒えるか?」
「はい! 陛下の愛をとても感じられましたわぁっ!」
しかし群臣の一人が立ち上がる。
「陛下。なりません。死罪など、高祖様のご即位より、貴顕の死罪は前例がございませぬ!」
それに対する瑛景の判断は明瞭だ。
「では、これが最初の例となろう。これは勅命である。皆、良いな」
瑛景は旬果の腰を抱きながら、退出する。
先触れが「陛下のご退出!」と声を上げた。
そして旬果たちは太極殿と後宮とを繋ぐ廊下の途中にある、皇帝の為の休憩室に入る。
「死にたいっ!」
それが旬果の第一声である。
その場にいた泰風と、菜鈴もさすがに苦笑を隠しきれない。
二人は朝議のやりとりを、陰で聞いていたのだ。
菜鈴が言う。
「旬果様。とても堂に入っておりましたよ。練習した甲斐があったというものですっ!」
旬果は椅子に座り、思いっきり溜息を吐いた。
「全然嬉しくない……」
泰風はおずおずと言う。
「旬果様。これも洪周様を助ける為です」
「そうね……。分かってる……」
瑛景は微笑んだ。
「姉上。素晴らしいですよ。まさかここまで出来になられるなんて想像以上です! 姉上には悪女の才能が……」
「……あああもう! 褒めないで――――っ!」
うまくいって喜んで良いはずなのに、自己嫌悪の感情ばかり高まってしまうのだった。
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