第二話

「……あれ? 私死んだんですか?」


「悪かったって、注意し忘れたのは本当にすまないと思ってる」 


 巨大な一本木の村、ルヴァン。木から大きく突き出した枝には飛龍ヴルムの休憩場として板で補強された広い空間が用意されている。おおよそ五匹程度の中型飛龍が止まれる空間にウェルズを停めると運転鞍脇に備えられた鞄を肩にかける。

 対してツバキは先ほどの高速気流ハイウィンド離脱からの急降下急減速で軽く放心気味なせいかベルトを外すのも忘れており、ベルトを外してやるとふらふらとデュランの後を着いてきた。

 ウェルズは羽休めにのんびりと横になっている。きっちりトランクを潰さないようにしているあたりは仕事龍である。

 そして止り木から島自体に降りるためには梯子を使う必要があるのだが、ツバキが放心状態のままでは危ないので肩を強めに叩いて気付けをすると、ハッとデュランを見て我を取り戻した。謝りつつもデュランは梯子をさっさとおり始めたが、それを見てツバキは今までにないほど顔を青くした。

 

「た、高くないですか?」


 デュランの顔の先には青々とした草原が広がり、白黒の斑模様の四足動物、牛が草を食んでいる様子がはっきりとわかる。

 はっきりと、上から、見下ろしている。つまりこの止り木の広場から二十メートル以上ある下を見てしまったのである。

 肩をプルプルとさせていると、デュランがその様子に気づいて苦笑しながら手招きをした。梯子から平気で片手を離して手招きできるのは慣れている故だろう。


「大丈夫、さっきまでそれよりよっぽど高い所飛んでただろ? ついでに怖い思いをしただろ?」


「それとこれとは別です!! というかそれはデュランさんのせいです!」


「悪かった、悪かったって本当に申し訳ない」


 さっきの方が高い所に居たなどと言われても人間、実感できない高さの空を飛んでいるときよりもこれくらいのの実感できる程度の高さの方が恐ろしいものだ。

 ウェルズの背に居る時の怖くとも墜落はしないだろうという安心感はツバキ自身の小さく細い体には一切宿っていない。手を滑らせて下に落ちる様が容易に想像できてしまう。

 またも人生初かもしれない勇気を出して、先に降りるデュランに続きツバキもハシゴを降り始めた。しっかりとした木の感触は足裏と手からは伝わってくるが、ウェルズの鞍に付けられたバーや鐙程のしっかりとした感じは無い。下を見ると余裕綽々な様子のデュランと目が合った。


「落ちると俺を巻き添えにして死ぬから気を付けろよ」


「不穏なこと言わないでください⁉︎」


 真顔でデュランがそんなことを言うものだから、ギュッとしっかり梯子を握る。それでも下に居てくれると思うだけで幾分か恐怖は薄れた。

 万一にツバキが落下するのに備えてるが故に先にデュランが降り始めたのだ。腕力的には急に落っこちてこられても支えきれるが、落ちないに越したことはないので脅して注意を促しておくのである。

 ゆっくり、一歩一歩を確かめながら下に降りる。地面に降り立った時の達成感たるやない。休憩に来たはずなのに余計に疲れたツバキだが、こうなれば悲鳴を上げる前に聞いたデュランのお楽しみの物を楽しむしかない。


「ちょっと待ってな……そうか二人分だから借りてこないとダメだな」


 古ぼけた木のテーブルの上に、二つ木のカップが置かれる。取っ手の付いた一般的なマグで、カップの内側には漆が塗られている。ぶつけたり振動などでも壊れにくいので陶器製より移動の多い人間には好まれる物だ。

 片方はすこし古く味が出ているが、もう一つは新品の物だ。


「これ」


「お、そっちの新しいのはプレゼントだ。好み聞いてなかったから気に入らなくても文句言うなよ」


 そう言いながらデュランは村の建物がある方へさっさと歩いて行ってしまった。


「いえ、ありがとうございます」


 手に取ってまじまじと見つめる。取っ手の付いた茶碗は目が覚めてからなんども見てきたが、木製のモノに漆を塗ったのは、なんとなくツバキ自身の島の汁碗ことを思い出させる。湯呑というと陶器のイメージがあったので新鮮であった。

