第11話

 翌日、旬果は揺すられて目覚めた。

 顔を上げれば、まず部屋に降り注ぐ日の光の眩しさに目を庇う。

 どうやら本を読んでいる内に、そのまま眠ってしまったようだった。

「……もう、朝……?」

 呑気な旬果に、菜鈴は溜息をついた。

「とうに昼を回っておりますよ」

「……昨日、遅くまで本を読んでて……」

「勉学に励まれるのはよろしいですが、何事もほどほどに……」

「誰かさんは、ぐっすり眠れたみたいで良かったわねぇ」

 旬果がニヤニヤすれば、菜鈴は頬を染め、顔を背けてしまう。いくら賢いと言っても、子どもは子どもだ。

「とりあえず、水を頂戴」

「かしこまりました」

 菜鈴が退出すると、入れ替わるように泰風が部屋に入ってくる。

「申し訳ございません」

「いきなりどうしたの?」

「私がもっと注意をして、早くに眠って頂くべきでした……」

「そんなことでいちいち謝らなくても良いから。私が自分の意思で遅くまで勉強してたんだからさ」

 旬果は、欠伸を噛み殺した。

 泰風が聞く。

「お食事はどうされますか?」

「それじゃあ……簡単に食べられるものを」

「畏まりました。では饅頭とあつものを用意させます」

「お願い」


 食事を終えて人心地ついた頃に、玄白が姿を見せた。

 昨日同様、旬果を前にしても遠慮というか、畏まるという態度はない。

 旬果は驚く。

「あれ? 全部やるまで来ないんじゃなかった?」

「様子を見に来てやったんだよ。皇帝からの命だしな」

 菜鈴が目を輝かせる。

「あぁ、玄白様! ようこそいらっしゃいました。お茶とお菓子をご用意しますね!」

「なかなか気が利く従者だな」

「菜鈴と申します! 私は、後宮で才女を……」

「そうか。気が向けば、名を呼んでやる」

「私は才女で……」

「だからどうした。がきの子守はご免だ。下がれ」

 菜鈴は、笑顔を引き攣らせる。

「……そ、そうで、ございますか……っ」

 旬果は、そのやりとりにむっとした。

(ったく。玄白ってば、菜鈴に何て口を!)

「ちょっと、玄白――」

 しかし菜鈴に、袖をぐっと掴まれた。

「旬果様。私なら大丈夫ですから」

 玄白は椅子にどっかりと座る。本当に我が物顔だった。

「で、どれくらい読んだ?」

「ひとまず、これを読めと言われた分は大体」

 玄白は苦笑する。

「嘘ならもっとうまくつけ。今のじゃ、怒る気にもならん」

「じゃあ、確かめて見る?」

「いいだろ。では、我が国の制度は?」

「一院一台三省六部。一院は魁夷を管轄する理藩院りはんいん。一台は吏僚の不正に目を光らせる御史台ぎょしだい。三省は行政を司る尚書省しょうしょしょう、詔勅の作成を行う中書省ちゅうしょしょう、詔勅の内容について審議をする門下省もんかしょう。六部は人事の吏部りぶ、財政の戸部こぶ、教育の礼部、軍事の兵部ひょうぶ、司法の刑部けいぶ、土木や宮廷工事を管轄する工部。……どう?」

「では、政策が実行される流れは?」

「皇帝の諮問に答え、政策の立案が中書省で行われ、出来上がったものが門下省に回され、その門下省は作成された政策案や詔勅が従来の規定や慣例と齟齬を来さないかを審査。これを突き返す権限もある。これを通過すれば尚書省に回される。尚書省は政策内容によって六部に振り分ける……よね?」

「我が瑛国と他の国の関係は?」

「瑛国創建の高祖によって封じられた一族の者がそれぞれ領地を与えられたのが、珠国、蔡国、理国、羅国、興国の始まり。それを統治する者は王として皇帝に従う。また瑛国から官吏が出向し、しっかりとした統治がされているかの監視に当たる……」

