第二章 東への航路、ライジングロード

第一話

「凄い……流れ星みたい……」


 テプール商工会前で、ぽつりとツバキは呟いた。彼女が見上げる空の先には、大小強弱色とりどりの様々な光が、天に向かって螺旋の尾を引いて登っていく。無数に光るそれら全てが飛龍ヴルムに備えられた夜間飛行用のランタンの光だ。

 ベネア上空の、高速気流ハイウィンドの始点まで昇ると、それぞれの目的地の方へ向け、四方八方に流星の如く散っていく。奇数の日に見れる朝の名物で、誰が呼んだが光の花ベネアフラワーと名付けられている。

 光の帯が茎となって空へ上り花弁の如く開いた様子はベネアの観光名所としても有名で、少し離れた空では観光の人々が飛龍に乗ってその様子を見ている事だろう。

 その茎の中心、根元の部分にあたる商工会広場前から見るとそれはツバキの感想通り流星が空に落ちていくかのようであった。


「これから俺たちもあそこに行くんだ、上から見るのも綺麗だから高速気流にのったら振り向いてみるといいぞ」


「それじゃツバキくん、良い旅になることを祈っているよ」


「はい、バルドさんもありがとうございました」


 商会長であるバルドも見送りに来ていた。未知の島華火にそれだけ期待しており、なるべくツバキには良い印象を与えたいのだ。


「それじゃ、日が出ると違反で罰金払わされるからそろそろ行きますかね」


 手綱を握るとそれに合わせバルドが距離を取る。ひと吹きの風を伴ってウェルズが上昇を始め、商工会の建物の高さを超えたあたりで、一行も螺旋の光の中に飛び込んだ。

 ベネア上空の高速気流に乗る場合は上昇風アッパーベルがないため、前日飛んだ程度の円周で反時計回りに上昇することが義務付けられている。デュランもそれを守り周囲と一定の間隔を保ちながら上昇を続けていく。

 遠心力で右に引っ張られつつツバキが下を覗けば、いまだ随所から飛び立ち輪に合流する飛龍たちのランタン光が多く見える。

 ふと、ツバキが縁の外側を見ると、飛んで行かずに同じところをずっと滞空している飛龍がいることに気がついた。


「デュランさん、外側で上に行かずに止まってる人がいますけど、何かあったんでしょうか?」


「ん? ああ、あれは高速気流に乗るんじゃなくて俺たちを見守ってくれてるんだ」


 まだ日が出ない為、硬質な鱗がランタンに照らされている。また、群青と白雲の空に映るシルエットから結構小型の飛龍であることが分かる。


「暗くて見えにくいが、アレは龍騎士リントヴルムって言ってベネアが組織している治安維持の飛龍乗りだな」


 飛龍を用いた空賊に対抗するために、ベネアやギーシャのような大きな島では武装した飛龍乗りに警備をさせて空の治安維持に努めている。また、光の花ベネアフラワーのような衝突などの危険が伴う場合はああやって監視し、万一衝突などが起きた際は救助や救護を行うのである。


「姿は見えないですけど、かっこいいですね……飛龍も誇らしげです」


「それをあいつ等が利いたら喜ぶぞ? そろそろ高速気流だ。少し揺れるから気を付けろよ」


 黒い影になっている龍騎士を下に見送って、しばらくして螺旋運動から水平方向への円運動へ飛龍たちの動きが変わった。下から見上げたときは丁度花のガクにあたる大きな輪の部分から、デュランが手に持った小さめのランタンを右に掲げ合図すると、右手に居た飛龍たちが空間を開けてくれる。その隙間を縫うように輪の外側に出ると、やや白ずんだ東雲の空へ方位を向けた。

 デュランが振り向いて後方左右を確認する。安全を確認すると勢いよく手綱を弾いた。

 ウェルズがそれ応え翼を大きく広げると一羽ばたきする、そうしてもう一度、今度はゆっくりと貯めるように持ち上げられた翼が一瞬で振り下ろされ、尋常じゃない勢いで急加速した。ツバキの首がガクンとなった。普通の鞍だとレバーの都合上体は前のめりになっているのに対しツバキは背もたれに密着させてるため、すこし背を倒したような姿勢で乗っているのが少し良くなかった。

