第7話 結婚相手は未来の帝 其の五

 内宮廷での案内役は、武官から一人の女房に引き継がれた。

 緊張した面持ちの小柄な女房は、雲雀の前で膝をつき、頭を下げる。

「雲雀様の正式な女房が決まるまで、おそばに控えさせていただきます、なえと申します。あの……、よろしくお願いいたします」

「ん。こっちこそ、よろしゅう」

 気安く返すと、小未苗と名乗った女房はようやく恐る恐る顔を上げた。

 よわいを終えたばかりの、十四、五といったところだろうか。

 眼が隠れるほどに前髪が長く、うつうつとした印象のある少女である。

 十二単をまとってはいるものの、すそから重なって見えるうちきはどれも色あせ、上衣の生地は傷んでいた。《茅清の間》で見た他の女房達と比べると随分とみすぼらしい。

 突然宮廷入りした雲雀に宛がわれるほどだ。あまり身分の高い家柄ではないのだろう。

(まあ、いかにも高慢で何もできない貴族女をよこされるよりはよほどましたいね)

 帝や東宮、あるいは上位の貴族に見初められる相手は、同等か、でなくてもそれなりの家柄に限られる。そういった者は仕事が出来ずとも宮中に居座れるが、下位の家柄で出仕している者で役立たずであれば、即座に帰されているはずだ。

 雲雀のための部屋はすでに用意されているというので、その小柄な背についていくと、《香梅の間》の左奥、北西の位置で女房は立ち止まった。

「ここが、雲雀様に普段お過ごしになっていただく《やま椿つばきの間》になります」

 内宮廷に建つ六十四の殿舎には、どれも一部に草木の名が入る。

 雄成岳出身の雲雀に、《山椿》が宛がわれたのはおそらく狙ってのことだろう。

 殿舎に入ると、内側は御簾や屛風、ちようによりいくつもに仕切られていた。おそらく、本来ならばあるじに仕える女房が使うのだろうが、雲雀は一人として従えていないため、閑散とした雰囲気だ。

 母屋に入れば、そのなかにはさらに布で覆われた空間が用意されていた。

「これは、なんね」

「えっ」

 たずねると、小未苗がおっかなびっくりといった様子で応じる。

「御帳台、ですが……。なにかお気に召さないところがございましたか?」

 気に召さないもなにも、雲雀からすれば初めて目にするものだ。

 白地にほうおうが描かれたてんがいを開くと、そのなかには畳がじよう分敷かれている。

「ああ」

 前に誰かから伝え聞いたのを思い出す。

 公家の女は布で覆われた空間で眠るらしい、と。それどころか、男が訪ねてきても極力姿を見せず、御簾や、あるいは屛風越しに話をするのだとも。

 さらには屋敷を歩く際にも扇で顔を隠し、なるべく男の目にさらさないようにしているのだとか。

 なんと不自由な生き方かとあきれるが、郷に入れば郷に従えとも言う。

 それに、こういうものがこしらえてあるということは、雲雀が姫として正当に扱われているという証左でもある。

 敷きしとねの座はあるし、香炉、調髪のための水を入れるゆするつき、冊子箱の置かれた二階がきちんと調えてあり、雲雀は弾けぬというのに、ご丁寧にことまで用意されていた。見事なまきの施されたひつは、おそらく衣を仕舞うためのものだろう。

 八雲京の文化に疎い雲雀でも、それなりのしつらえになっているのは分かる。

 なにより、今は誰からも見られることのない、仕切られた御帳台の存在が有り難い。

「しばらくのあいだ、声をかけたりするんじゃなかよ」

「かしこまりました」

 小未苗が母屋から退出するのを確認すると、雲雀は御帳台のとばりを下ろして、畳にばたんと倒れ込んだ。

「どっと疲れたわ……」

 周りは公家だらけの孤独な場所。

 着ている服も、起こることも、慣れないことばかり。

 相当に神経をとがらせていたようで、気が抜けるとやけに頭が重く感じられた。

 軽く眠ろうか、などと思っていると。

「雲雀様」

 外から名前を呼ばれた。

 先程の女房、小未苗の声である。

「なんね」

 声をかけるな、と言っておいたのに。

 不機嫌さをあらわにしてたずねると、小未苗が申し訳なさそうに返してくる。

「あの……、暮明親王がいらっしゃいました」

「暮明が?」

 それを聞いた瞬間、小未苗をしつする気はあっさりせて飛び起きた。

「失礼するぞ」

 足音とともに聞こえたのは、確かに戦場で耳にした、山奥から流れ出た冷水のように涼やかな、それでいて落ち着いた低い声音。

 まるで親しい間柄ではないのに、つい懐かしさを感じてしまう。

 とはいえ、正直なところ雲雀は動転していた。八雲京までの旅路で結婚への覚悟は決めていたものの、いざ顔を合わせたときにどんな話をしたらいいのか、まったく思いついていなかったのである。

