第一章 四月十一日 -1
妹が、冷たくなった。
昼休み、弁当をつつきながら俺がそう言うと、向かいの席に腰掛けた翔一は呆れたように俺の顔を見て、ため息を漏らした。
「……なんだよ」
「いや。文也のことだから、妹さんか親御さんの話だろうとは思ってたけどさ」
カレーパンをつまみながら、翔一は苦笑する。
「深刻そうな顔してるから、まさか例の通り魔に襲われでもしたのかと思ったら……冷たくなったって、ねえ?」
「十分深刻だろうが。俺の大事な家族の問題なんだから」
「まあ、文也の家族に対する溺愛ぶりは今に始まったことじゃないけどさ。普通、妹の写真待ち受けになんかしないでしょ。それもプリクラとかならともかく、入学式に校門で撮った写真って」
「何を待ち受けにしようが俺の自由だろ。誰に見せるわけでもないんだし、俺が今一番かわいいと思ってるものの写真なんだから」
美咲は、先週この高校に入学したばかりの大切な妹だ。問題を抱えているなら、なんとかして解決するのが兄である俺の役目なのは当然だった。
「妹さんも今月から女子高生なんだし、シスコンのお兄ちゃんとはちょっと距離を置きたくなる年頃なんじゃない? よくあるじゃん、お父さんの下着とは一緒に洗濯しないでー、みたいなの」
「……いや、そうじゃなくて」
どうにも話が噛み合わないと思っていたが、そもそもの話の前提が食い違っているらしかった。
確かに、美咲の俺への態度は俺が理想としているものと比べて少し冷たいところがある。が、そこがまたかわいい部分でもあるし、ちゃんと反抗期を迎えているということでもあるので、大した問題ではないのだ。俺が悩んでいるのは……
「なんだブンヤ、お前妹なんていたのか?」
鼻をつく香水の鬱陶しい臭いが、俺の思考を中断させた。顔を見るまでもない、弁当を頬張りながら答える。
「お前には関係ない。絶対に紹介しないからさっさとどっか行け」
俺の言葉が聞こえていないのか、霧島は椅子を持ってきて腰掛けると、気味の悪い笑みを浮かべて俺の机に肘をついた。狭い机の上が更に圧迫される。
「なんだよ、つれねーなあ。俺とブンヤの仲だろ」
「俺をブンヤ呼ばわりするような仲の友人はこの世にいない」
「特別ってことじゃん?」
「しばくぞ」
俺は新聞部だが新聞屋ではないし、俺の名前はフミヤであってブンヤではない。
「俺をおちょくるのは勝手にやってろ。けどな、美咲のことで何か言ったりあいつに近づいたりしたら、容赦なく張り倒すから、覚悟しておけよ」
「なんだ、俺に取られるかもって不安なのか? 安心しろブンヤ、俺は年上の眼鏡が似合う女性にしか興味がない」
そうか。俺はお前の女の趣味には一切興味がない。
「お前みたいな馬の骨には、どうせ美咲の魅力は分からねえよ。将来伊達眼鏡かけた美咲を見て、慌てて紹介しろって言ってきても絶対門前払いしてやるからな」
「……お前、妹のことになると面倒くせえんだな」
「ほっとけ」
霧島にまでうんざりしたような顔でそう言われるのは、正直なところ心外だった。
「今度からお前のことは、ブンヤではなく妖怪シスコン野郎と呼んでやろう。なんかお前、妹のためなら一人で退魔戦争クラスの暴動起こしそうだし」
「起こさねえよ。そもそもうちの妹が世界を敵に回すわけねえだろ」
「ちなみに、その妹が突然彼氏とか連れてきたら?」
「……とりあえず男をぶん殴る。言い訳はそれから聞く」
「うわあ」
霧島も、翔一もかわいそうな人を見る目で俺を見つめてきた。
「……なんだよ」
「やばいな妖怪シスコン野郎、お前妹の話になると反応が引くレベルで、からかうのちょっと躊躇うわ……だから彼女できないんだな、お前」
「もうブンヤでいいから黙っててくれ頼む」
口を開き疲れたのか、霧島はかぶかぶと水を飲み始めた。どうかそのまま俺に関わらないでくれ。
「霧島くん、今日の文也は割と本気で悩んでるみたいだから、そっとしといた方がいいかも」
「助言感謝するよ、工藤。そのカレーパン、一口もらっていいか? ついでに英語のテキスト写させてくれ」
「いいけど……あさみちゃんに怒られても知らないからね?」
一挙一動が鬱陶しい霧島のことも、街を賑わせている連続殺人事件のことも、次の授業の小テストのことも、今の俺には些細な問題だった。
「どうしても心配なら、鍋山神社に参拝でもしに行ったら? あそこの耳神様って、確か縁結びの神様でしょ。妹さんと仲直りできますように、ってさ」
「あー……まあ、考えとくよ。悪いな、翔一」
「いいよ別に。このぐらいで引いてたら文也の友達なんて務まらないって」
心からの助言に俺は礼を言ったが、それがあまり意味のない行為であることも俺は知っていた。
相談しようとした俺がバカだったのだろうか。よくよく考えればちゃんと説明しても冗談だと思われそうな話ではあるし、俺自身、冗談であればいいと思っている。
今俺が抱えている、重要かつ深刻な問題。
数日前、不意に触れた妹の腕が……美咲の体温が、異常なほど冷たくなっていたのだ。
最初は気のせいかとも思った。それから毎日何かと理由をつけて美咲の体に触れたが、俺の勘違いなどではないことを実感させられるだけだった。
鬱陶しがる美咲をよそに、俺の不安は強くなっていくだけだった。
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