第二章 四月十ニ日 -2
とはいえ、そう簡単に行動に移せるわけでもなく。
「ふざけるのも大概にしろ、文也!」
放課後駆け足で部室に戻り、今日も活動を休みたい旨を伝えた俺は、先輩に怒られ半強制的に修行を始めさせられた。
「昨日、疲れを取るために休ませてやっただろうが! 二日連続で修行を休むなんて、あたしが認めるわけないだろ!」
「いや、だから……今日は疲れてるんじゃなくて、妹のことで確かめたいことがあるだけなんですって」
室内を飛び交う火の玉を回避し続けながら、必死に弁明する。部室の中は先輩の手で広さを拡張され、周囲の壁と床を保護するドーム状の結界が展開されており、先輩が解除するまで俺に逃げ場は無かった。
「お前の妹なら、放っておけば治るってあたしが言っただろうが! 人の話を聞いてないのか?」
あんたは人じゃないだろう、なんて言おうものなら、本気で一晩中修行が続きかねない勢いだ。護符で強化したカバンで火の玉を弾くものの、炎を陽動にして懐に飛び込んできた先輩の蹴りを鳩尾に喰らい、俺は吹き飛ばされた。そのまま壁に叩きつけられるが、先輩が張った結界によって俺は受け止められ、床に無様に転がり落ちる。
弾いた炎は猫耳の生えた先輩の周囲をぐるぐると周り、やがて複数に分かれて先輩の背後に浮いた。目が霞んで二重に見えているのでなければ……その数、七つ。先輩から伸びる、不可視の七つの尾と同数だ。
「全力じゃないですか……昼間の俺じゃどうにもできませんよ、それ」
「あほう、ちゃんと一つ一つの威力は限界まで絞ってある。昼間あたしは殺すつもりでやるって宣言してやったつもりなんだが、やっぱりお前は話を聞いてなかったらしいな? 二日分プラスアルファだ、覚悟しろ」
先輩は邪悪な笑みを浮かべる。女子高生がしていい表情じゃないな、と自分でもよく分からないことを、揺れが収まりつつある俺の脳はぼんやりと考えていた。
立ち上がり、息を整える。とにかく昨日の分も合わせた修行が終わるまで、俺は部室から出られそうにない。三年間続けてきたことで、今更やりたくないということもないのだが、今は美咲の方が俺にとっては大事だった。カバンから、使い古した護符を取り出す。
「護法印……雷王招来」
唱えながら、護符に魔力を注ぎ込む。護符が光になって弾けて消えると、手元に俺の身長より少し短いぐらいの銀色の棒が現れた。親父の残した物だという武具を召喚する、先輩から教えられた最初の魔術だ。
雷王と銘が刻まれた棒の先を、先輩に向けた。体勢を沈める。
「忙しいんで、俺が先輩倒せたら今日の修行は終わり、ってことにしませんか」
「ぬかせ。そういう舐めた台詞は、あたしに一撃でも与えられるようになってから言うもんだぞ、文也」
先輩の周りで、七つの火の玉が回転を始めた。棒立ちのままの先輩に俺が突進すると、それに対応して火の玉達が襲いかかる。
体を捻り雷王を手元で操り、火の玉を避け、いなしながら回転し前に進む。横薙ぎで先輩の腹を狙うが、空を切った雷王の先端には無傷の先輩が立っていた。
棒の上で、つま先立ちのまましゃがみこんだ先輩の顔が歪む。
それが笑っているのだと認識できるまで、少し時間を要した。
「で、誰が誰を倒すって?」
自分の体をてこの軸にして雷王を振り上げるが、先輩は空中で体勢をしなやかに変え、音もなく着地した。俺が体勢を整えるよりも速く、先輩の掌底が左胸にえぐり込む。
思わず苦悶の声を上げて退いた俺の真上から、火の玉が降り注ぐ。上空に注意を向けた俺はそのまま、先輩の蹴りで打ち上げられていた。
……そうして、ストレス発散も兼ねていたらしい先輩の容赦ない攻撃を俺は面白いように受け続け、ついに一撃も与えることができないまま意識を失った。
気がつくと、先輩が雑に治癒魔法をかけた後だったのか、俺の体には護符がべたべたと貼られていた。天井の蛍光灯が眩しい。
「……勝てねえ」
