第7話


 + 


 グラノールが小瓶の蓋を開けて水面に胞子ほうしをばらまくと、水面に緑色の藻が生じ、それが物凄い速さで増殖を始めた。どうやって育てているのか何を栄養として増殖しているのかはまったくもって分からない。


 俺は服を脱いでトランクス一丁になり、水の中に飛び込んだ。

 藻で張られた暗幕の下を進んでゆき、水中から見上げると木造の舟の上に三人いるのが見えた。突然現れた藻に驚いている様子だ。


 俺はすぐさま深く潜って、舟の下をくぐり抜けた。奴らが眺めている方とは反対側から浮上して、静かに舟の縁に手をかける。一気に体を持ち上げて、舟の上に躍り出た。三人ともローブを着た男だった。

 振り返って俺に気がついた奴に蹴りを繰り出し、あごを砕くと、残る二人の頭を掴んで、互いにぶつけ合わせた。気を失った三人が崩れ落ちる。


「一組目」


 俺は腰に下げた鞘から剣を引き抜いて、近くの舟に向けて構えた。


「“斬撃幻想ロア・ストライク”!」


 放たれた斬撃がしぶきを上げて舟に飛来、粉々に砕き、その後ろにいた追加の舟も砕いた。吹き飛ばされた魔法使いたちがプカリと水面に浮かんでくる。当たりどころが悪ければお陀仏だろうが、まあ、こっちも殺されかかってるんだ。知ったことではない。


「二、三。こんな感じか」


 あとはグラノールたちが目立たないように、敵を引きつけておかねばならない。

 ゴーレム舟の方を見ると、グラノールがグレシアを抱いてゆっくりとこちらに向かってきているところだった。


 霧に包まれていた俺たちの舟は攻撃を受け爆発していた。

 俺は剣を鞘に戻し、舟から水面に飛び込んで、クロールで大船のいる方向へ移動することにした。

 魔法の火線が飛来して近くの水面を焼く。余波で体が焼けそうだった。が、その程度で俺は死なない。


 舟に近づいたので、水中深くに沈み込んで舟の真下まで行き、そのまま浮上した。

 縁に手をかけて顔だけ覗くと、今度は全員三角帽子を被った女だった。


「ひぃぃッ! ま、間違いないわッ! 赤い猫の耳ッ!」「な、なんで化け物ねこみみがこんなところに」「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんな……」


 まあ女だからといって手を抜くわけにもいかない。ライバルである。舟上に躍り出ると、一人目をアッパーカットで殴り飛ばし、二人目を回し蹴りで湖へ吹き飛ばし、三人目の首筋に手刀を叩き込んで意識を絶った。


 ……これで四。ククク。それにしても素晴らしい怖がられっぷりだ。さすがは猫耳だぜ。


 敵の方も襲撃されていることに気がついたようだ。近くにいる魔法使い全員が俺と俺の頭にある猫耳に注目していた。グラノールたちは、まだ舟に到達していない。

 ロアストライクを撃ってもいいが、こうまで警戒されていると流石にかわされるか防がれるだろう。そんなにホイホイ連続して撃てるものでもないし。


 俺は舟たちに守護されている大型船の方を見た。

 船の上には仕立てのいい服を着て、頭に羽飾りをつけた小さなガキが立っている。サイズはグレシアと同じくらいだった。腕を組んで、何かを叫んでいるようだ。


「やい! “宝鳥ほうちょう”クアンチャ様に歯向かうとは無礼な奴め! 大人しく投降して僕の奴隷となれーっ!」


 小さいが大将首っぽい貫禄かんろくがあるやつだ。戦力も集中してるし、あそこにロアストライクを撃てば、いい感じに混乱させることができるんじゃあなかろうか。

 俺は剣を振りかぶると、クアンチャめがけて一撃を放った。


「“斬撃幻想ロア・ストライク”!」

「貴様たちのことは遠目から見ていたぞ。貴様の仲間はなかなかな容姿をしているようだ。狩りで傷つけるにはもったいないから剥製にしてリビングに飾って……グアアアアア⁉︎」


