第三話
酒場。それは喧騒と酒気の渦巻く混沌空間だ。酒というのはコミュニケーションの潤滑剤と言われることもある。酒が入って酩酊すれば本音でのぶつかり合いが起こるからだとデュランは思っている。
さすがに酒場の席に子供を連れてくるのも不味いので、剣友会からありがたく借り受けた拠点にツバキは置いてきた。拠点は魔石をふんだんに使った便利な家で、今頃ツバキはスヤスヤとベッドで眠りについている頃だろう。
酒を飲む都合上飛龍に乗れないのでデュランは徒歩だ。教えてもらった酒場まで少し距離があるが難なくたどりつく。
夜道を照らすのは月明かりと火の魔石を利用した篝火で、道も整っている故だ。
外からでも喧騒が聞こえ、近くの龍付き場には多くの中飛と思われる龍乗り達が待機している。入り口に戸は無く暖簾と呼ばれる仕切りを潜れば芳醇な香りの混合物がデュランの鼻腔を満たした。
「ハイいらっしゃい。何飲みます?」
「とりあえずエールくれ」
「あいよ、西の方。ここじゃ醸造酒も自慢なんだ。いかが?」
「じゃそれも。ついでに龍殺しを左端の奴にも出してくれ、奢りだ」
金貨をカウンターの上を滑らせて渡す。
カウンターと座敷にテーブル席の混在する店内は人でごった返していた。みんな飲めよ歌えよで大騒ぎしており外に喧騒が響くのも伺える。
出されたエールに口をつける。西方のものに比べると甘みが強い。エールは輸送がしにくく地域毎に醸造をする為個性が出るのだ。しばらく楽しんでいると、空いた隣の席にするりと老婦人が座り込んで来た。
「なんだい坊や、見ない顔だね」
年相応に骨と筋の出っ張った枯れ枝のような指で木のコップに酒が注がれる。そのまま老婦人はひょいと一口呷った。デュランが先ほど出した龍殺しと呼ばれる酒である。酒臭い店の中でもなお強烈な酒の匂いを放ち、強烈な酒であることをうかがわせるが老夫人には効いていなさそうであった。
「そりゃ俺はベネアの人間だからな」
ククク、と老婦人が笑った。
「それもそうさな。普通はベネアの奴が私を知ってるとは思えないが、まあいいだろう。何が知りたい?」
かなりキツイ酒でも水のようにポンポン飲んでいくのも気にせずデュランは口を開く。
「華火、と呼ばれる島を探している」
デュランが差し出したのはツバキが捕まっていた時に身につけていた装飾品の類だ。それを受け取るとまじまじと見つめ検分していく。
「華火、なんて島は知らないね。少なくともこの蜀剣の保護下にある島じゃあ無い」
「それは困った。せめて指標が無いとしらみつぶしに探す羽目になるんだが」
差し返された装飾品を仕舞ってエールを飲む。
「何故そんな見知らぬ島を探す? 西方の奴お得意の冒険家気取りか?」
「いーや? 未知への冒険みたいなのに憧れが無いわけじゃぁないが、知り合った子供の故郷なんだよ」
つまみの盛り合わせをくれと店員に注文するデュランの横顔を老婦人がじっと見つめた。
「商会の奴らは交易だのなんだのを目的にしてるみたいで、まあ俺も最初は厄介ごとだけど大金積まれて引き受けただけなんだが、一緒に過ごしてみると世間知らずだがいい子でな」
やってきたつまみは鳥肉と葱を焼いた盛り合わせだ。東方では箸で食すのが一般的でデュランも下手ながらそれを使って食べた。塩のみで味付けすることで素材本来の味が引き立っておりとてもおいしい。一緒に出された辛い酒ととても合う。
「……アッチの座敷で荒れてる奴がおるだろう?」
「いるなぁ、露骨なのが」
龍殺しをあおって一息ついた老婦人が指をさす。その先の座敷では大量の酒を飲んで不満げな雰囲気を撒いている男が居た。触らぬ龍に祟りなしと混雑する座敷の中でもそこだけ空白ができてしまっている。
「あいつは珍しい品を扱うことで有名な商人なんだがね、ここ最近まではさっきあんたが見せてきた品と似た意匠の物を売りにして結構大儲けしたみたいなんだよ、しかし今やあの有様さ、わたしゃ何も知らないがいい話が聞けるんじゃないかい?」
あくまで知らぬ存ぜずの態度にデュランは少し苦笑してからばくばくと肉を口に詰め込んで酒で流し込むと席を立ちあがる。
「ありがとう、足りるか?」
金貨袋を滑らせると受け取った老夫人がそれを懐に仕舞う。
「そうだ、お嬢ちゃんに聞いてみな。日の出を見たことあるかって」
「……? ああ」
