第三話

「さーて、これからどうするか」


 客間に通されたデュランが、ツバキを座布団の上に降ろした。ツバキは声も出さず泣いている。泣いてはいるが、心ここにあらずと言った様子だった。


「なあツバキ、これからどうする?」


 ツバキの頭を撫でながらそう問うも、ツバキはただしんしんと泣いて、頭を振るだけだ。外は書簡等の準備か何かでドタバタしているので若干うるさいがデュランからすればそれどころではない。


「なーに泣いとるんじゃこの小娘は、まったくお主ここで死ぬわけじゃなかろう」


「そうだツバキ。泣くのは悪いことじゃないが、これからのことを考えなきゃいけない……ん?」


 デュランが横に目線を動かすとツバキと同じような背格好の少女が座布団を引っ張ってきていた。そうしてその声にはとても聞き覚えがある。


「え? は?」


「おっと待つが良い、我―――じゃなかったあたしはこの屋敷、コトワリ様の侍女のボタンじゃよいいの?」


 そう、あのブラインドの先から聞こえてきた声と同一なのだ。どこから入ってきたとあたりを見渡して、上を見上げてみれば天板が一枚ずれている。どうやら天井から入ってきたらしい。


「え、うん、はい」


「見知らぬ子じゃが、あの子と同名のよしみで見に来てやったに何なのじゃその面は」


 ツバキの涙を拭ってボタンは乱暴に頭を撫でた。頭が思い切り揺さぶられているがお構いなしだ。態度は尊大だが、どこか優しさを感じさせる所作があった。


「さて見知らぬツバキちゃん。お主ははここを離れるんじゃけれど、お主には空が待っておる、そこのデュラン君もなかなかすごそうな奴だし何とかなるじゃろ? お主、親のせいでこの屋敷で実質軟禁じゃったしそれよりよっぽど楽しいはずじゃぞ? ここに来るまでにそういうことはなかったのかの?」


 ツバキは首を横に振った。それにボタンはにんまりとして頭を撫で、反対の手でデュランに謎の手信号を送ってきた。華火特有の手信号は知らないので首をかしげざるを得ないが、何となく嬉しそうなのは伝わってくる。


「良い良い、この男に付いて居れば安心といった所じゃ。見たところ華火一の益荒男にも劣らぬようじゃしの。そゆわけで、この小娘を頼んだぞデュラン・ディル」


「頼まれなくたってここまでの縁がある。見捨てたりなんかしないぞ」


 バンバンと背中を叩かれる。そのあたりに関してはデュランも意を異なる事はない。どうにか平穏にこの島に残してやりたい気持ちはあるが政治的事情では伝手も何もない異国故にデュランはツバキを連れて去る他ないものの、帰ってはいそのまま放り出すとする気は毛頭ない。ツバキが背中に抱きついてきたので後ろに手を回して背中をさする。


「質問がいくつかあるんだが」


「何なりとじゃ、一介の侍女の答えられることならばの」


「じゃあまず、断空にに入って帰るのに不安しかないんだが大丈夫か? 来るだけでめちゃくちゃに苦労したんだが」


 なんだそんなことかと鼻から息を吐いたボタンが手をパタパタと遊ばせた。


「それに関しては問題は無いのう。アレは外から内に入るは易し、出るは難しといった風情の現象じゃ。一部の者以外にはこちらに来ることすら叶わぬが、向こうに抜けるだけなら気流に身を任せ飛ぶだけで充分じゃろう」


