一ノ巻  襲来、亡霊侍巨人(二)


 はたしてこの選択は正しかったのか。

 今更ながら迷いと焦りが将吾郎の心をざわめかせる。


「君も大変だね。後ろの彼に引っ張られてきたってところかな」

「……まあ」


 隣席に座ったホスト風の男が話しかけてきた。

 彼にとって将吾郎たちは不作法で迷惑な乱入者のはずだが、そういう態度は一切見せない。

 にこやかな物腰。とても今から死のうという人間には見えない。


「あの、どこに向かってるんですか?」

「それは教えられないな。ところでさっき彼女が言ってたけど、ヒーロー部ってなに? どんな活動するの?」

「ただのニックネームです」


 有田裕飛を一言でいえば、『ヒーロー志望』だ。

 困った人がいるなら、とにかく助けに向かう。

 校内の厄介事を引き受けるとか、お婆さんの荷物を持ってあげるとか、迷子の子猫探しをするくらいは当たり前。カツアゲに遭った子供を助けようとして代わりにボコボコにされたりもする。


 なぜ、そんなことをするのか?

 裕飛の正義感は確かに強いほうだが、しかしそれはメインではない。


 目的は――『異世界に行って、ヒーローになるため』だ。


 すべてのはじまりは6年前。

 裕飛のたった1人の姉、有田奈々江ななえがいなくなったことが、裕飛の人生を大きく変えた。


 いなくなったといっても、死んだわけではない。

 どこか余所の街で1人暮らしをはじめたのとも違う。

 家で? 失踪? それも少し異なる。


 その時の光景を、将吾郎はよくおぼえている。


 山の中の、朽ちた神社。

 気の強そうな顔を悲しげな笑みに歪めた奈々江。

 そして、背後の闇にそびえる、5本の角と、2つの光る目を備えた鬼のような影。


 ――ごめんな、ユウ。ちょっと世界を救いに行ってくるわ。

 ――ショウ。悪いけど、ユウのこと、頼むよ。


 そう言い残し、幼い裕飛と将吾郎の目の前で、奈々江は、消しゴムをかけられたみたいにして、文字通りこの世界から消えたのだった。


 将吾郎にとっては忌まわしいだけの、喪失の記憶。

 だが裕飛にとっては、人生観を変えるような神秘体験だった。


 目の前で消えた姉、そして鬼。

 元々夢見がちだった少年に、世界はとんでもないことを教えてしまった。

 奇跡、神秘、魔力、冒険――。

 幻想の世界ファンタジーはこの世界に「ある」のだ――と。


 自分もいつかそこへ旅立ち、その登場人物になる。それが裕飛の夢になった。

 だから空気も読まず身の程も知らず、彼は無闇矢鱈に人助けに走る。


 なぜって、それが主人公に求められるパーソナリティだから。


 人助けとはいえ、危険すぎる。最初は将吾郎も止めようとした。

 だが、妄想が妄想ではないという確信を得た中二病なんて、もう手の施しようがない。

 それで将吾郎は、人助けをする裕飛を助ける日々を送る羽目になったのだった。


 せめて目的を隠せば、裕飛は周囲からの賞賛を得られたかもしれない。

 だがそれは『主人公らしくない』ので、訊かれれば裕飛は馬鹿正直に動機を語った。

 それでついた蔑称が『ヒーロー部』。

 もちろん、そこには将吾郎への侮蔑も含まれている。


 正直、うんざりだ。だが仕方ない。

 奈々江から頼まれてしまったのだから。

 他ならぬ彼女のためなら、自分の人生を投げ出すくらいの価値はある。


 背後からは、裕飛が逸花を説得する声が漏れていた。


「おまえが死んでどうなるってんだ!」

「だって……ユカリが呼んでるんだよ」

「いい加減にしろ! 木ノ白きのしらは死んだんだ、いなくなったんだ!」

「うるさい、ヒーロー部! ユカリのこと、助けてくれなかったくせに!」

「…………」


 裕飛が怯む。

 彼はあくまでヒーロー志望であって超人ヒーローではない。

 どこにでもいるような生身の高校生だ。

 助けようとしても助けられない時がある。

 木ノ白きのしらユカリのケースもそのひとつだった。


「こういうこと言ったら、幻覚とか、イタい奴だって思うかもしれないけど、あたしにはわかるんだ。ユカリがあたしを呼んでるって」

「それでも、おまえが死んだら、おじさんやおばさんや、鈴ちゃんが悲しむだろ?」


 テンプレートな正義漢である彼の、テンプレートな台詞。

 将吾郎の口から、思わず溜息が漏れた。


「彼には無理だね」


 ホスト風の男が、ぽつりと囁く。

 心を読まれたかと、将吾郎は思った。


「言っていることは正しいけど、正しいだけ。そんなものは人の心に届かない」

「…………」

「そして君は――そもそも君、彼女を助けたいの?」

「えっ?」

「どっちかというと、君は彼女側の人間だろう?」

「……僕は別に、死のうなんて……」

「そう? 君の顔を見たとき、あれ、メンバー数え損なったかな、と思ったよ」


 その時、バスが急停車した。なにもない高架道路の真ん中で。


「なんだ?」


 乗客が腰を浮かせる。

 将吾郎もフロントガラスを覗き込んだ。


 渓谷を走る高架道路。

 日付も変わろうという時間なのに、前方には少なくない数の車が停まっていた。

 そのさらに向こうには、オレンジ色の光。


「事故か……?」

「――ねえ、なにか変な音、聞こえない?」


 将吾郎の耳にも聞こえた。

 なにか重い、きっと何トンもするであろう金属の塊が激しくぶつかり合う――そんな音が断続的に響いてくる。

 その発生源は一定ではない。左、右、はるか頭上。

 

 それに混じるように、雅楽の調べが聞こえてくる。

 車内ではなく、どこか遠くから。



 周囲を見回した将吾郎は、窓の外から自分たちを覗き込む巨大な『眼』に気づいた。

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