八ノ巻  野次馬、尾行中(五)


 将吾郎を追ってポンテとカルネロが離れ、しばらくモジモジしていたハルアキラも帰っていった。

 そういうわけで、逸花とヨリミツはまた2人きりに戻ることができた。

 公園の玉砂利の上を並んで歩く。


「イチカ、あのことは黙っていてもらえると、うれしい」

「あ? ……ああ、ヨリミツさんが寝込んでる間、滅茶苦茶弱気になってたことですか。『あの葉っぱが落ちたら死ぬ』みたいな」

「そこまでは言ってないであろう?」


 さすがに異世界人相手では『最後の一葉』ネタは通じなかった。


「わかってます、誰にも言いませんよ。ゲンジ・クランでしたっけ? 大将さんが熱出したくらいで世の儚さを嘆いて涙目になってたとか、格好つきませんものね」

「頼む。ふたりだけの秘密だ」


 ふたりだけの秘密。

 その言葉の響きに逸花は曰く言い難いむず痒さを感じた。

 自分でもよくわからないうちに口元が緩む。


「ところでイチカ。イチカは、この街をどう思う?」

「どうって――」


 当たり障りのない答えを返そうとして、だが確かに存在するわだかまりが、逸花の舌を縛る。


 嫌いだ、こんな街。

 中途半端に古くて、中途半端に新しい。

 自分たちの問題に他人を巻き込んで。

 どうしてあたしや裕飛が、こんな――。


 わかっている、というようにヨリミツは逸花の頭に手を置いた。


「よいのだ。当然の感情である。だがおぬしが元の世界に戻りたければ、KBCの奉葬士ほうそうしとして戦ってもらうより他にない。それがしの立場としては、それ以外を選ばせることができぬ」


 奉葬士。憑鉧神の除霊――追儺に従事する者に与えられる名称だ。


「だからせめて、少しでもこの国を、この世界を好いてほしいと思うのだ」


 ヨリミツが逸花を観光に連れ出した最大の目的はそれだった。

 しかし彼女の微妙な表情を見れば、目的の達成には至らなかったとヨリミツは認めざるを得ない。

 どだい愛国心とか郷土愛というものは思い出の積み重ねで培われるものであって、たった1日の遊覧や社会の要請で得られるものではないのだ。


「すみません、あたしは――」


 その時、逸花の視界の隅に灰色の物体が入り込んだ。

 石でできた、女性の立像。

 その頭部に目をやって、逸花の足は止まった。


「――この人」


 逸花の目が大きく見開かれる。


「ああ、彼女はムラサキシキブ。キョートピア建国の母だ。異種族との抗争に敗れ、砂漠に追いやられた哀れな我らの祖先を、類い稀なる知恵で導いたという」

「……ユカリ」


 銅像は、失踪した逸花の友人の面影を強く残していた。

 他人の空似――とは、逸花には思えなかった。


 そうだ。自分がここにいるのなら。

 元の世界を離れた時間と、この世界に現れる時間が無関係であるなら。


 頭の中でパズルが組み上がった、ような気がした。


「……ここにいたんだ、ユカリ」


 木ノ白ユカリは死んでいなかった。

 来ていたのだ、この世界に。

 ただしそれは逸花たちの何十、あるいは何百年か前だったけれど。


「ムラサキシキブは渡界人だったという説もあったな。彼女がもたらした叡智は、当時の科学水準を超えるものさえあったというし――」


 平安時代を舞台にした作品が好きだったユカリ。

 キョートピアが平安京に似ているのは、建国に携わったユカリの影響なのだろう。


 そういえば「紫」と書いて「ゆかり」と読めるのだったか。

 異世界なのをいいことに有名人の名前をパクるとか、彼女らしいと逸花は思う。


「どうしたイチカ。なぜ泣く?」


 逸花の頬を涙が伝う。

 嬉し泣きだ。


 ユカリがどうやら自殺したらしいことが広まって、みんな彼女のことを馬鹿にした。

 若いのにもったいないとか、親不孝とか、現実から逃げた卑怯者だとか。

 彼女の人生を否定すれば自分の凡庸な生がマシに見えるとでもいうのか、よってたかって好き放題にくさす。

 そんな彼らを逸花は軽蔑したし、上手く言い返せない自分にも怒りをおぼえた。


 だがどうだ。

 ユカリは充分生きた。他の誰よりも頑張って、生きた証を遺した。

 もし元の世界に戻って、また誰かがユカリを否定したら、その時は真っ向から言い返せる。

 いや、相手にするだけの価値すらない者として一笑に伏せるだろう。


「どうした、どこか痛むのか? もしやそれがしの病が伝染ったか?」


 逸花が泣き出した理由を察することもできず、狼狽するヨリミツ。

 こういうところは裕飛もヨリミツも変わらないのだ、と思うと逸花はおかしくなった。


「……ヨリミツさん。あたし、この街、好きになれそうかも」


 もはや他人の世界ではない。

 友人が造って遺した街なのだ。


「そうか。それはよかった」


 とりあえず逸花が苦しみや悲しみで泣いているわけではないのがわかって、ヨリミツは安心する。


 彼のドーマフォンが鳴ったのは、その直後だった。


「どうやら、憑鉧神が出たらしい。イチカは――」

「あたしも――あたしも行きます!」


 ヨリミツは目を見開いた。

 それほどまでに、少女の目は力強かった。

 戦う理由を得た戦士の目――というのは言い過ぎか。

 悪くない、とヨリミツは思う。


「大切な友達が築き上げた街を、守りたいんです。あたし、戦う人としては半人前ですけど……」

「そんなことはない。それがしは、そなたを戦力としてあてにしている」

「……はい!」


 ヨリミツが駆け出せば、逸花は走ってついてきた。


 はるか遠くで、ダンプカーのような背負い物をした憑鉧神が身を起こすのが見えた。


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