大の字になって床に転がる。先輩は不満気な顔を浮かべ、腕を組み俺を見下ろしていた。
「何が勝てねえ、だ。夜のお前にはともかく、あたしが教えた魔術と式神しか使えない昼間のお前相手に負けるわけないだろ」
「最初にどうにもできないって言ったでしょう……すいません、生意気言いました」
勝てなかったのは事実なので、素直に謝罪する。四年の間に少しは実力差を縮められた気になっていたが、まったくそんなことはなかった。消費した分の俺用の護符を、先輩は封筒に入れて渡してくれた。
「しかし、あたしがちょっと本気出したとはいえ、普段の修行よりも歯ごたえがないのはな……一日休んだからって、いくらなんでも動きが悪すぎるぞ。二時間半で意識が飛ぶのは早すぎだ」
「すみません……どうしても、妹のことが気になって」
こうしている間にも、下校中の美咲は一人、あるいは友人ごと殺されているかもしれないのだ。それに、小田桐さんが言っていた内容も気になる。
「……そんなに心配なら、お前の妹を野良猫に式神つけて見張らせておくぞ? 何かあったら即あたしに連絡が来る、なんなら梓の方にも付けておくが」
「お願いしていいですか。母さんの方も、念のため頼みます」
包帯代わりに貼られた護符を剥がしながら答えると、先輩は獣の耳を元に戻しながらため息を漏らした。
「原因は分かってるからあたしから強くは言わないが、少しは家族離れする方がお前自身のためにもいいと思うぞ。梓は梓で、お前のマザコンシスコンに関しては何も言わないだろうが」
「やめてくださいよ、先輩まで……俺は普通ですよ。家族が傷つくかもしれなくて守れる手段があるなら、それを手にしようと思うのが家族ってもんでしょ」
「……すまない。あたしが前兆に気づいて先に手を打てていれば、梓もお前も苦労することはなかった」
「やめてくれ」
赤が俺の脳裏で明滅して、俺は語気を強めて先輩を止めた。
「……あの件に関しては、何も言わずに出て行った親父と、何もできなかった俺が悪いんです。俺を弟子にしてくれた先輩には感謝していますし、謝る必要なんてどこにもありませんよ」
俺が生活している家は、普通の家庭だ。姿を消した親父に代わって、俺が男手として家族を守ろうとする使命感があるだけで、何も、おかしなところはない。
「だが……いや、そうだな」
先輩は時折、こうやって俺に謝ろうとしてくる。毎回俺は謝罪を拒否して諌めているのだが……通り魔や美咲のこともあり、お互いに少しナーバスになってしまっているようだった。今更、あの夜の光景をフラッシュバックするとは。
「倒れて一時間も眠りこけてたとこを見るに、あたしが思ってた以上にお前の調子は悪いらしいな。一応魔術式は調整しておいたから、いい時間だし今日はもう帰れ」
先輩に促され時計を確認すると、夜八時を過ぎたところだった。結界が解除されると、窓の外には街灯の明かりがぽつぽつと見える。雲が広がっているのか、星の姿は見えなかった。
「それじゃあ、母さんと美咲のこと、よろしくお願いします」
「ああ……お前自身も、気をつけろよ」
少しよそよそしい先輩に修行の礼を言い、部室を出る。階段を下りながら、俺は昼間の会話を思い出していた。
一人の帰り道。俺は母さんに部活で少し遅れる旨をメールすると家の前を通り過ぎ、小田桐さんの言っていた枯れた桜を探しに向かっていた。
人の命を少しずつ奪うという呪い。冷たくなった妹。正直、霊的な存在や呪いに関しては未だに半信半疑ではあったが、今は美咲のためにも少しでも手がかりが欲しかった。
鍋山神社の前を通り、大通りをひたすら駅とは逆方向へ。しばらく走ると、城の西側を南北に通る河川に突き当たる。ざっくりとした地図でうまく探し出せるかは不安だったが、目的の桜はさほど時間もかからず、すぐにそれと分かった。
街灯も無いのに、ぼんやりと白く光る一角。何かがある、と直感した。ポケットの護符を握りしめながら、ゆっくりと近づく。
そこに広がっていたのは、幻想的な光景だった。
