第11話


 +


 十一日目の朝になって、青ポンチョ野郎がこちらへ近づいてきているのに気がついた。

 飛龍の咆哮や、火線による爆発もますます大きくなっている。ウメガと飛龍は“火の山”の空の上で夜通し喧嘩を続けていたのだが、次の日になっても仲直りはできていなかった。何を考えているのかは知らないが飛龍との喧嘩に巻き込まれるだなんてたまったものではない。


 変態ライコウどもが消えたと思ったら、今度は青ポンチョウメガか。一体どうなってやがる。


「……あの。結局グラノールがライコウに渡した小瓶ってなんだったんだのです?」


 グレシアが訊ねた。


「あれは、私の唾液だえきを加工したものだケロ」


 グラノールはあっさりとネタバラシした。


「そ、それっ、間接キスじゃんっ」


 俺はちょっと赤くなったが、グラノールもグラノールもなんてことないような顔をしている。まあ、二人とも魔女だし、実験の道具として自分の唾液その他色々な体液を使うなんてことはよくある話だけども。


「おや。思ったのですが、カジュはウィッチクラフト系の魔術に詳しく無いのです?」

「カジュは格闘の成績以外は全部ダメダメケロ。脳筋ケロ」

「あ。やっぱり。思った通りなのです」

「……っぐ」


 迂闊に喋ればもっと墓穴を掘りそうだ。


「私の唾液は色々呼び名はあるけれど、言うなれば『無気力剤』。他のことに対する興味をなくして、ただ情欲にふけらせる思考停止の劇薬げきやく。……不本意ながら、これは私の持ちうる最強の手札カードだケロ」


 遠い目をしたグラノールはぼんやりと空を見上げる。何を考えてんのやら。


「やっぱり、媚薬でたらしこませるってことなのです?」

「そう。手際良く・・・・いけば、媚薬の効果が切れるまでに奴隷から家政婦くらいには昇格できるはずだケロ。その代わり、私たちに対する攻撃を取りやめるよう進言する。成功報酬として、次の媚薬を渡す」


 なるほどなぁ。俗に言う、オンナノブキと言うものだな。恐ろしいものだ。


「でもよ。それだとクラスメイトになる可能性があるよな」


 それはちょっと気が滅入るな。

 空を見上げていたグラノールは、今度は逆に頭を抱えていた。


「あ~~~。やばいっ! それは考えてなかったケロ」


 俺は肩をすくめた。


「やれやれ。お前はツメが甘いな」


 グレシアも肩をすくめた。


「それは二人共でしょう。だからリスタートなんてしてるんですよ。今も」


 俺はちょっとムッとなった。


「そういうグレシアはどうなんだ。学校に行ってからのことも計画しているのか」

「そりゃモチのロンですよ。幻想世界の多世界構造モデルを学べるのはあそこだけなのですからね」


 世界は実は球体だったとかいう話ぐらいなら俺でも知ってる。でも、グレシアの言っているのはそういうことじゃ無いんだろう。頭がよければ、それだけ興味の持てることが広がるのだ。お師匠様が言っていた話である。でも、俺にとって勉強はつまんないし、どうでもいい。