「成程、じゃあ二つ目なんだがアンタら、こちら側に居ながらどうやって西方訛りのしゃべり方を覚えたんだ? 過去にも俺たちみたいなのが来ていたのか?」


 言外にツバキのことも含めている。蜀剣付近に属する島という前提なら教育が行き届いていたで済むが、こんな場所では話が変わってくる。


「いいや、我……じゃなかったあたしはいつもとここの屋敷に者になら美しい華火語りに聞こえるじゃろうし、お主にはその西方訛りとやら聞こえておることじゃろう」


「は?」


「あたしらはなのじゃよ。故にコトワリじゃ。あまり詮索するな、その小娘はただの小娘、お主にはそれだけで十分じゃろう? それと」


 目を細め、デュランの着けた組紐を指差す。


「その組紐は実に良い品じゃ。いいことあると思うからの、はずすでないぞ」


「気に入ってるんでね、お偉いさんの立食会に誘われたって着けてるさ」


 うんうんと満足そうに頷いたボタンは立ち上がると跳ね上がって天井に手をかけた。


「ではさらばじゃ、いずれはまたここに訪れることもできよう。その時はぜひまたお喋りをしたいものじゃの」


 天板の穴から手を振ってズレた板を直して音もなく去っていく様を見て、デュランは自分の肩を揉んだ。


「またここを訪れる、か。良ければだがなツバキ、俺と同じ飛龍乗りになる気はないか?」


 見据える瞳は、保護者の様な目ではなく、一流の飛龍乗りの目であった。


「今はここを去るしかない。だけどさっきボタンが言ったようにまた訪れることになるなら、ベネアが選択するのは俺だ、そして飛龍乗りとしてツバキが大成したならきツバキも同行できる可能性が高い。何ならベネア最高の飛龍乗りになったなら、文句なしで選ばれるのはツバキだ」


「デュランさん、ありがとうございます。でも、そうではなく、私はデュランさんみたいになりたいです!」


 決意を固めたような顔に脱力した悲壮感はない。少し震えてはいるが、先を見ることができるようになったようでデュランは安心した。


「じゃあまずは飛龍二種の取得だな。ベネアで仕事するには必須だし、蜀剣に来てからも見てただろうが、持ってるだけで便利な代物だぞ」


「色々教えてもらえたので! 私もサザンカとなら結構いろいろできると思いますよ!」


「取得は難しいぞぉ、空理試験があるからなぁ」


「えっ」


「大丈夫だ。ツバキなら覚えられるさ」

 空理試験は高速気流の流れや紅玉帯のようなポピュラーなエアマーク、たくさんの島の位置関係を試験で問われるのだが、ツバキはそのほとんどを知らない。だがこれから知ればいいのだと安心させるようにツバキの頭を撫でた。


「オマタセイタシマシタ」


 そんな所へ荷物を抱えた屋敷の者達がやってくる。まだ交易を開けないことに対する詫の品と書簡であった。これでベネアとの依頼は完全に果たされたこととなる。


「オミオクリヲスルコトハデキマセヌガ、ブジカエルコトガデキルコトヲオイノリシテオリマス」


「……ああ此方こそこれだけ頂いて感謝の極みだ。余計な手間をとらせてすまない」


 聞き取りづらい言葉に一瞬返答が詰まったがなんとか答えて書簡や風呂敷を受け取る。触感からして中身は箱のようである。

 受け取って外に出れば、断空のかなり付近に寄っているようで、風は強さを増していた。ツバキが風で吹き飛ばされないよう手を繋いでウェルズの所まで行く。

 

「ヴォ」


「さっきぶりです、ウェルズ」


「何かされなかったか?」


 ウェルズは首を振ると龍小屋から出てくる。ウェルズに備えられた鞍や鞄の固定ベルトが異常ないこと確認し、書簡と風呂敷を詰める。


「ランタンの替えは断空を抜けてからだな」


 また割れてはいくら替えてもキリがないのでデュランはランタンは替えずにツバキをウェルズの背に乗せ、自身も乗る。安全を確認しウェルズがノシノシと龍付き場に向かう。風が強いといっても伏せたウェルズが煽られるほどではない。


「さてウェルズ、もうひと頑張りだ。戻ったら極上のやつたらふく食べさせてやるから頼んだぞ!」


 ウェルズが龍付き場について意気揚々とヴォッと鳴き、龍付き場から飛び降りる。

 もう踏破した。未知の領域ではない断空に挑むデュランとウェルズに油断はなくとも不安はかけらも存在しない。

 ツバキにも不安はなかった。ただ一度、少し名残惜しそうに離れていく華火を一瞥して、それは暗い雲に覆い隠されるのだった。


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