第8話


 + 


 周囲の敵戦を蹴散らして、やっとの事でグレシアのゴーレム舟に乗船した。


「攻撃したら撃つッ!」


 俺は立ち上がり、大声で叫びながら剣を構えた。

 こけおどしだ。

 砲撃“斬撃幻想ロア・ストライク”の連続使用で、脳がオーバヒートしている。そのくせ血を失いすぎて身体中が凍えそうだ。目覚めてからろくなメシも食わずに移動を続けていたのだし、無理が祟ったのだろう。


 脅しの効果は薄く、魔法使い共からの攻撃はやまなかった。

 火球、火の槍、火の矢。たまに雷の球。

 火が相手で、しかもこの物量となると、グラノールが作る樹の盾もあまり効果がない。なんとかしのぎ切って包囲網を抜けた時には、俺もグラノールも満身創痍だった。


 だが、ゴーレムと操舵手グレシアだけはなんとか守り抜いた。

 舟が向こう岸にたどり着いた時にはとっくに夜になっていたらしい。

 俺とグラノールは気絶していた。




 + /回想:被験体168号は脱走しました


 浅い眠りの中で夢を見た。

 反吐が出るほど最悪な夢だ。

 そいつは真っ白な部屋の中で、真っ白な台座に乗せられていた。

 ベルトで縛り付けられているからそいつは身動きが一切できない。

 無感情に天井を眺めているしかないそいつを、人間たちは無感動に取り囲んでいた。


 人間たちの手にはメスやらドリルやら得体の知れない器具があって、あーでもないこーでもないと議論を重ねては、そいつの体を興味深そうに眺めていた。


 そいつは死なない体を持っていたらしい。

 人間たちはその不死性の理由や体のどの部位を起点として再生が始まるのかを調べていたようだ。

 奴らにとっては高尚な実験のつもりだったみたいが、言葉も知らないそいつには理解できないことばかりだった。


 そいつが抱く感情は“痛い”か“痛くない”の二つ。ただそれだけ。

 憎むことすら知らなかったから、恨むことも怒ることもできない。

 涙は生理的な反射に過ぎなかった。

 人間たちは入れ替わり立ち替わり似たような実験を延々と繰り返して、苦痛は何年も続いた。


 そんな、ある日のことだ。

 気が狂いそうになるほどの激痛の中で、そいつは天使に出会ったらしい。


 天使は優しい存在だった。

 天使はそいつの今を憐れみ、真っ白な部屋の外の素晴らしさや、魔法という神秘の深さを教えた。

 そいつは天使を深く愛し、崇拝するようになった。

 天使なんてまあ間違いなくそいつの妄想に違いない。

 話だって矛盾している。

 だってその時のそいつは言葉さえ知らなかったのだから。

 だけど、そいつにとって天使は妄想ではなかった。希望そのものだったのだ。

 そいつは天使の言葉に誘われて、なんとか白い部屋を抜け出して、外に出た。


「━━その時に見上げた星空ときたら━━」


 言葉も知らないそいつが感じ取る、初めての自由。

 初めての空気。初めての外。初めての夜。

 満天に散りばめられた夜空の星々が瞬いて、冒険の始まりを告げた。

 言葉にできない情動が、燃え盛る炎のようにそいつの胸を焦がしてゆき……。

 そして決意したのだ。

 どんなになってでもこの世界で生きてやろうと。


 +


 目を開けると、グレシアの顔があった。

 俺はどこかの砂浜に仰向けに寝かされていたようだ。

 その体の上にグレシアがちょこんと乗っかっていたのだが……何をしてるんだ?


