第三章 イーストスカイ・デンジャーズ

第一話

「さて、ようやく目的地が見えてきた」


「すごいですね、あんなに大きい」


 休憩を終えてコーヒーを飲み干したマグを水で濯ぎデュランは背伸びをする。コーヒーを淹れるために出していたミルや水瓶を鞄にしまいこんでいる間に、ツバキはサザンカの頭を撫でながら遠く先に見える雲の壁を見渡した。

 最初の辺りでは雲海と水平線の先にひょっこりと頭を出した大きな雲だった。最初こそ大きな空の裂け目ガガプの頭が顔を出したのかと思ったツバキだったが、近づくにつれて左右視界の端限界まで延々と続く巨大な壁のようなガガプにド肝を抜かれて口をぽかんと開けてしまったものだ。

"驚く顔が面白かった"はデュラン評である。

 その時それ程驚き、そして今は目を細め見つめているソレこそ、蜀剣しょくけんの先にある飛龍ヴルムでさえ通過できない飛行不能領域、東の断空イーストエンドである。

 休憩に使った無人島に感謝の意を込めつつ、ウェルズ達は島の縁までのんびりと歩んだ。縁までたどり着いたデュランは周辺を見渡すと怪訝そうな顔をした。それに気づいたツバキも辺りを見渡す。よく見るとおかしなものがあった。


「あっ! あの柱みたいな雲はなんですか?」


 ツバキが指差した先には、雲の柱が存在していた。それは見様によっては乱針雲にも見える。青海は薄い棘の雲海に覆われ、それが吸い上げられ空の果てまで伸びているようにも見える。


「ああ、アレは軸って呼ばれるガガプだ。あっちの馬鹿みたいにデカイ断空のせいで小さく見えるがこっちも普通のガガプに比べればめちゃくちゃデカイぞ」


 遠くに聳える断空のせいで小さく見えるガガプをツバキが見つめる。雲海を円状に絞り空に登らせていくような姿のソレは比較対象である断空の巨大さに圧倒されているように見える。


「小さそうですけど凄いガガプなんですね」


「まあ、この空の穏やかさは断空とあの軸の影響とされてるからな。そら乗った乗った」


 伏せたウェルズに促されるままにツバキは乗った。サザンカが不満そうに小さく鳴いたので頭を撫でてやると、少し名残惜しそうにウェルズの後ろに移動し追従する準備をする。

 デュランも乗り、安全紐をしっかり装着した。二人とも同じ一本の安全紐だけだが、これはサザンカに乗るならツバキもこの方が練習になるからである。


「そう言えば、変なものとかが見えましたか? ちゃんと全部のベルトつけた方が良いですか?」


「ん? いや、大丈夫だ。長距離飛行で居眠りした時の落下防止がメインの役割だからな。俺が気になったのはこの空の名物がいない事だな」


 デュランが周りを見渡すが空のどこにもその名物は見られない。何か特別な行事でもあったかと思うも、この時期の東方では特に何もなかったと記憶している。

 

「名物ですか?」


「遊覧船って言ってな、小型の長龍に引かせた気球に乗ってこの辺りを観光するんだ。季節が合えば周りの島一面に咲き誇る花だの紅蓮に染まった木々なんかが見れる。まあ南以外じゃここ特有の物だよ」


「すごく楽しそうですね、他でもやればいいのに」


「ここは穏やかだからいいが、他の所でやったら基本死ぬぞ」


 遊覧船は火の魔石で熱した空気を袋に溜めて飛ぶ乗り物だ。ただ気流に流されやすく飛龍がいなければ移動もままならないし、乱針雲どころかただの棘の雲海に突っ込んでしまうだけでも袋が破れ、落ちれば青海に叩きつけられて死ぬか生きてても海龍の生餌になるという結構危ない乗り物である。

 ベネア以北ではほぼ使われず、大型飛龍が少なく面積の大きい島の多い南方の空で使われる代物だ。


「し、死ぬのは嫌ですね」


「気流冒険譚に出てくる魔法の船みたいにはいかないって訳だな。あれはあれで危ないが」


「何ですか? それ」


「おや知らない? 有名なヤツなんだが……まあ簡単に言うと紆余曲折して動きも気流任せだが絶対に落ちず必ず目的地に着く船だな」


「なんだかデュランさん達みたいですね」


 内容をデュランからすると褒められてるのか貶されてるのか悩むところだが知らないツバキの言うことなので前者と仮定し悪戯っぽく笑う」


「いーや、アレよりウェルズの方が凄いぞ、落ちないし目的地にたどり着くのは一緒だが速いし最短だし快適だ。まあそんな感じで遊覧船っていうのは安全が確保された空で飛ばすものなんだ。ここが蜀剣の領域としてな」


 二人で周囲の空を見回す。その名物たる遊覧船は一隻たりとも飛んでいない。


「……今、この空危ないんじゃないですか?」


「うん俺も思った。ただまあ、空賊がいるならそれならこのだだっ広い空じゃなくてもっと手前の島の影辺りから襲ってくるはずなんだよ」


 いくら空賊でも隠れる場所のないこの空で襲うというのは無理がある。中央の軸のガガプを除けば晴れ渡った空は非常に見通しが良く空賊と気づかれた時点で逃げられる。

 たとえ襲えたとしても金品やら誘拐するにはまずは島などに着陸し行うのが基本だ。空賊が良く用いる鳥龍は快速だがその場でホバリングするのには向いていない。一生懸命襲って得るもの全部青海に落ちてしまえば拾うことは不可能だからだ。