 後ろに投げ出されそうな頭を首に力を入れて繫ぎ止める。胴体部分は背もたれに押し付けられるのを感じながらも非常に安定している為、力を入れやすかった。

 そこから少し上昇すると、加速の加重が更に増した上で揺さぶられるような振動がもたらされ、ツバキは大丈夫とわかっていても必死でレバーを握って鞍を足で締めていた。目をつぶると余計に怖いのでデュランの一挙一動を見逃さない様じっと後ろから見ている。


「さすがに初めてで高速気流は怖いよな。ホレ、後ろ見てみろ?」


 少しして加重も無くなり、揺れも収まるものの、ツバキが変わらずデュランの後頭部を見ていると、振り向いたデュランがツバキの様子に苦笑いしながら後ろを指差した。

 雲の海に浮かぶ島から光が立ち上り、花開いている。綺麗ではあるが、下から見たときほどの感動はツバキにはなかった。それより凄まじい勢いでその花が遠ざかっていく様は気を使ってくれたであろうデュランに申し訳ないレベルでかなり怖かった。

 高速気流に乗るとその風の流れの中でさらに風を切って飛ぶためかなりの速度が出る。普通の空で高速気流に乗ってるような速度を出せるウェルズが高速気流を飛べばどうなるかは自明の理だ。同じ方向の高速気流に乗った長龍コウリュウ腕龍ドラゴン等をどんどん追い抜いて行く。下を流れる雲がグングンと後ろに置いて行かれる光景が、無風でほぼ揺れがないウェルズの背から見ているせいで現実感のない遠い世界の出来事のようにツバキは感じてしまう。

 そして思うのだ。

 実は、自分は家で眠っていて、少し嫌で少し素敵な夢を見ているだけではないのか? と。


「日の出だ」


 ハッとして前を見れば光がさしている。ランタンの淡い光ではなく、命をはぐくむ暖かな黎明の光だった。

 頭を傾ければツバキの顔に朝光が差し目を細めた。向かう先の水平線から生まれたての太陽が顔をのぞかせている。たしか、夢は知ってること以上のことは起きないと聞いたことがあった。だからこれは夢ではなく現実なのだろう。


「なんだか、初めてのことばかりです。飛龍の背の上から朝日を見ることになるなんて思わなかった」


「なんでも人生経験だ、悪いことじゃなければ初めてのことは歓迎すべきだぜ」


「……そうですね! ありがとうございます」


 しばらく飛ぶと、もう追い抜く飛龍も居なくなり、完全に安定した飛行になる。翼の遅い大型飛龍たちを追い抜きつくしたら、あとは速い飛龍たちだけなので、高速気流にどちらも乗っているならそうそう追いつき追いぬくことはできない。

 ほっと一息ついたツバキがバーから手を離すと、手がべったりと汗をかいて腕に疲労感があった。

 それだけ緊張していたのだと自覚した。

 

