第三章 四月十三日 -3

「さて……連れてきたはいいけど、どこから話したもんかね」


 先輩が護符を用い、荒れ果てた路地を復旧させ、人払いの結界を解いた後。

 俺と美咲、ついでに霧島は、先輩に連れられ鍋山神社を訪れていた。


「……まずは、その雪女が何なのか、からじゃないのか?」

「黙っときな、魔法使い。いきなり彼女の紹介をしたところで、どうせ途中でまたお前や文也が口を挟むのは目に見えてる」


 先輩の威圧感に押されたのか、体中に護符を貼り付けられた霧島はすごすごと引き下がった。正直俺はあのまま路地に放置でいいと思っていたのだが、先輩が魔術師同盟に恩を売ると言って治療をし、連れてきたのだ。


「まあ、手当たり次第にやるとあっちに行ったりこっちに行ったりで面倒だから、あたしが説明しやすいようにやるかな。まずは、昨日文也が勝手に見に行った桜からだな。あれがそもそもの大本で、美咲にも通り魔にも関わってくるし」


 結界の張られた境内で、先輩は賽銭箱に腰掛けて話し始めた。


「あの桜は桜鱗って呼ばれていてね。まあ、不発弾みたいなもんなんだよ」

「……不発弾?」


 桜のことを指しているのだから、おそらくは比喩表現なのだろう。不発弾が残されるような事件、となると……


「そんなものが、なんでこの場所に……退魔戦争以来、中立都市のはずだろ?」

「言い方が悪かったね。不発弾って言っても、アレは前の抗争の時のものじゃない。もっと前……この城下町ができた頃に生まれた呪いだ」


 城下町に関する歴史は、中学校だったかの時に学ばされた記憶がある。確か、原型ができたのは戦国時代の終わり……四百年は昔のことのはずだ。


「そもそも桜鱗は、時の城主が呪い師に誑かされて、侵略してくる外敵から城を守るために裏鬼門に植えられたものなんだよ。呪い師はその後、術の解除法を伝授しないまま姿を消した。戦国時代が終わり平和になって、餌が供給されなくなった桜鱗は外側ではなく内側……城下町の人々の命を吸い始めた」


 江戸初期のこの街の飢饉として年表に書かれているものの、いくつかの正体は桜鱗によるものだ、と先輩は続ける。


「もちろん城主は桜鱗をなんとかしようと、京から別の呪い師を呼び寄せた。だが術が強すぎた、樹を切り倒そうにも近づくだけで命を持っていかれるほどにね。街一帯に結界を張り、呪いが外まで漏れないようにし、ゆっくりと時間をかけて樹そのものを腐らせる……そうやって少しずつ、不発弾を解体しようとしたわけだ」


 先輩はどこか遠くを見ながら、獣の耳を撫でた。


「そして私は、アレが必要以上に活性化しないように監視を任された。社を作り、神格を得ることを見返りにね」

「なるほど、読めたな。なぜこんな地方都市が中立なんてことになっていたのか、疑問だったが……アレが悪用されないようにするためか」


 霧島の問いに、先輩は頷く。自由に移動できるものではないのだろうが、人を襲う妖怪がこの街を占拠し桜鱗を悪用したなら、魔法使い達も迂闊に攻撃できず、人々の被害は更に増えていたかもしれない……ということだった。


「先輩の事情は分かりましたよ。でも、なんでそれに美咲が関わってくるんですか」

「……桜鱗に対処するために、私はとある妖怪と協力していた」


 俺が一番聞きたかったことを尋ねると、先輩は顔を曇らせた。


「何度か代替わりをしながら、冷気により内部から呪いを凍結させる……暴走しないように少しずつ、時間をかけてね。その役目を担っていた女が、何者かにより殺害された……三年前の話だ」

「それ、って」

「……私の母です」


 それまで黙っていた美咲が、口を開いた。

 つまり先輩は、少なくとも美咲の本当の親が殺されたその頃からずっと、美咲のことを、美咲の正体を知っていたらしかった。


「先代と比べて、彼女には経験が少なかった。能力も成長途中で、微調整をしながら呪いを解除するのには、大量の体力を失ってしまうリスクがあった……そこで私は、一計を案じた」