「ま、気をつけて行こうか。軸の脇をかすめる感じで飛ぶから見ものだぞ」


「変な飛び方しませんよね?」


 割と紅玉帯のアクロバティックな飛び方がトラウマ気味のツバキであった。


「大丈夫。別に軸ガガプに突っ込むわけじゃないから。最短最速ルートで飛ぶだけだから」


 遊覧船が飛んでるなら大きく迂回しながら観光しつつ進むのも良かったのだろうが、不穏な物を感じる以上最速で突き抜けて蜀剣に着いてしまうべきである。


「もう二時間位ここで休憩してれば後続の飛龍たちが団子になってくるからそれと飛べば安全といえば安全なんだが、そうすると蜀剣の龍着き場が混むからな」


 移動する際に空賊に襲われにくくするには複数で行動するのが一番なのだが、目的地に着いた時龍着き場が混雑していつまでも着陸できないということもあるのが困りものである。デュランはそういうのが嫌なので単独で素早く飛行するのだ。


「デュランさんの判断に任せます」


「任された。行くぞウェルズ」


 デュランの合図でウェルズが崖から飛び降り加速する。追従するサザンカと共に凄まじい速度で飛行している。遠く小さく見えていた軸ガガプがみるみる内に近づき、断空に対して爪楊枝みたいに見えていたのが天から海までを貫く巨大な柱であることを再認識させられる。

 軸の陰に空賊が居ることを警戒していたがそういうこともなくほっと息を吐いた。


 ピギャァァァ!


「っ!? デュランさん!」


 ツバキの言葉を受け咄嗟に手綱を引く。下方から小型翼龍が飛び出し急上昇してくる。


「おいおいどこから来たんだ!」


 デュランが気付けなかったのは経験に寄るものがある。

 この軸ガガプの空の青海を覆っている雲海は恐ろしく海面に近い位置に形成されているため、これに隠れようとすると海龍に捕食される危険性が非常に高いのだ。

 ウェルズが加速し振り切ろうとするが、あまりにも数が多い。下の雲の隙間からさらに鳥龍が五体現れ、その背に乗る空賊たちから矢が放たれる。


「つっおッ! しがみついてろ!」

 

 ウェルズがサイドロールして翼膜としっぽでデュランとツバキに飛来する矢を弾き飛ばす。二、三の賊ならば軽々と返り討ちなのだが鳥龍四に翼龍五で追い掛け回されると反撃に転じる隙がない。

 サザンカには目もくれずデュラン達の上と後ろを抑えている。翼龍達で上を抑え速力に勝る鳥龍が一撃離脱で肉薄し矢を放ってくるのだ。

 まるで押さえつけるように上を取られているため徐々に徐々に高度を落としていく。サイドスリップで鳥龍の賊の矢は回避しているがこのままだと海面にキスしてしまう。


「なんなんだ全く! 空賊というか撃墜狙いか!?」


 海面に落としてしまえば海龍が勝手に始末してくれるので楽だが、空賊のやり口ではない。何度もだが空賊は奪うのが目的であってそれ以外で襲うリスクを態々犯さないのだ。

 突撃してきた鳥龍に乗る空賊へカウンター気味にボウガンを放ち、制御を失った鳥龍が突き出した棘の雲海に突っ込んで墜落する。


「一か八かだ、悪いなツバキ!」


「大丈夫です! ハチミツ入れたコーヒー飲ませてくれるなら!!」


 冗談が言えるあたりずいぶんと肝が据わったなと笑いながら手綱を揺らし、眼下に広がる棘の雲海にデュラン達は突っ込んだ。

 棘が激しくウェルズにぶつかり金属音を奏でる驚異的な強さを誇るウェルズの鱗や翼膜を切り裂くことは叶わない。

 飛行服を着ているだけの生身の二人では大怪我必至なのだが、デュランとツバキを保護するよう風の魔法が展開されており棘は二人を傷つけることなく後方へ流れていく。

 棘の雲海の中を飛ぶには装備をしっかり整えないといけない。空賊たちは空に飛び出してきた時と同じように雲の隙間を見つけねばならないのだ。

 振り切れるか? と一瞬振り向いた瞬間ウェルズが自分から体を起こす。前を見れば雲を抜けた途端青海が視界いっぱいに広がっていた。落ちれば死である。

 青海面ギリギリで水平に戻り海面が風圧によって爆発するように水しぶきを散らす。デュラン達はいま雲海と青海の間にある僅かな隙間を飛んでいるのだ。後ろを追従するように飛び込んできたのはサザンカである。イーグルの頑丈な羽衣は棘を通さない。


「このまましばらく蜀剣方向に飛ぶ、ただ何時海龍が大口開けて飛び上がってくるか分からないからしっかりつかまってろ」


 海面を切るような超低空飛行はいつ襲われても不思議ではない。ジワリと汗を垂らしながら全神経を集中させ飛行を続ける。ツバキも体を屈めどんな動きをウェルズがとっても振り落されないよう注意していた。

 しかしその緊張とは裏腹に海面は穏やかに、何事もなく飛び続けしばらくたってから上昇し雲を抜ければ、もう空賊たちは居なかった。


「助かった。よく頑張ったなツバキ、もう蜀剣着いたら蜂蜜にコーヒー入れたぐらいの奴飲むか?」


「デュランさんを信じてましたから、でもそれってあまり美味しくなさそうです」


 過ぎたるは及ばざるが如しと思いながら再びサザンカを伴いデュラン達は飛ぶ。そこはもう東方の中心地、蜀剣である。




 




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