第6話 結婚相手は未来の帝 其の四

 雲雀は、またもや圧倒される想いだった。

 築地の大垣に囲まれた宮廷の内側には、わだぶきの大きな殿舎が建ち並ぶ。一つ一つ柱の色が異なり、束帯で正装をしたきんだちが入っていく。文官が吸い込まれていくのが財政や行政、武官の方は警備などを担う官庁だろう。

 ここが、外宮廷と呼ばれる領域であり、そちらに進めば内宮廷、あるいは単に宮廷と呼ばれる、帝の住む真の中枢がある。

 再び築地を越え、門をくぐった正面に構えるのが、宮廷へ戻ってきた公達が牛車から降りるための場所、《かやきよめの間》である。

 屋根の下に入っても、床は石畳であり、牛車のまま中へ進むことが出来る。

 雨が降っていても一切れずに済む、建築者の心憎い配慮である。

 この《茅清の間》には八つの牛車が同時に停まれるらしい。そんなに一度に停まることなど滅多にないと思うが、公家はやたらと八、という数字にこだわるのであった。

 宮廷の敷地建つ建屋の数も、大きさに違いはあれど八と八を掛けた六十四。

 敷地に新たな建屋を建てる際には、元々あったいずれかを壊して数あわせをするほどの徹底ぶり。彼らが崇める大蛇の頭が八つあることから、験を担いでいるらしい。

 そして、ただの一つの例外もなく、内宮廷の建屋は廊によってつながれているのだ。

 これもまた、胴からいくつもの首を生やす蛇をかたどったと言われているが、もはや入り組みすぎて、上から見たとしてもまたの大蛇おろちだとは誰も思わないだろう。

「こちらでお降りください」

 武官の手により、牛が車から放されると、雲雀にそう声がかかった。

 ようやく、狭苦しい箱からの解放だ。

 だが、これは戦いの始まりでもある。

 武家を代表する者として、軽んじられるわけにはいかない。

 家の名誉を高めこそすれ、失墜させるようなことがあってはならないのだ。

 雲雀はしゃんと背筋を伸ばし、牛車から降りようとして──

 ずっこけた。

「ぎゃっ!」

 颯爽と降り立つはずだった廊からも転げ落ち、おまけに奇声まで上げてしまう。

「いかがなされました」

 牛車についていた武官が慌てて、雲雀を助け起こす。

「この、長ったらしいはかまめ……!」

 十二ひとえを着ていることをすっかり忘れ、袴につまさきを引っかけてしまったのだ。

 助けを借りて立ち上がれたはいいが、せっかく気に入っていた上衣に土がついてしまっている。手で強く払ってみたものの、完全には落ちない。

「最悪たい」

 初っぱなから、文字通りつまずいてしまった。

 情けなさから思わず悪態をつくと、くすくすと笑い声が聞こえた。

「聞きました? 先ほどのお声」

「同じ人とは思えませんわ。まるで獣のよう」

みやびとはほど遠いお方ね」

「お顔も丸出しで、武家の姫には恥じらいがないのかしら」

 見れば、扇で口元を隠した四、五人の女房達が、遠巻きに雲雀を見ている。

 誰かの迎えというわけでも、牛車で戻ってきたところというわけでもなさそうだ。

 どうやら雲雀を見るために、わざわざ《茅清の間》まで連れ立ってきたらしい。

「なんね」

 不機嫌も相まって、雲雀は彼女達をにらみ付けた。

「文句があるなら、はっきり言えばよかたい」

 武家の者からも、雲雀はたびたび侮辱されてきた。

 女は刀を握るものではない、とか。

 女の強さなどたかが知れている、とか。

 それでもこう一睨みしてやれば、恐れおののき、謝罪をよこしたものだ。

 だが──宮廷では勝手が違っていた。

「まあ。方言よ、方言」

「よかたい、ですって。田舎くさい」

「あんな野蛮な女性と結婚しなければいけないなんて、東宮様がおかわいそう」

 女房達は思いついたことをその後も楽しげに言い合うと、満足したようにするすると袴を引いて、茅清の間から出て行ってしまう。

「あ、こら」

 腹が立って追いかけようにも、十二単では如何いかんともしがたかった。今度会ったときはお返ししてやろうかと思ったが、扇で隠された顔を後で判別するのは難しそうだ。

 雲雀は嘆息した。まあ、こんなことは序の口だろう。

 それより、気になったのは別のことだ。

「うちの夫は? 出迎えもないんね?」

 自分よりも若く見える武官に、雲雀はたずねた。

「東宮様は、茅清の間には外出時以外、いらっしゃいません。ここは吉凶のいずれも同じく呼び寄せてしまいますから」

 武官の物言いはうやうやしかったが、どうも雲雀は自分が縁起の悪いものとして扱われているように思えてならなかった。

 しきたりだと言われればそれまでだが、都はおろか結婚相手からも、自分は歓迎されていないのでは、という疑念がよぎる。

 それは不意打ちだった。自分が嫌だということばかりが先に立って、相手がどう思っているかを全く想像していなかったのだ。

 そして考えれば考えるほど、向こうも嫌がっているとしか思えなくなってきて、やたらと気が重くなってくる。