「グラノールも知りたいこととかあるのか?」

「んんー。カジュと同じでいいケロ」


 またそれか。


「お前はなぁ……。やっとここまで来れたんだぜ。なんかやりたいことの一つくらい見つかったろ」


 グラノールはちょっとめんどくさそうな顔をした。この手の話を振ると決まってこういう顔をされる。


「意識高いカジュにはきっと一生わからないケロよ。逆立ちができるようになったからと言って、将来の夢が見つかるわけじゃ無いのだケロ」

「別に将来の夢だなんて大層なことを言ってるわけじゃ無いだろ。なんでもいいんだよ。ちょっと面白そうだなって思うこととか」

「………」


 でも、いつもよりは真剣に考えてくれているようだ。

 おかしな話だ。作戦とかだと、三秒で思いつくのにな。


「……野心もないのにここまで来れるもんなんですねぇ。この試験って致死率50%以上ですよ。死ぬかもしれなかったのに」


 グレシアがしみじみと言う。


「危険なのは重々承知ケロ。自分でも不思議なんだ……。いつも……。本当に……。……なんで私は、こんなところにいるんだろうってね」


 グラノールはぼんやりと空を見上げ、そして空を舞う飛龍と青ポンチョに気がついた。


「うわぁ……。かなり近づいてきてるケロ……」

「なるようにしかならんだろ。腹くくろうぜ」

「……あの。ちょっといいですか。ウメガという人は、本当に仲間なのですか? 先ほどから言い方がおかしくないですか?」

「今にわかる」


 +


 爆発。雄叫び。火のブレスがゴーレムの進行方向の地面に直撃して、あたり一帯が山火事になった。

 ワイバーンの羽ばたきを恐れて魔物達は逃げ出してゆく。

 炎に包まれた木々の中を進んでいると、空中を飛び回る青ポンチョと目が合った。


「おや?」


 俺たちに気がついたウメガは、興味津々な顔をしてゴーレムの追尾を始めた。

 当然ながら、その後ろからは飛龍が追いかけてきている。


「うぇぇ⁉︎ ちょ、マジですかッ! 飛龍もこっちきてるし!」

「グレシア。全速力で離脱しろ。俺が奴を撃ち落とす」


 奴とはもちろん青ポンチョのことだ。

 俺は血の槍をウメガに向けて伸ばしたが、ウメガはひょいと旋回して攻撃をかわし、俺が血の棘を拡散させるよりも速くゴーレムに近づいてきた。何度血を伸ばしても攻撃が当たらない。完全に見切られているのだ。

 出し惜しみなんてしてる場合じゃない。全力で行こう。

 俺はではなく、自分の右足を突き出して、


「“刃脚ロア・”……」


 その足首をウメガに抑え込まれた。

 浮遊するウメガがとうとうゴーレムのテーブルの上までたどり着いてしまっていたのだ。


「いやっはっはっは! やーやー困ったなぁ。大好きな後輩に本気で攻撃されるなんてお兄さん、夢にも思わなかったよー」


 ウメガが柔和に笑いながら言った。

 飛龍が火線を吐いてゴーレムの走った直後の地面を焦がしてゆく。

 血の気が引いた。あと少し遅かったら竜の炎に焼かれて即死だったのだ。


「テメェ、状況は分かってんだろ! むこう行けよ!」

「大丈夫。大丈夫だよー」


 ウメガはヘラヘラ笑いながらパチンと指を鳴らすと、飛龍は急に俺たちを追いかけるのをやめて、まったく別の方向へと飛び去っていった。


「馬鹿な……」


 あれだけ強力な魔物を退けただと。


風で作った偽物デコイの人形だね。まあ当然、飛龍の対策として知っておくべき魔法の一つさ」


 笑いながらウメガはポンチョの内側に手をやって、一つの酒瓶を取り出した。

 金色のメッキが貼られた酒瓶を見て、今度はグラノールが戦慄した。


「“飛火龍の宝酒”……。こ、こいつ、試験中に竜の財宝泥棒してやがったケロッ!」


 ウメガは酒の栓を開けて一口飲むと、ゴーレムテーブルにどかりとあぐらをかいて座った。いや、重力に縛られていないので、座ったように見えただけなのだが。


「二人とも、久しぶりだね。感動の再会で涙が出そうだよ。そして初めまして美しいお嬢さん。結婚してほしいな。僕はしがない魔法使いのウメガさ。これから末長すえながくよろしくね」

「え、あの、今は操縦中なのでその、婚約とかそういうのはちょっと……」


 ウメガの冗談に、グレシアが狼狽うろたえている。……冗談だよな?


「さて。お兄さんが可愛い後輩たちの進捗しんちょくをチェックしておこうかな。どんな感じだい?」

「か、かんばしくないケロ」


 グラノールが正直に答えた。

 ちなみにグラノールはウメガが大の苦手である。俺も苦手だ。こいつは柔和な笑顔をしているが、それは外見だけで、本当は蛇のように嫌な性格をしている。話していると手玉に取られているような感じがするのだ。


