三話 聖域の惨劇
「おはようございます!」
「んおっ!?」
目の前に薄水色の瞳をした美少女がいる。冒険者パーティを追放されたショックを受けてとうとう幻覚を…!? いやマリスだった。あくびをしながら首を傾けると空が白んでいるのが見えた。
「朝か…あれ? 俺、寝てた?」
「ほんの少しだけですよ」
そう言うマリスの目の下にはクマがあった。どうやら眠れなかったらしい。呑気に熟睡していると思い込んだが、俺が思うよりもずっと追い込まれているようだ。
「…大丈夫か?」
「はい」
季節は春先だったが森にいるせいか冷気が強く、焚火で沸かしたお湯がありがたい。ふうふうと冷ましながら飲むマリスは少し嬉しそうだった。
携帯した堅パンをお湯で柔らかくして口に運ぶ。お互い言葉少なく簡単な朝食を済ませた。ロバ達にも餌と水を与えて出発の準備を整える。
「じゃあ行くか」
「はい行きましょう」
森は無秩序に見えて人が歩ける程の隙間があった。道とは言えない頼りないものだったが、これが神木のある場所まで続いているそうだ。
「遥かな昔のご先祖様が切り開いて下さったらしいです。先代の私のおじいさまもよく通ったとか」
「ほお。物騒な森かと思ったが気軽に歩けるのか?」
「ご神木の守護です。これまでモンスターが出たという報告は聞いておりません。ですが…」
会話はそこで終わり、俺たちは黙々と足を進めた。
ロバ達と道なりに歩いていると、徐々に風景が変わってきた。草地だった地面が石畳に代わり、腰まである石柱が左右に並んで進行方向へと続いていた。その向こうに石造りの簡素な建物がある。
石造りの建物に扉は無く、人が二人分ほどの幅をぽっかりとくり抜かれた入り口がある。その上部に家紋のようなものが彫ってあった。ギザギザとしたそれは雷をモチーフにしたようにも見える。
しかもこれは建物だと思っていたが、ご神木をぐるりと囲っているだけの壁らしい。ずいぶんと手が込んでいる。
「こりゃ驚いた。規模は小せえがまるで神殿だ。立ち入るなって言われても納得だ」
「フルグライト家にとってここはまさに聖域なのです。フラン様も中に入っては駄目ですよ? もし一族以外の者が入ったら天罰が下っちゃいますから」
「ふん! そんなもんしょっちゅう食らってるわ」
魔力を持ってない俺にでもここが特別な場所だと解る。だからこそ、こんなところにモンスターが巣を張る事の異常さにようやく気がついた。もしかしたらラージコパなんかじゃないかもしれない。
「もうここで大丈夫です」
「え」
「色々とありがとうございました」
「いや何もやってねえけど…」
「一緒に来て頂いただけで有難かったです」
それではとマリスは頭を下げて入り口に向かった。その背中をぼーっと見ていると彼女が振り向いた。
「本当は凄く、物凄く怖かったんです」
「お、おお」
「でもフラン様のおかげで安心できました」
「だからなんにもしてねえって」
「いいえ」
髪や服が風になびくマリスの姿は、この場所のせいもあって神々しかった。
「一緒に居てくれてありがとうございました」
「あ…お、おう…」
微かな笑みを浮かべてマリスは建物に入っていった。カツカツと石畳を蹴る音が響き、そして何も聞こえなくなった。
「まるで今際の言葉じゃねえか…」
どうする? 黙って入るか? 天罰がどうの言ってたがクソくらえだ。よっぽどの事が無い限りマリスの身は大丈夫だとは思うがマリス自身の悪運が気になる。もしかすると幸運装備よりマリスの悪運が勝つかもしれない。下手をすると今日ここで…死…。
「おふっ! おふっ! おふっ!」
「うおわあ! びっくりした! 何なのその鳴き声!?」
ロバがぞろぞろと建物の中に入っていく。どうやらマリスの後を追って行こうとしているらしい。
「え? ちょっと?」
呆然と見送っていると、俺の顔を何かがかすめた。どん! と重い音を響かせたそれは頭ほどの岩石だった。
「うわ! ちょ、待ってロバ! 死ぬ! 俺が死ぬ!」
何とか追い付いてロバと一緒に進んでいくと出口が見えた。日の光に照らされて良く見えない。顔をしかめながらようやくたどり着くと小高い丘が見えた。目が慣れていくに従って色々な物が確認できる。
緑が絨毯のように敷き詰められ、その中心に大木が鎮座していた。その大木に白いもやの様な物がいくつも絡みついており、枝が無理やり巻き込まれて引き裂かれ歪んでいる。神々しさは無残にも蹂躙されていた。
「あれは…!?」
我が物顔で神木を舐るモンスターはラージコパなどでは無かった。モンスターは獅子の顔に蜘蛛の体を持っており、足が肉食獣のように太く爪が大きく鋭い。
「な…何だ…ありゃ…!? あんなの見た事ねえぞ…?」
冗談みたいなモンスターに警戒しつつ回り込みながら近づくと大木の側に人影が見えた。苦悶の表情を浮かべて体を懸命に動かそうとしているその人影はマリスだった。
「お、おい! 大丈夫か!?」
「えっ」
驚いたマリスは俺の方を見たが、その隙をモンスターは見逃さなかった。太い前足をマリスに勢いよく突き出した。しかし足場にしていたご神木の枝がばきりと折れて体勢を崩して空振りに終わった。
「フラン様!? どうして…」