「もう三時間、高速気流を飛んだら下にルヴァンっていう村のある一本木の島があるからそこで休憩だな」


「私なら疲れてないので大丈夫ですよ?」


「いやいや、疲れてなくても休憩はするべきだぜ、むしろその休憩して疲れないようにするってのも大事だ。それにあそこは良いぞ、牛が居るからな」


 疲れてくると判断ミスすることが増える。判断ミスはそのまま命の危機になるのだから、疲れる前に休み余力を残しておくことが大切なのである。


「牛……食べるんですか?」


「いやいや食べない。あそこは食べられる程の規模の牛が居る島じゃなからな。有名なのはこっちじゃズンブラ産だな」


 そこでデュランは合点がいく。そういえば東方では牛の乳を飲まないと以前聞いたことがある。


「確認だが、牛の乳は飲めるか?」


「えっ薬を飲むんですか? 飲めますけれど」


「薬? まあ薬みたいなものか? 俺のヤツにシッパルの特産品と合わせて飲むと美味いから楽しみにしてな」


 それから一時間ほど、太陽が顔を完全に出し、明るくなる。日差しが正面だと眩しく、遮光の入ったゴーグルを二人は装備した。


「日が出てきたが、温度はどうだ?」


「あ、大丈夫ですよ! そういえばどんな原初魔法ワイルドマジックなんですか? これ」


 ツバキが朗らかに答え、逆に質問してきた。ウェルズが小さく鳴き火を噴いた。


「そうだな、ウェルズは火、風、氷の原初魔法を使える。またの名を冷暖房と防風」


 ツバキがそれを聞いてくすくすと笑う。


「そうなんですね」


「よく原初魔法知ってたな、使える飛龍なんてかなり珍しいんだが」


「ええ、教えてもらいました!」


 バルドのオヤジが教えたのだろうか、企業機密をペラペラしゃべるのは良くないので帰ったら注意しておこうと決意するデュランだった。

 

「あ、あれはなんですか?」


 ツバキが指差したのは下空の棘の雲の更に下、青海の水のうねりの下を何か大きな陰が動いている。


「あれは海龍ヴァイアだな。すごい凶暴でな、水面に降りようものなら瞬く間に食べられちまう」


 それは青海の頂点に君臨する龍。島に住む人々の多くは影すら目にすることが無い物だが、飛龍に乗る者達には逆に色々な意味でなじみ深い物だ。墜落し青海に落ちればアレに食われる。絶対の死の象徴だ。

 『青海に撒いた種』のことわざの由来でもある。


「聞いた話だが、低空を飛ぶ無人島から釣りをしてみた奴がいたらしい」


「どうなったんですか?」


 釣れたのだろうか、あんな大きなものを。


「島ごとぱっくり食われたってさ」


 そんな都合のいい話は無かった。ツバキもあの影を見なければそうは思わなかったがあの影はかなり巨大で、島など簡単に食べてしまいそうだった。


「まあ、よほど低くを飛んでいない限りは海龍が襲ってくることは無いから安心だぞ。高速気流まで上ってくるなんてのは聞いたことがない」


 デュランがツバキの頭を撫でた。


「今は自分たちがぱっくり食われる心配よりも、これを楽しみにしてな」


 デュランが気を紛らわせようと二つ瓶を取り出した。陽光を封じ込めたような黄金色の液体が入った瓶と、こげ茶色の粒がいっぱいに入った瓶だ。


「おっと、下の目印エアマークが見えるか? あれはレッドヘッドって言う下から見ると顔があるように見える島でな、ルヴァンまで大体半分を切ったあたりにある」


 ツバキが怪訝な顔をする。一時間前に三時間で着くと言っていたのに半分まで来ているとはどういうことなのか。


「なんかウェルズがめっちゃ張り切ってもうあと一時間で着くな」


 ウェルズの頑張りであった。急いでいる様子は無いが速度を上げているのだ。


「ウェルズ、ありがとうね」


 ポンポン、と鞍の脇の所をねぎらうように叩くとウェルズが短くヴォッと鳴いた。


「気に入られたなウェルズに、後で餌やってみるか?」


「良いんですか? ありがとうございます!」


 普段なら無反応のウェルズが積極的に構うのはかなり珍しい。ツバキのことをどうしてだか気に入っている様だった。


「まずはこっちのを楽しみにしててくれ」


 デュランが見せびらかした瓶を仕舞いなおす。ルヴァンへの道中は何事もなく順調に進んだ。ただようやく巨大な木が生えた島、ルヴァンが見えたとき高速気流から降りるときの急減速と降下による浮遊感でツバキが悲鳴を上げた。これは高速気流に乗った際のように注意をしなかったデュランが悪い。

 最初の二時間の飛行、それ以外は非常に順調であった。


 

 

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