十二ノ巻 覚醒スル、魂(二)


 カルネロが、死んだ。

 殺された。


 ハルアキラが立ち去ったことにも、将吾郎はしばらく気づかなかった。

 「胸にぽっかりと穴が空いたような」という、使い古された比喩表現を我が身で実感していた。


 カルネロの死にショックを受けているわけではない。

 なにもしないでいた自分を、将吾郎は痛切に後悔していたのだった。


 なぜ、忘れていたのか。

 長老だって、城壁にいた人たちだって、カルネロだって、結局助かっていない。

 自分が動いても動かなくても、どのみち不幸な犠牲は生まれ続ける。


「なんてこった。行動しようがしまいが、どっちみち嫌な気分になるんじゃないか……」


 ポンテを助けようとする者はもういない。

 奈々江はダメだ。裕飛はいない。逸花さえ。そしてカルネロは死んでしまった。

 じっとしていれば、夢の通りに彼の死亡通知を受け取ることになるだろう。


 『俺の最期の言葉、ちゃんと受け取ってくれたよな』。


 受け取ってくれてありがとう、でもなければ過去を懐かしんだわけでもない。

 あれは、確認だ。

 受け取ってくれただろう、そうだよな? 受け取ったなら応えてくれるよな? ……そういう意味だ。


 そしてカルネロの言う最期の言葉とは、ライバルだの抜け駆けだのではない。

 彼が将吾郎の名前を呼んだ、あのときのことだ。


 あの時カルネロが将吾郎に嘘をつけと目で訴えたのは、将吾郎のためなどではなかった。

 そこまで2人は仲良くない。

 彼が助けたかったのはあくまでポンテだ。

 2人一緒に牢にぶち込まれても、できることなんてなにもない。

 少しでもポンテの救出確率を上げるために、ああ言ったのだ。


 『ポンテを助けてくれ』。

 それがカルネロの――わずか数分だけ友達だった男の、本当の『最期の言葉』だ。


 よく知らないアウターエルフに望みを託すしかなかった哀れな男の願い。

 無下に踏み折られていいはずがない。

 救わなければ。愛する者に裏切られた、天涯孤独孤立無援の魂を。

 そしてそれはもう、将吾郎にしかできない――いや、将吾郎以外誰もやらないことだ。


「僕がやらなきゃ……」


 手探りで暗闇の中をうろつく。

 慎重に動いたはずが、それでもあちこちに手足をぶつける羽目になった。

 そのたびに、将吾郎の脳に火花のような怒りが明滅する。


 どうしてこう、僕の人生は上手くいかないのだろう。

 まるで、世界が「出しゃばるな」と言っているようだ。


 おまえ如きが出てくるな。

 目障りだから隅でじっとしていろ。

 どうせなにもできないくせに。

 おまえが動けば、みんな不幸になる。迷惑する。不快になる。


「……それでも僕は産まれてきて、生きてるんだ」


 伸ばした手がなにかをつかみ取った。照明スタンドだ。

 ドアまで戻ると、将吾郎は思いきり、スタンドをスチール扉に叩きつけた。


「なにもするなと言うんなら、なにもしなくても僕が幸せでいられるようにしてみせろ! それができないなら、僕だって――おまえたちの幸せなんか、知るものか!」


 数回殴ったところで、照明の傘が砕ける。

 破片が飛んで、頬をかすめた。

 鋭い痛みが生じたが、かまいはしない。


「おまえらの『迷惑』程度に! 『不快』程度の問題に! 誰かに死んだような生き方を強制する値打ちなんかあるものか! 空気が悪くなるってんなら、そのまま絶息してしまえ!」


