七ノ巻  少年少女、絆模様(四)


 エレベーターを降りてしばらく歩いたあと、逸花は立ち止まった。

 ひょっとしたら裕飛がアルディリアを置いて追いかけてきてくれるかも――なんて期待していたのだが、彼女を呼び止める声はいつまで経っても聞こえてこない。


「ユウだけじゃなくメガネまでもかよ。こんな状況でも色ボケしちゃって、これだから男は……。ま、アルディリアさん美人だったけどさ」


 柱に背を預け、天を仰ぐ。

 逸花の目に映るアルディリアは、メルヘンに出てくるお姫様か妖精の具現だった。

 あんなのズルい、と思う。なにがどうズルいのかわからないけど、ズルい。


「……って、あたしなにやってんだろ。メンヘラかっつーの」


 向こうの世界にいた頃は――自分でいうのもなんだが――クールな性格だと思っていた。

 なのにここに来てからの自分は、怒ったり取り乱したり我を失ったり、全然、ちっとも、クールじゃない。

 むしろ鬱陶しいこと極まりなかった。


 常識の異なる世界にいきなり放り込まれれば誰でも自分のようになるはずだ、と思う。

 だが、裕飛はまだしも将吾郎さえ、普段とあまり変わらないように見える。

 それが逸花の疎外感と劣等感を刺激した。


 ――あたし、器ちっちゃいのかな。


 逸花の気分を代弁するように、物悲しげな笛の音が流れてきた。

 すすり泣くような、ともすれば途切れてしまいそうなメロディー。

 手繰り寄せられるように、逸花は音の発信源に近づいていった。


「……ヨリミツさん?」


 縁側に座り、龍笛を奏でていたのは貴族衣装のヨリミツだった。

 あいさつをしようとして、だが逸花はやめた。

 神に祈りを捧げるように音色と向き合う姿を見ては、気楽に声などかけられようもない。

 逸花は演奏が終わるまで、無言で立ち尽くしていた。


 演奏は唐突に終わった。

 しん、と静まりかえる世界。その静寂しじまこそ、音楽の本質ではないか。そう逸花は思った。

 拍手などしない。そんなものは、この静寂を穢すノイズだ。


「――イチカ殿か」


 笛から口を離したヨリミツが、か細い声で囁く。

 この静けさを少しでも長らえさせたいかのように。

 自分の感性を肯定されたような気がして、逸花はうれしくなった。


「お上手なんですね、笛」


 口から出たのは小学生みたいなコメント。自分の表現力のなさが恥ずかしくなる。

 だがヨリミツはバカにするでもなく、微笑んでくれた。


「身に余る光栄だ。かたじけない」

「ヨリミツさん、音楽の才能もあるんですね」

「この御時世、武士も刀を振っているだけでは出世できぬのでな。幼少より仕込まれた貴族の子弟に比べれば、付け焼き刃も甚だしいが」

「そんなことないです。感動しました。物悲しくて、切なくて……しんみりした雰囲気がよく出てて――」


 今度はましなコメントができたかな、と逸花はヨリミツの顔をうかがう。

 だが青年武者は困ったように眉を下げた。


「……明るく活発な舞踏曲を奏でていたつもりだったのだが……」

「…………」


 音楽の余韻とは全く無縁の、気まずいだけの沈黙が場を支配した。


「――ところで、昨日の件だが」

「え? あ、はい」

「街を守ってくれてありがとう。KBCの棟梁として感謝を述べさせてもらう」


 地位のある人間でありながら、ヨリミツは年下の小娘に向き直り、丁寧に頭を下げた。

 逸花はなんだか悪いことをしたような気になる。


「頭を上げてください、あたしは、ただ……ユウを死なせたくなかっただけっていうか……」


 正確には裕飛さえ関係ない。ただの八つ当たりに等しかった。

 将吾郎とやった口喧嘩を思い出す。その内容はヨリミツにもしっかり聞かれていただろう。顔から火が噴き出そうだ。


「そうそうイチカ殿。あの鬼械人形オーガマタ、奴の目的はやはり腕を取り返すことだったようだ。憑鉧神の出現に乗じて――あるいはそれさえ奴らの手引きかもしれん。あれを陽動にして、まんまと本懐を遂げたわけだ。だが欲をかいてユウヒを始末しようとしたのが命取りだったがな」

「はあ……」

「どうやって市内にオーガマタを運び込んだかも気になるが、もう1つ不可思議なことがある。なぜ、イチカ殿は奴が来ると思った?」

「え?」

「式神殿で申しておられたではないか。鬼が腕を取り返しに来るやもと」

「あ――、えっと――」


 逸花は天井に視線を逃がす。

 あたしたちの世界に似たようなお話があって、それと同じように進んだら面白いのにな、と思っただけだ――と答えたら不謹慎と思われるだろうか。

 

「その――、なんとなく、です」

「そうか」


 それで話は終わった、と逸花はその時思っていた。

 まさかこの時、ヨリミツの中で米河逸花が一種の予言者と認識されたなどと、当の彼女は知る由もない。


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