第14話 宮中の鬼姫 其の一

雲雀ひばり様、そろそろ起きてください」

「ん……」

 なえの声で、雲雀は薄目を開けた。すずなるを帰してから、ほとんど寝ていないように感じる。ちようだいを出ても、外はまだ薄暗い。

「なんね、小未苗。まだ夜たい」

「もう朝です。なりがたけではどうだったか知りませんが、くものみやでは皆が起き出します。いつまでもお眠りになっているのは、あまりよろしいことではないかと……」

 確かに、耳を澄ませば人の声や物音がする。早起きは得意ではなかったが、昨夜、鈴鳴と真の東宮の座を奪おうと誓ったばかりだ。ずぼらに見られるようなことはすべきではないだろう。

「にしても、またあの重い十二ひとえを着るんか」

 こんなに早く着ることになるのなら、そのまま寝れば良かった、などと思っていると。

「いえ、雲雀様が十二単をお召しになる必要はございませんよ」

「ん、宮廷ではあれを着るのが決まりなんじゃなかと?」

 現に、小未苗はこんなに早い時間だというのに、すでに十二単をまとっている。眠りについたのは雲雀とほぼ同じ時刻だったはずなのに、しゃんとしたたたずまいである。

「私のように下位の者はそうなのですが、雲雀様の位は宮廷の中でも十の指に入りますから、無理にお召しにならなくても構いません」

 小未苗の手伝いを借り、雲雀は新たな服にそでを通す。

 それは宮廷における準礼装であった。はつけず、上衣の代わりにうちきを羽織る。中に着る袿も十二単のときよりも少なくて良かった。身につけるために必要な時間も、随分と短くて済む。

「気に入ったわ。十二単より、軽やかで動きやすか」

 けれども、問題がひとつあった。

 十二単ならば隠せていた彩り刀も、小袿姿に仕込むと目立ってしまう。

 せっかく心置きなく刀を振り回せる格好になれたというのに。

「置いていくしか、なかね」

 雲雀は彩り刀を立てかけたままにして、外へ出る。襲われる心配などしていないし、鬼が出たとしてもしゆくうけんで対応する自信はある。が、刀は宮廷という敵地における、雲雀にとっての心のよりどころなのだ。それを持たないというのは、どうにもこころもとない。

 しかし、女房に愚痴愚痴と文句を言っても仕方ない。

「で、今日はなにをすればええと?」

 正直、自分は宮廷での暮らしに疎い。

 どんな仕事をすればいいのかも、そもそも自分に出来る仕事があるのかどうかさえ、判然としていない。の一般教養を求められても、その下地が皆無の雲雀にはどうにもならないのだ。

「まずは、宮廷内の案内をさせていただきます。行事や催事をする際の、場所を覚えていただかなければ」

 その提案は、ひとまず雲雀の不安を緩和するものだった。

 歩幅の狭い小未苗の後ろについて、雲雀は廊を歩く。

 行く先々で、小未苗の解説があった。

 宮廷に住まうは帝一族と、その妻たち、そして彼らに仕える女房達。

 警護で入れ替わりに寝泊まりする者はいるが、それ以外は、都に各々の屋敷を持って、朝になるとそこから参廷する。

 帝が謁見に用いる《香梅かおるめの間》が宮廷の中心で、背後を中宮の《うすざくらの間》、左右を他の女御が暮らす《つゆくさ》、《みつけやき》が取り囲む。

 帝の子であるくれあきは宮廷の東側《ういきよう》に。隣には彼の妻、しのぎあめの《たれふじ》。

 鈴鳴の部屋《うらぼし》は、《やま椿つばきの間》からほど近い場所にあった。

 数えて六十四の殿舎。

 全ての役割はとても一朝一夕で覚えられるものではない。

 小未苗もそれを承知しており、説明の丁寧さに強弱をつけてくれていた。

 内宮廷は暮明の妻である、鎬雨を中心に回っており、女房達を集めた催しはもつぱら彼女の《垂藤》で行われることが多い。

 そもそも《垂藤》には、八雲京の権力者、ふじさき家の一族しか住めないというしきたりがある。そんな特別な殿舎であるから、他と比べて大きく、《香梅》にも匹敵するほどだ。

