第一章 四月十一日 -2

 放課後、俺が「鷹岡中央高校新聞部」と表札に書かれた部室に入ると、長机の上には今朝の朝刊が何部か乱雑に置かれていた。地方紙も全国紙も、一面の紙面をここ鷹岡市で起きた連続殺人事件の情報に割いているようだった。

 先月の終わりから断続的に街に現れる、鋭利な刃物で切り裂かれた遺体。

 北の外れにある地方都市で、普段は花見と夏祭りの時期ぐらいしか全国ニュースにならないこの街だが、桜も咲く前だというのに、最近は駅前の通りでよくマスコミの姿を見かけるようになっていた。

 無論、妙な緊張感が漂っているのはうちの高校も同様だ。新聞部も生徒に対する注意喚起を目的とした号外の作成を、教師陣から頼まれていた。


「遅いぞ、文也」


 俺の存在に気づいた先輩が、パソコンの画面とのにらめっこを続けたまま話しかけてきた。


「ホームルームが長引いたんですよ。お疲れ様です先輩、号外まだ書き上がってないんですか?」

「や、そっちの方は終わって今印刷機にかけてる。今は個人的に、例の事件についてちょっと、ね」


 椅子から降りた先輩が伸びをすると、ツインテールにされた髪が猫のひげのように揺れた。


「単なる殺人事件なら、国家権力に任せるんだけど。魔法使いの連中にうろちょろされるのも気分が悪いし、こっちでもいろいろ調べておこうと思ってさ」

「魔法使いって……先輩がいるから、あいつらは妖怪が暴れない限りはこの辺には関わらないって契約なんじゃ……」


 先輩は、いわゆる妖怪であり、神様である。鍋山神社に祀られながら、人に擬態しこの高校の新聞部の部長を務め、俺の魔力制御の指導をしてくれている。

 十数年前に起きた、妖怪と魔法使いによる一般人を巻き込んだ抗争……勝利した側が退魔戦争と呼ぶそれで中立だったこともあり、鷹岡市は戦後もそのまま先輩が守護する中立都市となっている……らしい。街から出た経験なんて数えるぐらいで、他所との違いを実感したこともないから、詳しいことは分からないが。

 何度か魔法使いに関する書類を見せてもらったこともあるが、この辺りでトラブルが発生した場合にも、先輩が対処することで魔法使いは干渉しない、ということになっているらしかった。おかげで、俺も認可済みの魔法使いを生で見たことは一度も無かった。


「お前、この事件が人間の仕業だと思うか?」

「妖怪がやってるかもしれない、ってことですか?」

「あるいは非合法の魔法使いが、かな。目撃証言もいくつかあって、容疑者も浮上しているのに、逮捕前にそいつが死体で見つかる……一連の事件はずっと、そんな調子で続いているんだ。ありえそうなのは……人を操って殺させてる、とか」

「そんな回りくどいこと、なんのために?」

「さあね。それが分かってたら、とっくの昔にあたしが討伐してる」


 今日の先輩は、相当機嫌が悪いらしい。語気を強めた先輩の頭頂部には、気がつくと人ではないことを示す獣の耳が生えていた。神社を参拝する老人たちが、耳神様、と呼んでいたのを思い出す。


「どっちにしろ、あたしの縄張りでこれ以上勝手なことさせるわけにはいかないんだ。あたしを疎んでる魔術師同盟の連中が、よほど首をつっこみたいのか状況を説明しろとか煩いし……相手が妖怪ならなおさら、この街にあたしがいることを分かってて暴れまわったことを後悔させてやらなきゃならない」

