第6話


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 上着を奪いとってきた俺を、グラノールは拍手で迎えてくれた。

 グレシアは呆れていた。


「……チートだ。噂には聞いていましたが、さすがは毎年高名な魔術師を排出しているリョクアの里の傑作品ですね。性能スペックが桁違いなのです」

「俺たちの里のことを知ってるのか?」


 俺は濡れた服と上着を膝の上に置いて、広げてみた。

 水を吸ってかなり重たくなっている。乾くまで時間がかかることだろう。

 バックを開けると、水の中に干し肉と乾パンが浮かんでいた。かなりの量だ。節約すれば三日ぶんはあるんじゃないだろうか。


「そりゃ当然。あちらの研究機関は教育による魂の変質を目指していると聞きます。日々の生活に儀式的な意味を付加させ、存在の階位をあげているのだとか」


 俺も詳しくは分からないが、妙なしきたりは確かに多かった気がする。


「ケロ。グレシアはよく知ってたケロね。儀式適合率は私よりもこっちのカジュの方が上。トンデモない魔力備蓄量があるのだケロ。でも具体的には企業秘密ケロ」


 グレシアは果物の食べ過ぎでベトベトになった手をペロペロと舐めながら、子供らしからぬ薄笑いを浮かべていた。


「……きしししし。このままこいつらと仲間を続けていれば人生の勝ち組確定なのです」

「おい。野心が漏れてるぞ」

「学府に入った魔法使いには二つの方針があるのです。一つは研究者としての道。もう一つは探求者としての道。あなたたちはどちらを目指すのですか?」


 俺とグラノールは顔を見合わせた。


「俺は、探求者がやりたいな」


 世界を巡って冒険すると聞いたし。里は戻ってこいだのなんだの言うだろうが、入学してしまえばこっちのもんだ。


「じゃあ、私もカジュと同じところに行くケロ」


 グラノールが言った。こいつは野心とか動機とかが皆無だ。でも学校に行けばそのうち見つかるだろう。

 ……見つかるはずだよな。


「おい。お前、頭いいだろ。研究しろよ」

「いやケロ。勉強はつまらんケロ」


 だめだ。怠けてやがる。


「グレシアは?」


 話を振られて、グレシアは少し慌てた。


「わ、私ですか? そりゃもちろん……」


 グレシアはうつむいて、湖の水面を見つめる。


「……研究がしたいのです。が、二人が別のところに行くのなら、まずは私もそっちに行きます」

「なんだよ。研究すればいいじゃないか」

「まずは、なのです。派閥とかいじめとか貴族の階級フェチとかサドスティックなサイコパスとか、身に迫る危険をかんがみた結果なのですよ。私には後ろ盾パイロンがいない。カジュは学校というクローズドサークルがどういうものなのか根本的に分かってないのです」


 ……そうか? そういうものなのだろうか。

 俺は学校のことを夢の国のようなものとばかり考えていて、その先については何も知らなかった。


「グレシアはかわいくて賢いケロねぇ。よしよし」


 グラノールがグレシアの頭を撫でた。


「や、やめるのです、それに私は、お前たちよりも年上なのですよ。……たぶん」


 本当にその通りだ。俺もグラノールも田舎者なので、その手の話はこいつに訊ねるのが一番なのかもしれない。グレシアだからこそできる考え方もあるのだろう。


「……カジュもグレシアも、二人とも目がキラキラしてて、インドア系の私にはちょっとまぶしすぎるケロね。……はぁ」


 グラノールがなやましげにため息を吐いていた。

 なにを悩んでんだか。


「別に私みたいなやつばかりじゃない。この試験には魔術の才能もないのに金にあかせて入学しようとするやつもいるそうなのですよ。ライバル狩りも、きっとそいつが組織したに違いない」


 へえ。真面目に試験を受けてない系か。そいつがちんたらやってるなら、ぶつかる可能性もあるな。


「詳しく教えろよ」

「“宝鳥ほうちょう”クアンチャ。財閥の息子なのです。こいつを守っている側近の筆頭が“空歩”のライコウ。こっちは合格は確実と言われている候補の一人なのです。遠国から連れてきたというネグロイド系の女なので、すぐにわかると思うのです」


 合格は確実で、しかも強そうだという。そうかそうか。面白いじゃないか。


「いかんケロ。カジュのる気スイッチが入ってるケロ」

「思ったのですが、カジュとグラノールは足して二で割ればちょうどいいんじゃないのですか? 闘争心とか、やる気とか、頭の良さとか」


 俺はそんなに頭が悪いだろうか。


「そうだグレシア。ここはちょうど障害物もないし、俺の主砲について一つ説明しておこう」


 俺は鞘から剣を抜いて、グレシアに見せた。


「砲撃? カジュは見たところ、魔法剣士なのでしょう? 自己強化系だとばかり」

「まあそうだが、そうじゃない魔法も使える。“ロア・ストライク”って魔法があるだろ」


 グレシアが頷いた。


「そりゃ知ってるのです。伝承撃。一つの属性を現象の段階に落としこんで、差分のエネルギーを指向性の熱量へ変換するという。まあ、魔法学の基礎そのものなのですが。それが?」