 ただのアルミの棒になったスタンドをドアの溝に差し込んで、押す。


「ぐっ……」


 重いドアは、浮きもしなければ傾きもしない。

 逆にスタンドが折れ曲がった。


「なんで、こんなに、頑丈……ッ!」


 将吾郎は力任せに扉を引いたり外そうとしたり、体当たりなどもしてみたが、疲れただけだった。


「うわアアァァ――――ッ!」


 自棄になって、部屋にある者を手当たり次第ぶつける。

 それでも少し表面が凹んだ程度だ。


「僕は……生きる! 他人の心を傷つけてでも! 邪魔する奴とは戦って! 勝てなかったとしても、一生消えない傷を刻み込んでやる!」


 たとえ自分がなにかすることで、生者が不幸になるとしても。

 なにもできず、踏みつけられるまま死んだ者のため。

 愛する者に切り捨てられた哀れな者のため。

 なにより自分自身の幸福のため。

 そのためなら、僕は世界を不幸にする生きることができる――。


 伸ばした手が、壁に当たる。

 人差し指が他と異なる、つるりとした感触を返してきた。

 思念感知パネル。


「開けぇ! 僕の邪魔を、する、なぁぁぁッ!」


 ――Pi。


 電子音とともにパネルが発光。

 ラムネの栓を抜いたみたいな音を立てて、扉がスライドした。


「…………?」


 光が、目の前に広がる。

 吹き込む風が髪をグシャグシャに掻き回していった。

 新鮮な空気が胸に雪崩れ込む。


 将吾郎の足が敷居を飛び越える。

 そして少年は、目的を持った足取りで走っていった。



 目指すは――式神殿。

 そこには深紅の鎧武者が、五月人形めいて安置されていた。

 まるで自分を待ってくれていたようだと、将吾郎は思う。


 式神殿にいる者たちは、ポンテの捕縛や将吾郎の幽閉に関してなにも聞かされていなかった。

 だから将吾郎が清姫プルガレギナに近づいても、止めるどころか注意を払うことさえなかった。


 将吾郎が独力でコクピットハッチを開くまでは。


 ざわつきはじめる周囲をよそに、将吾郎はシートに座り、シートベルトを締める。

 レバーを握れば、それまで瞬くことさえなかった光が、狭いコクピット全体を照らした。

 蒼炎が機体を包む。


「……僕が、全部人任せにして、自分で生きる勇気のない臆病で卑怯な怠け者だったばっかりに、おまえには情けない思いをさせちゃったな」


 清姫プルガレギナを与えられてから1ヶ月。

 毎日この座席に座っていたのを思い出す。

 何度も座っていれば、そのうち動くのではないかと期待して。


 思えば無駄なあがきだった。

 MFの整備がいくら完璧でも――無い意思は伝えようがない。


「ショウゴロウ君!」


 ハルアキラが駆け寄ってくるのが見えた。

 清姫プルガレギナの前に立ち、通せんぼをするように両手を広げる。


「捨て鉢になってはなりませぬぞ! 血気逸らずとも、君に価値が生まれれば、ポンテ君を生かしておくことができるのですから!」

「人質としてでしょう? あいつの命と引き替えに、僕はあなたたちの犬になるわけだ」


 清姫プルガレギナが身じろぎする。

 壁から伸びた固定具がミシミシと軋んだ。


「ハルアキラ博士、あなたの見立ては間違いだ! 裕飛も米河さんも関係ない。僕がこいつを動かせなかったのは、自分で自分を檻に閉じ込める、怯懦によるものだ! 僕はもう、自分に首輪をつけたりしない!」


 断言台詞。まるでヒーローみたいで、苦笑する。


 将吾郎はこれまで自分を脇役だと思ってきた。

 ヒーローとは裕飛のことで、自分はその引き立て役であるべきだと。


 別に、裕飛に取って代わりたいわけではない。

 脇役だからと自分に枷をはめるのを、もう終わりにするだけだ。

 裕飛の物語を滅茶苦茶にすることだって怖れはしない。

 だって、物語なんてのは、先が見えないほうが面白いんだろう?


清姫プルガレギナ弐号機、緊急発進する! 扉を開けてください!」


 ハルアキラは説得成功の可能性と、式神殿を壊される危険性を秤にかけ、妨害しないという結論を出した。


 清姫プルガレギナを固定していた器具がすべて取り外され、MF出入用の鉄扉がゆっくりと左右に開いていく。


 雅なる駆動音を響かせて、深紅のMFが立ち上がる。


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