 女の幸せなんて、やはり望むものではない。

 いや、一度だって自ら望んだことなどないのだが。

「帝が《香梅かおるめの間》でお待ちです。東宮様とはその後にお目にかかれるでしょう」

「うむ」

 雲雀は武官の後ろについて《茅清》を出、すの縁を進む。ながばかま穿いて歩くのには苦労したが、鍛えられた足腰が幸いして、しばらくすると体勢を崩すことはなくなった。

 慣れた頃に眼前に現れたのは、大きな池を有する、白砂の敷き詰められた庭である。

 渡殿を越えた先で、庭を一望できる殿舎が雲雀を待ち構えていた。

 しとみには細かな梅の文様が刻まれている。

 帝が謁見の際に用いるという《香梅の間》に違いなかった。

 雲雀は簀子に手をつくと、ゆっくりとこうべを垂れた。

「雄成岳より綱月家、一の姫、雲雀様、ご到着なさいました」

 武官が報告すると、ややあってから声が返ってくる。

「開けよ」

 武官がをゆっくりと上げていく。

 頭を下げたままで待っていると、優しげな、それでいて威厳のある低音がを打つ。

「遠路はるばる、よくぞ来られたな。顔を上げられよ」

 自分が長く戦い続けた敵の、頭領である。

 わたりのみかど。政がどうかは知らぬが、戦場における兵の統率にかけては、父の巌丑と比してもそんしよくない将だと雲雀は評価していた。

 さぞ眼光鋭い、たかのような男なのだろうと思っていたが。

 開かれた御簾の奥にいたのは──そんな想像とはかけ離れた人物であった。

 髪は整えられているが、色は真っ白に抜け落ちており、ひとみのまわりは笑いじわに覆われている。高く積まれた畳に座っているが故に判然としないが、背も決して高くないだろう。

 威圧的な雰囲気もなく、背後に飾られたきんりゆうびようのほうが余程迫力が感じられる。

 むしろ、いかにもこうこうといったふうぼうで、拍子抜けする思いだった。

「顔に出ておるぞ」

 帝は目を細め、畳んだ扇の先を向けてくる。

 低く見積もったことを読まれて、雲雀は気恥ずかしくなった。

「申し訳ございませぬ。武家で広まっている噂が、まるでちごうておりましたので」

「ははは。期待にそぐわず申し訳ないな。これでも、私も十年前は、もう少しせいかんな顔つきをしておったのだぞ」

 帝は大きな声で笑ったが、それはすぐにせきへと変わった。そばについていた女房に背をさすられてようやく治まったが、のどよりも深い場所から出ているのは明らかであった。

 これはもう長くないな、と思った。道理で近頃は敵の動きが鈍かったわけだ。

 が、にわかに武家とぼくを結ぼうとはやった理由が、かい見えたような気がした。

「お察しの通り。余の治世は、そう長くはないだろう。故に私は、なんとしても生きているうちに、武家と恒久の平和を築きたいと考えておった。戦がお好きな姫には不満だったかと思うが」

「それは誤解たい。……誤解です」

 思わず方言が出てしまい、雲雀は言葉遣いを直す。

「実のところ、ここしばらくは戦に飽き飽きしておりました。ごたえがなく、弱い者いじめをしているような気分になりますので」

 それは、噓偽りなき、雲雀の本心だった。

 武家の男どもと違って、公家を滅ぼそうと考えているわけでもない。

 確かに、この八雲京を手にできれば、武家の繁栄は揺らがぬものとなるだろう。

 しかし、だからなんだと言うのだ。

 他の者が作り出したものを無理に奪ってどうなる。

 欲しいものは、自分で生み出してこそ、意義があるのではないか。

「そうか、そうか」

 帝は愉快そうにひざたたいた。話している相手が血を好む好戦的な女ではないと分かったからだろうか。雲雀こそ、噂とはまるで違うと思ったのかもしれない。

 なにせ、八雲京では鬼姫などと呼ばれているらしいから。

 そんなことを考えていると、帝はふいに、不吉なことをのたまった。

「──であるならば、八雲の宮廷は貴女あなたに歯応えを感じさせる、初めての戦場になるかもしれんな」

「はあ」

 なにを言っているのだろう、と思った。

 この、いかにも平和そうな場所が、戦場?

 訳が分からないと思いつつも、背筋がぶるりと震えた。巌丑のあの言葉が思い出されたからである。

『その考えでは、苦労することになりそうだ』

 孤軍奮闘せねばならぬのは最初から分かっていたことだが、どうも嫌な胸騒ぎがする。

「今は深く考えるな。まずはここを己の家だと思い、くつろぐがよい」

「有り難うございます」

 そんな風に誤魔化されては、余計に気になってしまう。

 雲雀が弱い者いじめだと感じない、ごわい敵がこの宮廷にいるということだろうか。

 そんな相手は暮明くらいしか思いつかない──が、自分はまさにその者と結婚するためにここへ来たのだ。ならば戦など、起こりうるはずがなかった。

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