「みたいだね。いやはや僕も同じでかんばしくないなぁ。どうしても最終関門を抜けられないのさ」

「本当かよ」

「もちろん嘘さっ! 楽勝だよ! あっはっはっはっは、引っかかってやんのー!」


 ウメガはケラケラと笑う。

 ……ぶん殴りてぇ。


「でもおかしいな。君たちの性能なら一日でクリアできるものだと思ったのだけど、僕の見込み違いだったのかな?」

「一日でクリアできるはずだったんだ。実際に崖を登ったところまではたどり着いた。けど、邪魔が入った」

「テスラキングさんでしょう?」

「ああ、そうだ」


 そんな名前の理科教諭が俺たちの邪魔をして、俺とグラノールは呪いを受けたのだ。


「……いや、待て。おかしいぞ。なぜその話をお前が知っている」

「あれ。彼女が君たちを妨害したはずなんだけど。もしかして違うのかい?」

「なぜそれをお前が知っているのかと聞いているんだ」

「知ってるも何も、」


 ウメガは言葉を切って黙り込んだ。柔和な笑顔が性質をなりを潜めて、性格の悪そうな顔になる。魂をいじられる前のこいつ本来の表情だ。


「……まー。知らなかったなら仕方がない。情報戦だもんねー。可愛い可愛い後輩のためにお兄さんが教えとこうかな。第七魔法学園の最終関門について」


 グレシアがゴーレムを急停止させ、ウメガの方に振り返る。

 真剣に耳を傾けてくる俺たちがおかしかったのか、ウメガは満足そうに笑うと、試験の内容について語り始めた。


 +


「四つの試練をクリアしてたどり着いた受験生は、校門の前で一人の教師と対峙することになる。教師の力量はマチマチさ。受験者の実力や性質に見合った教師が立ちはだかるだろう。受験生が弱ければ弱いほど、ここの試験は簡単になるね。まあ一般的な実力を持った生徒なら、帝王学教師のカマクラさんというメガネの教師が相手になるんだけど」


 しんと静まり返った森の中でウメガが説明を始めた。

 こいつの手を借りるのは非常にしゃくだが、聞いておいて損はない情報だ。


「俺たちの場合は、テスラキングとかいう理科教諭なんだな」

「そうだね。僕もまた別の強力な教師が相手になる。教師は受験生のとある意思・・に応じて、弱体化を受ける仕掛けが施されている。でも、その意思・・がない場合は大変なんだ。

 この仕掛けゆえに、本来はとても簡単な試験なのだけども、僕らチートにとっては途方も無い難関になる。……君達も自覚しているとは思うけど、僕たちはズルしてこの試験を突破してるじゃん。魂を改造して、魔法戦闘用に特化しているよね?」


 俺とグラノールは頷いた。

 放置するしかなかった死にかけのグレシアを治療したり、本来なら屈服くっぷくするしかないはずの多数のライバル相手に喧嘩をふっかけたり、本来なら逃げ回らなければならないはずの魔物相手に戦闘をしたり。


「実のところ、リョクアの里の“教育”の目標とは、あやふやであいまいなものだ。僕たちはそんな里で作られた観賞用の陶芸品みたいなもの過ぎない。考えてもみなよ。本気で戦闘する機会の全くないあの平和な里の中で、君達の存在が役に立っていたかい? そんなことはなかったろう。

 彼らはね、とりあえず芸術品を作ってみて、こんな試験に放り込んで、その成果を試しているんだ。この場所こそ君たちの晴れ舞台ってわけ」


「そんな、ことは……」


 俺は否定する言葉を口に出しかけて、やめる。

 俺の力が俺自身の努力だけで獲得したものかと言うと、そうではない。

 運良く里の貴族たちの目にとまって、力をもらったのだ。


「かくして本来は生き延びる能力を見定めるはずの試験の中に、イレギュラーが生じることになった。これではいけないね。だから学校側は特別に最終試験をもうけて、受験者の本質を見定めることにしたのさ。学校に行きたくもないようなチート受験生を入学させても、害になるだけだからね。……あれ? どうしたのグラノール? 顔色が悪いね?」


