十ノ巻  別離、瞼ノ姐(三)


 エレベーターから一歩外に出て、だがそこでポンテは立ち止まった。

 その目が大きく見開かれ――まなじりから大粒の涙が、ひとしずく零れる。


「――姐さん!」


 左右を障子戸に挟まれた廊下の先に、十二単姿の女性が1人、立っていた。

 長い黒髪を頭頂でまとめた、若い女性。

 『姐さん』が奈々江のことだと、将吾郎は初めて知った。


「姐さん、アタシだよ、ポンテだよ!」


 待ちわびた飼い主を見つけた犬のように、ポンテは奈々江に突進。抱きつく。


「姐さん、今までここに捕まってたんだね? でも、もう大丈夫! アタシ、姐さんを助けに来たんだ! 一緒にキョートピアを出よう!」

「そう。あんた、まだあの連中と――朱天王とつるんでるの?」

「うん!」


 次の瞬間、奈々江が腕を大きく前に押しやった。

 ポンテが床に尻餅をつく。

 予想外の出来事に、ただ呆然と奈々江を見上げる。


「……なに……? どうしたの、姐さん……?」

「出ませい! この者は敵の間者である。確保!」


 左右の部屋の障子戸が叩きつけるように開け放たれ、軽鎧の男たちが一斉に飛び出してきた。

 フジワラ社の警備武士たちだ。

 瞬く間にポンテを包囲、刺股さすまたを突きつける。

 カルネロと将吾郎も取り押さえられた。


「渡界人はよい」


 奈々江が言うと、将吾郎を拘束していた武士は離れた。


「なんで……?」


 ポンテは武士たちなど見ていなかった。

 奈々江に向かって問いかける。


「どうして、姐さん? なんなの、これ?」

「いまのあたしは、ミチナガ・ノ・フジワラの側室なんだよ」

「嘘だ!」


 ポンテは暴れたが、時既に遅く、しっかりと拘束されてしまっていた。


「姐さん言ってくれたじゃない! キョートピアを倒そうって、みんなが平和に暮らせる世界を作ろうって――」

「聞いたな、皆の衆」


 ポンテを無視して、奈々江は武士たちに声をかける。


「この者はキョートピアに敵対の意志を示した! 我々の敵であると、自ら認めた!」

「姐さん……?」

「6年前とは違うんだよ。いろいろ変わっちまったのさ」

「だからって、よりにもよってキョートピアなんかに!」

「エルフやリザードマンの目指す世界は、この世界を原始時代に留めるものだ。ミチナガの目指す世界のほうが、みんな豊かになれる。貧しさの中には平和も幸福もないんだ」


 奈々江の声には怨念さえこもっている。

 彼女と裕飛の両親が借金に苦しんでいて、金策中に事故で死んだのを将吾郎は思いだした。


「わかんないよ……姐さんの言ってること、全然わかんないよ!」

「わかりたくないのを、あたしの説明力不足のせいにしないでくれ」


「奈々江さん!」


 将吾郎はポンテと奈々江の間に割って入る。

 これ以上、2人を会話させてはいけない。

 きっとポンテにとって辛い内容しか、この先にはない。


「敵と味方になったからって……! もうちょっと……、こう、あるでしょうが?」

「情けをかけろって? 『もう敵同士だから森にお帰り』って?」

「そうです」

「甘いね。さっき自分で白状したように、ポンテは朱天王の仲間だよ。敵と味方なんだ。ゲームでも試合でもない、命がけの殺し合いの、敵味方だ」

「それでも昔の知り合いでしょう?」

「あたしはテンロウのためならなんでもするよ。それがどんな不義理だろうとね」


 奈々江はぎゅっと口を引き結んで、将吾郎を見る。

 説得は無理だと将吾郎は悟った。

 元の世界で、この顔をした奈々江を翻意させられたことはなかった。


「みんなで仲良く幸せにいければ、そりゃいいことだ。でも現実、そう上手くいかない。どちらかを選べば、もう一方を捨てなきゃならない。わかるはずだよ。大人になりな、ショウ」

「大人? 自分を慕ってきてくれた相手を、騙し討ちにかけるのが大人ですか!」

「騙し討ちだなんて。問答無用で拘束することだってできたんだ。しらばっくれる余地を残してやっただけ、優しいってもんだ」

「奈々江さんは……!」


 最後まで言うことはできなかった。

 武士の中でも指揮官らしき男が、将吾郎の喉元に刀を突きつけたからだ。

 冷たい金属の感触が喉肉を圧迫する。


「貴様、こいつらの仲間か? そうだと言うなら、斬る」

「やめなさい、その子に手を出してはなりません」

「ミチナガ様から、許可はいただいております」


 ちくりとした痛みが、喉に生まれる。


「違う、その子はアタシに利用されただけだ、無関係だ!」

「貴様は黙っていろ!」

「ぎゃっ!」


 柔らかい肉に革足袋が叩き込まれる音が響いた。


「ショウゴロウ……」

「ショウ!」


 2人の目が、1つの言葉を将吾郎に要求する。

 関係ないと言え、と訴えかけている。


 いやだ、と思った。

 ポンテは、カルネロは仲間だ。関係ないことあるものか。

 言ってやる、僕と2人は仲間だと、言ってやる。


 その時だった。


「ショウゴロ――ッ!」


 思念の飛んできた方向に、将吾郎は目を向ける。

 カルネロだ。

 将吾郎の視線を受け止め、カルネロは首を横に振る。

 それからポンテに視線を向け、そして将吾郎と目を合わせた。

 強い目だった。人の心を動かすほどの。


「……僕は、無関係です」


 考えていたのとは逆の言葉が、勝手に口をついて出た。

 いや、それは将吾郎の勝手な思い込みかもしれない。

 カルネロなど関係なく、将吾郎自身の臆病な心がしたことかもしれなかった。


 奈々江から将吾郎の答えを聞くと、武士は刀を仕舞い、ニヤリと笑った。


「立派にできたではないか」

「……?」

「奥方様が我が子のため此奴らを売ったように、貴様も自分の命惜しさに此奴らを切り捨てた。同じことよ。ゆめゆめ、奥方様を恨むでないぞ」

「…………」


 武士たちがポンテとカルネロを連行していくのを、将吾郎はただ見ていた。

 将吾郎の肩に奈々江が手を置く。

 それを不愉快と感じながらも、はねのける気力はわいてこなかった。


「あれでよかったんだよ、ショウ。あんたはユウの仲間なんだ。あんたは正しい選択をした」

「……奈々江さん、あの2人はどうなるんですか……?」

「尋問ののち、処刑されるだろうね」

「処刑……!?」

「こそ泥とは違うんだ。当然だろう。あの子が大人しく訊かれたことを喋れば、ちっとは温情もあるだろうが……」


「――そうそう、ショウゴロウ殿」


 さっきの武士が戻ってきた。

 将吾郎の腕をつかむ。


「奴らとは無関係としても、賊をみすみすここまで引き入れた失態の責任、取っていただかなくてはなりませぬ。追って沙汰あるまで謹慎を。さあ、こちらに」

「……離してください、自分で歩けますよ……!」


 ふてくされたような物言いが、将吾郎には精一杯だった。

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