二話 森のクモさん
モンスター討伐の出発当日に事件は起こった。
「え? なにこれ?」
目の前を呑気な顔をしたロバが群れを作って横切っていった。向かう先を見ると老人が笛を吹いて誘導している。そのロバ達を使って器用に大地を開墾しているようだった。
「…何でロバがこんな大量にいるんだ?」
それ以外も村の様子に変化が見られた。あれほど覇気の無かった老人たちが率先して体を動かして色々と作業をしている。
「おはようございますフラン様」
「おおマリスおはよう。こりゃどうなってんだ?」
「私にも何が何やら…」
老人たちは口々に若返ったとこぼしている。確かに悪運は吸ったが若返る訳じゃない。恐らく何かの幸運が起きているのだろう。俺には計り知れない領域だ。
「しかし困ったな…モンスター討伐どころか村から一歩も外に出られねえ」
マリス一人を幸運にしたところで、俺の中にある数百人分の悪運を完全に防ぐのは難しい。少なくとも四、五人以上は必要だ。老人たちについてきてもらう訳にもいかない。
「おふっ! おふっ!」
妙な鳴き声のロバを眺めて閃いた。さっそく家畜笛を持つ老人に交渉してロバ達を数体ほど借りる事にした。
「あの…フラン様?」
「まあまあ。ちょっと待ってな」
「数日間くらいなら問題ねえかな」
百余名の幸運に囲まれて釣り合いが取れていたのだからあくまで即席だ。さっさとこなして戻ろう。前日に準備を済ませていたのでそのまま村を出る事になった。
「あの…だ、大丈夫…なんですか? ロバさんが襲われたりしませんか?」
「今のこいつらは幸運だからな。襲われたとしても俺だけだ」
納得がいってないようだったが、俺が〈グランドフッド〉だったという事もあったのか引き下がってくれた。
「それで場所は解るのか?」
「はい。廃村があったのは知らなかったのですが、ここには大昔に遺跡があったと教えられておりましたので。ここからならおおよその見当がつきます」
※ ※ ※
マリスの案内でエンジェル村からしばらく南下したはずだが景色が一向に変わらない。どこまでいっても森しか見えない状況に不安を覚えたが、ここら一帯を治める領主が管理する森らしく、一応は人の手が届いているようだ。ちなみに一般人が無断で立ち入るのを禁止しているらしい。
老人に借りた家畜笛を時折吹きながらロバを動かしつつ進んでいると巡回兵とかち合った。
「止まれ! ここはフルグライト家の管理地だ! お前達そのロバは…ん!?」
「森の警備ご苦労様です」
「ま、マリス様!? なぜこのような所に…」
「…モンスターの討伐です」
マリスの言葉に巡回兵の顔が引きつった。呼吸を忘れていたように一度大きく空気を吸い込んでマリスを見つめた。
「では自分もお供します!」
「いいえ、それは駄目です。貴方は当主の仕事を任されている。それを放置して私に加担することの意味を解らない訳ではないでしょう?」
「で、ですが…!」
「大丈夫ですよ。何せ私の後ろには〈グランドフッド〉の精鋭がいるのです!」
青年は驚愕の表情で俺を見て、すぐに近寄り両手を握って来た。
「マリス様をどうか、どうかよろしくお願いします…!」
「お、おお。任せな」
そう言って巡回兵は自分の仕事に戻っていった。
「森の最奥にフルグライト家に所縁ある神木が鎮座しているのですが、最近そこにモンスターが巣を張ったと連絡があったのです」
「木に巣を? どんなモンスターだよ」
「報告によると…蜘蛛型のモンスターだと」
「コパ系か。狭く湿った洞窟じゃねえ場所に巣くうならラージコパあたりか? まともに戦ったらタチが悪いが火に極端に弱い。吐き出す糸も簡単に溶けるし、初級の火炎魔法でも松明でも火を使えばすぐに追っ払えるな」
そこで少し安堵した。追っ払えばいいなら俺達だけでもやれるだろう。
「…火は使いません」
「はい?」
「神木には傷の一つもつけてはなりませんから」
「おいおいちょっと待てよ。俺の話を聞いていたか? あいつらとまともに戦うのは難しいんだ。基本的に空中に張った巣にいるから射撃や魔法に頼らざるを得ねえし、近づいたら見えないほど細い捕獲用の糸に絡まれて終わりだ」
「討伐と仰せつかったので」
声が低く体が震えている。マリスの顔が死人のように青い。
「わ、解った。それは理解したから、せめて人員を増やそうぜ? さっきの巡回兵とか」
「神木にはフルグライト家以外の立ち入りを禁止しています」
「は、はあ? じゃあ俺は?」
「道中をお守り頂ければ」
「待て、待て、待て! お前おかしいぞ!? 一人でコパを討伐するって言ってねえか!?」
「そう言っています」
「いや…そんな…」
「…」
深い事情があるのだろう。今にも泣き崩れそうな表情で、それでも力強く歩を進めるマリスを見るにそう思うのは難しくなかった。
「おふっ! おふっ! おふっ!」
「うわ!?」
「きゃ!?」
いきなりロバ達が吠え出した。モンスターが近くにいるのかもしれない。
「警戒しろ! マリス、そういやお前の武器は!?」