 しぶきを上げて迫る斬撃は防がれることも躱されることもなく船の真ん中に命中し、派手な爆発を生じた。大将クアンチャが叫び声をあげながら、水面に落ちてゆく。


 ……ぃよっし。クリティカルヒットだぜ。


 俺はガッツポーズを取った。

 大船が沈んでゆく。慌てふためく艦隊は大将の救助をするのか、俺に攻撃を仕掛けてくるかで悩んでいるようだ。

 新しい攻撃目標をどこにするか見定めていると、壊れた大船の残骸から一人の女が出てくるのに気がついた。

 俺よりもずっと大きな体を持つ女だ。しなやかな褐色の肌に腰まである艶やかな長髪、宝石が飾り付けられた首輪をはめており、そして頭には黒鳥の羽の髪飾りが付いていた。


 驚いたことに、そいつは水面の上を歩いていた。


 なんらかの魔術なのだろうが、どんな理屈で作用しているのかは例のごとくまったく分からない。グラノールがいたら分析して解説してくれるのだろうが。

 女は紐で腰に下げていた刀(珍しいジャパニーズソードだった)を外し、その切っ先を俺に向け、叫んだ。


「おのれ、私の契約主あるじの狩りをよくも邪魔してくれたな。生意気な猫耳ショタめ。奴隷にして毎日ヒィヒィ言わせてやるわッ!」


 女が凄まじい速さで水面を走り、こちらにまっすぐ向かってくる。

 おぉ、なんという気迫。獣のごとく笑ってやがる。主人を討たれたことで怒り狂っているのだ。捕まればきっと収容所に入れられて、過酷な肉体労働の毎日が待っているに違いない。

 他の魔法使いたちとは比べ物にならないほどぶっ壊れた性能チートである。たぶんこいつが合格確実と言われていたライコウだ。


「へえ、東国の武士ってやつか? 上等だ」


 いいぜ。やってやろうじゃないか。

 俺は脳内で無骨なダイヤルをイメージして、そこに肉体制御機能の意味を持たせる。常時は3に設定されているそれを7まで引き上げて、高速戦闘についていけるよう自己強化エンチャントした。次に周囲の空間の調整。戦闘によって生じる鎌鼬に切り裂かれたり発生する熱量に焦がされないよう、物理法則の敷居しきいを都合よくゆるめておく。

 両刃の剣の強化もしておくが元の耐久力を考えると、相手の攻撃を真正面から受けてはならないだろう。

 俺は突進してくるライコウに対し、剣を中段に構えた。


「……さあ、こいッ!」

「“独我空歩ドガカッポ”ッ!」


 猛突進の勢いを生かしたただの突きが俺の左脇を抜けてゆく。

 俺は背後から殺気を感じ取りながら、左回りに振り返る。と同時に、剣を薙ぐ。

 俺の剣が背後・・から繰り出された突きと激突して、火花を散らした。


 遅れて俺の視界が相手の姿を捉える。

 ライコウは空中に垂直の足場を作って、しゃがみ、俺の背後で急停止していた。

 こいつは水面を歩いていたのではない、空中を歩いていたのだ。


 ライコウと俺の視線が交錯する。一合のうちに、相手の気質がなんとなく読めた。

 すなわち過剰な自信と、征服欲。支配欲とかそういうものだ。向こうも俺のことを知ったに違いない。

 たぶん、友達にはなれない。


 やがてこちらの剣の重さが勝り、相手の刀が逸らされてゆく。

 俺は剣から右手を離すと、相手の胸ぐらを掴んで、引き寄せ、


「ぬんッ!」


 頭突きをお見舞いしてやった。

 相手はきりもみして水中へと落ちてゆく。意識していないと空中歩きはできないらしい。


「効、い、た、ぞ~~ッ!」


 ライコウはすぐさま水の中から顔を出した。

 破裂させてやるつもりでいったのに、顔面陥没どころか気絶すらしていない。頑丈なやつだ。

 ライコウが水の中から飛び出すと、刀を振りかぶって俺の方へ一直線に向かってきた。


 俺は三歩しか歩けないから、うかつに躱すこともできない。振り下ろされる刀に対し、斜めに構えて受け流し、今度はこちらの剣で切りつけた。首を狙う。

 ライコウは、あろうことか俺の剣を手のひらで受け止め、弾いた。キンと金属と金属がぶつかり合う硬質な音が鳴る。


かてえッ⁉︎」


 こいつの手には合金でも仕込まれているのか。

 驚いた俺はわずかに対処が遅れ、ライコウの斬撃を肩に受けてしまった。

 とっさに引いてかわしたので、傷はわりと浅い。

 浅いが、この状態で湖を泳ぐとなると厳しくなるし、攻撃をかわしたことで三歩使ってしまった。もう歩けない。

 続き繰り出される斬撃の乱舞をどうにか剣の側面で受け流し続けていると、攻めあぐねたライコウは距離をとり、感心したような吐息を漏らした。


「カカカッ! 天狗てんぐのタネ仕掛けを初手で破り、ただの剣で名刀の攻撃を受け流し続けるとは、見上げたやつよ! ますます欲しくなってきたわ! 名は⁉︎」


 こいつは一体、俺にどんだけ過酷な肉体労働をさせるつもりなんだ。


「赤猫のカジュだ。楽しそうにしてるのは結構だが、あんたの主人はきっと死にかけだぞ。最後を看取らなくていいのか?」

「む、胸が苦しいッ! 欲しいぞぅ。欲しい。ほ、欲しい。欲し、ほ、ほししホシ、ホシ、ホシイ、ホ、ホ、シイ……」

「……おい。聞いてんのか?」


 ライコウは苦しそうに頭を抑えながら、それでいて嬉しそうに顔を火照らせている。

 グレシアとはまた違う、魔法使い特有の狂気。あるいは、性能チートの代償として変質した心のりよう。俺も少なからず持ち合わせているはずの良くないモノが、こいつの目の奥で、ぐるぐるぐるぐるとぐろを巻いている。


