第3話


 + 


 それからあっという間に三時間が経過したが、森は四分の一も踏破できていなかった。

 そら当然の話だ。俺はようやく目の前の現実に実感がわいてきた。


 ……ちょっと無理っぽくないか、と。


 俺たちなら大丈夫問題ない心配ないと余裕ぶって、遊び半分だった感はいなめない。

 リスタートしてからは反省して真面目にやればいいだろうなんて思っていたが、足が動かないんじゃどうしようもない。俺なんてお荷物状態だし。


 俺は木々の隙間にちらりと、鹿が姿を見せたのに気がついた。

 車椅子を飛び出して一歩、二歩、三歩目で跳躍。

 剣を抜き、その首をねた。そして、着地の四歩目でズシャリと転んだ。

 すぐに立ち上がって鹿を抱えあげると、小さい頃遊んだ“けんけんぱ”の要領で、今度は車椅子のところまで戻ってきた。四歩でわざと転んで、呪いのカウントをゼロにしておくことも忘れない。

 車椅子を押していたグラノールはすっかり疲弊しきって、その場にしゃがみこんでいた。


「大丈夫か? 飯にしようぜ」

「……ケロ」


 グラノールが力なく頷くと、お気に入りだったカエルの帽子がずり落ちた。

 整えられていた美しい銀髪も、今は乱れきっている。

 覇気もなく、ぼーっとしていた。普段のグラノールは運動という運動を全くしないから、むしろここまでよく頑張れたって感じか。


 時間はかかったがその辺の木の樹皮を剥ぎ取ってきてから、俺は剣を抜いた。

 剣に魔法の熱を纏わせてから木の皮の中に突っ込んでしばらく待つと、焚き火が出来上がる。材料さえあれば、俺だって火をおこすことはできるのだ。


 火が燃え移らないように周囲の土を軽く掘ってから、ナイフで切った鹿の肉を火の上に横たえた。

 火力が足りなかったので、グラノールに逆立ちをさせて生み出した火球であぶること約三分。

 味付けなしの焼肉が出来上がった。ちなみに焼けたところをナイフで切り取って突き刺して食べるのがツウな方法だ。

 と言うか、それしか食い方がない。


 グラノールは生臭い肉を口に含んだ瞬間、わっと泣き出した。


「う、う、うぇぇぇ~~ん! 美味しくないケロ~~。もういやケロ。おうち帰ろーよ!」


 ……だよなぁ。

 こいつだって女子だもん。

 味付けなしの生焼け肉とかありえんよなぁ。


「そ、そう言うなよ。塩は手に入らないんだから」

「いやケロ。自家製ソースがいいケロ」


 ねえよ。んなもん。


「おッ。ここなんか柔らかい部位なんだぜ。お前にやるよ」

「……うぅぅ~~。そういう話じゃないケロよ~~」


 だめだ。完全に心が折れてしまっている。


 グラノールは、俺の里では姫のように扱われてきた。なんせ里長の娘だ。何もかも与えられている上に、才能もあった。頭脳明晰だし、ケチのつけどころのないくらい美しい容姿をしている。何もかも持っている、そんなお姫様だ。だから修行らしい修行なんてしたことがないし、こんな惨めな野宿なんて生まれて初めてなのだろう。


 一方の俺は孤児出身だ。ろくに飯も食えない日々が続いていたので、教会のガキどもと一緒に協力して野生の魔物達を殺して食うなんてこともしていた。腹を壊して寝込むこともしょっちゅうだった。ただし俺の場合、剣術と剣に属性を纏わせる技術だけはすこぶる上手だった。だから里の貴族に目をつけられて養子になり、運良くぬくぬくと育ってここに至っている。


「ねえ、カジュ。一緒に帰ろ?」


 グラノールが甘えた声でくり返した。涙に濡れた目が俺を見つめてくる。

 ちょっとドキっとした。


「嫌だ」


 俺は断った。

 俺たちは恵まれていた。しかし、事情が異なる。


 グラノールは帰ってもまた元の通りちやほやされる生活が待っているだろう。

 俺の場合は最悪、離縁されるかもしれない。

 養子というのは、そういうことだ。愛情なんてない。


「ううぅ。もう無理ケロよ。このペースじゃ森を抜けるのに二日以上はかかるケロ。それから先、どうやって“沈む湖”を渡りきるケロか? どうやって崖を登りきるケロ? 足の速いカジュが歩けないんじゃどうしようもないよ。やっぱ時間が足りない」


