第三話

 日差しが、瞼を叩いている。寝返りを打って毛布を被り日の目覚まし時計を止めると一安心、もう一度眠りの彼方に旅立とうとする。

 何かいい夢を見ていた気がする。だから続きを楽しく見たい。


「起きろー、髪梳いてやるから」


 被っていた毛布を引っぺがされ寝ぼけ眼を擦りながら起き上がる。

 蒼穹の空は澄み渡り、すぐ近くの岩場には日の光を乱反射し輝くウェルズが居た。翼を畳んで何時もの姿勢でのんびりしている。見る分にはとてもきれいであろう美しい飛龍ヴルムも朝のこの瞬間だけはただただ眩しいものであった。


「ん……おはようございます」


「おうおはよう」


 ヴォッとウェルズも答え起き上がる。デュランは引っぺがした毛布を畳んでトランクの二重底に仕舞っていた。ツバキも体を回して起き、芝生の上に敷かれたシートから葉を払って畳む。

 旅路もついに三日目の朝を迎え、前日は大きな水の魔石から溢れた水が青海に向け瀑布を形成し、豊かな水に由来した樹海に満たされた島、アイルスを水浴びついでに少し観光したりもで疲れてしまったのだ。

 太陽はすでに地面線を越えて上に登り始めており、昨日寝る前に居た他の飛龍乗り達はもう出発した後の様であった。

 デュランが水の魔石から出した水を手で受け取って顔を洗い、長い髪を梳いてもらった。これはデュランが不慣れで最初こそひっかけて頭がガクッとなっていたが、さすがに二回目ではそう言うこともなく丁寧に梳いている。


「とりあえず今日の目標だが、東方の島マゴイに到着するのが目標だ」


 朝髪を梳いてもらいながら予定を確認するのも、二日目に確立された流れである。


「マゴイは結構でかい島でな、蜀剣しょくけんとベネアを繋ぐ中間地点的な意味合いもあるから結構発展してるぞ」


「あっそれじゃあ」


「そうだ、今日は風呂に入れるぞ」


 無人島で風呂は土台無理な話である。着替えて飛行中に服を吊るして乾かすなどはできるし、やろうと思えば水浴び位はできるかもしれないが、もし空賊に襲われる可能性を考えれば水浴びも危険だ。前日の水浴びはアイルスの特殊な島事情に起因して可能だっただけだ。


「やったぁ!」


「ちゃんと宿取るからな、芝生のベッドじゃ慣れないときついだろ」


 今いる無人島も芝が生い茂っている場所は飛龍乗り達が休憩の為に作った人口の芝である。この上なら寝る際にも楽だからだ。誰かが立ち寄るたびに水をやったりして維持している。今回はデュランが最後に出発するのでツバキが準備をしている間に芝生に水を撒いている。


「で、結構デンジャラスな空路を取るから気を付けてくれよ」


「えっデンジャラス」


「危険ってことだ」


「いやそれは分かりますけど」


 聞きたいのはそこではない。


「マゴイの三島に行くにはここからだと一般人は迂回路を通るのが基本なんだ。高速気流ハイウィンド辺りまで大量の岩礁が浮いてるからな。で、中飛には有名な抜け道が通常の空の方にあるんだ。大量の岩礁の影響で棘の雲海は多いが、近くに上昇風アッパーベルもないし空の裂け目ガガプが発生することは少ないから問題ない」


「抜け道なんてあるんですね」


「ゴールデンロードだとかミルラロードとか呼ばれてるな。高速気流のライジングロードに倣ってるんだろう」

 

 少し知識が増えたツバキだった。梳いてもらった髪をまとめ上げて、帽子の中に格納し、ぱちんと一発頬を叩いて気合いを入れる。安全運転で快適な空の旅ではあるが時折急が付く動きがあって怖いのでそういう意味での気合い入れである。


「ちなみにその岩礁空帯は紅玉帯ルビーベルトって呼ばれることもあるぞ」


「ルビー……宝石みたいに綺麗なんですか」


 デュランが真顔になる。


「まあアレだ。西方と東方がつながった後しばらくの間事故多発でな。高速気流に乗ったままそのままの勢いで岩礁に突っ込んで赤い花を咲かせまくったというかなんというか」


「あっいいですわかりました」


 東方と西方がつながった当初は問題ではなかった。高速気流がそこまでメジャーではなかったためだ。高速気流が発見され移動の利便性が大幅に向上した辺りで、遠方から来た何も知らぬ飛龍乗り達の多くが紅玉帯の礎となってしまったのである。


「マゴイでは有名な岩礁地帯だから東方側からの事故は少なかったんだが、西方側からの事故が多くてな。今日は西方側から気流が流れてるから上を行けばマゴイの龍騎士リントヴルムあたりが哨戒してるんじゃないかな」


