八ノ巻  野次馬、尾行中(一)


 プレハブの壁から無数の手が生えている。

 生身ではない。指先まで人間そっくりに造られた、MFサイズの機械腕だ。

 その下には椅子が並んでいて、そこに座った男女が琥珀玉を握りしめ、それぞれに割り振られた機械腕を操ろうとしていた。


 機械腕はあやとりやヨーヨーにいそしんでいる。

 だが遊んでいるのではない。

 純然たる訓練である。自分の意思をMFの末端まで行き渡らせるための。


 こめかみに血管が浮くほど、念を込める訓練生たち。

 しかし機械指は糸を指に引っかけられなかったり、あるいは勝手な方向を指したりして、橋を架けるどころか、なんだかよくわからない毛玉を作るばかりだった。


 それでも動くだけいい、と将吾郎は思う。

 彼の頭上にある機械腕は項垂れたまま、微動だにしない。


 隻腕のオーガマタを撃破してから半月。

 裕飛と逸花はKBCの一員として、打倒朱天王を目標に、訓練と憑鉧神退治に励んでいる。


 将吾郎はなにもしていない――なにもできない。

 こうして訓練の真似事をやっていれば、ある日突然……などと期待するのだが、成果はなかった。


「いったん休憩したら?」


 ポンテが将吾郎の顔を覗き込む。


「なにしに来たんだよ」

「訓練生のみなさまに水分と栄養のデリバリーだよ」


 見れば、他の訓練生たちは水の入ったグラスを片手に柏餅のようなものを口に放り込んでいた。

 はい、とポンテが将吾郎に同じものを手渡す。


 口に含むと、歯応えのある餅のほんのりした甘味に続いて、中に入った干し肉の塩気が舌にひりつく。奥歯で肉を噛みしめると、旨味が口の粘膜から直接身体に染み渡っていくようだった。


 忍び笑いが聞こえた。

 顔を上げると、訓練生たちがさっと顔を背ける。


「『なにもできないくせに働くふりだけして、飯ばっかり一人前に食ってやがる』って感じか……」

「アタシのせいかも。ダークエルフって、いろいろ偏見の目で見られること多いし」

「……お姉さんの行方は掴めた?」


 予想に反して、ポンテは首を縦に振った。


「本当!?」

「うん……。でも、アタシやショウゴロウのソーシャル・クリアランスじゃ行けない階層にいるらしくて」

「そうか……」

「それ以上に、会いに行く勇気がないんだ」

「え……?」

「別れてから結構経ってるもの。アタシのこと、忘れてたらどうしよう。嫌いになってたらどうしよう……?」

「…………」


 なんの根拠もなく、ポンテの不安を否定するのはためらわれた。

 自分だって似たようなものだ。奈々江は将吾郎との約束などおぼえていなかった。

 ミチナガとの会見以来、会いに来てもくれない。


「……もし、心細いなら、一緒について行ってやろうか」


 将吾郎に言えるのはそれくらいだった。

 一緒にいたところでなにができるわけでもない。

 だからポンテがそんなに、顔から太陽が飛び出しそうなほど喜ぶとは、将吾郎は思ってもいなかった。


「おっ、青春ですかな?」


 ハルアキラが近づいてきた。

 手にはカルテ。先日受けた身体検査の結果だと、すぐにわかった。


「どこに青春要素があったんですかね」

「むしろそれしかないではありませぬか」

「お可哀想に。寄るお年波でお目がお悪いんですね。またはおセンスが」


 キョートピアに対する不信感は拭えていない。

 それはそれとして、検査のため毎日のように顔をつきあわせれば、軽口を叩ける程度には打ち解けもした。


「いや、ちょっと待ってショウゴロウ」


 ポンテが困惑しきった顔で言う。


「……なんで博士と普通に会話してるの?」


 そう。

 ハルアキラは誰に通訳を頼むことなく、将吾郎と会話を成立させていた。

 清姫プルガレギナの完成に立ち会ったときもそうだ。

 状況判断で適当に合わせているように見えて、実際ハルアキラは的確に返事をしていたのだった。


「驚かれるようなことではありませぬよ。昔、多少学んだことがありましてな」


 ハルアキラは口を開く。

 日頃使われない声帯から、ヤスリで鉄骨を削るような音が流れた。


「……コニチンワ タワシ ノ マナエ ワ タナカ ディス」


「くっ……! こんなところにライバルが……!」


 ポンテは頭を抱え、小さく呻く。


「なんだよライバルって」

「キミの言葉がわかるのはアタシだけなのを利用して、ゆっくりキミをアタシに依存させて逆らえなくする計画がッ!」

「残念だったな、裕飛によると、悪しき野望は打ち砕かれるのが世の習い、らしい」


 がっくりと肩を落とすポンテ。


「――そんなことより、僕がシャーマテックを使えない理由、わかったんですか?」


 将吾郎はカルテに手を伸ばす。

 だがハルアキラはパッと手を持ち上げてそれを阻止した。


「そうそう、ボクはさっき見てしまったのですが」

「見た?」

「イチカ君とヨリミツ様が、2人でジグラットの外に出て行かれたのですぞ!」

「……はあ」

「え? それだけ?」


 ハルアキラは信じられないという顔をした。


「外つ世では友達の交友関係に興味を持ったり心配したりしないのですかな? なんと淡泊な人間関係か!」

「アタシこの世界の人間だけど、興味は持ってもそっとしておくのが礼儀だと思うな」

「同じく」

「確かにそうではありますが、たとえ下世話な野次馬根性としても真実を求めるのが人情では!?」

「自分で下世話って認めちゃったよ、この人」

「気になるんですか、博士が? なんで?」

「いや、ボクは別に気になりませぬぞ」


 大人ですからな、とハルアキラは背を向けた。

 だが背を向けたまま、続ける。


「しかしショウゴロウ君、君は気になっているのではありませぬか? 気になるだろう。気になるはず。気になってしかるべき。気にならないわけがない。気にならないなんておかしい」

「なりません」

「安心めされよ。君がどうしても知りたいと言い張るのなら、ボクは大人として若人に手を貸すのを厭わないつもりですぞ」

「…………」


 彼の望む答えを返さないかぎり、真面目な話も進まないようだった。


「わかりましたわかりました。あー、知りたいなー、気になるなー」

「そうそう、正直が1番ですぞ! なら表に出るがよろしい。牛車を用意してありますゆえ」

「……準備のいいことですね」

「あ、ショウゴロウが行くならアタシも行こうかな」


 ねえいいでしょう博士、とポンテがしなだれかかると、ハルアキラは鼻の下を伸ばして顔を縦にシェイクした。


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