 それに、再会の場はもっと正式に作られるものだとばかり考えていて、こんな不意打ちのような再会は想定外だった。

 雲雀は慌てて、倒れ込んだときに着崩れた十二ひとえを雑に整えると、ちようだいの外へ出た。

 直衣のうしを着た暮明は、戦場で相対した際のよろい姿とは、また印象が異なっていた。

 すいえい冠に塗られた漆は黒く輝き、濃紺のほうに花丸紋様が入ったえんの指貫を合わせた服装は実にしかった。おうぎを持つ指はごつごつとした武人のそれであり、瞳も好戦的で野性を感じさせるものだったが、その本性を貴族の装いによって上手うまく押し隠しているといった雰囲気である。

 これが、自分の夫か。

 そう思うと、なぜか誇らしい気持ちになった。

 どこからどう見ても、これまで雲雀が目にしたどんな男より精悍で、美しい。

 贔屓ひいきが入っているのかもしれないが、雲雀はれ直す思いだった。

 暮明は戦場でも見た彩り刀を腰にいていた。後ろに控えた少年の従者に持たせればいいものを、と思ったが、自らも十二単のなかに刀を忍ばせている身なので、人のことは言えなかった。

「久しいな──というほどには、時は空いていないか。あのときとあまりに状況が異なるせいで感覚がおかしくなりそうだが」

 暮明は袍の裾を振って、床に腰を下ろす。

「そ、そうたいね」

 雲雀も気後れしつつ、暮明の正面にちょこんと座った。

 男勝りが何をしおらしくしているのか、と自分の中で叱咤の声がするが、ならばどう接するのが正解なのか、皆目見当がつかなかった。

 なにを話せば良いのだろう。

 これからの二人のこと、だろうか。

 気になることならたくさんあるのだ。

 雲雀と暮明はいつ結婚するのか、だとか。

 これからの暮らしはどうなるのか、だとか。

 否。

 そんなまつなことより、もっと肝心なことがある。

 それは、暮明がこの結婚をどのように思っているか、だ。

 雲雀のなかにあった婚姻話へのわだかまりは、暮明を目にした瞬間に吹き飛んでいた。

 むしろ、行き遅れなどと自分を馬鹿にしていた同年代の姫達をここへ連れてきて、思い切り自慢してやりたい気分である。

 ざまあ見ろ、己はこんなに良い男を捕まえたぞ、と。

 しかし──それも暮明が望んでないとなれば話は別。

 強い男とは不思議と話が合う雲雀である。たとえけいで勝ち負けがついても、技や心構えについて語り合っていればおのずと関係は改善されたものだ。

 とはいえ、男女の関係となればそうもいかないだろう。

 男女の関係──よぎった言葉に、雲雀の頭は勝手に湯立つ。

「本当に来たんだな。てっきり断るかと思っていたぞ」

 ところが暮明は雲雀の想いなど露知らず、あっけらかんとした態度である。

「……ずいぶんな物言いたいね」

 とても自分の妻になる女にかける言葉とは思えない。浮ついた気持ちを馬鹿にされたようで、一気に冷めた。

 やはり、暮明はこの結婚に乗り気ではないのだ。

 断ってくれ、そう思っていたのだ。

 考えてみれば当然である。この宮廷で明らかに歓迎されていない雲雀をめとれば、ちようしようの的になるのは確実。きようを重んじるの男が、面白いと思うはずがない。

 それに、いつの世も男が妻に求めるのは、相手を敬い、立てる心なのだ。

 男に勝とうなどと常々考える雲雀とは、まったく真逆の女。

「うちを笑いに来たと?」

 少しでも期待した自分が愚かだった。

「よかよ、他の女房達と同じように、似合っちょらんこの格好を笑えばよかたい」

 そう言い捨てて顔を背けたが、返ってきたのは意外な言葉だった。

「誰が笑うものか」

 ちらりと視線を戻せば、暮明は真剣な表情で雲雀を見つめていた。

「最初に会ったときから、お前は美しいと思っていた。かつちゆうに身を包んだお前も凜々しくて良いが、十二単もよく似合っているではないか」

「そ、そうたい?」

 期待していなかった賞賛に、雲雀は再び身体が熱くなるのを感じた。慌てて顔を扇で隠し、公家の文化も役に立つではないか、と初めて思った。

 そしてあんした。周囲はともかく、暮明は自分を嫁として認めてくれている。

 いや、もしかしたら、今回の結婚は暮明の望みだったのではないだろうか。

 自分に向けられた熱いまなしを見れば、そんな気さえしてくる。

 すっかり上機嫌になった雲雀は、扇からひとみだけ出して、暮明を見つめ返した。

「そこまで言うなら、仕方なかね。……うち、きさんの妻になってやってもよかよ」

 言葉にする間にも、どんどん身体が熱されていく。

 早く答えをもらわねば、御帳台に逃げ出してしまいそうだった。

「お前が、俺の妻……?」

 ところが、夫になるべき男はげんそうに首をかしげる。

 ここまで来てらすか、と憎らしく思っていると、暮明はおもむろに口を開いた。

「なにを言っているんだ? お前の相手は、俺ではないぞ」

「──────は?」

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