 グラノールと出会ったのは俺は里長に呼び出されて、魔術の勉強を始めた時だ。

 第一印象は噂と違わず麗しのお姫さまで、話してみると案外世間知らずで間の抜けたところがあって、それがなんだかおかしかった。同年代の友達がいなかった俺たちは、すぐに仲良くなった。


 俺がこいつに抱いたのは羨望と嫉妬と、実を言うとちょっとだけ恋情。まあ婚約者がいるという話なので、そういう願いは絶対に叶わないだろうけど。

 でも。それでも。身分や性別は違えど俺たちは友達だ。

 それ以上でもそれ以下でもない。少なくとも俺はそう思っている。


「ううううう~~ッ! いやケロ! もう帰るケロ! お風呂に入れないなんて最悪ケロ! こんな嫌がらせ仕掛けてくるやつなんか、偉そうにしてるだけでどうせ大したことないもん! たかが知れてるもん! それよりおふとんの中に入って美味しいマカロン食べてぐうたらしていたいケロ! もういいッ! ……帰ろうよ」


 そんなグラノール姫は一通り叫び散らしてから、脱力すると、泣き顔のままじっと俺の反応を待った。

 一人じゃ帰る気は無いらしい。そりゃそうだ。こいつは一人でお師匠様に叱られるのが怖いんだろう。

 グラノールの言うことはともかく、引き合いに出した理由は本当のことだ。車椅子を押されながら俺はずっと解決方法を考えていたが、やっぱり何も思いつかなかった。このままではズルズルとタイムアップまで森の中を彷徨さまよい続けることになるかもしれない。


 ……分かっていたことだ。俺は・・もう、ここで行き止まりなのだと。


「まあ待て、グラノール。方法はあるじゃんか」


 最終手段だ。

 俺は両手の指を組んで、真剣にグラノールを見つめ返した。


「なにケロ?」


「お前がな、一人・・で行くんだ」


 パチリと焚き火がぜる。


「へ?」

「……一人で森を抜けて、湖を渡り、山を歩き、崖を登って、学校の入り口までたどり着くんだ。大丈夫。道はあるんだ。魔法がなくたって走ればいい。つうか、ぶっちゃけ最初からそうするべきだったんだよ」


 グラノールがぶんぶんと首を振った。


「無理無理無理無理。絶対に無理ケロ」

「なんでだ」


 一応、理由を訊ねる。


「だってだって、一人じゃ逆立ちできないケロ。魔法がなかったら魔物にバックりやられるケロ。他の魔法使いたちだって私を狙うに決まってるケロ。ど、どんな目に合うかわかったもんじゃないんだよ? それに食べ物だってカジュが持ってきてくれなきゃ、私、なんにも分からないし。……諦めたって、別にいいじゃん。次の試験はいつケロか?」


 二十年後だ。


「もう、チャンスはこれきりだ」


 俺とグラノールが子供でいられる時間は少ない。


「外に出られるのは、これきりなんだぜ」


 グラノールは果たして気がついているのだろうか。籠の中の雛鳥のごとく、日々を無為に過ごしているこいつが外に出られるのは、今しかないのだと。


 小さな里で暮らしているグラノールは、大きな森なんて見たことなかったろう。大きな湖も、崖も、山も。

 俺だって知らなった。きっと世界は俺たちの考えているものよりもずっと広くて、歩けば未知なる冒険がそこかしこに転がっているに違いない。


 グラノールは子供の頃から引きこもりがちで、無気力なやつだ。「将来の夢は?」と聞かれると、皮肉った表情で「特にないケロ」なんて普通に答えるようなやつだった。試験があると聞いても「外に出たくない」と終始一貫してぼやいているようなやつなのだ。