 そして自身の故郷である華火と似た食器を送られたのは、とてもうれしかった。

 器の底を通してデュランの背を思い出す。しっかりとした頼れる背は、思慕の対象としての感覚で見ている物ではない。ただ、その背を見ていると安心する。自分の知る物がほとんど何もない世界で見つけた灯。漆のマグが自分の島とを繋ぐ縁のようにも思えてくる。


「お、気に入ってくれたみたいでよかった」


「ひょえっ!?」


 手に持ったマグを跳ね上げたが地面に落下する前にデュランがキャッチする。危うく縁を地面に落とすところだったのをデュランから受け取りしっかり握りこんだ。改めてツバキがまじまじと見上げるとその手には磁器の水瓶とバケット箱が抱えられている


「水瓶? 何をするんですか?」


「お、よくぞ聞いてくれた。ただ説明しにくいから見てろ見てろ?」


 デュランが水瓶の中に、カバンから取り出した瓶に収められたビーズの様な量の水の魔石を三粒程を放りこむと、清水が湧きだし瓶からすこし溢れテーブルを濡らした。鞄から更に木のスプーンを出し、溢れる分の水で洗浄する。


「おぉ……」


 ツバキが感嘆の声を上げるのに少し気を良くしつつ続いて赤いビーズ、火の魔石を一粒取り出し瓶の中に落とす。

 すると、変化が無い。


「ちょっと待ってな。これは一気に入れると危ないから」


「一気に入れると……?」


「爆発する」


「……そうなんですね」


 そんなふうに軽口を言いつつまた魔石を一粒落とす。そうしてし少し待つ間に、デュランは鞄から小さな金属の筒とハンドルを取り出した。

 その間に水瓶から湯気が立ってきのを見て魔石をさらに二粒落とすと、例のこげ茶色の粒の瓶を開けた筒の中に注ぎ込んだ。

 粒と筒が接触し乾いたからからという音が響く。


「これはミルって言うんだ。ほれ、回して見な」


 蓋を閉じハンドルをミルに取り付けると差し出されたミルをツバキが受け取りまじまじと見つめる。握ってハンドルを回すジェスチャーを参考にしながら結構な抵抗のあるハンドルを回すと、先ほど入れた粒が破砕される音と振動が指に伝わってくる。

 ガリガリという音が回すのに合わせてなるのが少し楽しくなってきたツバキが、しばらくそれに没入していると、最初有った抵抗が完全になくなった。


「いいぞツバキ、ナイスだ」


 ツバキがデュランの方を見やればテーブルの上では沸騰しボコボコと湯気を立てている水瓶とマグの上に小さいマグを乗せた状態のモノが置かれていた。


「中身をここにあけてくれい」


 

 指示に従ってミルの蓋を開けると、ふわりと香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。嗅いだことのない香りに期待感を高めつつ小さいマグに粉になったソレを全て入れる。よく見ると内側には紙が敷いてあった。


「いい感じに挽いてくれたな、うまいぞ」


「どうなるんですか?」


「まあまあ、見てろ」


 水瓶、いやお湯瓶とでもいうべきか、湯気を立てるソレをデュランがゆっくりと傾けた。

 垂れたお湯の筋が円を描くように粉の山に染みこみ、まるで底から泡が湧きたつように大きく膨らむ。

 先ほどよりもより明確に香りが周囲に広がった。思わず鼻をスンとさせてしまい口元を抑えたツバキの先で、少し時間を置いてから再びお湯を注ぎ込む。小さいマグの下で、注がれるお湯とは別の水音がしている。ツバキは知らないがドリッパーと呼ばれ底が抜けているのである。