 次々と、パズルのピースが埋まっていき、全体像が見えてくる。そこから察してしまった一つの答えをしかし、俺はうまく受け入れることができずにいた。


「先輩……まさか」

「体力だけは有り余ってる飼い犬もいたし、都合が良かった」


 先輩が、俺を見つめた。時折見せる、俺に謝罪する時の、あの表情。


「そうだよ、文也。あたしがお前に美咲を寄生させ、お前と母親の頭の中をいじくった。怒ってくれていい」


 桜鱗を完全に対処でき次第、俺達家族の記憶から美咲の存在を消すつもりだったと、先輩は続ける。


「うっかりボロを出さないように、お前の記憶を操作したってことをあたし自身に忘れさせていたのが裏目に出た。思い出したのは昨日の話だ……美咲の方からあたしに接触して助けを求めてくれれば、こうなる前に対処できたかもしれないんだが」

「……すみません。あまり、耳神様にご迷惑をかけたくなかったので」


 神社に来てからずっと、美咲は俺と目を合わせようとしなかった。先輩も美咲もいまさら嘘をついているということはないのだろうが、顔を見て安心したい、という気持ちも確かにあった。

 誰に似たんだか、と先輩はぼそりと呟いた。


「美咲は何者か……おそらくは美咲の母親を殺害したのと同じ者に襲われ傷を負い、体力が低下した。それを補うためにお前の体力を今まで以上に必要としていた……それがここ数日の、お前の疲労の原因だろうな。それでも傷の影響は大きく、彼女は回復を早めるため、冷気が体外に漏れ出す状態になった」


 俺はそんな風なことを語りかけてられているらしかったが、一度に大量の情報を入れられすぎて頭がパンクしそうだった。

 俺の様子に気づいたのか、先輩は今度は霧島の方を向く。


「だからまあ、この娘は妖怪だが人殺しじゃあないんだよ。この街の管理者であるあたしの名において、それは保障する。文也も半分妖怪であたしの弟子で、あたしの権限で美咲と導線を繋いで魔力を供給させた。この二人に関しては、お前ら魔法使いにどうこうされる謂われはない」

「……いまいち納得はいかねえが、理屈と事情は分かったよ。通り魔をなんとかする気があるなら、俺らも耳神を敵に回すつもりはないしな。桜鱗に関しての話とこの件のあんたの動向は一応、上に報告はさせてもらうが」

「好きにしろ。実際、通り魔をここまで好きにさせてしまっているのは、あたしの落ち度だからな」

「通り魔について、心当たりはあるのか?」

「文也や美咲の証言と、状況証拠から判断して、だいたいの目星はついちゃいるが……ロクな奴じゃないのは確かだよ」


 霧島はしばらく腕を組み何かを考えていたが、やがて大きく伸びをした後、ため息をついた。


「ま、今日のとこは俺は引き上げさせてもらうわ……俺が今日壊した壁や道路に関しては、こっちで責任を持って後で金でも送らせてもらう。じゃあな、ブンヤ。悪かったな、いろいろ疑ってよ」

「……おう」


 呪文を唱え外套の上からペットボトルの水を振りかけると、霧島の姿は霞のように消えていった。

 残されたのは、俺と先輩、そして美咲。

 俯いている美咲になんと声をかけるべきか、俺自身はどうしたいのか、どうにも考えあぐねていた。


「美咲」

「……なんですか」

「とりあえず、家に帰ろう」


 美咲は顔を上げた。その表情には、驚きが浮かんでいるようだった。


「耳神様の話を聞いていたんですか……あなたの家は本来、私の帰るべき場所ではないんです」

「だからって、このままはいサヨナラ、って言われて納得できるかよ。それにお前、魔力を補うために俺と繋がってたんだろ。怪我だって……」

「私はもう、傷も癒え体力もほぼ回復しました。この三年間で成長しましたし、これ以上あなたが私と桜鱗のことに巻き込まれる必要はありません」


 ふっ……と、体が軽くなったような感覚。

 美咲と俺を繋いでいた魔力の流れが断ち切られたのだと理解するのに、それほど時間はかからなかった。

 俺の様子からそれに気づいたのか、先輩はため息を吐く。


「先輩……! ちょっと、待ってくれ!」

「耳神様、後はお願いします。私はまた、天涯孤独の雪女に戻ります」


 美咲に促され懐に手を入れた先輩の腕を、俺はとっさに掴んでいた。

美咲の発言はつまり。

 俺の記憶から、美咲の存在を消せ、という意味なのだと思う。


「先輩。あんたはさっき、怒ってくれていいって言いましたね……美咲を勝手に俺の妹にしたこと、俺は恨んでませんよ。でもね、でももしも、先輩がこれから俺の、母さんの頭の中から無理やり美咲を消そうってんなら……俺は絶対にあんたのことを許さない。破門されようが殺されようが、一生あんたを恨み続けてやる……!」