「フゥゥゥゥゥゥ………。よぅし。決めーた」


 ライコウは深呼吸して、清々しい笑顔になる。


「何だよ」

「私のものになれ。さもなくば、お前の仲間を殺すぞ?」


 愉快に笑うライコウの目が、ちらりと俺の仲間……グラノールとグレシアのいる舟へと向けられる。

 冷たい予感が俺の背筋を駆け抜けた。


 やばいやばい。まずいぞ。こいつは性根が真っ直ぐな事で有名なあの武士なんかじゃない。頭の切れるタイプの悪党だったのだ。


 俺は腹筋の力で舟から飛びあがり、空中のライコウに斬りかかる。

 ライコウは俺の突撃を紙一重で避けて、空中でもがく俺をうっとりと観察していた。ねばっこい視線だった。超キモチワルイ。俺の体は放物線を描いて水中へ落ち、沈んでゆく。

 傷口から血が流れ落ちてゆく。


「カッカカカ! そんなにいやか。よほど大事にしておるのだのう。二人おるようだし、片方は殺しておくとしようか。絶望した顔のお前に首輪をはめて、屋敷に連行し、暗闇の中に閉じ込めて飢えさせ、しばらく放置して私が食べ物を持ってきてやるとする。すると死にかけのお前はどんな顔をして私にすがるのだろうかの。くふふふ、ふふふふふふふふ」


 前言撤回だ。捕まればきっとこの変態に拷問された後、殺されるに違いない。


「てめーッ! まずは俺と勝負しろよッ!」


 ライコウが空中を走り去ってゆく。

 俺は肉体制御機能のダイヤルを全開の10にしてクロールでその後を追いかけたが、向こうの方が断然速い。畜生、三歩以上歩けたら俺だって水面を走れるのに。


 これほどの機動性を持つ相手がいるとなれば、さすがのグラノールにとっても想定外だったに違いない。

 俺は水中で気絶している魔法使いたちを押しのけながら、舟の方を見た。

 木造の舟の上に、茂みが溢れ出しているところだった。



 +


 舟の上には多種多様な植物や花々が生い茂り、溢れ出して、軽くジャングルと化している。

 ライコウがその周囲を飛び回って刀を振り、茂みを裂こうと試行錯誤したが、茂みの再生速度の方が優っていた。


「カカッ! それで隠れたつもりかッ!」


 いいや、グラノールに隠れたつもりなどない。あれは要塞だ。

 植物系の魔法使いが作成した陣地は“森”と呼ばれ、対外防御に優れた結界として用いられることが多い。グラノールのそれはとびきり強力であり、そして誰よりもインスタントに作成される。いくら魔力によって植物の体を補完し、成長サイクルを早めているとはいえ、ここまで高速に高度な森の工房じんちを作製できる魔法使いは彼女をおいて他にあるまい。“千舌”緑蛙のグラノールが得意とする超高速詠唱術。これはその真骨頂なのだ。


 ……そして、グラノールが奥の手を使ってしまったことを意味する。あれほどの高速展開ができる種子は限られているはずだし、試験の間で何度も使える魔法でもない。あと二、三回が限度だろう。


「ケロ。顔面がおっかないケロ。あっちいけよ」

「あっはァ! 可愛いらしい声だな。名は?」

「グラノール」

「私はライコウという。そんなところにこもっていないで、でてくるが良い。相応の扱いを約束しよう。この名にかけて誓う」

「いやケロ」

「カカカッ! 偽名だがなァ!」


 ただ惜しむべくは、そこが舟の上だったってことだ。

 枝が切れないことに業を煮やしたライコウは、舟のふちに手をかけると、思いっきりひっくり返した。

 舟は簡単に裏返しになって、茂みが水中へと沈んでゆく。


 ……まあ、誰だってそうするわな。


 魔力が途切れたため、魔法で作られた森は幻のように消え去った。

 水中じゃ逆立ちができないグラノールも、泳げないグレシアもやばい。早く救出しなければ。


「さぁ出てこい! 息が続かんだろう⁉︎」


 だが、グラノールが時間を稼いでくれたおかげで、俺は舟までたどり着くことができたようだ。

 ライコウがひっくり返った舟に向け何度も攻撃を繰り返したせいで、舟は粉々に砕かれていた。

 足場がなくなったので俺はその残骸に捕まって、大きく息を吸って、呼吸を整える。


 中距離戦闘ミドルレンジにおいて何も手がないわけではない。俺の場合は血を消費して、槍を作る攻撃がある。だが血を伸ばして上空にいるライコウを攻撃したところで、致命打にはならないだろう。外せばこの湖の中だ。すぐに失血して、動けなくなる。