コップをアオリながら、視線をこちらに寄越すことなく喧騒に隠れてしまいそうな声でそうつぶやいた。意味が分からなかったのでデュランもあいまいな返事だ。
まあいいか、とデュランは軽く肩と首を回してほぐす。
酒を持ったまま向かうは丁度良くというか皆が距離を置いて空いている男の隣であった。
「話が分かるな兄ちゃん! 西の奴等は分からず屋ばかりだと思ってたがそうでもないな!」
数十分後、機嫌の悪かった商人と元気に酒を飲むデュランの姿があった。酔っ払い対応はベネアでよくやっていたし、荒れてはいるものの商人はかなり御し易い類の酔っ払いだった為なんとかなったのだ。
喧嘩に発展したりだったら先に殴られて反撃してついでに要件をなんて思っていたが商人の男には幸運な事にそういう事態にはならなかった。
「なんかいけすかねえヤツだとは思ってたんだよ俺も! でも珍しいもんの為なら東西南北雲海の内までってのが俺の心情な訳でよ! 儲けにもなってたから気にしてなかったんだがまっさか連絡もなしに来なくなりやがって商人として風上にも置けねえにゃ!」
「約束は守らないとな、たとえ口約束だったとしても」
うんうんとデュランは分かりやすく大きくリアクションを取る。こういう酔っ払いというのは自分の言いたいことを肯定してくれる存在に甘い。
ただ元々長時間飲酒をしていたことと話し相手という肴のお蔭でより酒がぐいぐいと進む商人は若干呂律が怪しくなってきていた。このままいくとただ気分よく潰れられてしまうので、若干強引だが目的のことを聞いてみることにした。
「その不届きもの、どの辺で会ったんだ? おんなじ目には合いたくないぜ」
「ああ? よくとりひゅきしてたのはこっから北東の断空付近の小島だよなんだっけなぁ、のぼりりゅう島だっけなぁ」
目的の場所が判明したのでもう話に付き合う必要は消えた。穏便に酔い潰すのみである。
「そっちの方じゃ俺にはあんまり関係なさそうだな、俺はそろそろ行くからほれ最後にも一杯ずついっとこうぜ、龍殺し二杯よろしく!」
「おうイイネ! いっとこうか!」
注文するとすぐにやってきた龍殺しの入ったコップを男と共に掲げ一気に飲み干す。そのまま男は限界を迎えたのか、座敷で横になって眠り出した。
「じゃ、これ金、ついでにアッチが飲んだ分も払っとくよ」
「良い飲みっぷりね、また来てちょうだいね!」
他の飲んでいた客たちは初めて見る顔のデュランの枠っぷりを肴に酒のみを再開するのだった。
「故郷ねえ…… 故郷を見つけるのは幸せとは限らないんだけれど」
隅に戻って悠々と龍殺しを飲む老婦人の呟きは誰にも聞かれることなく店の中の喧騒の中に溶けて行った。
そうして若干ふらつく足に気合を入れつつデュランは外に出た。夜の涼しさが酒で火照った体には丁度良く、背伸びをしたりして夜風を楽しむ。
近くの龍着き場を見れば蜀剣におけるデュランの同業者がランタンをぶら下げた飛龍の世話をしたりしながら待機している。乗って帰るのもいいが今は歩きたい気分だった。
満点の星空は東方へやってきたとしても変わらず輝いている。時折輝きを遮りながら流れる光は夜間飛行する飛龍のランタンだろう。羽音のしない長龍の多い東方の夜空はベネアに比べとても静かであった。
家近くにつけば小さく炎が揺らめいて空へ消えていく。
「ウェルズ、留守番ありがとうな」
家に隣接して建てられた龍小屋に入り繋がれたウェルズが首を出してデュランを迎えるように小さく火を吐いたのだ。その隣ではサザンカが敷かれた藁を自分好みの巣のような形にして眠っている。ひと撫でするとウェルズは満足そうに喉を鳴らして頭をひっこめ、龍小屋の中に頭を降ろし眠りについた。
家に上がり、魔石のランタンがつけっぱなしになっているのを消しつつツバキの様子を見に行くと、ベットの上に敷いた布団の上でスヤスヤと寝息を立てている。
よろしくないことに寝巻姿とはいえ、掛布団は畳まれたままで何も掛けていない。寒いのか丸まった側臥位の体勢を取って、自分を抱きしめるように手を交差させている。
デュランは畳まれた布団を起こさない様にそっとかけてやると。自分のことは棚に上げ面倒くさがってリビングの皮のソファーに倒れて眠るのだった。
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