十ノ巻  別離、瞼ノ姐(一)


 裕飛が食堂で1人、朝食をかき込んでいると、逸花があくびしながらやってきた。


「1人飯? メガネは?」

「さあ」


 無愛想な返事になってしまった。逸花が眉をしかめる。

 イラつかせてしまったか、と思ったが、裕飛は結局気にしないことにした。

 裕飛にだって都合があるのだ。

 いつもいつも逸花の機嫌を優先してなどやれない。


 やがて逸花は定食を手に、裕飛の向かいに腰を下ろした。

 だが一向に食事に手をつけない。箸で味噌汁を掻き回すばかりだ。


 どうやら、なにか話したいことがあるらしい。


 ――言いたいことがあるならさっさと言えよ。


 舌打ちしそうになって、やめる。

 おいおい、オレはなんでこんなにイライラしてるんだ?


「なんだよ、さっさと食えよ。冷めちまうぞ」

「……あのさ」


 やや顔を赤らめて、逸花は言った。


「あたしも、この世界に残ろうかなって」

「……は?」

「あんたにしばらく手を貸してやってもいいって言ってんの!」

「…………」


 裕飛の口元が、勝手ににやける。


 ――そうか、オレ、心細かったんだな。


 元の世界にはなにも置いてこなかったつもりだが、それでも捨てがたいものはある。

 裕飛にとってそれは友人だった。


 『友人』。


 黒縁眼鏡の影がちらついて、裕飛の表情に影がさす。

 だが視線を白米に固定していた逸花がそれに気づくことはなかった。


「……やっぱ、ヨリミツさんのせい?」

「え? なんでそこにヨリミツさんが出てくるの? 違うよ、ユカリだよ」

「ユカリ……?」


 誰だっけ、と裕飛は天井を仰ぐ。

 逸花の目が険しくなる。


「木ノ白ユカリ! あたしの友達!」

「ああ、木ノ白か? え? なんで木ノ白?」

「どういういきさつか知らないけど、ユカリもこっちの世界に来てたみたい」

「本当か?」

「ただし数百年前。キョートピアを作ったんだって。公園に銅像が建ってた」

「そっくりさんとかじゃなくて?」

「調べてみたけど、間違いない……と思う。あれはユカリだよ」

「マジか。ここに来て一月半経つけど、全然気づかんかったわ……」


 キョートピアの歴史だとか、そういうものは裕飛の興味の範囲外にあった。


「ユカリが作り上げたものが、訳のわかんない化物に壊されようとして。それをあたしがなんとかできるなら、あたしは守りたい……。うわ、後でカユくなる台詞だわコレ」

「まあ、オレは素直にうれしいよ」


 なぜか逸花は、冷笑を浮かべた。


「そんなこと言って、あんたが本当に残ってほしいのは、あたしじゃなくてメガネでしょ?」

「え?」

「ユウが残ってくれって言ったら、あいつ尻尾振って喜んで残ると思うけど」

「…………」


 確かに裕飛もそう思っていた。

 将吾郎には帰るべき場所があると、頭ではわかっている。

 それでも心のどこかでは、この世界に残ってほしいと考えていた。


 だが、それも過去の話だ。


「……あんなやつ、帰っちまえばいい」


 照れ隠しでも強がりでもない返事に、逸花は「え?」と間の抜けた声を返す。


「あいつは、友達面して、オレのことなんかどうでも……っていうか、嫌ってたんだ。オレを裏切って、オレなんかいなくなりゃいいって思ってた陰険な野郎なんだ!」

「……なにがあったの?」

「悪い……。あんま、話したくない」

「はあ? だったら思わせぶりなこと言うなっつーの! なんかの間違いじゃない? 話し合ってみた?」

「逸花には関係ないだろ」

「関係なくない! あたしたち、友達で……。一緒に飛ばされてきた仲間じゃん?」

「じゃあ逸花だって、なんであの時、勝手に死のうとしたんだよ! オレたちに相談もしてくれないで!」

「……それは」

「オレたちなんかより、木ノ白や、ヨリミツのほうが大切なんじゃねえの?」

「だからなんでヨリミツさんが出てくるわけ!?」


 そう言って逸花は気づいた。

 なにこの会話。痴話喧嘩か?


「……とにかく、あんたら親友じゃん」

「オレもそう思ってたよ。思ってんだ」

「メガネだってそうでしょ。でなきゃ、あんたと一緒になんかいられないよ? 高校生にもなって異世界とか勇者とか真顔で言ってるバカなんかと」


 じゃあ、あたしはなんでこんな奴と一緒にいるんだろう、と考えて――そこを問い詰められるとまずいことに逸花は気づいた。

 こんな、人の多い朝の食堂で、愛の告白みたいなのはごめんだ。


 大急ぎで朝食の残りを平らげた逸花は、「とにかくもう一度、ちゃんと本人と話し合ってみなよ」と言い残して食堂を出た。

 残された裕飛は、まだほとんど片付いていないトレイを前に溜息をつく。


「話し合いね……」


 気が重いが、確かに逸花の言うとおりだ。

 もう一度話をしてみよう。

 昼休憩の時……いや、やっぱり仕事が終わってからで。

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