九ノ巻  不確定、我心(一)


 木刀が激しくぶつかり合う音が、道場に響き渡る。

 剣を振るうその一方は、裕飛。

 もう一方は黒髪で顔の半分を隠した女剣士だった。


 裕飛の表情には余裕がない。

 次から次に繰り出される女剣士の太刀を、防ぐだけで精一杯という様子だ。

 対して女剣士の表情には微笑が浮かぶ。


「どうされました、渡界人殿? MFでなければここまでですかな?」

「っこ、このぉ!」


 木刀がぶつかった瞬間、裕飛は無理矢理攻めに転じた。

 剣を受けた態勢から、強引にタックル。

 かわされればもはや次はない、捨て身の一撃だ。


 女剣士は少しだけ目を丸くした。

 だがそれだけ。

 マタドールが闘牛をいなすようにひらりと身をかわす。


 女剣士の背後に抜けた裕飛は足をもつれさせたが、辛うじて踏み留まった。

 素早く向き直って追撃に備える。

 だが女剣士のほうが速い。

 裕飛の喉元に、木刀の切っ先がピタリと添えられた。


「――これで死にましたよ、ユウヒ殿」

「まいりましたまいりました。ああくそ、単純な剣の腕じゃ、ツナさんには敵わないな」

「追いつめられるとすぐに自棄を起こすのが、ユウヒ殿の欠点ですね」


 女剣士――ツナ・ノ・ワタナベは木刀を降ろした。

 裕飛は床に座り込み、そのまま大の字になる。


「そういえば御存知ですかユウヒ殿。昨日、ヨリミツ様とイチカ殿が一緒に出かけられたとか」

「あー、そういや昨日の戦闘、あいつやけにやる気だったっけ……」


 木ノ白ユカリがキョートピアの国母だったという情報を、裕飛はまだ知らない。

 逸花がやる気になったのは、ヨリミツと仲良くなったせいだと考えた。


 だからどうした、と思う自分が自分で意外だ。


 逸花とはつきあっているわけではない。

 だが将吾郎の次に仲のいい相手を思い浮かべるなら、断然彼女だった。

 古臭い言い回しだが、友達以上恋人未満。

 だからもう少し嫉妬してもいい、はずなのだが。


 それはツナも意外だったようだ。


「気にならないのでありますか?」


 裕飛と逸花はつきあっているものと、ツナは解釈していた。

 自分の女に他の男が近づいたら、普通はもっと嫌な顔をするものではないのか。


「いや、違いますよ? オレら、別につきあってないですし」

「そう――なのでありますか」


 ツナの表情は、戸惑っているようにも、がっかりしているようにも、また喜んでいるようにも見える複雑なものだった。

 かと思えば、そうかつきあってないのか、と呟き、頬を赤面させ中空を見つめたりする。


「……ツナさん?」


 裕飛が挙動不審な彼女に声をかけたとき。


「――ユウヒ様。お昼食をお持ちしました」


 アルディリアが入ってきた。

 返事も聞かず了解もとらず、裕飛の隣に座りバスケットを開く。

 ツナのこめかみの血管がぴくりと震えた。


「アルディリア様、神聖な道場で飲食はお控えください。食事ならば食堂で――」

「ツナ様もいかがですか?」

「…………」


 重箱に詰められた色鮮やかな食品の数々に、ツナの胃袋は白旗を揚げる。


「ところでユウヒ様、どうもイチカ様とヨリミツ様、仲がよろしいとは思われません?」


 急須から注いだ茶を裕飛に手渡しながら、アルディリアが言った。


「アルディリアもそれかよ。さっきその話してたところだよ。2人でデートしたって?」

「ああ、お可哀想なユウヒ様。気を落とさないでください、わたくしは決してあなたを裏切りませんから」

「いや待って、だからオレと逸花はつきあってない――」

「まあ。ではどうして、わたくしとの結婚を引き延ばしに伸ばされるのですか?」


 求婚から逃れるための口実に逸花を使っていたことを、裕飛は思い出した。

 だがもはや後の祭りである。


「向こうの世界では一夫一妻が原則だから、イチカ様の理解を得るまで待ってくれ――。そうおっしゃったのは嘘だったのですか!?」

「いけないな。ユウヒ殿、それはいけない」


 悲しげに批難の眼差しを送るアルディリアに、ツナまでもが味方する。

 言い訳を探す裕飛は、ツナが木刀に手を伸ばすのを見た。

 駄目だ。迂闊なことを言えば命がない。


「……ごめんなさい!」


 裕飛は道場を飛びだした。





「――で? それからずっとかくれんぼしてるってわけか?」

「そうなんだ」


 将吾郎は道場の仮眠室にいた。

 布団の入った押し入れの中には、裕飛がじっと身を潜めている。

 襖に背を預けるようにして、将吾郎は裕飛と会話していた。


「アルディリアさんとツナさん、まだ探してるよ。ポンテまで面白がって参加してる」

「なんで女ってこういうときに限って結託するんだ?」


 女じゃない奴も混じってるけどな、と将吾郎は心の中で呟く。


「というか、よくオレがここに隠れてるのがわかったな?」

「何年親友やってると思ってんだ。おまえ、かくれんぼするとき、だいたい隠れるところ同じなんだよ。特に布団があったら絶対そこに隠れるよな?」

「快適に隠れられる。賢いだろ?」

「いびきをかかなきゃな」


 そんなことより、と将吾郎は咳払いをした。

 剣道場のあるフロアまでやってきたのは、裕飛と昔話をするためでも、匿うためでもない。


「裕飛。おまえ、超次元風水計画って知ってるか」

「――知ってるよ」

「え?」


 将吾郎は振り返った。

 押し入れの襖は閉まっていて、裕飛の顔は見えない。


「東西南北と上下前後に神相応を成立させて、砂漠を緑豊かな大地に変えるんだってさ。この前、ミチナガさんが言ってた」


 先を越された。将吾郎は唇を噛む。

 毎日疲れて帰ってくる裕飛に気兼ねして、ぐずぐずしていたのが運の尽き。

 ミチナガのことだ。きっと、もっともらしく説明しただろう。


「そのために、周囲の国が犠牲になってる。いいのか、おまえ的に?」

「確かに悲しいことだよな。でもさ、キョートピアの人々が砂漠に住むようになったのって、そもそもエルフやドワーフやリザードマンが、みんなして人間を砂漠に追い込んだからなんだぜ」

「…………」

「科学技術でなんとかやりくりしてるけど、それでも元が砂漠だからキツいんだよ。そうした日々のストレスが憑鉧神を生むっていう負のスパイラルだ。超次元風水計画が成功すれば、この街は豊かになって、憑鉧神は生まれなくなる」

「だけど……! そのために沢山の人が犠牲になってる!」


 今なお殺されている。遊びのように、一方的に。

 長老が潰されるさまなどは、今でもたまに夢に出てくるくらいだ。


「……ショウ」


 小さな子供に諭すように、裕飛は言った。


「世の中さ、どーしたって犠牲は出るもんなんだぜ?」


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