「ま、前を見ろ! 何度も幸運が起きるとそれだけ早く運が平均化していく! その前に仕留めろ!」
「で、でも体が動かなくて! べとべとの糸が絡んで…」
「言わんこっちゃねえー! 注意したろうが! 近づいたら終わるって!」
ラージコパでもそうなんだから、こんな禍々しいモンスターに接近するべきじゃない。が、助けるには近づく必要があった。
「俺は戦闘員じゃないんだけどな~~~~!」
家畜笛を吹いてロバを先導してマリスに向かわせた。幸運に守られたロバ達の影に隠れつつ雑貨鞄から種火石と黒い革袋を取り出し、革袋の中身をぐいと口に含んでマリスに向かって吹きかけた。
「ぷえっ!?」
「ちょっとびっくりするぞ」
種火石を擦って火花を出すと、油がたっぷりかかったマリスが勢いよく燃え上がる。
「ひゃああああああ!?」
「大丈夫だ!」
すぐに炎は消えマリスは硬直したまま地面に転がった。目だけがきょろきょろと動いている。
「下がれ! 糸はもう焼き切れたはずだ!」
「あ、あ、はい」
体を起こして俺の方へ近づくマリス…その後ろに、モンスターの太い足が見えた。
「しゃがめ!」
「はい!? あっ!」
マリスは小さな声を上げて地面に転んだ。そのすぐ上を足が通過して空気を切り裂いた。その音は低く重く一撃でも当たったら死を連想させるには十分だった。
「ヤバい! ヤバい! あと何回くらい残ってる!?」
マリスの身に着けている物の〈厄〉が濁り始めている。
「くっそ! 思った通り…幸運の減りが異常に早い!」
つまりこれはマリス自身の悪運が勝っている事を意味していた。だが悪運に傾いた物ならそれを吸ってまた幸運にしてしまえばいい。
「マリス来い! もう一度だ! 身に着けている物の悪運を…」
そう言いかけた俺の目にモンスターの前足が迫っているのが映った。その途端に体が、モンスターの足が、世界がゆっくりになった。辺りを見るといつの間にかロバ達がいない。壁の隅で一塊になって震えていた。
(ああ、こりゃ、そうか。これが…死ぬ間際に見る景色って奴か)
出来る事はほとんど無いが、せめて幸運状態のエバーオークの杖に当たるよう身構えた。これで少しは…。
「っ!」
衝撃の後の暗転。暗闇の中から音が鈍く聞こえてきた。ぜはあ、ぜははあ、という音が俺の乱れた呼吸音だと気がつくには少し時間がかかった。世界に色が戻り全ての物が明瞭になっていく。俺の目の前に何かがあった。砕けた杖、ぶち巻かれた雑貨鞄の中身、肌色、赤色、そして黄金色の髪の…。
「マ、リス!?」
途切れかけた意識に活を入れるために舌の一部を噛みちぎる。甘い痛みで何とか留まるとそこには地獄が待っていた。
「ふら、ふ、らん、さ、ま」
操り人形の糸が切れたものが落ちていた。穴という穴から赤いものを流したそれは、かつてのマリスによく似ていた。ほんの数日しか知らないが美しくて儚く優しい娘に。
もう選択肢なんて無かった。
「〈ラックリング〉! こいつの悪運を全部俺に寄越せえええ!」
緑色に光る右手が妙な方向へ曲がっていた。右手が千切れていない事に安堵し、それを左手で強引にマリスへと向かわせる。めきめきと音が鳴ったが構っていられない。
「
マリスのムカデに触った瞬間に全身を焼き焦がすような痛みに襲われた。
「ぐっ?! が!? あああああああ!?」
まるで雷を浴びているようだ。何なんだこの悪運は? 普通じゃない。
「う…!?」
俺の意志とは無関係に体勢が崩れた。しかし間に合った。マリスの悪運を全て吸い取ってやった。
「はあ、はあ…さあ、幸運にしたぞ! マリス! なあ!? 聞いているか!? もう大丈夫だ! 奇跡でマリスは助かる! 絶対だ! 俺に悪運を吸われた人間は幸せに…」
物言わぬ人形のようにマリスは静まり返っている。
「おい…おい! 違うだろ! 起きるだろ! 奇跡が! 幸運が! 俺なんかが予想できないとんでもない事が!」
マリスは動かない。赤い血だけが地面にどんどん広がっている。
「…くそったれが…!」
急に辺りが暗くなった。首を傾けると空中に壁が浮いていた。いやそれは俺に向かって飛んできた死そのものだった。
「…ふん…最高の人生だったぜ…ってか…」
どん…という鈍い音が聞こえた。俺の体は完全に潰されたのだろう。死ぬ瞬間には走馬燈を見るらしいが迷信だったな。ただただ暗闇が広がっているだけだ。
「ふ、ら、ん、さ、ま」
聞き覚えのある声に目を開けると目の前に瓦礫が見えた。訳が解らず声のする方に顔を向けると、マリスの体がぱきぱきと音を鳴らしながら元に戻っていく様が見えた。
「え?」
辺りが急に明るくなった。さっきまであった瓦礫は音もなく一瞬にして粉々に消え、大木にいるモンスターがはっきりと確認できた。
「フラン…様…こ、これは…?」
黄金の髪をなびかせた美しい娘の体は完全に元に戻っていた。だがそれだけではない。薄水色の瞳が煌々と光を放ち、あれだけ頼りなかった小娘の雰囲気が一変し、稀代の大魔導士のようなそれに感じるほど変わり尽くしていた。
「え、えーとゴメン逆に聞いていい? ソレどうなってんのぉ?」
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