「……殺気立つのは構いませんけど、ちゃんと学内では耳隠しといてくださいね」

「む……」


 猫耳に気づいた先輩は、目を閉じてこめかみに指を添えた。すぐに先輩の耳は人間のそれ一対だけに戻り、見た目は普通の高校生同然の姿になる。


「修行中に魔力が膨れ上がって耳生えてくるのはいいんですけど、そんな簡単に感情の起伏で生えちゃって大丈夫なもんなんですか?」

「外に出る時は、ちゃんと感情も制御してるから余計な心配しなくていいよ。もしうっかり耳が出てきたとしても、よっぽど印象に残ってなけりゃ、いざというときは記憶の操作で誤魔化せるからね。そもそもかれこれ数十年、あたしはここの三年生続けてるわけだし」


 今何歳なんですか、などと聞いてはいけない。一年前に似たような話の流れでうっかり先輩の年齢を聞いた時、俺はこの世の地獄を見た。


「とりあえず、しばらくは野良たちを使った情報網を強化したり、知り合いの妖怪に詳しい奴にちょっと調べてもらったりして、正体を突き止め次第全力で叩き潰すつもりだ」

「妖怪に詳しい奴、って……妖怪の先輩よりもですか?」

「あたしはそもそも、本来耳の生えてない奴は専門外なんだよ。神格を得てからは下手に街を出れないから、新興種族もネットの噂ぐらいでしか知らないしな」

「そういうもんですか……万能ってわけじゃないんですね、神様も」


 妖怪にもいろいろと専門があるらしい。俺が詳しく聞いても、そもそもの知識が少なすぎて、おそらくはほとんど理解できない内容だろうが。


「どんな奴だろうと負けることはないだろうけど、相手によっては戦力としてお前の手も借りるかもしれないから、しっかりと疲れはとっておけよ?」


 返事をしようとしたところで、不意に眠気に襲われた。さすがに失礼なので、あくびを無理やり噛み殺す。その動作で、結局先輩には気づかれてしまったが。


「……すみません」

「お前があくびなんて、珍しいじゃないか。徹夜でもしたのか?」

「いや、ちょっと悩み事で、授業中寝てなくて」


 訝しげな視線が痛い。


「悩み事、ねえ……ずっと単細胞のチビっこだと思ってたけど、お前ももう思春期なんだなあ……人間の成長はやっぱり早いな」

「……先輩、ババくさいですよ」

「うるさいよ、祟るぞ」

「弟子を祟ってどうすんですか」


 先輩と出会った頃の俺は、ちっぽけで何もできない無力なガキだった。四年間で、少しは成長できただろうか? 身長だけは、先輩を抜いてからしばらく経つが。


「それにどうも最近、夜寝ても疲れが取れなくて」

「まだ若いのに何言ってんだか……『夜の』お前が疲労を回復できないなんてあり得るわけないだろ、甘えるな」

「ですよね……俺自身、前はどれだけ疲れても、一晩眠ればなんとかなってた自覚はありますし」


 そのせいで割と無茶な修行をやらされたような気はしないでもないが、そのおかげか短期間でそれなりに、魔力を制御できるようにはなってきた。睡眠時間も節約できるので俺自身重宝していたのだが、美咲の体の異常に前後してのここ数日の調子の悪さは面倒だった。それ以外はいたって健康なので、病気というわけでもないとは思うのだが。


「……本当に疲労が残ってるのか? お前が?」

「こんなこと、嘘ついてどうすんですか」


 困惑した表情を浮かべた先輩は、爪を噛んで考えこむ。


「お前に施した魔術式が、お前の成長に過剰反応してるのかもな……あとで確認しておくよ」


 まあ、俺自身のことはせいぜいちょっと面倒臭い、ぐらいの話なので、割とどうでもいいのだ。今の俺にとってより重要なのは、不眠の原因である悩み事の……妹の問題の方だった。


