第12話

 翌日、旬果を起こしたのは菜鈴だった。

「旬果様。起きて下さい」

 旬果は寝返りを打つ。

「……菜鈴。ごめん。もう少し寝かせてーっ」

「もうお昼を過ぎております。それから他の皇后候補たちから後宮へのお誘いが、ありました」

 旬果は、顔をがばっと上げた。

「えっ!?」

 菜鈴が促す。

「着替えも用意してございますので。急いで参りましょう!」


 そうして菜鈴に急かされるがまま、旬果は後宮へ向かった。

(お腹、空いた……)

 食事をする暇もなかった。

(起きたばっかりだけど、むくんでないよね?)

 旬果は後宮の女官に先導され、人工池の中に佇んでいる亭閣ていかくに案内された。

 そこにはすでに、三人の艶やかな襦裙姿の皇后候補たちの姿があった。

 ここまで案内してくれた女官が少女たちに恭しく頭を下げて、旬果がやって来たことを伝えると、少女たちは一斉に旬果を見た。

 さすがに緊張せざるを得なく、旬果は背筋を伸ばした。

 しかし相手は同年代。劉皇后の時よりはまだ安心できる。

 旬果はしづしづと歩み寄り、頭を下げた。

「どうも、皆様……。王旬果と申します。お見知りおき下さい」

 女性たちのうち一人が立ち上がると、二人も同じように立ち上がった。

 それだけで、何となく三人の力関係が分かった。

 最初に立ち上がった、切れ長の眼差しが劉皇后によく似ているのが、皇后の姪であろう。 広い額が自慢なのか、それを目立たせるような髪型だ。

 その右手側にいるのは、前髪をぱっつんと切りそろえた、三人の中では一番小柄で、幼く見える少女。旬果を見ながらニヤニヤしてる。

 左側にいるのは、緩く巻いた髪を肩にかけた、おどおどした雰囲気のある少女。伏し目がちで、小動物のようだ。

(でこに、ちびっこに、小動物……)

 本人の前ではとても口に出来ないことを胸の内で考える。

 でこが言う。

「ようこそ、旬果様。さあ、こちらにいらっしゃって。お話をいたしましょう」

「あ、ありがとうございます」

 ここに来るまでの輿の中で、菜鈴から言われたのは余計なことは言うな、何でもはいはい、と言っていろ――ということだ。

 でこが言う。

「さあ、皆さん。旬果様へ自己紹介をいたしましょう。――私は劉麗りゅうれいと申します。よろしくお願いしますね」

 幼児が言う。

「私は、康慧星こうけいせいですわ。よろしくお願いいたしますわ」

 小動物がぽつりと呟く。

「……洪周こうしゅうと申します。……よろしくお願いいたします」

 旬果は頭を下げる。

「皆様、よろしくお願い致します」

 劉麗は、慧星の座っている場所を示す。

「さあ、こちらにお座りになって」

「え、いえ。そちらには慧星様がいらっしゃるので。私はこちらに……」

 劉麗はニコッと微笑む。

「あら。こちらでよろしくてよ? 慧星様がどかれればよろしいんですもの。ね、慧星様」

 平然とそう言うのである。

 一瞬、引き攣った笑みを見せた慧星はホホホと微笑んで、席をずれた。

「さあさあ。こちらにお座りになって下さいませ」

 しかしちびっ子の目は笑っていない。

(怖っ!)

 しかし今さら、辞退など出来るはずもない。

「で、では……失礼します」

 劉麗はにこりと笑いかけてくる。

「旬果様はどちらのご出身なの?」

「えっと……」

 その時、きゅぅっ……と、お腹が思いっきり鳴ってしまい、はっとしてお腹を押さえた。

 腹の虫の音に、劉麗たちは顔を見合わせたかと思うと、慧星は袖で口元を隠す。しかし肩が笑いで小刻みに震えてしまっている。

 劉麗は、にこやかな表情を崩さない。

 洪周も必死に笑いを噛み殺そうとしているせいで、口がモゴモゴとしてしまっている。

(笑ってくれた方が、よっぽど良いから!)