 でも俺は、そんなグラノールにあれこれ理由をつけて無理やり引っ張り出して、ここまで来た。

 里じゃ引きこもりだとバカにされてるけど、俺はグラノールはすごいやつだって知っている。

 俺の何倍も魔法をうまく使えるし、頭もいい。もったいないと思うのだ。


 こんなアホみたいな呪いのせいで、それをフイにされてたまるもんか。

 何も知らないまま死んでいくこいつを見ているのは、嫌だ。

 なぜって友達だから。いや、違うな。本当は……


「学校は、楽しいとこだって聞いたぜ」

「でも、カ、カジュがいないケロ」

「学校には世界中からいろんな奴らが集まってくるんだ。試験の説明会でも見たろ? 里のお祭りどころじゃなかったぜ。知らない魔法が、海のようにいっぱいあった。魔法の花火も見たよな。とても綺麗だった。とても……」


 目を閉じれば鮮明に思い浮かぶ。憧れの情景だ。


「それは、そうだけども……」

「聞いてくれグラノール。ホントいうと、俺は、学校に行くのが夢だったんだよ」


 涙をたれ流してばかりいたグラノールが、その時初めて泣くのを止めてくれた。

 信じられないことだ。

 明日は雨でも降るんじゃないだろうか。


「……カジュ?」


「俺な、家が嫌いだ。ずっと人形扱いで、息苦しかった。ジジババばっかりな里も、実は嫌いだ。なんもない、のどかなところが嫌だ。たまに金せびってくる孤児院のジジイなんて大っ嫌いだ。 

 どうしても外に出たかったんだ。

 俺は……お、俺はな、逃げ出したかったよ。金が貯まったらいつでも逃げてやるつもりだった。

 ……でもな、今、ちょっとだけ思ったんだ。里に帰って、つまらん仕事に就いて、よくわからんやつと結婚して、そうやって毎日生きてるんだけど、たまに帰ってくるお前がいるから我慢して、外の話を面白おかしく聞いてやるのも悪くないなってな。思った」


 本当は、本当の俺は、ただこいつに自分の理想を投影していただけなのだろう。

 かごの中の雛鳥のように小さな世界で生きているのは、俺だって同じだった。

 だからこうして相棒に、自分の夢を押しつけてやることにした。

 足の動かない剣士にできるのは、もうこれぐらいしかないのだから。


「な、泣いてるケロか? ガチ泣きケロか? うわ、ちょっと引くケロ。ダサいケロ」


 だというのになんてやつだ。

 ずっと過ごしてきた幼馴染の渾身の泣き落としも通じないとかありえん。


「ダサいのはテメエだ! いいから行けよッ!」


 俺は立ち上がり、怒鳴りつけた。


「嘘つけ! お前は魔法が使えなくとも頭良いからなんとかなんだろ! 俺と違ってちょっと頑張ればいけるかなぁぐらいに思ってんだろ! 逆立ちだって木にもたれかかればいいだけじゃねえか! 行ったら行ったで絶対楽しいに決まってるって! お前、このままだとおばあちゃんになるまでずっと何もしないまま家の中でぐうたら過ごすことになるんだぞ! いいのかよ⁉︎」


