第二話

「まったく……断空を跨いだせいで傷だらけだなウェルズ」


 怪我というわけではないが、断空内での無茶の証明のように、ウェルズの鱗には小さな傷が沢山入っていた。首にかけていたランタンも破損してしまっている。荷物入れが無事だったのは幸いか、ツバキの服が詰められた鞄を手に提げる。

 高速気流が存在するような高さを飛ぶ巨大飛龍は、着地してみれば飛んでいることを感じさせない安定感があった。

 島のような飛龍ヴルムの端には龍付き場がしっかり設置されており、着地場所自体が動いているせいで変な気流が発生しているため難度は高かったが、問題なく降り立ち、付近の金属で作られた龍小屋にウェルズや龍騎士リンドヴルムの飛龍達を置いて屋敷に向け歩いていく。

 小山のようになった足場は鱗と呼ぶには苔や土が生い茂り、鉄で作られた手すりに手を置いていないと風で歩くのにも苦労したが、屋敷に近づけば風の結界の中に入りようやく一息つくことができた。


「シバシマテ」


 そう言って屋敷の扉前で待機していた槍のようなものを持った女性に龍騎士が声をかけその女性も中に入り二十分近く待たされ、漸く通された。蜀剣などと似たように座敷になっているようで靴を脱いで上がり、廊下を暫く歩いて行く。先導する女性がに何だか顔を顰められたが、断空の先の文化なんて知らない為何が気に障ったのかデュランにはわからなかった。

 歩いてみると、飛龍の巨大さに紛れていたがこの屋敷もかなり巨大であった。高層建築ではないが、かなり広い。

 途中途中、廊下を歩いていると物陰から覗かれていることにデュランは気付いた。ヒソヒソと内緒話をしながらこちらを物珍しそうに見ていたがデュランがそちらを見るとそそくさと隠れてしまった。


(ツバキの着ていたのと似た着物だな)


 ツバキの着ていたもの程ではないが、なかなかに見事な装飾が施されている。ツバキが黒を基調としていたとすればこちらは白だが、豪華なことには変わりない。

 建物を観察すれば、蜀剣に比べると柱や梁に染料などで塗装しない質素な作りが目立つ。床も木造りで結構な年季が入っているように見えるにもかかわらず、廊下は床鳴り一つしない。ツバキを見ればどこか緊張した面持ちであたりを見回している。

 渡り廊下に差し掛かり庭が見える。美観にはあまり自信がないが、緑に池や自然の岩などを組み合わせた調和のとれた庭だということは感じられた。


「あ、あの、デュランさん」


「どうしたツバキ」


 ツバキが袖を小さくつまんで引いてきたので、デュランがそちらに視線を移すと、ツバキが不安そうにしていた。こちらを見る瞳が揺れている。屋敷に入るまでは嬉しそうだっただけあって、突然のことでデュランは怪訝な顔をした。


「ここ、私の、私の住んでいたところなんです」


 ツバキがつかんでいた袖からデュランの指を握る。そうしてあたりをきょろきょろと見回している。


「知っている人も居るんです。でも、でも誰も目を合わせてくれないんです。それにコトワリ様が私の住んでいた所に居るなんて、聞いたこともないんです」


 此方を物珍しそうに影から見ているのをよくよく見れば、目線はデュランではなくツバキの方に行っている気もする。


「大丈夫だツバキ、俺が付いてるからな」


 幼子をあやす様に優しくツバキの手を握った。それを震え弱弱しい力で握り返される。未知に対する恐怖よりも、既知が未知に変貌している今の方が、子供のツバキにはよほど恐怖なのだろうか、とデュランはツバキを労わった。

 そうしてようやく終着点のような所へ行きついた。謁見の間といった風情で、奥が一段高くなっており細い素材でできたブラインドのようなものがこちらとあちらを隔てており、両側には黒装束の男が二人。向こう側の詳細は伺えないが、誰かいるであろう気配は感じた。