開花宣言もまだだと言うのに、辺りには桜の花びらが舞っている。
光源の無い中、白い花が咲き乱れる桜の樹。
その下に、人型の氷像が横たわっていた。その中には、かつて人間だったものが埋め込まれているのが見える。
氷像の下には赤黒い液体が水たまりのように広がって、桜が根を張る大地へと染みこんでいく。
そして……見間違えるはずもない。
桜の下、死体を見下ろすもう一つの人影の姿は。
俺のよく知る、妹のそれだった。
息を飲む。妹の問題を解決する糸口を探しにここを訪れ。糸口になるであろうものを見たというのに、俺は何をすることもできなかった。あれは美咲ではないと信じたい脳内と、俺が美咲を他人と見間違えるわけがないと断言する本能。
美咲本人だとして、なぜこんなところにいるのか。見張っているはずの先輩は何をしているのか。目の前の氷像は一体なんなのか。美咲に関係していることなのか、偶然見つけただけなのか。枯れているという桜がこの時期に咲いているのは、やはり呪いによるものなのか。一度に入ってきた情報に思考がぐちゃぐちゃに乱れて、まとまってくれそうにない。
ふと、俺の気配に気づいたのか、立っている方の人影がこちらを向いた。
顔まで見たら、もはや勘違いもしようもない……美咲だった。
無表情のまま、じっとこちらを見つめている。その表情の下にある心の中を、読み取ることはできそうになかった。
とにかく、話をしよう。
そう思い、声をかけようと美咲の方向に一歩踏み出した時。風も無いのに樹の枝が揺れ始め、花びらが舞い散って俺を襲った。
とっさに腕で顔をかばい花びらを払ったが、視界から花びらをどかすまでの僅かな時間で、美咲は姿を消していた。
残されたのは、立ち尽くす俺と、氷像の中の死体。見上げれば桜の木に花は無く、ただの枯れ木になっていた。さっきの出来事で全ての花を散らせたのかとも思ったが、辺りの地面にも花びらは落ちていなかった。気がつけば辺りも暗くなっている。呪いの桜、というフレーズが頭の中を駆け巡る。
たった今見た光景が幻覚だとしたら、何も悩む必要はなかった。だがあの花びらの感触と目の前に残った氷像が、俺にあの美咲の姿は幻ではないと訴えていた。
美咲は、この桜に呪われているのだろうか。ゆっくりと生命力を奪われ、操られて深夜徘徊をするようになり、やがて目の前の氷像のように、この木の下で氷漬けになり死んでしまうのだろうか。だとしたら、俺は美咲のために何をすれば……
「……ブンヤ?」
突然、背後から話しかけられて振り返る。幼い頃に見た特撮ヒーローの防衛隊のような、派手な制服を身につけた男が立っていた。誰だこいつはと思ったが、俺をブンヤ呼ばわりする奴なんて、一人しか心当たりが無かった。
「霧島……なんでこんなとこに……」
「それはこっちの台詞だよ、っと……チッ、間に合わなかったか」
俺を一瞥し、霧島は氷像に近づいた。俺のすぐ横を通りすぎていったが、不思議と普段感じる香水の臭いはしなかった。
死体に驚くこともなく、霧島は手を合わせると淡々と氷の様子を調べ始める。
「ひっでえなこりゃ、一度殺してから氷漬けにしてやがる……舐めやがって」
よくよく近づいてみると、氷像の中の生気のない女性の姿に、俺は見覚えがあった。
「あさみちゃん……」
「なんだ、知り合いか?」
「知り合いか、って……うちの担任じゃないか。何度も見てるだろ」
「あー……ああ、そういえばいたなあ、そんな奴。ま、災難だったな、かわいそうに」
まるで他人ごとのように、霧島は笑った。
気味の悪い、不愉快な笑顔だった。
「お前……」
「そんな顔するなよ、ブンヤ。お前が例外なだけで、あの学校で俺の存在が印象に残ってる人間なんかほとんどいねえんだ。俺の方も、いちいち潜入先の人間のことなんて全部覚えるってわけにもいかなくてな」
「霧島お前、警察……じゃないよな。その格好……まさか」