「……ッ! き、聞いてました? 今の?」


 ちょっと驚いているようだ。どうしたのだろう。


「なんの話だ? それよか、なんで俺の上に乗っているんだよ」

「しゅ、修復作業ですよ。おおむね完了。けっこう回復してると思うのですよ?」


 グレシアが俺の体に乗っかるのをやめて、グラノールの顔色を見にいった。


「グレシアは回復魔法も使えるのか」

「まあ、そうですね。時間も手間もかかりますし、緊急時の応急処置程度ですが」


 上体を起こして、周囲に目をやる。

 俺の隣にはグラノールが寝かされていた。側には焚き火があって、まだ火が灯っている。砂浜に寝てるってことは、対岸についたってことだよな。


 腕時計型の端末を見ると、時刻は十日目の朝の四時だった。

 やべえぞ。日の入り前にはついている計算だったのに、大幅なタイムロスだ。


「……つうか、待てよグレシア。お前は一睡もせずに俺たちの介抱をしてたってことになるよな」

「仮眠はとりました。本当の私は、それで大丈夫なのです」

「そんなわけないだろ」

「いいや。特殊じゃない魔法使いなんてそもそもこの試験には参加していない。みんな、どこかに強みを持っているチートなのです。私だって負けてない。特殊なのです」


 グレシアが胸を張って答える。確かに眠そうな気配はなかった。確かにグレシアの言う通り、以前よりも顔色は回復しているように見える。


「私の体の修復は、完了したのです。まあ、グラノールが植物で置換してくれたそうですが、いらなかったみたいですね」


 グレシアは散らばった植物の残骸を名残惜しそうに見やる。

 話が読めず、俺が首を傾げているとグレシアが説明してくれた。


「……告白しますと、私はゴーレムみたいなものなのです」


 無限残機。リザレクション。あるいは天使の加護。グレシアは自分の体質についてそのように語った。

 誰かがグレシアにかけた“このままであれ”という強力な呪いが、グレシアを永遠に生かし続けているのだという。だから自分の臓器を売って生活することも気軽にできるし、苗床にされた時は本当に窮地だったそうだ。放っておけば永遠にそのままだったのだから。水を怖がっているのも、なんとなく察することができた。一度でも溺れてしまえば、ずっと窒息し続けることになるのだ。


「じゃあ、俺を治したってのも」

「はい。私の肉を融解して、傷口に貼り付けました。今、カジュの体に流れている血は、私のものが含まれています。ゴーレムの血には血液型なんて関係ありませんからね」


 なんつーグロテスクで強引な手術なんだ。


「……お、おう、そうだったのか。ちょっとびっくりしたけど、ありがとな。本当に助かった」

「いえいえ。グレシアは万能合成肉です。どのように使ってくれても結構。ちなみに食べても美味しいですよ?」

「や、やめてくれよマジで」


 そんな恐ろしいことをウインクしながら言わないでくれ。


「冗談なのです。でも本気です」


 どっちだ。


「……さて。あとはグラノールの回復を待つのみですね」

「あ、ああ。そうだな……」


 叩き起こすのも悪いし、かと言ってこのままというわけにもいかない。

 どうしようか悩みながらグラノールの寝顔を見ていると、グラノールの両まぶたがパチっと開いた。


「くぁー。よく寝たケロ。ん? ここはどこケロか?」


 グラノールが大きなあくびをして起き上がる。


「テメェ……そろそろ白々しいぞ」


 絶対たぬき寝入りしてたに違いない。前回も、もしかすると前々回も。


「いやいや。ちゃんとマカロンを食べる夢を見てたケロ」

「お前どんだけマカロンが好きなんだ」

「マカロンってなんなのですか?」


 グレシアが首をかしげる。


「俺も食ったことはないが脳がとろけるほど美味しいお菓子らしい」

「なんだ麻薬でしたか」

「それは違うと思うが」

「お菓子の王様ケロ。とっても甘くてふんわりしてて……ふ、ふふふふふ」


 グラノールは口からたれおちるよだれを拭った。


「……もうやめようぜ。腹が減るだろうが」


 間食ってのはやることやってから食べるものだ。


「そんなことより作戦会議だ。こっからは火の山。普通は四日かかるらしいが……」

「二日で行きましょう」


 グレシアが言った。


「できるのか?」

「その先には最難関の崖がありますからね。やるしかありません」


 それからはゴーレムの構造や道筋について話し合った。ゴーレムは石なので熱が直に伝わってくる。足元には木を用いなければならないこと。“暗い森”とは比較にならないほどの数の魔物たちが生息していること。そしてその次にそびえる“大障壁”。


「そんなに急がなくとも、ぶっちゃけ崖は私の魔法でなんとかなるケロ」


 グラノールがなんでもないことのように言うので、グレシアが怪訝な視線を送った。


「……これだからチート共は。ちなみにどうやるのですか」

「崖に沿って植物を成長させ、這わせてゆく。私のとっておき“宝樹魔法”シリーズだケロ。具体的に言うと巨大な樹を作り、そいつに周囲の大源マナを吸い取らせ、成長させてゆく。私はこの魔法を開発したからこそ、リョクアの里で一人前の称号を貰っているのだケロ」


 ぐうたら姫グラノールを誕生させる原因になった魔法でもある。


「“大障壁”を登り切るなんて、トンデモ魔法じゃないですか。普通は気球を作ったり、横穴を作って寝泊まりしながら少しずつ登ったりするものなのに」

「お師匠様からは禁呪指定されてたがな。間違いなく生態系を崩すから」


 一周目もこの魔法を使って、強引に登った。凄まじいスピードで、魔力消費量も半端ではない。崖を登りきった時のグラノールはぐったりしていて、理科教諭と対面した時もなんの活躍もできずに敗退してしまったのだった。