 旬果は誤魔化すことも出来ず、頬を染めて俯いた。

 劉麗がこれを召し上がって、とお菓子の入った器を差し出してくれる。

「あ、ありがとうございます」

 適当な菓子を抓んで口にすれば、

「甘い!」

 旬果は思わずそう口走った。

「……すごい。こんなに甘いもの、初めて食べました」

 でこは柔らかく微笑んだ。

「砂糖菓子よ。お好きなだけ、どうぞ」

 全部食べるのはさすがにあり得ないと、旬果は五つくらいで遠慮しておく。

 その食べっぷりを、三人の皇后候補たちがじっと見つめる。

「お菓子、ありがとうございます。どうにかお腹の方、落ち着きました……」

 でこは頷く。

「では話を元に戻しましょう。あなたのご出身はどこですの?」

「余州北山県壬午村、です」

 ちびっ子が大袈裟に驚く。

「村!? あなた、村の出身なんですの!?」

「え、ええ……」

「あらあら。村出身なんて……そこのと、同じですわねえ」

 女官の何人かを指さし、くすくす笑う。

(ちびっ子の分際で腹立つわね)

 劉麗はやんわりと宥める。

「慧星様。いけませんよ。村でも良いじゃないの。それで、その村は、どちらにあるのかしら」

「えっと……都から十日ほどかかる場所に……」

 言い終わらぬ内に、劉麗が話をかぶせてくる。

「そうなのね。私たちは都から出たことがないので。それでどんな場所なんですか?」

「都ほど物はありませんが、緑が豊かで綺麗な場所です」

 ちびっ子は、にやつく。

 旬果は眉を顰めた。

「慧星様。何ですか?」

「田舎の方は純朴だと思っていましたけれど、例外というのもあるんですわねぇ」

「は?」

「だって、あなたのこと、女官たちが怖がっていますわよ?」

「怖がる……ですか?」

 ちびっ子は、でこに話を振る。

「劉麗様は、旬果様に関するお噂を聞きまして?」

 劉麗は相変わらず、控え目な笑みを浮かべている。

「ええ。旬果様がおかゆや水のことで、女官を厳しく叱責したと皆が噂しているようですね」

(菜鈴の作戦は効果抜群、ね)

 旬果は苦笑する。

「あ、そ、それはですね……」

 劉麗が大丈夫と言うかのように、手で制する。

「女官という者はしっかり教育しなければ、さぼりたがるもの……。あなたがやったことは決して間違ってはいないと思うわ」

(……本当にそうだとしたら、あんたたちはおかしいけどね!)

 ひとまず旬果は、ホッと安心したような素振りを見せる。

「でしたら、良かったです」

 その時、宦官が恭しく前に出てくる。

「――失礼いたします。陛下が劉麗様をお召しあそばされるとの御意でございます」

「あら。それはすぐに参らなければ。――旬果様、今日はとても楽しかったわ。またこうして四人で会いましょう。皆、皇后候補ではありますが、女同士、気が合いそうですもの」

「はい。喜んで」

「あなたが一刻も早く、後宮に上がれるのを楽しみに待っていますね」

 でこが立ち上がると、それを見送るようにちびっ子と、小動物も立ち上がった。

 旬果も立ち上がり、劉麗とそのお付きの女官たちを見送る。

 そして劉麗の姿が見えなくなるや、ちびっ子が思いっきり溜息をついて、吐き捨てる。

「ったく……。良い気なものですわね。自分は皇太后陛下の姪だからって、皇后に選ばれることを微塵も疑ってない」

 旬果は、その変貌ぶりに愕然とする。

 その声はさっきよりも数段低いし、笑顔はすっかり影を潜めていた。

 旬果は恐る恐る声をかける。

「……慧星様?」

 しかし聞こえないのか、無視である。

 もう一度、声をかける。

「慧星様?」

 肩に触れようとすれば、手の甲をぴしゃりと叩かれてしまう。

「いたっ!」

 慧星がキッと睨んできた。

「気安く話しかけないで下さる? わたくしとあなたとは格が違いますの。……ふん、あなたには、村に帰って動物とでも戯れている方がお似合いですわよ。失礼」

 慧星はさっさとその場を後にしてしまう。お付きの女官たちが、慌てて後を追った。

(嘘……。そんな露骨に変わる訳? 村娘にだって五分の魂って思わないの?)