「ほれお待ちどうさま。デュラン印のコーヒーだ。本当はここから色々やるんだが、ためしにこのまま飲んでみるか?」


 少しの間その音に耳を楽しませていると、水音が止んでデュランがドリッパーを退けた。

 漆を塗られたマグの半分程まで注がれたデュラン曰くという飲み物が、湯気を立ててその香りを空へ振り撒いていた。


「はい! いただきます!」


「熱いから気を付けろよ」


「はい!」


 二度、息を吹きかけ期待に胸を躍らせながら縁に口をつけ啜る。


「……苦いです」


「人によってはこれが好きな奴もいる、まあツバキはそうじゃなかったみたいだが」


 すこし眉尻が下がり残念そうな顔をしているツバキにデュランが不敵な笑みを浮かべる。


「そこで、これだ」


「牛乳……?」


 バケットを開くと、透明な瓶に入れられた牛乳が現れた。先ほど水瓶を借りるのと一緒に絞ってもらった牛の生乳である。保存の関係から数日持たないため、牛のいる島以外ではほぼ流通してない貴重な品だ。

 それに火の魔石を落とすとツバキのマグに注ぐ。コーヒーの黒と牛乳の白が混ざり、マグの中で陰陽の螺旋を描いた。


「ほいトドメにシッパル産、蜂蜜」


 最後に黄金の液体、蜂蜜をコーヒーに落とし、スプーンでかき混ぜるとツバキにもう一度差し出してくる。


「括舌せよ、これが真のデュラン印のコーヒーだ」


 受け取り、まじまじと見つめる。スプーンで白と黒が撹拌され伽羅色となっている。湯気から感じる香ばしさこそ弱くなったものの、牛乳と蜂蜜由来の豊かな命の香りが鼻腔の中に優しく溶けていく。

 なぜだか飲んでしまうのがもったいない、このままずっと香りを楽しみたいとも思ったが、せっかく作ってもらったものを冷ましてしまうほうがよほどもったいないので、意を決してコーヒーを啜った。

 まろやかだった。コーヒーの苦さは残っているが、牛乳のまろやかさと蜂蜜の甘みが咥内に広がる。飲み込んだ後味はすっきりとしていて、湯気から感じられた香りは密度を増し豊潤な香りが喉を上り、コーヒーの苦みと風味が無ければ鼻が甘い香りで溶けてしまいそうだった。

 満たされる飲み込まれた後もコーヒーの熱が内臓に届き体全体に広がっていくようにぽかぽかとした心地をツバキにもたらした。

 蜂蜜はつまるところ金色の水飴のようなものだとツバキは認識した。甘味は貴重で、覚えている限り数えるほどしか食べたことはなかったが、覚えてる内と比較してもこのコーヒーの甘さは別格だった。

 いや、ベネアで食べさせてもらった物の方が美味しい物であった気もする。

 ただ、味では得られないが、体の内を満たしていく。


「おいおい、泣くほど美味かったか? 降りてきた価値はあったろ?」


「え?」


 ふと頬に手をやると、指に透明な水がついていた。いつの間にか歪んだ視界は流れた涙のせいだと気づいた。

 ツバキにとって初めてばかりだ。泣いたことだって初めてかもしれない。

 でも悪い涙ではない。

 だから、心配かけまいと思って、しかし心からの笑顔でツバキは笑った。


「……おいしい。はい、とっても美味しいです!」


 デュランは満足そうに水瓶に火の魔石を入れて沸騰させながら、何か思案してから口を開いた。


「チーズ食べたことあるか?」


「チーズは……ないです!」


 聞いたこともなかった。家で食べたことなんてなかったし、ベネアで出してもらった食事は家で食べた物と似たものだったから。

 自分が飲む用のコーヒー豆を挽きながらデュランは悪戯げに笑みを浮かべる。


「なら昼と夕飯も楽しみにしてな」


 ツバキはとても楽しみになって、コーヒーを再び啜った。ちなみに真・デュラン印コーヒー、正確にはカフェオレである。

 この後、高速気流に戻る際の急加速でまた首を捻りかけたり、少し離れた所に休憩を挟みつつ飛び、お昼にはチーズを使ったサンドイッチ食べ、最後には無人島に着陸した。そこは夜間泊まるのによく利用される無人島で、他にもいくつかの飛龍乗りが着地し休んでいる。

 お楽しみの夕飯はウェルズの火で炙られ溶けたチーズと無人島で調達した鳥の肉等を使った料理、チーズフォンデュに舌鼓を打ちつつ一日目の飛行を無事に終えるのだった。

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