五話 再出発
当初の計画では神木のモンスターを討伐し、そのまま日帰りで村に戻る予定だったが大事を取ってもう一泊する事にした。マリスは全快していたがあんな血みどろの光景を見せられたこっちが少し参っていた。
「フラン様。少々お話をよろしいでしょうか?」
「ん? 何だ?」
焚火にあてられたのかマリスの頬が火照っている。にしても本当に綺麗な子だな。
「私もこうなった以上はフラン様の人生設計を優先したいのですが、今回は私の都合に合わせて頂けませんか!?」
「ん? いや別に…そこは好きにしていいんじゃねえのか?」
「で、ですが私はもうマリス様と契りを交わした身です。勝手は許されません!」
そう言って俺を見入るマリスの瞳がきらきらと輝いていた。
「主従関係でもあるまいし基本的には自由だぞ? 側にいてくれねえのは困るけど」
「はい。離れません」
マリスはハキハキとしゃべっていたが、それに比べて体がガチガチだった。肩は上がり、両手を意地でも動かさないと言わんばかりに膝の上へ押し付けている。
「…なんか緊張してる?」
「えっ!?」
俺の言葉にマリスは前髪を流したり左右にやったり、ワンピースの袖や裾を引っ張ったり、慌ててぬるくなったお湯を飲んで大きく息を吐いて向き直った。
「じぇんじぇん!」
「いや思いっきり噛んでるし」
お湯を温めなおしてカップに注いだ。それをマリスは真っ赤な顔でふうふうと冷まして飲んでいくうちに一息ついたようだ。
「取り乱しました」
「うん」
「それで私の都合と言うのは、まずは当主様にモンスターの討伐報告をしたいのです」
「そりゃそーか」
「次に妹の具合を確認させてください」
「妹も呪われているんだっけか?」
「…はい。しかし十歳まではわんぱくに過ごして元気いっぱいでした。しかし数年ほど前に倒れ、徐々に衰弱して近年では意識不明に…」
「それは…不味いな」
マリスの呪いと同じなら悪運を吸って一時的に助けられるかもしれない。
「だからお屋敷へ戻ろうと思うのですが、フラン様も付いてきてくださいませんか?」
「もちろん構わねえよ。て言うかマリスの行くところには俺も行くさ」
「あっ…ありがとう…ございます」
消え入りそうな声で俯くマリスの耳が真っ赤だった。この子は表情がころころ変わって面白いな。
「ところでフラン様。一つお尋ねしたいのですが、フラン様はこれから何か為されるのですか? 目的などがあればお聞きしたいのですが」
「いやー…むしろ終わっちまったからなぁ。余生でも過ごそうかと思ってたとこだ」
世界最高の冒険者パーティになるという夢は叶ってしまった。追放されたけど。
「そうですか。では第二の目標を私と一緒に探しましょう」
「へ?」
「え? だ、だって、私の人生はもうフラン様の人生と重なったわけですし。一緒に考えては駄目ですか…?」
何だか妙な引っかかりを感じる。マリスには常に俺の側にいて貰わないと困るからその通りではあるのだが…。
「目標を探すねえ。まあマリスと一緒なら俺は何でもいいよ」
「! あ、あの、あまり、その…」
マリスはもじもじしながら一歩二歩と下がり、がばっと布を被った。
「フラン様の御言葉はまっすぐ過ぎます…!」
布越しではあったがはっきりとそう聞こえた。まさかとは思うが、もしかするとこの子はとてつもない誤解をしていないか? 確かに契りとは言ったがそういう意味じゃない。相棒みたいな意味だ。布をめくって起きてくるかと思ったが静かな寝息が聞こえてきた。
「今度こそちゃんと寝たか」
と言うか俺こそが誤解をしてないか? こんな若くて綺麗な娘が三十一でオッサン丸出しの俺をそういう対象で見るはずがない。それよりも左手がかゆい。虫に刺されたようだがどこにも刺された跡が無い。薬指辺りがかゆいんだが…。
男女の甘い雰囲気より虫刺されに気を取られる自分を俯瞰して笑った。
※ ※ ※
「なにこれ…」
数日ぶりに戻ったエンジェル村はまたも様変わりしていた。温泉があった場所は野ざらしではなくなりきちんと整備されている。朽ちかけた建物はそのままだが木を伐る音がそこかしこから響いており、材木として処理されたものが次から次に運ばれていた。
「…森ってフルグライト家管轄じゃないんだっけ?」
「…はい…見なかった事にします…」
よく見れば村人の総数が明らかに増えている。老人に交じってドワーフらしき種族まで見かけた気がしたが余計な詮索は止めよう。ご老人にロバを返して礼を言って出発の準備をする。
「当主がいるって屋敷はここからどれくらいだ?」
「村からだと南西になります。ご神木に向かう道を進み、そこから西へ道なりに一日半ほど歩きます」
「日が高いしこのまま出ちまうか。水と携帯食料を準備するからマリスも支度してくれ。何か足りないものがあれば言ってくれよ」
「はい」
老人たちから少ない備蓄を貰うのは気が引けたが、天井にこれでもかと狩りたての獣が吊るされてあったので罪悪感が消えた。
ついでに井戸水を汲んでもらって水筒へ補充した。俺が汲むと伝染病が蔓延しかねない。女の支度は時間がかかるだろうからと、ゆっくり村の入り口に向かうとマリスがすでに立っていた。後ろに大きな鞄を背負っている。
「ずいぶんな大荷物だな…」
「す、すみません。あれもこれもってお屋敷から持っていったらこんな事に…」
「まあいいさ。じゃ行くか」
村の入り口に辿り着くと、俺は右手に意識を集中させて〈ラックリング〉を発動させた。緑色に光る手から鈴のような音が響く。
「フラン様…!? それは一体…!?」
「え? いやいや。知ってるだろ?」
「あの…初めてお目にかかります…」
ああそうか。マリスはあの時に瀕死だったか。そうでなくても俺はこれの説明をしない。〈ラックリング〉は理解されない事が多いのでもう誤魔化す方が早い。
「まあその何だ。これがお前の魔法を使えるようにする…えーと魔法の手だ」
「! そうなのですか! 解りました! お願いします!」
「じゃあ俺が魔法を掛けたらすぐに結界を頼むぜ。さあ〈ラックリング〉! マリスの悪運を俺に寄越せ!