 玄白は言う。

「なるほど。馬鹿ではないようだな」

 その言いように泰風が口を開きかけるが、旬果が手で制した。

「ちゃんと本に目を通したでしょう?」

「……のようだな」

「それじゃあ、ちゃんと教えてくれる?」

「良いだろう。だが手加減はしない。泣くなよ?」

 旬果は微笑んだ。

「ありがと」

「ふん。随分と余裕だな。まあ良い。お前がどこまで出来るか試して――」

 その時、けたたましい音と共に扉が開かれた。

 女官が赤ん坊くらいの大きさの壺を胸に抱きながら、駆け込んでくる。

 すかさず泰風が腰にいた剣に手をかけ、旬果たちを庇う。

「止まれっ! 何事だっ!」

 泰風が言えば、女官は「お許しをぉ!」と半泣きで器を頭より上に掲げたまま、平伏する。

「お、仰せの通り、旬果様ご所望の霊子山の湧き水でございます! 兵に頼んだのですが、思いのほか遅れてしまい申し訳ございません! お手討ちはどうかお許しを……!」

 泰風が振り返る。

「旬果様……?」

 しかし旬果は小首を傾げる。

「湧き水? それ、何――」

 すると、その女官に歩み寄ったのは菜鈴である。

 彼女は壺を受け取ると、居丈だけに言う。

「痴れ者。旬果様をお待たせするとは。私がどうにかお頼みし、格別の御慈悲を以て、お手討ちだけは許す。だが旬果様が二度と顔を出すなとの仰せよ!」

「ひいいいい!」

 女官は泣きながら、部屋を飛び出していった。

 泰風が眉間に皺を刻んだ。

「菜鈴。またお前かっ!」

 菜鈴は悪びれもせず、ツンとする。

「私はただ、仕事をしているまで」

 玄白は口元を袖で覆い、旬果を見つめる。

「……お前、ひどい奴だな」

 旬果は慌てる。

「ご、誤解よ!」

 菜鈴は言う。

「しかし旬果様は、お水が欲しいと仰られたではないですか」

「湧き水が、なんて言ってないってば……」

「まあ、これも私に与えられた大切な使命。これで女官伝いに、旬果様の激しさがよく伝わることでしょう」

 泰風が言う。

「何を偉そうに。大体そういうことをするんであれば、事前に旬果様にお伝えするのが筋だろう。何を勝手に……」

「あんたには関係ないから」

「何だと!」

 旬果は小さく溜息をつく。

「もういい。確かに菜鈴はあの馬鹿皇帝に、言われただけなんだから……。そんなことより、玄白。さっさと勉強を始めましょう」

 玄白が愉快そうに口の端を持ち上げ、独りごちる。

「どうやらここは想像した以上に、面白い場所のようだ」


 旬果は、ふらふらして寝台に突っ伏した。

 昼八つ(13時~15時)から始まった勉強が何度かの短い休憩を挟んで、たった今――宵五つ(19時~21時)に終わったのだ。

 文字を見すぎて、少し気持ち悪い。

(もう何の本も読みたくない)

 ただ、偉そうなだけあって玄白の授業は濃厚だ。

 玄白は古典から歴史、政など様々なことを、何の本も確かめることなく諳んじた。覚えるだけなら自分は不要と言った通り、玄白の出す問答は本を読んだだけでは駄目だ。

 たとえば王道と覇道、どちらが最も尊ばれるか。これまでの歴史を例にして示せ、というのだ。

 ちなみに王道とは徳による統治。一方、覇道は武による統治。

 玄白の出す問答には答えがない。

 ただ玄白を納得させれば良いというのだ。しかし知識の化け物を納得させるのは不可能に近く、答えらしきことを言っても、全て論破されてしまう始末。

(徳で収めようが、武で収めようが綻びが出る……。良いとこ取りをすればと言っても、そもそも問題に反しているって言われちゃうし……)

 その時、扉ごしに声がかけられる。

「――旬果様」

 泰風だ。

 旬果は上体を起こす。

「大丈夫。入って」

 失礼します、と泰風が部屋に入ってくると、片膝を付く。

「旬果様、大丈夫ですか?」

「ええ。どうにかね」

「あいつ、無茶をさせやがって……」

 旬果は苦笑する。

「でも勉強になるわ。さすがは泰風が推薦してくれただけのことはあるわ」

「しかし、あいつは本当に度を越して……悪い癖です。いえ、あいつだけではありません。菜鈴も菜鈴です。いくら陛下の御下命とはいえ、あんな身勝手なことをするとは。皆、勝手すぎるっ!」

 旬果は思わず吹き出してしまう。

「旬果様?」

「泰風。私の代わりに怒ってくれて、ありがとう。それだけで十分だよ」

「……お疲れの所、すみません……。お休みなさいませ」

「おやすみ」

 泰風はそっと部屋を出て行く。

(本当に泰風の優しさが、身に染みる……)

 旬果は気絶するように、寝台に横になった。

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