思い出した。以前、先輩から似たような制服を着た女性の写真を見せられたことがある。確か、あれは。
「魔法、使い……」
「お? 詳しいなブンヤ、正解だぜ。ま、ご褒美は何も用意してねえが」
氷像を調べていた霧島はこちらに振り返り、あの薄気味悪い笑みを浮かべた。
「中立都市を自称するこの街に潜入し、報告するって任務でね。香水に魔法使って、周囲の目を誤魔化しながら活動してたんだが……妖怪らしき存在に人々が殺されてるってことで、本業の妖怪退治もすることになったってわけ。まあ、お前には香水の効果が無かったみたいだが。たまにいるんだよ、お前みたいな魔力量多い奴が」
そう言って、霧島は懐から取り出したビンを振った。確かに俺以外の生徒も教師も、霧島の言動を鬱陶しいとは思っていなかったようだし、俺自身霧島がいつからクラスにいたのかどうにも思い出せない。魔法使いだ、という奴の言葉は嘘ではないのだろう。
「印象に残ってないってだけで、この女の死体を見て何も感じないってわけじゃねえんだぜ? 知り合いだろうとそうじゃなかろうと、自分の追ってる事件の被害者ってのは変わらねえしな」
そう言って、霧島は大きくため息をつく。
「魔力が放出された痕跡を見つけて、追いかけるまでは良かったんだが……遅かったな。ついさっきまで、通り魔の犯人がここにいたと思うと腹立たしいぜ。なあ、ブンヤ。お前この死体以外に、何か見てねえか?」
「……いや、何も。俺がここに来た時には、もう」
何も見ていない、としか言えなかった。
俺が美咲が立っているのを見た、と言えばこいつはほぼ間違いなく、美咲に何かしようとするだろう。そうなれば昨日怪人に襲われていたこともあるし、更なる面倒事に美咲を巻き込んでしまう。せめてその前に、俺自身が美咲から話を聞く時間が欲しかった。
「お前、こんな時間にこんなとこでなにしてたんだ?」
直球の質問だった。答える義理はないとはいえ、黙りこんで余計な疑心を抱かせるわけにもいかない。
「この辺に枯れた大桜があるって聞いて、まだ花が咲くようなら記事にしようって、新聞部の取材でな……」
美咲の名前を出すわけにはいかないので、とっさに嘘をついた。俺をブンヤ呼ばわりするこいつなら、新聞部だと言えば納得はしてくれるかもしれない、という期待があった。
「……第一発見者の俺は、容疑者なのか?」
「へっ、安心しろよ。お前からは血の匂いがしない。魔法使いを見て逃げるでも襲ってくるでもないしな。人払いはしてあるからしばらくは警察も近寄らないだろうし、今日は何も見なかったことにしてさっさと帰りな」
「いいのか?」
「なんだ、記憶覗いて消して欲しいのか? オススメはしないぜ、どうやっても違和感は残るし、お前のことはそこそこ気に入ってるからな」
脅し……というわけではないだろうが、その気になれば俺の記憶を覗けるという霧島の言葉に、俺は警戒を強めた。気に入っているという言葉も真意が掴めないが、下手に墓穴を掘ってしまう前に立ち去ることに決めた。
「お前のことも、見なかったことにした方がいいのか?」
「一人で腹ん中抱える分には好きにしていいぜ? どうせ、他の奴に話しても『霧島って誰だっけ?』なんてことにしかならないからな」
そう言って、また霧島は笑った。
星のない夜空に桜の花びらが舞った気がしたが、俺がまばたきをすると視界から姿を消していた。
「じゃあ……また学校でな。俺に香水が効かないからって、鬱陶しいからあんまり話しかけるなよ」
「へっ、善処はしといてやるよ」
桜の木の下を後にする。帰って美咲と顔を合わせたとして、俺はなんと声をかければいいのだろう。
いろいろなことが起こりすぎて、混乱した俺は頭を冷やすために城の周りを一周走ってから家に帰った。混乱は収まらなかったが、明日するべきことは走っている間に判断できた。
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