第21話

「ん……っ」

 旬果が長い睫毛を振るわせて目を開ければ、泰風の顔があった。

 一瞬、夢の延長かと思ったが、目の前にいるのは少年ではない。大人の泰風だった。

「旬果様! ご無事でしたか……!」

 泰風は今にも泣き出しそうに、顔をくしゃくしゃにしていた。

 その顔がついさっき見た夢の中の、少年と重なる。

 旬果はかすかに声を漏らす。

「……私、どうして?」

「後宮の廊下で倒れていたと、後宮から知らせがございまして……」

 庭に下りたと思っていたが、その時にはもう気を失っていたのだろうか……。

 旬果は呟く。

「袋……」

 泰風は怪訝な顔をする。

「袋?」

「厨子に……」

「お待ち下さいっ!」

 泰風が袋を取ってくる。

「これでございますかっ!?」

 旬果は袋を受け取ると、頬を緩めて口を開ける。そして手に中身を落とす。

 チリン……。

 そう、澄んだ音が響く。

 泰風ははっとした表情で玉鈴の首飾り、次いで旬果を見る。

「泰風。あなたとは子どもの頃に、会っていたのね……」

「しゅ、旬果様、思い出されて……?」

「そこだけを、ね。父上と母上の姿も、見たわ。あなたはあの頃から私に仕えてくれていたのね。忘れてしまっていてごめんなさい」

 旬果が手を伸ばせば、泰風が革の分厚く武骨で大きな手で、そっと包み込むように握りしめてくれる。

 彼の手は、ごつごつと巌のように硬かった。しかしそれがとても頼もしく、胸が温かくなる。

「旬果様が謝られる必要など……。旬果様は何も悪くないのですから……」

 泰風は声を詰まらせ、肩を震わせ、俯いた。

 そんな泰風の頭を、旬果はもう一方の手でそっと撫でた。


 顔を上げた泰風を、旬果は微笑みで迎えた。

「落ち着いた?」

 泰風は、ばつの悪そうな顔をする。

「お見苦しいところを……」

「良いのよ」

「しかし、どうして突然記憶が……?」

「後宮から出たくてあっちこっち歩き回ってたら、子ども時代の私と泰風が見えたの…

…。信じられないことだけど……」

 説明を聞いても、泰風は半信半疑だった。

(当然よね。私は信じられないんだもん)

「もっと後宮を歩き回れば、他にも何か思い出せるかもしれないわ」

 そう提案してみたが、泰風の反応は微妙だった。

「どうしたの? 私の記憶が戻るのは、嫌?」

「そんなことは御座いません。記憶が戻られるということは、それだけ旬果様が公主様であったことを、より御自覚あそばされるということですから……」

 しかし泰風の表情は、それが良いとは言ってはいない。

 記憶が失われるというのはそれだけ、衝撃的なことがあったということだろう。それを心配してくれているのかもしれない。

「……旬果様。先程お一人で後宮を歩かれたということですが、何があったのですか?」

 旬果は気まずくなって、目を反らす。

「……まあ、色々と」

 しかし泰風は引き下がらなかった。

「私に隠し事は無用ですっ!」

 観念した旬果は、何があったのかを話す。

 話を聞くや泰風の顔色が変わった。はっきりとその眼差しには、怒りが滾った。

そこへ割って入るように、菜鈴の声が響く。

「私の言った通りじゃないですか!」

 どうやら隣の部屋で、盗み聞きしていたらしい。

「旬果様は人が良すぎるのです。後宮は伏魔殿。味方……ましてや、友達が存在すると思う方が間違っているのです」

「でも、洪周にも洪周の事情が……」

 泰風が眉を顰めた。

「菜鈴、いきなり乗り込んでくるな。旬果様は倒れられたんだぞっ」

「泰風。大丈夫だから」

 心配する泰風を制した。

 菜鈴が尋ねてくる。

「それで、これからどうなさるおつもりですか?」

「どうって……何が?」

「三人の皇后候補だけならいざ知らず、皇太后陛下にまで啖呵を切られたのでしょう。これで面倒なことになるのは確実です」

 旬果は小さく溜息を吐いた。

「……その通りね。瑛景に聞いてみる。……どうにか出来るかは、期待薄だけど」

 泰風は菜鈴を見る。

「これで満足か。旬果様はお疲れだ。俺がついてるから、お前は下がっていろ」

「ふん」

 菜鈴はそっぽを向くと、部屋を出て行く。

 旬果は聞く。

「玄白は?」

「文句を延々と垂れていました」

 旬果は苦笑する。

「明日はまた厳しくなっちゃうわね」

「私がしっかりと言い聞かせます」

「よろしくね」

 旬果は、泰風に微笑んだ。

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