マリスは恐る恐る背中に手をやり、ゆっくりと下から引き抜いたそれは手のひら程の小さな果物ナイフだった。
「う、嘘だろおぉぉ!?」
マリスは目を見開いてかちかちと歯を鳴らしながら小さな果物ナイフを両手でぎゅっと握りしめている。
「ま、まさか、お前…! 実戦経験は!? つーかモンスターと戦った事は!? まさか剣術も格闘も訓練段階か!? いや! それさえ受けてねえとか言うなよ!?」
「…ません」
「え!? もっかい! 大きな声で!」
「あ、あ、ありませんーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
森に響く悲痛な叫び。ロバ達はその声を聞いたせいなのか大人しくなった。鳥の鳴き声だけが森に響いている。
「そうか。ふー、どうやらモンスターとかじゃねえようだ」
「そ、そうなんですか? 良かった…」
「はっはっは。じゃあ奥に進むか?」
「はい!」
「…ってなるか馬鹿あああああ! 撤退だ撤退いいいいいい!」
「え!? ど、どうして!?」
「どーもこーもふざけんな! お前はただの女の子じゃねーか! そんなんでラージコパなんか倒せるか! 小さなネズミでも苦戦するわ!」
「…でも」
「ああん!?」
「わたしが…モンスターを倒さないと…い…妹が…」
下を向いて必死に泣かないよう堪えるが、マリスの努力も虚しく次から次と涙が地面に落ちていく。
「脱げ」
「…え?」
顔を上げたマリスは涙と鼻水にまみれていた。俺の言った意味が解らないらしく、ぽかんとしている。
「だから鎧を脱げって。あとは服だ。下着も、耳飾りも何もかも脱げ。ナイフも出せ」
「な…何を…?」
「いいから。脱いだらここに全部置いて、お前は木の陰にでも茂みにでも隠れてろ。すぐに終わる。ああ誤解するなよ。えーと補助魔法を掛けるんだ。服を着ていたらお前の悪運まで一緒に吸っちゃ…ともかく言われた通りしてくれ」
マリスはしばらく躊躇したが解りましたと鎧を脱ぎ始めた。少し離れて後ろを向いて待っていると遠くから「脱ぎましたー」という声が聞こえた。なるべく視線を上げないように振り返ると地面には綺麗にたたまれた衣服や鎧が置いてあった。
「…自分で言っといて何だが…昨日今日知り合った男の言う通りに身に着けているものを全部脱ぐとかあいつ大丈夫か…?」
ただの世間知らずなお嬢様じゃないと思ったんだが。俺はマリスの鎧に手を置いて〈ラックリング〉を発動させた。
「
胸鎧、白いワンピース、手袋、下着等などなどマリスの身に着ける全ての物が幸運のアイテムと化した。ちなみに俺の黒いローブから雑貨鞄や杖まで全て幸運状態にしている。大きめのローブを革鎧の上から羽織っているのは幸運状態の表面積を稼ぐためだ。
「あ、あのーー」
どこからかマリスの声が響いてきた。割と遠くにいるらしい。
「悪いー。もうすぐ終わるからー」
「し、下着は…あんまりじろじろ見ないでくださいねーーー」
「な」
この歳になって甘酸っぱい感じになっても妙に照れるからやめて頂きたい。
「か、軽い…!」
幸運状態にした鎧や衣服を着こんだマリスはぴょんぴょん飛んだり、軽く走ったりして動きの調子を見ている。
「そりゃそうだ。今お前が身に着けている装備はダンジョンから出土されるような伝説級の遺物並だ。下手な攻撃なんか当たらねえし当たってもダメージは何故か通らねえ」
「何故か…通らない? …とは?」
「まあそこは、その、俺にも解らん。たまたま運が良かったから? みたいな」
「はぁ…」
納得がいかないようだったが、やはり引き下がってくれた。良い子だこの子。
「それならラージコパの攻撃なんか屁でもねえ。偶然と奇跡が重なって全ての災難からお前を守ってくれるだろう」
「…」
「ん? どうした?」
「フラン様は大魔導士様だったのですか…?」
「はあ? ははは。魔法なんか使えねーよ」
「では何故このようなことが…?」
一瞬だけ躊躇したが俺は素直に語る事にした。
「俺は人や物の悪運を吸い取る事ができんのさ」
「え…?」
小首を掲げてぽかんとするマリスを尻目にロバ達を動かして前に進んだ。明日の早い時間に神木に辿りつきそうなので日が落ちる前に野営をした。よほど疲れていたのか、支度が終わるころにマリスは深い眠りについていた。ロバの寝言がうるさいが全く目を覚まさない。心身ともに疲れ切っているようだ。
「どんな事情があるんだか…」
焚火を見ながら考える。幸運装備はどんなモンスターの攻撃も受け付けないが、マリス自身にモンスターを倒せる力が無い。一応はナイフも幸運にしたが当たらないのではさすがに意味が無い。
「いざとなったらマリスの悪運を吸うか…?」
ムカデのような悪運を吸ったら俺がどうなるのか見当もつかない。さすがに躊躇してそのままにしていた。
「…死んだりしてな」
焚火に彩られたマリスの寝顔はやはり美しく、そして幼かった。
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