七ノ巻  少年少女、絆模様(三)


「なあ」


 猜疑のかたちに眉をひそめた裕飛の目が、将吾郎を見た。

 緊張に将吾郎の息が止まる。


 まさか、隠し事をしているのに気づいたか。

 そうだった、こいつ、変なところで勘がいい奴だった。

 ああでも、なんて言えばいいんだ?

 『フジワラ社は善くないことをしてるので、姉家族と殺し合いをしてくれ』とか?


 裕飛が手を持ち上げる。

 伸ばされた人差し指が、将吾郎――の、手元を指した。


「……さっきから気になってんだけど。伸びちまうぞ」

「え? あ、ああ」


 裕飛の視線が向かっていたのは、将吾郎ではなく将吾郎の手元にある碗だ。

 中にはうどん――によく似た食べ物が入っている。


 前言撤回。勘がいいとか、そんなことはなかった。


「……よかったら、食うか?」

「いいの!?」

「ああ、食欲なくて」


 本当はもっとがっつりしたものを食べるつもりだったが、メニューの写真を見た途端、食欲が失せた。

 エルフの村で起きた惨劇を思いだしたせいである。

 肉はエルフの死体、野菜は森を連想させるのだ。


 うどんなら――と思ったが、それでも食欲は戻らなかった。

 我ながら神経の細いことだと思う。


 裕飛は将吾郎からひったくるように碗を受け取って、猛然と啜りはじめた。

 少々行儀の悪い食べっぷりだが、美味そうに食うので不快感はない。

 幸せそうな裕飛を見て、逸花も少し表情を和らげた。


「そんなに食べても縦方向にはもう伸びないよ」

「うるせえ、まだだ、まだいける。オレの成長期はまだはじまったばかりだ!」

「潔くあきらめろよ」


 日本にいた頃のようなやりとり。

 少年たちはしばしの現実逃避に浸った。

 だが横から投げかけられた声がそれを中断させる。


「――ユウヒ様」


 振り向いた将吾郎の目に、鮮やかな色彩が映った。

 さっきまで琴を弾いていた、十二単姿のレギュラーエルフだ。

 将吾郎たちとそう変わらない年齢に見える。


「ユウヒ様。いらっしゃったならお声をかけてくださればよかったのに」

「いや、仕事中みたいだったし」

「……ちょっとユウ、誰この人。紹介してくれる?」


 不安と不快に眉をひそめて、逸花が問う。

 エルフの少女は花のように微笑んで、答えた。


「わたくしはアルディリア。ユウヒ様の妻となる者です」


 そうですかはじめまして――と、将吾郎と逸花はにこやかに自己紹介を行う。

 ここでもやはり将吾郎の声は彼女に通じなかった。将吾郎だけだ。裕飛と逸花は普通にアルディリアと会話を成立させている。


「――で、妻ってどういうこと?」


 アルディリアに向けた友好的な態度とは一転、氷のような目で裕飛を見る逸花。

 裕飛はもちろん、将吾郎まで震えあがった。


「いや、ほら、オレ、この世界に出てきたの、貴族の屋敷の風呂の上でさ?」

「……風呂の上ぇ?」

「いや、やらしい意味はない、たまたまだ! たまたま出てきたのがそこだったんだ! で、そこでこの子の裸見ちゃ――見てしまいまして……」

「はあ……? 覗き……?」

「いえ、それも、不可抗力でございまして……、決して、悪意は、なかったのですけれども……で、その、嫁入り前の女の子の裸見たら、セキニン取らなきゃならないみたいで……」


 冷や汗を滝のように流す裕飛の声が、だんだん小さくなっていく。

 逸花が怖い。

 裕飛が視線で助けを求めてくるのに気づいたが、将吾郎は窓の外を見ることに全能力を傾けることにした。

 友人を助けるのが自分のライフワークだと思っていたが、ライフワークにも休日はあってしかるべきだろう。

 ……ああ、そらがきれい。


「わたくしはオトワの森の氏族クランから、キョートピア貴族アキミツ・ノ・フジワラさまに献上された身でございました。ですが、初夜の前の禊ぎ中にユウヒ様が空より落ちてこられまして」

「で、切腹するかこの子を賭けて決闘するか選べって言われて。まあ、それで最終的に勝ったわけなんだ」

「決闘の際のユウヒ様は、凜々しゅうございました」


 アルディリアは頬を赤らめ、うっとりと天井を見上げる。

 バカは「えへへ、そうかな」なんて相好を崩し、逸花の怒りに油を注ぐ。


「腹を切ればよかったのに」


 逸花の声は地の底から響くようだ。


「……なにそれ、メガネのこと言えないじゃん。こんな時だってのに女の子引っかけちゃってさ!」

「いや、別に引っかけようと思って引っかけたわけじゃねえよ!」

「裕飛はともかく僕は無実――」

「――そうよね!」


 将吾郎の声に割り込むようにして、逸花は声を荒げる。


「よかったね、就職先も決まって、お姉さんにも会えて、ロボットに乗れて、可愛い婚約者ができて! そりゃもう、あたしたちのことなんかどうでもよくなりますよね! いいんじゃない、もう好きにすれば!」


 まくしたて、彼女は1人、食堂を出て行ってしまった。


「……なんであいつ、あそこまで怒ってるんだ? あの日?」


 裕飛が心底不思議そうに言うので、将吾郎はコップの水をぶっかけてやりたい衝動に駆られる。

 それでも一応、裕飛は腰を浮かしてくれた。鈍感なりに追いかける必要は感じたらしい。

 だが、アルディリアがそれを阻んだ。


「ユウヒ様、ご相談したいことがあるのですが」

「相談?」

「はい。祝言の日取りなのですが――」

「しゅ、シューゲン?」

「結婚式のことだ」

「いやいくらオレでもそれくらい知ってるよ! ……アルディリア、前にも言ったけどオレまだ子供だし……」

「こちらの世界では既に元服を済ませているお歳ですわ」

「元服て」

「成人式のことだ」

「それも知ってるよ! ……悪いけどアルディリア、今取り込んでてさ」

「先もそうおっしゃいました。わたくし、いつになったらユウヒ様とお話ができるのですか……?」


 しゅん、と肩を落とすアルディリア。

 縁起なのか素なのかわからないが、そんな捨て犬みたいな顔をされては、裕飛にはもう振り切ることはできない。


「ああ……もう! ショウ頼む、逸花のフォローしといてくれ!」

「断る」


 将吾郎は満面の笑顔で親友の頼みを蹴った。

 ライフワークは本日休業だ。


 自分は男の裸を見て殺されかけたのに、こいつは女の裸を見て恋人ゲットとか、不平等すぎる。

 死ねとまでは言わないが、ちょっとくらい痛い目を見ればいい、と思った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る