一ノ巻  襲来、亡霊侍巨人(三)


「うわっ!?」


 将吾郎は思わず反対側の座席まで飛び退いた。

 裕飛と逸花も気づいて、身を固くする。


「うおっ!?」

「えっ!? なにこれ!?」


 窓全体を覆うような青い炎の向こうに、2つの赤い光が浮かんでいた。

 直感的に、将吾郎はそれを目と認識する。


 結論からいうとその認識は間違っていない。

 ただしそれは、生きているものの目ではなかった。

 生物でさえない。


 鋼鉄でできた顔面。

 車内を確かめるように、瞳がレール上を左右に往復。

 カメラがピントを合わせるように虹彩が動く。


「……おまえら、なにやってるんだ?」


 前方の火事をうかがっていた乗客が振り返り、将吾郎たちを不審げに見た。


「そ、そこ、窓の外……」


 将吾郎は窓の外を指差した。


「……なにもないが?」

「えっ……?」


 なにを言っているのだ。鋼鉄の顔は依然としてそこにあるというのに。

 だが乗客たちは将吾郎を哀れむような、気持ち悪がるような目で見るばかりだ。


「――やめなよ、メガネ」


 逸花がそっと言った。


「あたしとユウ、あんた以外には見えてないみたい。騒ぐだけ変に思われるだけだよ」

「見えてない……?」


 そんな馬鹿な幽霊じゃあるまいし――と思ったが、依然として前方の火災にだけ注意を向ける乗客たちを見れば、そう結論づけるより他にない。


 外にいるものが動いた。逃げるように跳び退る。

 直後、衝撃がバスを襲った。

 乗客たちが転倒し、少ない荷物が投げ出される。


「ひいぃっ!」

「うわっ!」


 乗客たちに見えたのは、バスの天井と床に突然生まれた大きな裂け目だ。

 だが将吾郎の目に映っていたのは、車体を貫通した直径10センチほどの円柱だった。

 ぬるりと、引き抜かれていく柱。

 その根っこの部分には、漢字の「山」を上下逆にしたような、銀色の鋭いパーツがくっついていた。


 柱ではない。これは、槍だ。

 それも身の丈何メートルもある巨人が使うような。


 『槍』が乱暴に引き抜かれた。

 衝撃でバスは前後に引き裂かれ、転がる。


 その瞬間、とっさに座席にしがみつけたのは、将吾郎としては奇跡といってもよかった。

 さらに幸運なことに、さしたる怪我もなし。

 頸骨を折った乗客の死体が目の前に転がってこなければ、もっとよかったのだが。


「ちょっと、どこ触ってんの!?」

「不可抗力だって!」


 逸花と裕飛の言い争う声。

 見れば、裕飛は逸花を押し倒すように乗っかっていた。

 柔らかそうな彼女の胸に顔をうずめている。


「……なにやってんの」

「違う、誤解だ! これはたまたま!」

「いいからさっさとどいて!」


 とりあえず2人とも怪我はないらしい。

 動けるならとにかく離れなければ。

 遠雷に似た衝突音が、逃げる人々の悲鳴が、ここに留まるのは危険だと本能に訴えかけてくる。


「ショウ、こっちに来てくれ!」


 裕飛と逸花は、座席に身体を挟まれた乗客を引っ張り出そうとしていた。

 あの手首に包帯を巻いた女だった。

 折れ曲がった座席はがっちりと彼女の身体を挟み込んで、離そうとしない。


「すみません、誰か手を貸して――」


 他の乗客はこっちを一瞬見たが、無情にも背を向け、バスを出ていく。

 だが彼らが1歩外に出た瞬間、真上からの重圧が彼らの身体を押し潰した。


「!?」


 人間の身体を一瞬でプレスした、なにか大きくて重い、黒い影。

 それは一定のリズムで大地を揺らしながら遠ざかっていった。

 将吾郎にはそのリズムが、足音のように聞こえた。


 大きな顔面。巨大な槍。そして人間を押し潰す、でかい足。

 外にいったい、なにがいる? なにが起きている?


 危険を告げる本能は、早く逃げろと一層わめき立てる。


「……ダメだ裕飛、僕たちじゃどうしようもない」


 3人がかりでも動かない椅子から手を離し、将吾郎は言った。

 事実を告げる以上に、裕飛にあきらめてもらうために。


「そうよ、さっさと尻尾巻いて逃げなさいよ」


 将吾郎の内心を嘲笑うように女が言った。


「どうせこう思ってるんでしょ? 『死にたかったんだよな、じゃあこれでうれしいだろ』って? 冗談じゃない! カレシが欲しい奴だって、ホームレスのハゲデブ相手じゃ嫌に決まってる。死にたがりにだって、良い死に方と悪い死に方ってのがあるんだ。こんなワケのわかんない死に方、サイテーだよ。でもね、生きたがりなんかに『ホラ本当は生きたかったんでしょ?』なんてデカいツラされるくらいなら、ここで1人で死んでやる!」


「……必ず助けを呼んできてやるから」


 裕飛はそう言って、バスの外に出る。

 そして――今の状況には似つかわしくない、はしゃぐような叫びを上げた。


「見ろよ、アレ!」


 そこに、『答え』があった。


 巨人だ。人間よりはるかに大きな、機械仕掛けの人形が横倒しになって倒れていた。

 陣笠のような、円錐状の頭部をした鋼の巨体。

 前方に投げ出された手は、親指以外がひとまとめにされた、鍋つかみみたいな簡素な出来だ。

 胴体は日本の甲冑を強く連想させるデザインをしている。


「巨大ロボット……?」


 裕飛の家で見せてもらったアニメーション、その中で画面狭しと暴れ回っていたガジェットを将吾郎は思い出す。


「さっきまで外で暴れてたの、こいつ……?」

「いや……」


 そいつの顔面はプラネタリウムの投影機に似ていた。

 バスを覗いていたのとは違う。

 あれは、もっと人間に近い顔面をしていたはずだ。


 周囲の混乱はまだ収まっていない。

 つまり他にもいる。どこに?


「あれ!」


 逸花の声に、将吾郎は天を仰ぐ。

 人魂めいた青い炎が、いくつも夜空を飛び回っていた。

 そのひとつひとつに鋼の巨人がいて、二手に分かれて争い合っている。

 そこに足元の人間に対する配慮や気遣いといったものは、まったくない。


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