十二ノ巻 覚醒スル、魂(四)


 その野良ソクシンブツの男は、座り込むようになってまだ日が浅かった。

 だからまだ、周囲で起こっていることに対しての感受性がわずかに残っていた。


 たとえば、人々がふと彼に目を止めたとき、瞳をよぎる感情。

 雨に濡れて路上にへばりついた落ち葉や、クモの巣に引っかかって干からびた虫けらを見るような、あの眼差し。

 その一瞬だけ、笑顔のかたちに強張った能面から生の感情が覗くのを男はしっかり認識していた。


 そういうものなのだ、自分は。


 だから、ビルよりも大きい憑鉧神が津波のように彼を呑み込もうと迫ってきたときも、彼は従容しょうようと運命を受けいれるつもりだった。


 だがどうしたことだろう。

 来るはずの終わりがなかなか訪れない。

 彼ではなく、運命のほうが恐れをなしたというのか。


 疑問の答えを確かめようとするだけの意思はまだ残っていたので、彼は視線だけを動かした。

 そして見た。

 深紅のMFが、彼を守るように憑鉧神の前に立ち塞がっているのを。


 サンバイザーを目深に被った女性を思わせる顔が、彼を見下ろす。

 早く逃げろ、という思念が降ってくる。


 たまたまそこに立っているのではない。

 深紅のMFは、明確に彼を――いや、彼だけではない、死せる生者たちを守ろうとしていた。

 まともな人間にとっては、塵芥ゴミに等しい彼らを。


「なん――で――」


 止まっていた心臓が、動き出した。

 そんな感覚が、彼を襲った。





「ショウゴロウ、このまま立ってちゃダメだ。場所を変えないと」

「そうだな」


 将吾郎は清姫プルガレギナの頭部バルカン砲を発射。

 右にステップして、再度発砲。

 憑鉧神の頭部が清姫プルガレギナを追いかけるように向きを変える。


「食いついた! このままスザク・ストリートに誘き出そう!」


 ホイールローダー型憑鉧神の体躯は大きい。

 今いるのは4車線くらいありそうな路地だが、それでも憑鉧神が動くたびに道路に面する建物が削り取られていく。


「スザク・ストリートなら収まるけどさぁ……。こんなのとどうやって戦うわけ?」


 将吾郎は返す言葉を持たない。

 裕飛も逸花もいない今、この憑鉧神を放置すれば多くの人が死ぬ――そう思うと、これ以外の行動を取る考えは頭から飛んでいたのだ。


 どうやってこれを撃破するかなど、見当もつかない。


 タンカー、いや氷山のようにさえ思える眼前の敵を見上げ、将吾郎は途方に暮れる。

 スザク・ストリートへの誘導は完了した。さあ、それで?


「――!」


 清姫プルガレギナのレーダー式神が、近づいてくる新たな機影を将吾郎の脳に警告する。


 後方から、鳥が1羽飛んでくる。

 ただの鳥ではない。

 大きさはMFと同じくらいあったし、そのシルエットはひどく角張っていた。

 翼を水平に広げたまま、羽ばたきもせずに近づいてくる。


 接近したことで、その全容がわかった。

 鋼鉄の大鴉オオガラス

 その腹の下には、清姫プルガレギナの全長ほども長さのある、長方形の鉄塊が槍のように前を向いている。


 その鉄塊が長い砲身を持った銃だと、将吾郎にはわかった。

 大鴉は清姫プルガレギナの右隣にまで移動すると、その場に浮遊。


 ――ショウゴロウ君、聞こえますかな。


「ハルアキラ博士?」


 ――それはG-R.A.V.E.N。Gun-unit of Remote-control Attendance Variable Energy Nine-modes。遠隔操作随行式9段可変型エネルギー複合銃、といったところですかな。ユウヒ君のアイデアで作ったものです。


「裕飛が……」


 ――使い方は渡界人の君ならわかるでしょう。右手を出せば、オートで装着されます。細かい仕様も、接続時にインストールされますぞ。


 将吾郎は右手をかざす。

 大鴉が羽を畳み、銃身側面が開いてトリガーと接続ユニットが露出した。

 ハルアキラの言うとおり、Gレイヴンは宙を滑るように清姫プルガレギナの右腕とランデヴーを果たす。

 Gレイヴンのデバイスドライバが清姫プルガレギナの電脳式神にインストールされる。


 脳内に展開した説明書から、将吾郎は必要な情報を閲覧する。

 ハルアキラが今これを将吾郎に託したからには、この状況を打開する能力がGレイヴンにはあるはずだ。

 その直感は、的を射ていた。


「Gレイヴン、デストロイ・モード!」


 フォアグリップが展開。

 清姫プルガレギナは両手でGレイヴンを構える。


『Gレイヴン、デストロイ・モードに移行』


 電脳式神のアナウンスが将吾郎の脳に響く。

 ターレットレンズ状マズルが回転し、大口径砲の砲口がセットされた。


『エネルギーライン、全弾直結』


 砲身の一部がネジを締めるように回転し、緑色のLEDに似た光が作業の完了を伝える。


『ランディングギア、アイゼン、ロック』


 大鴉型の運搬ユニットが銃身から分離し、清姫プルガレギナの背中に装着される。

 地面に向かって大鴉の脚を構成するアンカーが飛び出し、突き刺さる。

 清姫プルガレギナの足裏からもピックが飛び出し、機体を固定した。

 

『エネルギー、チャンバー内で正常に加圧中』


 Gレイヴンが唸り声を上げる。

 砲身の中で、圧縮加熱されたシャーマニュウムが牙を研ぐのを将吾郎は感じ取る。

 その光が砲口から漏れ、周囲を照らした。


「ダメだよ、ショウゴロウ!」


 ポンテが悲鳴をあげる。

 デストロイ・モードはGレイヴン最大の攻撃手段だが、発射までには相応のチャージを要する。

 もちろん、それを敵がじっと待ってくれているはずがなかった。


 憑鉧神が前進。

 Gレイヴンが火を噴く前に、清姫プルガレギナごと押し潰そうという腹だ。

 同時に、頭部から伸びた2本の角が光る。

 シャーマニュウムを加圧して発射する――シャーマニュウム・ビーム砲とも呼べる武装を、ホイールローダー型憑鉧神は有していた。


 角の先端から、紫電をまとったプラズマが飛んだ。

 命中すればMFなどバラバラに砕く威力がある。

 だが今、射撃体勢に入った清姫プルガレギナは身動きが取れない。

 そしてもはや、互いの間隔は射撃を外すような距離ではなかった。


『ライフリング回転開始』

 

 発射可能サインはまだ出ない。

 このまま、あえなく叩き潰されてしまうのか。


「ショウゴロ――」


 ポンテが言い切る前に、憑鉧神のビームが清姫プルガレギナの影と重なった。


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