十ノ巻  別離、瞼ノ姐(二)


「見て、ショウゴロウ! キョートピアがあんなに小っちゃい!」


 一面がガラス張りになったエレベーター。

 そこから見下ろせる光景に、ポンテとカルネロは子供のようにはしゃぐ。


 既に50階を通過した。

 下働きに過ぎない2人には立ち入れない区画だ。

 見える景色はさぞ新鮮に映るだろう。


 将吾郎にとってもそれは同じなのだが、あいにくとはしゃげる気分ではない。

 陽光を怖れる吸血鬼のように、将吾郎はエレベーターの隅に生じた日陰に息をひそめていた。


 ポンテの懐には、ハルアキラから渡された彼の予備IDカードがある。

 多忙な陰陽博士に代わり、ミチナガ邸へ届け物をしてほしいと頼まれたのだ。


 それはポンテにとって、上層階にいるという姉に会いに行く好機である。

 そして将吾郎は、不用意にした約束の責任を取らされる羽目になった。


「テンション低いなぁ。やっぱり、迷惑だった……?」

「いや……」

「ほら、無理に誘うことなかったんだ」


 カルネロはこっちを振り返って、挑戦的な笑みを浮かべる。


「アウターエルフを誘わなくたって、そもそも俺1人でいいじゃないか」

「心細いってのもあるけどさ。姐さんに紹介したかったんだ。友達がこんなにできたよって」

「友達……。へっ、そうかよ」


 癖毛を弄りながら、カルロスはまた外の景色に向き直った。

 金髪から突き出た尖り耳は朱に染まっている。


「でもショウゴロウが無理につきあう必要はないよ?」

「いや、ついてってやるって言ったの、僕だし。むしろ行きたい」

「ショウゴロウが?」

「うん。約束を守って、自分がちょっとでもマシな人間だと思いたい気分なんだ」

「ショウゴロウは、いいアウターエルフだよ」

「だといいな」


 愛想笑いを浮かべたつもりだった。

 しかしポンテは安心するどころか、ますます心配そうに顔を曇らせる。


「なにかあったの? アタシでよければ相談してよ?」

「……ありがとう、気持ちだけ受け取っておく」

「水臭いな。まあ、キミがそう望むならそれでいいけどさ」


 ポンテは再び、景色を眺めるのに夢中になってくれた。

 調子の外れた鼻歌が流れる。

 だが将吾郎の脳内でリフレインされるBGMは、ハルアキラのあの言葉だ。


 ――君が、ユウヒ君を、亡き者にしたがっているからですぞ。


 そんなことはない。

 だけど裕飛を重荷に感じていなかったといえば嘘になる。

 奈々江のほうが大事だったというのも本当のことだ。

 自分で自分の本心に気づいていなかっただけで、本当は裕飛がいなくなればいいと、ずっと思っていた……?