 腕に力をこめる。先輩の肉に、俺の指が食い込んでいく。


「……手を離せ、バカ弟子。安心しろ、記憶を全部消すにしろ多少残すにしろ、この場ですぐに始めて終えられるような術じゃないんだ」


 ゆっくりと、手から力を抜く。俺の手形がついた腕を見つめた先輩は腕を振ってため息を漏らした。


「やっぱり、あたしの失敗だったかもな。お前の梓に対する執着を理解していながら、こっそり家族を一人増やそうなんて思いつくべきじゃなかった」


 先輩は自嘲したが、今は諌める気にもなれなかった。

 時間が欲しい。一晩で俺を取り巻く状況が変化しすぎて、何をどう決断しようにも、考える時間が足りていなかった。


「……とにかく。せめて、通り魔をどうにかするまでは家にいてくれよ。家を出てってすぐに襲われて死にました、じゃあさすがに目覚めが悪い」


 いいでしょう? と先輩に助け舟を求める。まるで、捨て犬を飼おうと親を拝み倒す子どものようだ、と俺はひとりごちた。


「……まあ、野宿ってのもな。あたしの神社にでも、とも思ってたが……文也はともかく、梓の記憶をいきなり再構築するのも、精神に優しくないのは確かだし……今日のとこは世話になっとけ、美咲」

「……はい」


 不承不承、という様子ながら、美咲は俺の提案に同意してくれた。

 先輩を残し、鍋山神社を後にする。何を言うべきか分からず、家に帰るまでずっと俺は美咲の手を握っていた。

 手のひらを通して伝わる美咲の体温は、元通り、まるで人間のように温かくて。傷は癒えたのだという話も、俺から魔力を供給される必要もないのだという話も、嘘ではないのだと言われているようだった。

 家に帰ると、母さんはすでに帰宅し、晩飯を作っている最中だった。二人揃って帰宅した俺達を見て母さんは微笑み、弁当箱出してさっさと宿題片付けちゃいなさい、といつもの調子で言った。

 二階に上がって無言のまま美咲と別れ、部屋に入りベッドの上に体を預ける。

 霧島との戦闘後だったが、ベッドに沈み込んだ体の中を、血液と一緒に魔力が巡っているのをはっきりと感じ取れた。すでに体力は全快している。それまで美咲の重傷を治すために回されていた魔力が、全て俺の体の中だけを循環している、ということなのだろう。

 宿題に手を付ける気にもなれず、そのままベッドの上で頭の中を整理する。突然先輩に記憶を消されてしまってもいいように、長峰美咲はお前の妹だ、というメールを自分宛てに送ってみたものの、先輩の力を考えれば気休めの、おまじないのようなものかもしれなかった。


「二人とも、そろそろ下りてきなさい」


 ぼんやりと考え事をしていると、階段の下から母さんが呼ぶ声が聞こえた。チキンライスとデミグラスソースの匂いが、俺の鼻をくすぐった。

 ふと、隣にある美咲の部屋が目に入る。母さんが二人まとめて呼んだ、ということは、美咲も帰ってから部屋を出ていないのだろう。


「おーい美咲、出てこいよ。母さん、晩ごはんできたってさ」


 ノックをし話しかけるが、返事はない。


「……美咲?」


 嫌な予感がした。それを振り払いたくて返事のない美咲の部屋のドアを開け、開けっ放しの窓と、電気の消えた誰もいない部屋を見てしまった。

 部屋の蛍光灯をつける。荒らされた様子はなく俺の部屋よりも整頓された部屋の中は、誰かに襲撃されたというわけではないことを意味していた。

 呆然として室内を見回すと、綺麗に整えられた机の上に、ノートの切れ端が一枚、家の鍵を重りにして無造作に置かれていた。

 俺に宛てた、書き置きだった。


   兄さんへ

 

 今までお世話になりました。だからこそ、これ以上あなたに迷惑はかけられません。お母さんにもよろしくお伝え下さい。 美咲


 筆跡は確かに美咲本人のもので。短い書き置きを何度も読み直し、俺はそれが冗談の類ではないことをようやく受け入れた。


「あの、バカ……」


 春風が吹き込む美咲の部屋からは、美咲の痕跡が少しずつ流れ出ていく。

 美咲を追いかけることもできないまま、開けられた窓を見つめ、俺はしばらくの間立ち尽くしていた。

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