 ナイフに突き刺していた食べかけの肉がぼとりと落ちて、靴の上に張りついた。

 焚き火が燃え尽きようとしていた。燃え続けるには、火を足さないといけない。

 俺もグラノールも涙でぐしゃぐしゃだったので、いったん話を中断して、腕で顔をゴシゴシといた。


 間が空くと、ちょっと冷静になった。言動も、泣いているところを見られたのも、かなり恥ずかしかった。だけど一度口に出した言葉は引っ込めることなんてできないのだ。

 こうなったら意地でも学校に行かせてやる。俺は決めたぞ。


「私は、三度の飯よりもぐうたらが大好きなインドア系ケロ」

「ああ、知ってるよ」


 長い付き合いだもの。


「本当は行きたくなかったのだケロ」

「それも知ってる」


 やる気なんて起きるわけがない。


「……でもね」


 グラノールが言葉を切って、俺を見上げる。


「でも、今。カジュが本気で悔しがってるのを見てたら、ちょっとだけ、行ってみたいなって思ったよ。ほんのちょっとだけ」

「なんだと。本当か?」


 グラノールがうなずく。


「そんなに楽しいところなの?」

「そうだ」

「見たことないくせに」

「ないけど、分かるんだ」


 グラノールは面白そうに、俺の表情をジロジロと観察していた。


「……ふーん。カジュが言うなら、信じる」


 俺はそっぽを向いて、座り直すことにした。


「信じるもなにも、事実だからな」

「把握した。頑張ってみるケロ」


 俺は驚いてグラノールを見る。まさか本当に信じてもらえるとは思っていなかったからだ。


「ほ、本当だな? 本当に本当だな? 男に二言はねえんだからな」

「私は女ケロ」

「うるせえ」

「でも頑張るよ。絶対」


 グラノールは泣きはらした顔のまま、ナイフに突き刺した肉を口の中に放り込んで、せっせと食べ始めた。

 普段は少食のグラノールとは思えないくらい、まずい鹿の肉を大量に食べていた。

 少しは試験合格を目指す気になってくれたのだろうか。

 その決意がどれほどのものなのか本心は分からないが、俺にできることはもうこれぐらいのようだ。





 +


「じゃ、ちょっと行ってくるケロ」

「おう」


 俺のサバイバル用品を持って、グラノールは出発した。

 準備も装備の選択も人が変わったようにテキパキとしたものだった。試験開始の時の彼女がこんなに真面目だったなら、いくらか結果は変わっていたのかも知れないが……もう、終わったことだ。


 残された俺はグラノールの後ろ姿が見えなくなるまで見送ると、俺はまた車椅子に深くもたれかかった。すると椅子がバランスを崩して、俺は背中から転倒した。痛みに小さく呻く。みじめなものだが、俺を見ている人なんてここにはいやしない。


「……痛ぇ」


 終わった。俺の子供時代が終わった。


 十年ちょっとというわずかな期間だったが、まあ、楽しかった。

 目を閉じて過去を懐かしもうとしたが、激しい怒りに遮られた。

 思い浮かんだのはこうなった元凶の顔だ。あの白衣の女。理科教諭をぶん殴りてぇ。

 だが、それもグラノールが果たしてくれるはずだ。あいつなら絶対に辿り着いて復讐してくれるに違いない。たどり着けなくて里に戻ってきたらぶん殴ってやる。そして姫に暴行を働いた罰として極刑を言い渡され、薄暗い監獄の中で一生を過ごすのだ。


 もしも辿り着いてグラノールが生徒になったとしたら、運が良ければ文化祭に招かれて入れるかもしれない。ああ、その時の問題はどうやって両親を説得するかだ。自尊心の塊である奴らをどうやってなだめるか。

 未来の可能性について思考を巡らして、希望を膨らませて、嫌になって、やめた。

 目を閉じる。


 …………………

 ……………

 ………


 いつまでそうしていたのだろうか。


「カジュ」


 名前を呼ばれた。


「カジュ。起きるケロ。大変ケロ」


 閉じていた目を開くと、信じられないことに旅立ったはずのグラノールの顔がそこにあった。


「……待て。お前がなんでまだここにいるんだ」


 俺は起き上がって、カジュが抱いているものに目を向けた。

 それは、俺やカジュよりもひと回り小さな女の子供だった。

 乞食よりもひどいボロボロの服を着ている。身体中が焦げていて、すすけたボサボサの青い髪からは鼻を突く変な薬品の臭いがした。そして何より異常なのは、そいつの左手と右足がないことだ。瀕死どころか、生きているのが不思議なくらいの重傷である。


「命乞いをされたケロ。なんでもするって言われたケロ。ちょっと助けるのに手が足りないから、カジュも手伝うケロ」


 なんでもないような口調をしているが、非力なグラノールがここまで運んでくるのはかなりの重労働だったに違いない。グラノールは子供を横たえると、せっせと衣服を剥ぎ取り始めた。


 ……なにかと思ったが、試験もほっぽりだして人助けかよ。


 こんなボロボロのやつを助けたって良いことなんかありそうもないが。

 俺の願いを把握したとかなんとか言ってたくせに。一体何を考えてるんだこいつは。


「ああ……。もう。好きにしろよ」


 俺は悪態をつきながら、グラノールの作業を手伝うことにした。


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