第8話

 旬果が皇帝おとうとの私室へ一人で入ると、女官に手ずから果物を食べさせてもらっていた瑛景が身を起こす。

 そして女官を下がらせる。

 旬果は腕組みをした。

「言っておくけど、あんたの母親は最低だからっ」

 泰風は外にいるから、本音を言える。

「母上に、何を言われたんですか?」

「田舎娘。それは良いわ。本当のことだから。でも、私を見るときのあの目! 田舎育ちのどこが悪い訳!?」

「姉上、落ち着いて」

「あんたが、落ち着き過ぎなのよ!」

「母上は、私の正妻の座に自分が推している女性以外が座ろうとするのを、過度に警戒しているだけなのですよ」

 旬果はそのことを思い出す。

「そうよ。四人の内、誰が皇后になるかを争うですって? そんなこと初耳なんだけど!?」

「言ってませんでしたか?」

「何を呑気なことを……」

 頭が痛くなる。

「姉上も、果物をいかがですか?」

「いらないわよ。そんなことより、ちゃんと説明してもらうわよ」

「説明する必要もないですよ。結果は決まっているのですから。皇后の座は姉上のものでございます」

「でもあんたは今、皇太后様は自分が推している女性を皇后につけたいって、言ったじゃない」

「そうです。母上はご自分の姪御を皇后に据えようとしているのです。しかし私は特定の誰かと睦み合うのではなく、色々な女性と楽しみたいのです」

「……あんた、最低ね」

 瑛景は苦笑する。

「皇帝はこんなものですよ。父上は母上の顔色をいつも窺っておりましたし……」

「あんたが今すぐ私を皇后にするって命令を出せば、丸く収まるんじゃないの?」

「それでは貴族たちが納得しません。皇后候補として送られてきた者たちは、ただの女性ではないんですよ。大なり小なり、貴族たちの思惑が入り込んでいるのです。母上も実家の意向には、なかなか逆らえないのです。ですから無理に私が決めた所で、誰も納得しません。むしろ姉上を実力行使で排除しようとする者が現れないとも、限らないのです」

「だったら、頭が良くて家柄も良い人を皇后にすれば……」

 それでは駄目です、とかぶりを振る。

「国を改革するには、本当に信用できる人じゃなきゃ、駄目ってこと?」

「それもあります。しかし純朴な田舎娘が、他の貴族の娘を押しのけて皇后になるという成功話に、民衆は弱いんです。みんな、姉上のことがすごく好きになりますよ。貴族からは煙たがられ、民衆には好かれる」

「分かった。あんたみたいなのを、下衆っていうのね」

「ひどいなぁ、姉上。民衆には、分かりやすい象徴が必要なのです」

「で、私はどうすれば良い訳?」

「他の皇后候補よりも学識など優れていることを、発揮してもらえれば良いのです」

「そんなの無理に決まってるじゃない! 私は硯に向かうより、野山を駆けまわっていた時間の方が多いし!」

「そうなのですか?」

「そうよ!」

「しかし生前、父上は姉上を褒めておりましたよ。姉上は古今の書物に興味を示し、幼いながら感情豊かな詩を詠み上げた……と」

「そんなのは大昔のことでしょ?」

 しかし瑛景は、あっけらかんとした態度を崩さない。

「ご安心を。しっかりと教育の出来るものを姉上の為に遣わしますので。学び直せば良いことです」

「そんなこと言われても――」

 チリリン。

 その音は部屋に入る際に女官が、室内の瑛景に知らせる為に鳴らした鈴だ。

 旬果ははっとして振り返る。

「何?」

 部屋に入ってきた女官が、恭しく頭を下げる。

「陛下。思案の時間にございます」

「そうか」

 瑛景はあっさり話を打ち切って、寝椅子に横になってしまう。

 旬果は慌てる。

「ちょっと待って下さい、皇帝陛下。話はまだ終わっていないんですよ!?」

 女官の前だから言葉を検めなければいけないのが、本当に面倒だった。

 女官が、瑛景に代わって答える。

「申し訳御座いません。陛下は思案のお時間です」

「思案? 勉強ですか?」

「有り体に言ってしまえば、お昼寝でございます」

「人が話してる途中なのに昼寝!?」

 瑛景は言う。

「また会おう、旬果」

 女官に外へ追い出されてしまう。

「さぁ。お下がりください」

「ちょ……ちょっと―――――!!」

 旬果は声をあげるが、それに応えてくれる声はなかった。

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