 だからここはひとつ、策を練ることにする。


「おいッ! お前の相手はこの俺だッ!」


 絶対に攻撃の届かない空中にライコウが立ち、こちらにねっとりとした視線を送った。


「くふふふふ。すまんカジュ。私は化生けしょうの者。戦士の作法なぞ知らんのでな」


 当然。いくさはスポーツなんかじゃない。殺し合いだ。戦士に作法なんてあるものか。

 ああ、俺だって悪党だ。だから待つ。


「殺してやるよ」


 宣言しておく。


「カカッ! やってみろッ!」


 ライコウと俺は剣を手に睨み合い、やがて、一方が視線を逸らした。

 水面にグレシアとグラノールの頭が浮かび上がってきたのだ。

 意地の悪いライコウがそれを見逃すはずがない。

 満面の笑みを浮かべたライコウは刀を振りかざし、グレシアの頭へ斬りかかった。


 そして俺は、その嗜虐しぎゃくを狙い撃つ。

 俺は左肩のきずから血を伸ばし、ライコウの首筋に向かって突き出した。


 ……“蜂起せよ紅棘レッド・フォーク”ッ!


 伸びた血の槍がライコウの首筋に迫り、すんでのところで避けられた。なんて勘をしてやがる。

 だけど、まだ俺の攻撃は終わっていない。

 俺はとげを操作して、花火のようにその場で拡散させた。

 棘がライコウの腰と首に突き刺さり、絡まってゆく。狙い通りだ。ライコウの驚いた目がこちらを向く。

 俺は伸ばした棘を引いて、ライコウを手繰り寄せた。右手で剣を構える。


「こっちに来やがれ」


 失血でめまいを起こしながら、ライコウに向かって笑いかけてやった。


「よかろう」


 ライコウも笑いを返し、刀を構え直す。

 俺は右手の剣をただ前に突き出し、斬撃幻想ロア・ストライクを放った。

 ライコウはそれを真正面から受け切った。気絶もすることなく、壮絶な笑みを絶やさないまま俺を見据える。驚くほど頑丈なやつだが、想定内だ。俺は上段に振りかぶり、追撃の斬撃幻想ロア・ストライクを放つ。ライコウの顔が今度こそ苦痛に揺らぎ、水の中へ落ちた。棘を引いてその体をさらに引き寄せる。

 俺はライコウの腹に開いた傷口に剣先をぶち込んで、ねじ込み、渾身の一撃を放った。


斬撃幻想ロア・ストライクッ!」


 斬撃の奔流に呑まれ、ライコウの体が水中深くまで沈み込んでゆく。血の棘はちぎれてしまった。

 俺の血と奴の血で、水面が真っ赤に染まってゆく。


「こ、こんだけやりゃ、死ぬだろ。頼むぜ……」


 魔法の連続使用と血が足りないせいで、頭がくらくらする。

 だが、まだやらなきゃならんことがたくさんあるのだ。

 俺は溺れているグレシアとグラノールに泳いで近寄り、抱きかかえた。


「すまん二人とも。おとりにした」


「……想定内ケロ」

「ごほっ、ああ、がはッ、じぬ、えぐっ、が、ど、あぐ、」


 グレシアは激しくむせていたが、抱いているうちにだんだんと呼吸を取り戻していった。グラノールはすぐに離れて、自分で木片にしがみついたようだ。

 グレシアはグラノールの方を指差して、しきりに何かを叫んでいる。


「わ、わだじに、くうきくれた、じぶん、じぬかもなのに」

「ああ? あいつは死なねえよ。頭がいいから絶対に死なない。……なぁ?」


 俺が問いかけると、グラノールは仰向けになって、ぐったりと太陽を見上げた。


「……カ、カジュは、本当に無茶言うケロなぁ」


 ほら死んでない。


「相手の主戦力は潰した。火力もだいたい分かった。さァ、ここからだぜ。あの悪趣味な艦隊を抜けるぞ。グレシアはゴーレムを呼び戻せ。グラノールはとりあえず俺の応急処置を頼む。死にそうだ」

「把握ケロ」

「了解です」


 グレシアが頷き、ゴーレムに指示を下す。

 振り返ると、他の敵船もこちらへにじり近寄ってきているのが見えた。

 そう簡単に通してはくれないようだけど……まあ、なんとかなるだろ。


 とりあえず迎撃からいこうか。

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