 だとしたら、僕は最低だ。


「ねえ」


 我に返ると、ポンテがこちらを見上げていた。

 彼のひんやりした手が、額に当てられる。


「……元気の出るおまじない、してあげようか?」

「嫌な予感がするからいい」

「ちっ」

「なんだよ今の舌打ち」

「……ああほら、もうすぐ着くよ?」


 将吾郎は背後を振り返った。

 階数表示は、まだ70階を過ぎたところだ。


「まだまだじゃ――」


 ポンテに向き直った瞬間、頬に柔らかいものが触れた。

 それも一瞬のことだ。

 身を離したポンテが、にこりと笑いかける。


「……元気、出た?」

「いま、なに、を、しましたか……?」

「姐さんが教えてくれた、外つ世流の元気が出るおまじないだよ。本当はおでこだったけど、ショウゴロウは背が高いから届かなかったや」

「……おまえのお姉さんは海外の人か……」


 とりあえず、恥じらいつつ意味ありげに指で唇を押さえてみせるのはやめてほしい、と将吾郎は思った。


「……ありがとう、元気でたよ」


 苦笑交じりに言うと、ポンテは満面の笑顔を返した。


「そうそう、キミには元気でいてもらわなくちゃ」

「僕なんかが元気でいたところで、なにもできないけどな」

「キミはこうしてアタシの側にいてくれてるよ」

「そんなの誰にでもできる」

「うん。でも、誰もがしてくれるわけじゃない」


 アタシ、あの村の生まれじゃないんだ――とポンテは言った。


「その前にいたところじゃ、アタシは独りぼっちだった。親はいなくて……、その、『芸』をすることで代わりに生かしてもらってた」


 芸とはなんなのか。

 踏み込んでほしくないというオーラを放っていたので、将吾郎は訊くことができなかった。


「大人にとってアタシは芸をさせるためだけの存在で、それ以上じゃなかった。他にも同じ子供がいて、そいつらは大人を盲信してたけど、アタシはどうも、そうできなくてさ。そうしてると子供の中でも浮いていって……」


 寒そうに、ポンテは我が身をかき抱く。


「姐さんがそこからアタシをあの村に連れ出してくれたんだ。姐さんは優しかった。じぃじとばぁばも」


 カルネロもね、と小声で付け足す。


「うれしかった。一緒にいてくれるって、なんていうんだろ、あたたかくて……すごいことだよ」

「そうだな。ああ、そうだよ」


 将吾郎が奈々江のことを好きになったのだって、結局はそういう理由なのだ。

 ポンテほど壮絶な体験はないが、将吾郎も放置されてきた子供で。

 そんな彼に、奈々江は親の代わりをしてくれた。


 そして一緒にいてくれたのは、裕飛もだ。

 そもそも彼がいなければ、奈々江と出会うこともなかった。


 ――僕が裕飛の死を望むなんて、ありえない。


「ありがとう、ポンテ。おまじない、本当に効いたみた――」


 横合いから腕が伸びて、将吾郎は強引に窓まで引きずっていかれた。

 急に陽の当たるところに連れ出されて、一瞬目が眩む。


「……おい、なんなんだよおまえは」


 復活した視界に最初に映ったのは、カルネロの仏頂面だった。

 将吾郎の腕に肩を回し、囁く。


「おまえ、ポンテをどう思ってるんだ……?」

「ポンテ……?」

「なあに、アタシの話? それともカルネロ、ショウゴロウをいじめようってんじゃ……」

「違う、男同士の大切な話だ。おまえは来るな」


 もしかして、と将吾郎は思う。

 カルネロはポンテの性別に気づいていないのか。


「……だから、ポンテをどう思うかって聞いてんだよ……!」

「言ってもいいけど、ポンテなしじゃ僕の言うことわからないよね」

「ああそうだった、こいつの言うこと、わかんねえんだった」


 ああもう、とカルネロは髪を掻き回した。


「まあ、こっちの言うことはわかるんだよな? あいつはいい奴なんだ。悲しませるな――悲しませないでやってくれ。あと……抜け駆けなし、だからな?」

「…………」

「なんだよその哀れむような目は」

「いや、別に」


 なんにせよ、ポンテを好き好んで悲しませるつもりはない。

 その意思を表明するために、将吾郎は右手を差し出した。

 カルネロは将吾郎の右手を見て、少し考えて――左手を出す。

 仕方ないのであらためて左手を出し、強引に握手。


「君は僕のこと嫌いかもしれないけど、僕は君のこと、嫌いじゃない」


 どうせ通じはしないとわかっていても、あえて言いたかった。

 自分が裕飛を大切に想うように、カルネロもポンテを大切に想っているのなら、信頼できる。


 カルネロは――頷いた。


「つまりこうだろ? 俺たちは恋のライバルで、ダチ公だ」


 半分違う、と言いたかったが、あえて将吾郎は微笑みで返した。


 ――チン。

 鈴の音が鳴って、エレベーターのドアが開いた。


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