マリスの〈厄〉は黒いムカデから白に輝き、見開いた薄水色の目は発光して体の周りの景色が膨大な魔力でゆらめいていく。
「魔法が…解ります!」
「そりゃ良かった」
俺は恐る恐る村の外へ一歩踏み出した。しばらく辺りを観察したが何も起きない。
「そんな訳ねえ。絶対に何か…」
その時に妙にこもった音が聞こえた。遠くから聞こえるこれは…? 耳を澄ませると山から聞こえてくるような気がする。
「な、何だ? 落石か…?」
嫌な予感がしたので村から足早に離れると、音がどんどん大きくなっていく。地面まで揺れているようだ。
「ん!?」
山がぐにゃりと波打ったように震えた。そして次の瞬間に音の正体が理解できた。轟音を纏いながら木や土砂が水と化して滑り落ちてくる。
「や、山崩れ!?」
幸運になった人間は大規模災害に巻き込まれる事はない。だと言うのにこれではエンジェル村の人たちも被害を受ける。あり得ない光景に度肝を抜かれたが、俺は踵を返して逆方向へ全力で走った。
「う、う、うあああ!」
しかし山津波は野盗と違ってあまりに早かった。俺はその土砂に足を取られて転倒してあっさりと飲み込まれ、世界は闇に包まれた。手を伸ばすと温度を感じない何かが俺の周りに存在する。
「よ、良かった。結界のおかげで土に押し潰されなかったか」
しかし逆にこちらから外に何もできない。
「どうする…!?」
心臓の音がでかすぎて上手く考えがまとまらない。
『…』
「ん!?」
何か今…声が聞こえた?
『…』
聞こえた! 確かに人の声らしきものが聞こえてきた! 村人だろうか? 土砂に埋まった俺を探してくれているのかもしれない。
「おい! ここだ! 助けてく…」
急に体がおかしくなった。まるで巨人の手が俺を押し潰そうとしているかのように、上から何かの力を感じる。
「んぐ…!? なっ…!?」
その力が徐々に失われると世界に光が戻った。エンジェル村が端から端まではっきり見える。鳥が俺と同じ目線で飛んでいた。
「え」
自分が空中にいる事も驚いたが、それよりなにより、目の前にマリスが浮かんでいた。
『天の理は風。大地の言の葉を優しく舞い上げる
「え? マリス?」
『天は汝を理解する。白も黒も全てを包め』
優しい笑みを浮かべたマリスはささやくように呪文を詠唱していた。
『
低い風の音が鳴ったかと思えば、俺の周りの土砂は完全に無くなっていた。訳が解らず呆然としていると徐々に大地へと降下していき、ゆっくりと音もなく地面に足がついた。すぐ上には風を纏いワンピースを抑えているマリスが恥ずかしそうな顔をしている。周りに目をやるとさっきの土砂が完全に消えていた。エンジェル村にも全く被害が無かったようだ。
「え…!?」
ゆっくりと降りてきたマリスに事情を尋ねるが、はにかむ笑顔を止められないらしくずっと恥ずかしそうに微笑んでいる。
「も、もう見られちゃっていますけどね…」
一瞬意味が解らなかったが、どうやらこの子は下着を見た見ないの話しをしているらしい。
「じゃなくて! マリス! 何が起きたんだ!?」
「え? ええと。フラン様が土砂に巻き込まれたので…風魔法で土砂を一度舞い上げて助けようと思いました」
「…風魔法…? お、お前は…そんなのも使えるのか…? しかも自分まで浮かせてあんな強力な…」
「ちなみに初級魔法です」
「もういいよ! 解ったよ!」
なぜ大規模災害が起きたのか解った。マリスがいればエンジェル村の災害を防げるからだ。俺や村を飲み込むような災害でも被害が出なければ起きていないと同じ事だ。俺も知らない〈ラックリング〉のルールに触れたような感覚に陥り少し恐怖を感じた。
「結界で守られているのは吉なのか凶なのか…」
当のマリスはまだ恥ずかしそうにしている。そう言えばムカデに触れたのに痛みを感じなかったな。その違和感にほんの少し引っかかったが、魔法の世界は俺には解らん。考えるだけ無駄だ。前途多難だがとりあえず屋敷に向かう事にしよう。
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