第5話 結婚相手は未来の帝 其の三

 慣れない牛車は、窮屈そのものだった。

 歩くよりも遅い上、揺れは激しく、外の景色は側面に作られた小さな物見からしかうかがえない。横では家来の一人が野嵐を引いてくれているが、もう自分はさつそうと駆ける愛馬に乗ることはないのだなと思うとしみじみと悲しくなってくる。

 牛車の乗り心地の悪さは、未来の自分を暗示しているようだった。

 強さが物を言う世界ならば、雲雀は誰にも負けない自信がある。

 しかし、これからは強さなど役には立たない。勝手の違う、公家の理屈のなかで生きていかねばならないのだ。

 牛車での移動は、改めてそれを思い知らされる儀式のように感じられた。

 眼を閉じて、しばらくうつくつした気分で揺られていたものの、有宗が「着きましたよ」と言うので、八雲京とはどんなものかと物見を開く。

「ほへええ」

 外の景色を見た雲雀は、とても姫とは思えぬ声を出した。

 その都が、雄成岳とはなにもかもが違っていたからだ。

 外敵から都を守るための外壁こそあるものの、門をくぐれば土地は真っ平ら。道は整然と縦横に区画されている。雲雀達が入ってきた西門から宮廷までは一直線の大路で、幅広の牛車でも五台は並んで進めるほどの広さだ。

 両端には等間隔で桜が植えられ、満開の花は見事に春をたたえている。ひらひらと舞い落ちた花びらは積もって、牛車の進む路を彩る。

「西門から入ると桜がれいなんですよね。夏は南門から、秋は東門から、冬は北門から入ると、平宮の美しさを最も堪能できると言われています」

「攻めやすか造りたい」

「物騒な見方をしないでくださいよ。ここは三百年の歴史を持つ、由緒正しき都なんですから。烏門を越えていたら、八雲京を攻めることになっていたでしょうが、そうなればさすがの頭領も心を傷めたんじゃないですかねえ」

 有宗の発言は、どう見ても公家の立場に立ったものである。

 この男が八雲流にかぶれているという話は、どうも本当らしい。

「そんな甘っちょろいことを言っとるから、戦が終わらんかったんちゃうんか」

「では聞きますが、雲雀様ならここをちゆうちよなく攻められます?」

 雲雀はむう、と言葉を濁した。

 街中では至る所で市が開かれ、人々には活気がある。

 路を歩く者に、分け隔てなく物を売りつけようとする商人達。

 もちを売る店の前には人だかりが出来て、水干姿のわらべうまそうに頰張っている。

 新たに屋敷でも作るのだろうか、服をはだけた大工達は掛け声を上げながら加工前の木材を都の奥へと運んでいく。

 服装の違いに貧富の差はあれど、どの者も飢えているようには見えない。

 良い統治をされている証拠である。

 都の中心に宮廷がある以上、攻めれば武器を持たぬ民の被害は免れないだろう。

「まあ、うちらとぼくを結んだ以上、そんな悩みとはもう無縁たいね」

 抵抗せぬ者をいたぶるような趣味はない。それに外敵と戦うために作られた無骨な雄成岳とは違い、八雲京には文化の香りがある。

 その象徴が、あがめる大蛇を奉った社だ。ひのきで作られた、大蛇のうろこを思わせる美しい彫刻が施された塔があちらこちらに建っており、かつ姿で顔を隠し参拝に訪れる貴族の女も大勢見受けられる。

 火でも放とうものなら、崇拝を集める社も、都ごと焼失してしまうだろう。

 これでは攻められない、と敵に言わせ、温情を勝ち取ろうとするかのような公家のずる賢さに、雲雀は気分を悪くした。

「にしても、歓迎があまりなかね」

 西門から入れば、すなわち雄成岳からの来訪であることを告げているに等しい。

 であれば、東宮の結婚相手ではないか、ともう少し騒ぎになってもよさそうなものだ。

 だが、人々はおや、と一瞬立ち止まったり、目線を向けたりはするものの、それ以上は気にとめることはない。

「そうですねえ。公家の連中が、あえてしらせを流していないのかもしれません」

「なして」

「ほら、八雲京に鬼姫が来たとなったら、大変じゃないですか。ここの民は、みな鬼を恐れているようですしね」

「……そんなもんかねえ」

 静かで進みやすいが、思っていたのとこうも違うのは、何か妙な居心地の悪さがある。戦場で敵陣がいつのまにか消えてしまっていたときのような。おびき出され、どこから攻められるかわからないあの嫌な感覚を思い出す。

 もやもやとした疑念が解消されぬうちに、牛車は宮廷の門前まで進む。

 槍を構えた武官に有宗が和やかに応対し、ゆっくりと門が開かれる。

「では、私はこれで」

 有宗は物見から中をのぞき込むと、雲雀に向かって頭を下げた。

「ついて来んのか?」

「宮廷には官位がなきゃ入れませんよ。しかも私、武家の男ですしね。ここが限界です」

 他の家来達も有宗同様、宮廷に足を踏み入れることは許されていないらしい。

 途端に、不安がもたげてきた。こんなどうとも思っていない男でも、自分はそれなりに頼りにしていたのだと認めるのは、我慢がならなかったが。

「まあ、用があれば私のところまで牛車を走らせてくださいよ。話し相手くらいにはなりますから」

 有宗は自らの屋敷がある場所を雲雀に伝え、さっさと馬に乗り去ってしまった。仕方がないことだとは分かっているが、そのひようひようとした様子に薄情者、と文句を言いたくなる。

 牛車は武官に引かれ、宮廷へと入っていった。

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