「それで斬るという概念を飛ばすんだ」


 グレシアが怪訝な顔をする。


「……やってできないことはないでしょうが、魔法現象を持続させるにはよほどの魔力がない限り……」


 俺は剣を振りかぶり、水平線めがけて縦に薙いだ。と同時に切るという属性を現象へと変換。斬撃という魔術的な属性を持ったエネルギーが撃ち出され、水面を切り裂きながら水平線の向こうへと消えていった。赤猫カジュの“斬撃幻想ロア・ストライク”。足が使えないとこんな攻撃しかできないが、自慢の一撃だ。他にも血を棘に変える魔法なんてものもあるが、水に触れたら散ってしまうし、こんな湖で使えば失血確定なのでまず使えない。


「と、まあこんな感じだ。なんかがやばそうなのが現れたら、これでバッサバッサと切っていこうと思う。だから安心しろ。お前とグラノールが死ぬことはない」


 これで役割分担ははっきりした。操舵手スティースマンがグレシア。癒し手ヒーラーはグラノール。狩り手ハンターが俺。チートならチートらしく真正面からぶった切ればいい。


「て、敵にまわさんといてよかったのです」


 グレシアが安堵していた。


「……そう、うまくいくと良いんだけどねぇ」


 一方、グラノールは不穏なことを呟いていた。





 +


 しばらく進んでいていると不可解な現象に遭遇した。湖の前方。空は晴れ渡っているというのに、湖の上に局所的な霧が発生していたのだ。


 グラノールが手を水にひたして、首をかしげる。


「……むー? 水温は特に異常なし。海底火山とかじゃあないケロね。蒸発してる気配もない。おかしいな」

「一応、迂回うかいした方がいいですよね?」


 グレシアが訊ねる。


「だな。……“君子危うきに近寄らず”だ」


 ゴーレムが進路を右舷にとったが、結局霧の中に突入してしまった。

 霧が急速に拡散していたのだろう。


 目の前は真っ白で、進路もどこを向いているのか全く分からない。どうしてあんなに天気が良かったのに、こんなに濃い濃霧が生まれるのか。俺が知らないだけで、そういう天気もあるってことか。世界は広いなぁ。

 太陽は遮られて、気温は降下してゆく。体温の低下を抑えるために、俺たちはすぐ生乾きの上着を羽織った。

 霧に入る前からバックを漁ってゴソゴソやっていたグラノールが、やがてこの現象に結論を下す。


「……やはり。これは魔法ケロ」


 俺が持ってきていた魔術用具の一つ、幻想計測器の針が高濃度の魔法を検知していた。

 グレシアはコンパスを片手に、突入した方角を維持したままゴーレムの制御を務めている。見えないからこそ大事な作業だ。


「で、でも、絶対おかしいのです。こんな広範囲な天候改変レベルの魔法なんて、聞いたことないのですよ⁉︎」


 魔法は影響を及ぼす範囲と時間の長さで、その魔力の消費量が増減する。この場合、しばらく進み続けていても霧が晴れないのだから、とてつもなく広い範囲に個人の魔力で生成された霧が散布されていることになるのだ。

 グラノールは唇に手を当てて少し考えた。


「ふむむ。魔法であることは確定済み。霧の高さが、二メートルで一律だった。きっと幻想の型が固定されていたのだケロ。そして私たちが霧の中に突入していた時も、信じられないほどの速度で拡散していた。こちらは意図的な操作だと思われるケロ。そして個人の魔力が限られている以上、霧は無限に拡散し続けることはできない。これらの事実から成り立つ仮説は、この霧は拡散して私たちを捕まえた後、広げていた形状を変え、私たちの移動に合わせてまとわりついている……ってとこかな」


 トリモチみたいにひっついてるってことか。


「じゃあ、なんだ。やっぱり敵の攻撃ってことか」


 何を呑気のんきなとばかり、グラノールがジト目で俺を見た。


「あったりまえだケロ。すぐ近くに敵はいる。……ああ、怖いのは分かるけど心配しないでグレシア、お姉さんがすぐに打開策を考えるから。……。……。……。よし。みんな聞くケロ」