 他にも八雲京随一の蔵書数が収められた《いかだかずら》などについては、調べ物をする際に必ず訪れるべきと熱心に教えてくれる。

「……小未苗、きさん、なしてうちに世話を焼くと」

 一通り宮廷内を巡り終わった頃、雲雀は不思議に思っていたことを口に出した。

「え? どういう意味ですか」

 幼い女房は、問いの意味が分からなかったらしく、たずね返してくる。

「きさんも知っとろう。うちの結婚相手、鈴鳴が仮初めの東宮であることは」

「それは……、はい」

 小未苗は消え入りそうなほどしゆくしている。

「であるならば、きさんがうちの利益となる行動をとるのは、理にかなっとるとは思えん。むしろ、本来のあるじには嫌われるんじゃなかと?」

 小未苗が雲雀付きの女房であるのは、急な結婚に対応するための措置だ。

 それに、小心な態度こそ気に入らないものの、彼女の仕事は手際がよく、また内宮廷の事情にも通じているようだ。

 主人がいないと考える方が不自然である。

「本来の主なんて、私にはいません」

 ところが、小未苗がうつむくと恥ずかしそうにつぶやいた。

「私の実家、のりばしら家は公家の端くれも端くれで、本来なら入廷など許される身分ではないのです。それを、父をお認めになった帝のご厚意で、置いていただいている。なので、他の女房達が面倒だと思ったことを代わりにやる雑用。それが私の立場です」

「ふうん……。事情は分かったが、それならなおさら、余計なことはせん方がええんじゃなか? 他の女は、うちを目の敵のように思っとるはずたい。なのに、うちの味方みたいな真似をしても良いことはなかよ」

「心配してくださっているんですか?」

 顔を上げ、上目遣いで見つめてくる小未苗。前髪が長いせいで表情は読みづらいが、どうも喜んでいる様子である。

「別に、そういうことじゃなかけど」

 否定すると、すぐにしゅんとなる。が、ぽつぽつと聞こえるか聞こえないかというほどの小ささで、彼女は己の本心をさらした。

「そうですね……。もしかしたら、うれしいのかもしれません……」

「嬉しい?」

「はい。初めて、主のようなお方にお仕えできて」

「なんね、それ」

 虚を突かれて目を大きく見開くと、雲雀が不快に思ったと勘違いしたのだろう。小未苗が慌てて頭を下げてくる。

「申し訳ございません。ご迷惑ですよね、こんなみすぼらしい私がお慕いしたら」

「いや、怒ったわけじゃなか」

 そう声をかけても、恐縮しきった小未苗はなかなか頭を上げようとしない。

(なしてこう、宮中には自信のない者が多いんかいね)

 鈴鳴といい、小未苗といい、自分のまわりには自尊心を傷つけられた者しか集まらないのか。偶然だとしても、この宮廷のいびつさを感じずにはいられない。

 自信に満ちあふれた者も中にはいるが、そちらは多少過剰に持ちすぎている気がする。

 間を取れれば一番良いのだが、と雲雀は暮明の顔を思い浮かべる。

(さて……、言葉通りにこの女房を信用していいもんかね)

 裳着を終えてそれほど経たない小未苗。いい意味ですれていない彼女の奥に、雲雀をだましのけるほどの意地悪さが潜んでいるとは考えにくい。

 けれど、小未苗自身が騙されて、あるいは気の弱さにつけこまれて、結果として雲雀を陥れることに一役買ってしまう、ということなら容易に想定できる。

 であれば、彼女に全幅の信頼を置くべきではあるまい。

 たとえ、宮廷における数少ない味方だとしても、だ。

 当然、鈴鳴を帝にしようとたくらんでいることも、秘密にすべきである。

 どこから、どう広まるとも知れないのだから。

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