 しかし下を行くデュラン達には関係のないことだ。ツバキも慣れた物でひらりとウェルズの背に跨りしっかりとベルトを締める。

 ふわりと浮きあがったウェルズは、蒼空を駆ける銀閃となった。

 一時間程度飛ぶと、前方に紅玉帯が見えてきた。

 しばらく飛ぶと、上空で滞空する鳥龍ククルカンに乗った龍騎士がこちらに飛んできた。鳥龍特有の軽快さで並走してくる。黄色い羽毛に包まれ首が長いタイプの鳥龍だ。その上には革鎧に身を包んでいて表情はうかがい知れないが、手を振り原則を指示してくる。

 言われるままにデュランも速度を落とし風の影響が少なくなると声をかけてきた。


「この先は紅玉帯だが、迂回せず大丈夫か?」


「大丈夫、飛龍二種ヴルムパス持ちだ」


 ピラリとベネアの印が入ったエンブレムを出して見せる。


「それは失礼した、ではお気をつけて」


 二種持ち、とそのエンブレムを見るだけで信用し、そのまま竜騎士は上空に戻っていく。ベネアの影響力はそれほどに大きいのだ。

 小さく見えていた岩礁群が徐々に大きくなっていく。一つ一つの岩の幅はウェルズの大きさでも通れるものだがとにかく数が多い。これが高速気流のある上空まで点在しているなら迂回するのが安全なことは見ればわかる。

 だがデュランは臆することなくその岩礁帯に飛び込んだ。


「結構動くから気を付けろ」


 相当な速度が出たまま、デュランが手綱を引く。羽ばたき、若干上昇しながら岩を回避、体を回転させながら次々と岩を避け紅玉帯の中を抜けていく。それなりの負荷はかかるものの、シートでがっちり固定されているお蔭でツバキは首以外に力を入れる必要がなく、周りを見る余裕があった。

 風を切る音が岩に反射しビュオッと通過の衝撃を音としてツバキに届ける。急減速高速気流に乗る際のような体感的な恐怖は無いのだが視覚的恐怖はかなりある。

 大小さまざまな岩の隙間を潜り抜けるように飛んでいるのだ。時に上下が入れ替わり上に海の青と白の絶景がやってきたりするのである。

 これ道じゃないですよね、と言いたいが言う途中で噛みそうなのでツバキは黙っていた。


『た―――けて』

 

「え?」


 ツバキが思わず口を開いて、空を見る。


『い―――だ――すけて』


 デュラン背中がドンと叩かれた、驚いて鐙でウェルズに伝え手綱を引くとウェルズが大きく上体を起こして翼を広げ、羽ばたいて速度を殺し急停止すると、近くの一番大きな岩の上に降り立つ。


「どうしたツバキ? 何かあったか?」


「デュランさん! 助けてって声が聞こえました! あっちです!」


 ツバキが指を差す。指差された方を見て表情を曇らせる。


「岩礁の密度が濃い領域だな、素人が入って事故ったか?」


 もしそうならば同じ龍乗り助けなければなるまい、とツバキの指差した方向に向け慎重に飛び立った。


「ウェルズ、ゆっくり行くぞ」


「お願いしますウェルズ」


 期待に応えるようにヴォっと鳴き、大きき翼をはためかせながら慎重に岩礁の隙間を抜けていく。

 ほぼホバリングに近い形で進行するのは抜け道から外れてしまっているせいだ。アクロバットとはいえ先ほどのように飛ぶほどの余裕はない。


「しかし、こんな所にどうやって入り込んだんだか、上から墜落してきたか?」


「墜落ですか?」


「高速気流に乗った無知な奴がそのまま突っ込んで……ってそうか龍騎士が警戒してたな……抜け道でやらかしたならばこんな所に居ないだろうしな」


『だれかたすけて』


 はっと顔を上げる。進行方向からはっきりと声が聞こえてくる。


「空賊の罠って線もあるか? なら――」


「大丈夫ですよ! 今助けに行きます!」


「おおうなんだ!? びっくりした」


 急に大声を上げられ驚くが、体は動じずウェルズへの指示は誤らない。


「もう少しみたいです! ウェルズも頑張って!」


「……あそこか!?」


 無視できる浮いた小石を翼で払い進んでいくと唐突に空がひらけた。ドーム上にひらけた空間の中心に島と呼ぶには小さすぎ、岩礁と呼ぶには大きい岩が浮いている。下は棘の雲海に覆われ、まるで雲に浮いているかのようだ。その中心に鳥龍が翼を広げて伏している。