 急に話を振られたグラノールが硬直した。


「ちなみにね。最終試験の難易度は僕の場合、最難関になるって言われたよ。アハハ。つまり、これがどういうことなのか、頭のいい君ならもう分かったかな、グラノール?」


「あ、ぅ」


 グラノールが言いよどむ。

 分からん。なんでウメガがグラノールを追い詰めているような感じになっているんだ。


「そう。答えはやる気・・・さ。入学したいって気持ちさえあればいい。ただそれだけのことなんだ」


 ……待てよ。


「やる気さえあれば、簡単になるってか? そんな馬鹿げた話があるもんか」

「ああ。でもこれが事実だ。力も知力も武器も能力も、最後にはまったく関係がない」


 俺の言葉をぴしゃりとはねのけて、ウメガはじっとグラノールの顔を覗き込む。


「だからさ、僕と一緒におうちに帰ろう? 別にどうだっていんでしょう? やる気のない君が一緒についていくだけで、カジュにも、この青い髪の子にとっても迷惑になるんだよ。大丈夫、お師匠様には僕から言っておくからさ」


 子供をあやすようにウメガは言う。


「ちょっと待ってください。行きたいって考えるなのですよね。そんなの、簡単すぎじゃありませんか」


 グレシアが口を挟んだ。


「俺もそう思う。余裕だろ。なんで既に諦めたようなことを言うんだよ」


 どんな難関なのだろうかと思いきや、肩透かたすかしもいいとこだ。

 今まで血みどろの戦いをしてきたものだから、もっとキツイ試練だとばかり思っていたのに。


「驚いたね、グラノール。彼らにとってはどうもそういうことらしい」


 ウメガはただグラノールの答えを待っている。


「……い、行きたくなったケロ」


 絞り出すような声で、グラノールは答えた。


「嘘だね。君は僕の同類だ。何事にも価値を見出せないたぐいの人間だ」

「本当ケロ。私も、学校に、行きたい。カジュの話を聞いてたら、行きたくなったの……。本当に、本当なんだケロ」


 あの冷静沈着なグラノールが、なぜか追い詰められた兎のような顔をしている。

 なにか声をかけてやりたいと思った。

 つらそうだってことは分かる。

 分かるのだけど……俺には何をそんなに怖がっているのか、グラノールの気持ちがさっぱりわからない。

 ただ願う、それだけでいいはずなのに。簡単じゃないか。


「ふーん。あ、そう。じゃあ頑張ってね」


 ウメガは俺たちに対する興味をなくしたらしく、唐突にふわりと浮かびあがる。


「お、おいテメェ。突然あらわれて勝手なことぬかしやがって! なんでこいつを追いつめるようなことを言うんだよ! お前だって入学するつもりなんだろッ!」


 俺はウメガを呼び止めた。


「んー? いて言うならほら、可愛い後輩が自滅していくのが見るに耐えないからさ。僕だって君たちのことを思って別行動を……。……って。まあいっか、言い訳みたいだしね。それに僕は、別に入学したいとは思ってないよ?」

「はあ? じゃあ、なんでここにいるんだよ」

「簡単。気にくわないからだよ」


 ウメガは言う。


「……最終関門ってさ。そもそも受験者が教師に勝てないことが前提条件としてあるんだよね。僕が最難関の教師に勝てないって思われてるんだよ。ちょっとムカつくんだよね。そういうの」


 飛龍の咆哮が火の山に轟く。

 見上げれば、先ほどの飛龍が上空で旋回していた。本物のウメガを見つけたのだ。


「でもまあ、今のところ僕の手持ちの魔法だけじゃあ彼女と真正面から殺しあっても勝てそうにない。だから、ちょっと助っ人を使うことにしたのさ」


 ウメガはどんどん高度をあげて、ついには飛龍の前におどり出た。


「さあ。ついてこい、“火の山”のあるじッ!」


 ウメガは心底楽しそうに笑って、飛龍を挑発する。怒る飛龍は火を吹いて、逃げ去るウメガを追いかけ始めた。

 ウメガはさらに高度を増して、“大障壁”へと消えてゆく。

 奴の作戦の内容を理解した俺は、腰を抜かしそうになった。

 あいつはただ単に最強の生物としての飛龍を誘導していただけなのだ。自分の代わりに教師とぶつけて、戦わせるために。


「なんて、めちゃくちゃな奴だ」


 やってること見ていることのスケールが、最初から俺たちとは違いすぎる。


「だから、嫌いなんだよ」


 グラノールは吐き捨てるように呟くと、それから元通りの気怠そうな表情になって、言った。


「……二人とも聞いてほしいケロ。私が魔法で崖の上へと送り出すから、そこから先はどうにかやっていくケロ」

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