第7話 結婚相手は未来の帝 其の五
内宮廷での案内役は、武官から一人の女房に引き継がれた。
緊張した面持ちの小柄な女房は、雲雀の前で膝をつき、頭を下げる。
「雲雀様の正式な女房が決まるまで、おそばに控えさせていただきます、
「ん。こっちこそ、よろしゅう」
気安く返すと、小未苗と名乗った女房はようやく恐る恐る顔を上げた。
眼が隠れるほどに前髪が長く、
十二単を
突然宮廷入りした雲雀に宛がわれるほどだ。あまり身分の高い家柄ではないのだろう。
(まあ、いかにも高慢で何もできない貴族女をよこされるよりはよほどましたいね)
帝や東宮、あるいは上位の貴族に見初められる相手は、同等か、でなくてもそれなりの家柄に限られる。そういった者は仕事が出来ずとも宮中に居座れるが、下位の家柄で出仕している者で役立たずであれば、即座に帰されているはずだ。
雲雀のための部屋はすでに用意されているというので、その小柄な背についていくと、《香梅の間》の左奥、北西の位置で女房は立ち止まった。
「ここが、雲雀様に普段お過ごしになっていただく《
内宮廷に建つ六十四の殿舎には、どれも一部に草木の名が入る。
雄成岳出身の雲雀に、《山椿》が宛がわれたのはおそらく狙ってのことだろう。
殿舎に入ると、内側は御簾や屛風、
母屋に入れば、そのなかにはさらに布で覆われた空間が用意されていた。
「これは、なんね」
「えっ」
「御帳台、ですが……。なにかお気に召さないところがございましたか?」
気に召さないもなにも、雲雀からすれば初めて目にするものだ。
白地に
「ああ」
前に誰かから伝え聞いたのを思い出す。
公家の女は布で覆われた空間で眠るらしい、と。それどころか、男が訪ねてきても極力姿を見せず、御簾や、あるいは屛風越しに話をするのだとも。
さらには屋敷を歩く際にも扇で顔を隠し、なるべく男の目に
なんと不自由な生き方かと
それに、こういうものが
敷き
八雲京の文化に疎い雲雀でも、それなりの
なにより、今は誰からも見られることのない、仕切られた御帳台の存在が有り難い。
「しばらくのあいだ、声をかけたりするんじゃなかよ」
「かしこまりました」
小未苗が母屋から退出するのを確認すると、雲雀は御帳台の
「どっと疲れたわ……」
周りは公家だらけの孤独な場所。
着ている服も、起こることも、慣れないことばかり。
相当に神経を
軽く眠ろうか、などと思っていると。
「雲雀様」
外から名前を呼ばれた。
先程の女房、小未苗の声である。
「なんね」
声をかけるな、と言っておいたのに。
不機嫌さを
「あの……、暮明親王がいらっしゃいました」
「暮明が?」
それを聞いた瞬間、小未苗を
「失礼するぞ」
足音とともに聞こえたのは、確かに戦場で耳にした、山奥から流れ出た冷水のように涼やかな、それでいて落ち着いた低い声音。
まるで親しい間柄ではないのに、つい懐かしさを感じてしまう。
とはいえ、正直なところ雲雀は動転していた。八雲京までの旅路で結婚への覚悟は決めていたものの、いざ顔を合わせたときにどんな話をしたらいいのか、まったく思いついていなかったのである。
それに、再会の場はもっと正式に作られるものだとばかり考えていて、こんな不意打ちのような再会は想定外だった。
雲雀は慌てて、倒れ込んだときに着崩れた十二
これが、自分の夫か。
そう思うと、なぜか誇らしい気持ちになった。
どこからどう見ても、これまで雲雀が目にしたどんな男より精悍で、美しい。
暮明は戦場でも見た彩り刀を腰に
「久しいな──というほどには、時は空いていないか。あのときとあまりに状況が異なるせいで感覚がおかしくなりそうだが」
暮明は袍の裾を振って、床に腰を下ろす。
「そ、そうたいね」
雲雀も気後れしつつ、暮明の正面にちょこんと座った。
男勝りが何をしおらしくしているのか、と自分の中で叱咤の声がするが、ならばどう接するのが正解なのか、皆目見当がつかなかった。
なにを話せば良いのだろう。
これからの二人のこと、だろうか。
気になることならたくさんあるのだ。
雲雀と暮明はいつ結婚するのか、だとか。
これからの暮らしはどうなるのか、だとか。
否。
そんな
それは、暮明がこの結婚をどのように思っているか、だ。
雲雀のなかにあった婚姻話へのわだかまりは、暮明を目にした瞬間に吹き飛んでいた。
むしろ、行き遅れなどと自分を馬鹿にしていた同年代の姫達をここへ連れてきて、思い切り自慢してやりたい気分である。
ざまあ見ろ、己はこんなに良い男を捕まえたぞ、と。
しかし──それも暮明が望んでないとなれば話は別。
強い男とは不思議と話が合う雲雀である。たとえ
とはいえ、男女の関係となればそうもいかないだろう。
男女の関係──よぎった言葉に、雲雀の頭は勝手に湯立つ。
「本当に来たんだな。てっきり断るかと思っていたぞ」
ところが暮明は雲雀の想いなど露知らず、あっけらかんとした態度である。
「……ずいぶんな物言いたいね」
とても自分の妻になる女にかける言葉とは思えない。浮ついた気持ちを馬鹿にされたようで、一気に冷めた。
やはり、暮明はこの結婚に乗り気ではないのだ。
断ってくれ、そう思っていたのだ。
考えてみれば当然である。この宮廷で明らかに歓迎されていない雲雀を
それに、いつの世も男が妻に求めるのは、相手を敬い、立てる心なのだ。
男に勝とうなどと常々考える雲雀とは、まったく真逆の女。
「うちを笑いに来たと?」
少しでも期待した自分が愚かだった。
「よかよ、他の女房達と同じように、似合っちょらんこの格好を笑えばよかたい」
そう言い捨てて顔を背けたが、返ってきたのは意外な言葉だった。
「誰が笑うものか」
ちらりと視線を戻せば、暮明は真剣な表情で雲雀を見つめていた。
「最初に会ったときから、お前は美しいと思っていた。
「そ、そうたい?」
期待していなかった賞賛に、雲雀は再び身体が熱くなるのを感じた。慌てて顔を扇で隠し、公家の文化も役に立つではないか、と初めて思った。
そして
いや、もしかしたら、今回の結婚は暮明の望みだったのではないだろうか。
自分に向けられた熱い
すっかり上機嫌になった雲雀は、扇から
「そこまで言うなら、仕方なかね。……うち、きさんの妻になってやってもよかよ」
言葉にする間にも、どんどん身体が熱されていく。
早く答えをもらわねば、御帳台に逃げ出してしまいそうだった。
「お前が、俺の妻……?」
ところが、夫になるべき男は
ここまで来て
「なにを言っているんだ? お前の相手は、俺ではないぞ」
「──────は?」
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