 手前に二人並んで座らされる。と扉前に槍を持った女性や龍騎士たちが座る。


「成程、お主らが稀人か」


 ブラインドの先から凛とした鈴のような声が届いた。デュラン以外のその場にいる人間がみな頭を下げたので、デュランも合わせて頭を下げる。驚いたのは他の華火の人間と違い流暢な西方訛りを話したからだ。


「よい。稀人にこちらの礼節など求めぬから楽にするがいい。物々しくて済まぬのう、こちらは今面倒事が起きておってな、その方、名前は?」


「デュラン・ディル、西方の交易島ベネアから飛んできた」


「成程西方、帳の先の更に西といった所から何用じゃ?」


「あの! コト―――」


「黙っておれ、我は今、そちらの者と話しているのじゃ」


 ツバキが口を開こうとして、制された。ツバキは力なく頷いて頭を垂れる。


「……誘拐されたこの島の人物の護送と、ベネアからの書簡を運んできた」


 デュランが手紙を出すと、黒装束の男がそれを取りブラインドの隙間から差し込む。しばらく書簡が開かれた紙の擦れる音だけが部屋の中を押しつぶすように包んだ。


「まず先に書簡の内の交易に関してだが、否と言っておこう。外空が未だ混迷である以上、内空と干渉するのは時期尚早故な」


 内空、外空という聞きなれない単語を耳にして眉を寄せたデュランの様子を察してか、コトワリ様と思われる声は続ける。


「断空の外から内に入るは容易なり、なれど内から外へは不可侵なり。特別な手引きでもなければそれこそよほどの幸運でもなければ超えることは叶わぬ。故にお主らは稀人なのじゃ。そうしてその稀人達を見極め、内空との交流を図るのがこの蒼字の龍宮あおあざのたつみやに住む我コトワリの使命よ。この書が忘れられることはない。何時になるかは保証できぬがベネアに向け我らも書を出そう」


「つまり今は保留ということだな? それを証明するものを貰いたい。こちらも仕事だからな」


「用意させよう。遠路はるばる来てもらった詫びも含めてな」


「それで、このそちらで保護したというツバキというものに関してじゃが―――」


 ツバキが顔を上げた。


「我らは存ぜぬ。故にそちらの娘、ただの同名の他人じゃろう、デュランと共に内空に帰るがよい」


 理解が及ばず思考が止まり、表情が抜け落ちる。少し間を置いて故郷から拒絶されたと認識したツバキが震え始めた。


「そん―――」


「待ってくれ、なんでそう断定できる? 何か理由があるのか?」


 ツバキを制し、周りを見回す。誰もかれもが目を伏せツバキを見ようとしていない。それは拒絶ではない。憐みの目だ。


「それに関してはこちらの不祥事で恥じゃ、内空では内密にの?」


「使者に任せられる位だ。口は堅いつもりだ」


「内空の賊と、この宮の者が内通しておった。内空との交易は細々と行っておったが紛れて行っておったようでそれも打ち切りよ。で、その者の娘がツバキというのだが祭火まつりびの御方、ああ、我らで最も高貴な者が一族一切処断、族滅の命を出しておる故、もし娘が帰ってきたならば処刑せねばならぬのじゃ。まあ断空にその娘を飛龍で逃がした故、生きて帰ってくることはあるまいからのう」


 一息つくように、パチンとブラインドの先で音が鳴った。


「故に、そちらの娘は知らぬということじゃ。例え光龍の加護を持つとされておっても祭火の御方の命は絶対故な」


「……成程」


「こちらとしても痛手なのじゃ。加護を持つものなど何十年ぶりか……まあお主らには関係のないことじゃ、書簡と土産を渡す故、さっさと帰るがいい」


 ツバキの手を引いて、無理やり立たせる。ポタリ、と頬からは雫が滴っていたが、デュランを除くこの場の誰もがそれは存在しないものとして扱う。他人の処刑話を聞かされて泣くような人などいるはずないのだからと。


「失礼、連れが疲れてしまったみたいだから、担がせてもらうよ」


「断空を越えたのだから無理もない。少し休んでから戻るとよい」


 許可を得て、デュランはツバキを抱き上げるとその頬を拭って、謁見の間を後にした。

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