 思考時間わずか三秒だった。

 グラノールが突然声を潜めたので、俺たちは振り返って顔を近づける。


「……まずは霧の形状の把握だケロ。グレシアはゴーレムの移動をゆっくりにするケロ。相手が不審に思わない程度に」

「わ、わかったのです」


 グレシアが言われた通りにゴーレムを操作する。


「形状の把握なんて、できるのか? なんも見えないぜ?」

「二メートル一律と言ったケロ。ようはそれ以上の高さがあれば、霧から抜け出せる。三人で肩車をするケロよ」


 なるほど。さすがグラノール。賢い子だ。


「配役は一番下にカジュ。まんなかに私。そしてグレシア。とりあえず霧のサイズの確認と周囲の状況をしてほしいケロ。この話は盗聴されている可能性もあるけど、入学試験者の平均技量的にそうじゃない可能性の方が高い。霧から抜けだしたら、相手に気づかれる前にすぐ顔を引っ込めて報告。できるね?」


 グレシアがコクコクと頷いた。

 そうと決まれば作戦決行だ。


 俺たちはうまくバランスをとりながら立ち上がると、まずグラノールがグレシアを背負い、その両足の間に俺が支えた。「せーの」で立ち上がり、三連肩車をする。

 数秒間その体勢を維持してから、俺はもう一度しゃがんだ。


「半径は五メートルぐらい。本当に円柱状でした。て、敵は、木造のふねが十三隻。一つの舟に三人ずつぐらい、かな。遠巻きにこっちの舟を取り囲んでます」


 肩車から降りながらグレシアは報告する。


「そんなにいるのか⁉︎」


 舟の上に一チームづついたとしたら、三人づつで、約四十人。一隻襲うのにどんだけ兵力を削いでるんだ。……いや、向こうにとってはそれが娯楽なのか。


「ライバル狩りが、ちょっと真実味を帯びてきたケロね……。まるで合格する気がないみたい」


 グラノールは唇に手を当てて思案した。


「舟の数が少ないところと多いところはどこだったケロ?」

「え、えと、少ないのは後ろの方。六時の方角だったのです。進行方向の真正面に大きな船が一隻あって、舟たちはそいつを取り巻いていました」

「わかったケロ。これからの大筋を説明しておくとカジュ単体が敵に接近しこの霧の発生源を撃破、というのが第一の勝ち筋だケロ。第二は……」

「ま、待つのです。交渉するとかは?」


 グレシアが別の案を提示する。


「いや、それはダメだな」


 俺はついさっき上着を奪い取ってきた三人の顔を思い浮かべた。


「……命をかけた試験の中、湖のど真ん中というこの状況下で、そしてこの数を組織してライバルを襲わせている人柄を考えてみたが、どんなに頑張っても悪党しか思い浮かばん。そんなやつを入学させたら迷惑する人がきっとでてくる。倒せるのなら、ここで倒しておくべきだ」


 グレシアは絶句したが、ここは曲げたくなかった。


高貴なるものの義務ノーブレスオブリージュですか。よ、余裕も大概にしろなのです!」

「お前は守る。大丈夫だ」

「だからってわざわざ危険を犯さなくてもいいじゃないですか」

「……カジュの話は別として、対等に交渉できる状況ではないのは確かケロ。これが向こうにとっての狩りなら、きっと聞く耳持たずに私たちをいたぶるはず」


 二対一になったので、グレシアが縮こまった。


「ぐぬぬ。……確かにそうなのです。で、作戦は?」


「まず水面に藻の膜を張るケロ。その下を潜りカジュは単独で移動。六時の方向のケロ。

 舟から離れたところで浮上し、敵の舟にいる人間を落とすケロ。

 それからすぐ私たちもこの舟を捨て、移動を始める。カジュと同じ方向に逃げて、立ち泳ぎで待機。

 カジュはそのまま時計回りに移動してゆき、通りすがった舟を蹴散らしていく。ロアストライクを使ってできるだけ派手に暴れるケロ。

 その隙に私たちは舟を奪って、それに乗る。木造なら操作はできないけど、私の魔術で強化できる。

 こちらの陣地を強化しつつ、カジュが敵艦隊を攻撃。

 隙を見てゴーレム舟を呼び戻し、乗り移って移動。艦隊の隙間を抜ける。

 ……グレシアは、私が抱っこしてあげるケロ」


「うぅぅ。そ、それってつまり……」


 グレシアは泣きそうな顔になって、足元の水面を見やった。


「頼む。早く済ませてくるから」

「ぜ、絶対絶対守るのですよッ!」


 グレシアが本当に嫌そうに、だけどしっかりと右手を伸ばしてきた。


「おう」

「みんなで乗り越えるケロ」


 三人は右手を重ね合わせると、作戦を開始した。

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