 そうなると怖いのが、残りの一人。勝手に心の中で命名した小動物こと、洪周嬢である。

(牙を剥いて飛びかかったりとか、さすがにしてこないわよね……)

 怖々と洪周を窺うものの、そこには静かに庭を眺める彼女の姿があるばかり。

 しかし油断は出来ない。気安く話しかけた途端、ちびっ子のように牙を剥くかもしれない。

 旬果は恐る恐る、席に腰掛けた。

 しばらくすると、洪周が視線を寄越す。

「悪いことは言わないから、早く故郷に帰った方が良いわ」

(来た……!)

 旬果は心の中で身構えつつ、洪周と目を合わせる。

 洪周は言う。

「さっきの慧星様の変わり身を見たでしょう? ここにいるのはああいう人たちばかりなのよ。純朴さを完全に失ってしまう前に、帰るべきよ」

 相手の出方をみる為に、旬果はわざと渋る。

「……でも、折角陛下にお声をかけて頂いたのに……」

「あなたは選ばれないわ」

 内心、溜息をつく。

(結局、この子も他の連中と一緒か……。大人しい腹黒っていうのが一番手に負えない)

 洪周は、静かな眼差しで言う。

「どうしたって後宮の世界で生き残るには後ろ盾が必要だもの。このままいけば間違いなく、劉麗様が皇后になるはずよ。だって皇太后陛下の姪御様なんだもの」

「そう思われているのに、洪周様はおうちに戻られないんですか?」

 洪周は寂しそうに微笑んだ。

「……そうね。戻れるものなら、戻りたいわ」

「え?」

 どういうことかもっと聞きたかったが、洪周は立ち上がってしまう。

「忠告はしたわ。危ない目に遭いたくなかったら、村に帰りなさい。そうした方が幸せになれる」

 踵を返したかと思うと、さっさと立ち去ってしまう。

 お付きの女官たちが全員いなくなってしまえば、旬果と、旬果をここに案内してくれた女官が取り残される格好になった。

 旬果が女官を見れば、女官は「ひっ」と声を詰まらせ、平伏する。

「む、鞭打ちだけはご容赦を……! こ、故郷に老いた両親がおりましてぇっ!」

 旬果は溜息を吐く。

「……帰るから、案内して」


 旬果が白鹿殿に戻ると、門前に泰風と菜鈴が待ってくれていた。

 旬果の姿を見ると、二人ともほっと胸を撫で下ろしたようだ。

 旬果は笑いかけた。

「二人とも、ただいま」

 泰風が頷く。

「お帰りなさいませ」

 菜鈴が心配そうに、旬果の顔を覗き込んだ。

「ど、どうでしたか。余計なことは……」

「言わなかった……と思う」

「思うでは困ります。下手に目を付けられては、後々どのような災いが降りかかるか……」

「それなら心配ないわ。私が村出身って知って、安心したみたいだから」

「そうですか。それなら良かったです!」

 旬果は足を止めて、菜鈴を見る。菜鈴は小首を傾げた。

「いかがなさいましたか?」

「私が女官にひどいことをする噂で、後宮はもちきりだそうよ」

「それが何か? 私だって断腸の思いで女官に当たっているんです! そんなことより、他の候補たちのことを教えて下さい!」

「それはまた今度。今日は疲れちゃって……。休むわ」

 旬果は自分の部屋に入るなり、襦裙を脱ぐのも面倒で、そのまま寝台に倒れ込んだ。

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