「ところで、ものは相談なんですが」

「金なら貸さんぞ。梓の店でバイトでもするんだな」


 まだ何も言ってないし、別に金には困っていない。

 そもそも母さんの手伝いで、お金なんかもらうわけにもいかないだろう。何を言ってるんだこの人は。


「通り魔とは関係ないことで、先輩に聞いておきたいんですけど……人の体温を奪う妖怪とか、心当たりありません? 命は奪わない状態で」

「……何の話だ? お前の悩み事ってそれか?」

「いや……妹がどうも体温が異様に低いというか、そんな感じになってて。対処法を知ってるなら、先輩に妹のことお願いしたいんですが」


 翔一は鍋山神社にでもお参りに行けと言っていたが、どうせあの神社で悩みを言うのもこの場で耳神様である先輩に質問するのも、大して違いは無かった。


「お前の妹っていうと……えーと、なんて名前だったか」

「あれ、面識ありませんでしたっけ? 長峰美咲十五歳、鷹岡中央高校一年二組。身長は去年の時点で百五十四センチ、スリーサイズは確か上から……」

「いや、そういう情報はいらないよ。なんで妹のスリーサイズ知ってるんだ気持ち悪いなお前」

「なんでって……洗濯当番やるときにたまにこう、目に入るんですよ」


 露骨に嫌そうな顔をされたが、こんなことで嘘をついても仕方ない。俺は家族に対しては誠実でいたいのだ。


「まさかお前、梓のスリーサイズも知ってるんじゃないだろうな?」

「え? 知らないと母の日に下着とか贈れないじゃないですか」

「……もういい。今はその美咲って娘の話だ」


 何か気に障ることを言ったのだろうか。先輩が美咲のことについて考え始めてくれたようだったので、俺も深くは聞かなかった。


「体温は奪うが命は奪わない、ねえ……あたしの記憶にはちょっといないな、そういう意味の分からんことをする奴は。全体から少しずつ生命力を奪うにしたって、普通はバレないように体温奪うなんてことはしないはずだし……」

「そんな……じゃあ、魔法使いとか」

「非合法にしろ認可済みにしろ、魔法使いがわざわざそんな魔法を使うなら、もっと広範囲に術を発動させるはずだ。特定の条件を満たす人のみに反応するにしたって、お前の妹以外にも様子のおかしい人間が出てこないってのはな……あり得るのは非合法の魔法使いが嫌がらせのために妹個人だけを狙ったって辺りだが、文也、お前の妹って」

「美咲は人から恨みを買うようなことをするような奴じゃありません!」

「ま、お前ならそう言うよな……となると……」


 天井を見上げしばらく考え込んでいた先輩は、やがて何かを思い出したようにこちらに視線を戻した。


「あー。オカルト研究会の部室って分かるか?」


 曖昧に頷く。確か、部室棟一階の南端……三階の北端に位置するここから、一番遠い部屋だったはずだ。以前変な音楽が部室から聴こえるとかで、隣の将棋部から苦情が出ていたような気がする。


「ちょうど、取りに行かなきゃならない書類があったんだ。そのついでに、あそこの会長に聞いてみるといい。あいつはそういう知識の量だけで言えば、あたしよりも上だからな」

「はあ……オカルトですか」


 正直言って、あまり気乗りはしない。先輩の口添えとはいえ、大事な妹の問題をオカルトに頼るのは気が引けた。近所の神社にお参りして助けを求めても、結局対処するのはこの街の守護者である先輩なのだから、先輩に原因が分からないならどうしようもない。


「オカルトと表現すると胡散臭いかもしれないが、信用できる人間だぞ? さっき言った妖怪に詳しい奴だ、あたしの正体も知ってるしな」

「正体、って……見られたら記憶、誤魔化してるって言ってませんでした?」

「あいつは例外なんだよ。あたしもうまく表現できないんだが……まあ、マタタビみたいな存在だとでも思っておいてくれ」


 残念ながら俺はネコ科ではないので、その表現は理解しづらかった。そばにいると先輩が酩酊するような存在……という解釈でいいのだろうか。


「今日は、魔力制御の修行は休みにしておくよ。その分明日はしっかりやるから、あいつから原稿受け取ったらさっさと帰って、体力回復させておくこと」


 回復しようとしてできるものでもないから、困っているのだが。先輩は気が散るからと、有無を言わせず俺を部室から追い出した。

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