「試験の崖登りは知っていたから、一応は予備も持ってきてた。チャンスはあと一回ケロ」

「一つあれば十分だ。でも、“火の山”での魔力消費は抑えていこうぜ」


 魔物とぶつかった時は俺一人でどうにかしていこう。ライコウの時みたいに離れ過ぎないように気をつけないと。

 隣を見ると、グレシアはまだ不服そうだ。


「……正直に言うと、火の山にいる魔物の数は暗い森の比じゃない。それにものすごく強いのですよ。たぶん、カジュでも敵わない奴はたくさんいるのです」

「ああ。じゃあ見つからないように突っ切って行こう」

「言うのは簡単なのです。……いいですか。どうして四日かかるのかと言うと、山頂付近に生息する“熊鬼トルパス”との遭遇はもちろん、東部の魔竹林地帯に“ねじまき虎”の根城ねじろがあるからなのです。“ねじまき虎”は竹林から出られませんが、その代わり誰もかないません」


 グレシアが地面に簡単な図を描いていく。

 崖があるのはここから山を挟んでちょうど反対側のところだ。

 山頂を渡るルートはだめ。山を右に迂回するルートも竹林とぶつかるからだめ。となると、左に迂回するルートしかない。


「したがって“城壁もぐら”が潜む左側を進むしかないでしょう。人の身に宿る魔力オドで相手どれるのはそれぐらいが限度だからです。おそらく試験者の大多数が大障壁か、この左側ルートで四苦八苦状態に違いありません」


 “城壁もぐらモグラ”はその名の通り城壁のように大きなモグラである。強力な魔物だが、図体がでかすぎて動きがのろいし、知能も低い。……とはいえ、普通に熊ぐらいのスピードで追いかけてくるけど。

 それよりも気をつけないといけないのは、ライバルチームたちだ。一体一体は大したことないが、怪我をしている時に徒党を組まれて襲いかかってくるとなれば侮れない。この前みたく。


 ライコウ戦だってそうだった。俺は未熟で、反省すべき点はまだたくさんある。

 慎重にいかなくてはならない。


「“夕闇まどわせ”の巣もあるケロ。奴らの異界に踏み込むと、出られなくなる」


 ここらが踏ん張りどきだろう。


「よし。じゃあ、道すがら魔物とかルートとかを全部教えてくれよ。覚えるから」


 それから山を登るルートについて話し合い、中腹を進んでゆくルートで行くことに決めた。

 グレシアはすでにゴーレムを作り終えてらしく、六本足のテーブル型ゴーレムが近くの茂みの中に隠されてあった。


 水筒の水を入れ替えて、なけなしの保存食がバックの中にあるのを確認して、準備を整える。

 俺は山頂付近にある火山の山肌と、その向こうにそびえ立つ崖、そして、崖の上に立つ大きな黒い城を見た。

 魔障壁の関係で遠方からは見えなかった城が、ようやく見えた。第七魔法学園だ。


 一度目に見た時はこんなに感動はしなかった。

 なんでだろうな。苦労したからだろうか。

 目に焼き付けていると、グレシアから腹をつつかれた。


「ほら、いきますよカジュ。なにぼーっと突っ立ってるのですか?」

「なあ、グレシア。さっき言ってた話がずっと気になってたんだけどさ……」

「はい?」

「いや、肉の話だよ。お前さ、自分のことを合成肉とか言わないでくれ。お前が、どんな経験をしてきたのかは俺は知らないけど、やっぱりお前は生き物だし、人間だろ。なんつーか、すごいギラギラしてて、初め見た時はあんまり良いやつじゃないと思ってたけどさ。でも、すごいやつだ。少なくともただの肉なんかじゃない」


 面と向かってこんなことを言うのはなんだか恥ずかしかったけど、ここで言っておかないと言う機会がなくなってしまう気がした。自分を肉として考えてまで生き延びたやつからすれば、俺の苦労や悩みなんて全然大したことはなかったのかもしれない。諦めようとしていた俺は浅はかだった。こいつの底意地は見習うことにする。入学してからも、ずっと。


「……ふ、ふんっ! つべこべ言わずとっとと乗ってください。置いていきますよ」


 グレシアの後についてゴーレムに飛び乗り、敷かれた木の板の上に座った。

 ゴーレムが山に向けて走り出す。俺は鞘から剣を抜いてから、心を静かに戦う時を待った。


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