「大丈夫ですか!」


「おい危ないぞ!?」


 ウェルズが着陸しようとしているとツバキがベルトを外して転げ落ちるように飛び降りた。草原に落っこちると怪我は無く痛みも気にもせず立ち上がって走り出す。デュランも後を追うようにしっかりと着陸してから飛び降りる。ウェルズも気になるようで翼を使って四足でデュランの後に続いた。


「大丈夫ですか?」


 ツバキが鳥龍の前でしゃがんで声をかける。デュランが後に続いて鞄の中に入っている包帯や薬草を取り出しながら駆け寄る。


「おい危ないだろ、お前まで怪我人になってどうする……けが人は?」


 ツバキの前に人はいない。居るのは鳥龍だけだ。


「この子ですよ?」


「どういうことだ? 声が聞こえたんじゃないのか?」


「え? だって―――」


 振り向いて、ツバキは後ろからやってきたウェルズを見る。


「ウェルズにも聞こえてましたよね?」


 ヴォ、とウェルズが肯定するように鳴いた。

 一瞬現実感が遠くなったが、デュランは自分の頬を抓る。引きちぎれそうなほど引っ張ってみればそれ相応の激痛が頬に走った。


「と、とにかくだ、今はその鳥龍なんだな?」


 頭を振って意識を切り替える。


「……イーグルか、珍しいな」


 メタリックな暗褐色の羽衣に後頭部をながれる黄色の羽衣が王冠のようにも見える立派な尾羽と大きな翼をもつ、人懐っこい種が多い鳥龍でも人には一切懐かないとまで言われる種だ。


「大丈夫そうですか?」


「矢が一本刺さってるな、狩られそうになったのか」


 野生の生存競争なら助ける義理は無いが、矢で人に襲われたのだと申し訳なくなる。

 デュランが水の魔石を出すと矢の刺さった周辺に水をかける。


「ツバキ、ちょっと離れてろ。ウェルズ」


 合図し寄ってきたウェルズの腕を引いて誘導し、イーグルの体を抑えさせる。治療とは言っても痛みは伴う故に飛龍に暴れられると危険だ。


「大丈夫、デュランさんが治してくれますから、暴れちゃだめですよ」


 イーグルが小さく掠れるように鳴いた。抑えたのを確認して、矢に力を籠め一気に引き抜く。抜いた矢に返しが付いていなかったため、大きな抵抗は無く傷があまり広がらず抜くことができた。


「飛龍の牙を使った矢……趣味が悪いな」


 顔を顰めつつ水をかけ血と汚れを流す。ピクリとは動くが、イーグルが暴れることは無い。


「暴れないな、本当に喋れてるのか?」


 薬草を貼り付け血止めと固定の為包帯を巻と思ったが、包帯の長さが足りない。人に使う用の物を飛龍に使うというのがそもそも無茶なのである。


「そうだ、鞍があったな。ウェルズ、もう抑えなくていいぞ」


 丁度背の所に矢が刺さっていたのは運がいいのかトランクから鞍を取り出し包帯を押し当ててから鞍を設置を開始する。


「がんばって、起き上がってください」 


 ツバキの指示のお蔭でだいぶ楽に鞍を付けることができた。

 長年連れ添ったパートナーの飛龍ならまだしも、初対面でしかも気難しいイーグルが暴れずここまで話が通じるなら、本当に飛龍と喋れているのだろうとデュランは納得せざるを得なかった。

 ようやく一心地ついたように、イーグルはその場で丸くなった。怪我を治すついで鞍が付いたせいで一見すると人が乗る鳥龍のようになったのはご愛嬌だ。


「これで良し、ウェルズもツバキもありがとうな」


「そんな、私なんてお話してるだけで」


「それなんだが、ツバキ、普通飛龍とは言葉は通じない」


「えっデュランさんいつもウェルズと喋ってたじゃないですか」


「それは違う! 長年やってるから意思疎通で来てるだけで喋ってるわけじゃない!」


 ツバキが怪訝そうにウェルズを見るとうんうんと頷いてヴォッと鳴いた。


「そうなんですか、あ、でもデュランさんってそんな頃もあったんですね」


「まてまてまてまてウェルズは何を言った」


「初めて鱗掃除をしてくれた時逆鱗を思いっきり削られて噛みついたって」


「うっそだろやっぱり喋れるのかよ」


 ほとんどの知人でも知らない恥ずかしい話を暴露され地面を転がり悶えるデュラン。


「とりあえず、鞍は返してもらわないと困るから今日はもうここで終了だ、明日はガンガン行くからしっかり休んでおけよ」


 仰向けで顔を抑えたままデュランは三日目の航行終了宣言を出すのだった。

 当然マゴイには着かないので、ツバキは風呂に入れず体を拭くので我慢する羽目になった。

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