第40話

「旬果様……っ!」

 彼方の居館の窓から、勢い良く炎と黒煙が噴き出す。

 だがすぐに駆けつけることは叶わない。

 仁傑が立ちはだかっていたからだ。

 こちらが押せば、向こうは引き、受け流す。そして必要以上に踏み込んでこない。

 仁傑は完全に守りに徹し、泰風を倒す気などまるでない。ただ足止めをしているだけなのだ。

 時間があれば幾らでも相手はしてやれるが、もうこちらに残された時間は僅か。

(強行突破しかない……っ)

 正直、これは賭けだ。無防備になれば、仁傑の斬撃をまともに受けるだろう。

 その傷が深ければ、もしかすれば、たどり着けないかもしれない。

 しかしこのまま足踏みをしていれば、命よりも大切な旬果を失ってしまう。

 迷っている時間などなかった。

 泰風は構えていた剣を仁傑めがけ、放つ――同時に、駆けた。

 仁傑は素早く剣を打ち落とす。剣の向こうに泰風がいることを見て取り、仁傑は守りの姿勢を取る。

 しかしその仁傑を、泰風は軽々と飛び越えた。刹那、人の形をしていた泰風の姿は、磨き上げたくろがねの如き黒々とした狼の獣人へと変わる。

 仁傑は哮った。

「魁夷の分際で……っ!」

 泰風は背に太刀を浴び、よろめく。

「っ!」

 しかし泰風は構わず、窓から緋色の炎を噴き上げる居館の扉を蹴破った。

 刹那、全身を灼かれたかと錯覚せんばかりの熱風が逃げ場を得て、泰風めがけ吹き付けてくる。

 辺り一面、火の海。しかし泰風の眼差しは、守るべき人の姿を逃さなかった。

 全身が焼けるのも構わず、業火の直中に飛び込んだ。

 そして旬果を抱き上げた。

「旬果様!」

 ぐったりした旬果はかすかに、目を開けた。

「た、泰風……?」

「助けが遅れ、申し訳御座いません!」

 旬果は、薄い笑みを浮かべる。

「……きっと、助けに来てくれるって信じてた」

「はい」

「その赤い目、すごく綺麗よ」

 泰風は旬果を胸にしっかりと抱くと、同じように倒れている劉麗と慧星の二人も左腕で抱き上げた。二人は敵だが、旬果は何があっても、二人を見捨てないだろうと思ったからだ。

 柱が軋みを上げ、震えた。地鳴りのように激しい揺れが建物を襲う。

 泰風は火だるまになりながらも、居館の窓から跳躍した。


 口元に冷たい物が触れ、旬果は目を開けた。

 泰風が瓢箪の水で、唇を湿らせてくれたのだ。

 思わず頬が緩んだ。

「……こうして泰風に介助されるのって、何度目かな……」

「そんなことは、お気になさらず」

 旬果が右手を伸ばし、人間に戻っている煤に汚れた泰風の左頬に触れた。身体のあちこちが傷つき、痛々しかった。

「泰風こそ、平気なの?」

「ご安心を。魁夷は普通の人間よりも丈夫ですから」

「そっか……」

 旬果は身体を起こそうとすれば、泰風が「いけませんっ」と声を上げる。しかし旬果は大丈夫と、やんわり宥めた。

「……二人は?」

「あちらに」

 泰風に促されてそちらを見れば、劉麗と慧星が木の根元に寝かされていた。

「助けてくれてありがとう。……洪周たちは?」

「分かりません」

「追いかけないとっ」

「それは私が……っ」

「駄目。どうしても聞きたいことがあるのっ!」

 旬果の強い言葉に、泰風は頷く。

「分かりました」

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